セドリックが見せてくれた地図によると、キャンプ場はいくつもの区角に分かれていて、ディゴリー家に割り当てられた場所は競技場に比較的近いようだった。とは言え、今居る場所とはほぼ反対側にあったので、レイチェルとセドリックはかなりの距離を歩くことになった。遠目から見た限りは多くのテントは何の変哲もないように見えたが、近づいてみるとレイチェルはどうやら自分の認識が間違っていたらしいことに気がついた。ただの緑色のテントに見えたものは本物の三つ葉のクローバーで覆い尽くされていたし、ブルガリア側のテントにはシーカーであるビクトール・クラムのポスターがベタベタと貼りつけられている。勿論クラムの写真は動いていたのだが、どうやら普段から無表情なのか、しばらく見ていないとマグル式の動かない写真と勘違いしてしまいそうだった。他にも、どうやらただの白いテントは地味だと考えたのか、キラキラ光る紫色のスパンコールがびっしりと縫いつけられたものや、選手の名前が虹色に点滅するよう魔法がかけられた横断幕が吊り下げられているものもあった。それに、テント以前に派手なローブを着ている魔法使いも多かったので、マグルが見れば一目で“奇妙”だと思われてしまうことは間違いないだろう。

「マグル対策としてはかなり問題がありそうだよね」
「でしょうね。取り締まる魔法省の人達は大変そう」

苦笑するセドリックに、レイチェルも同意した。とは言え、大勢の魔法使いが方々から集まってしまえばこうなるのも仕方ないような気はする。マグルらしく振る舞おうにも、大抵の魔法使いは何をどうすればマグルらしいのかよく知らないのだ。とは言え、さすがに前庭や噴水までついているテントと言うのはやりすぎだと気が付きそうなものだけれど。
しかしレイチェルが一番驚いたのは、目的地である端から2番目にるキャンプ場に着いてからだった。

「えっ もう私達のテント建てちゃったの……!?」

“ディゴリー”と書かれた立て看板の側には、既に2張りのテントが設置されていた。2人用のものがエイモスおじさんとセドリック用、そして1人用の小さなテントがレイチェル用。おじさんが、チケットが取れなかったと言う同僚から借りて来てくれたものだ。レイチェルの嘆きに、セドリックは困ったような顔をした。

「僕もレイチェルは一緒にやりたがるだろうと思ったんだけど……父さんが、早く建てちゃおうって張り切ってて……」

そんな────マグル式にテントを建てられるのだと思って、楽しみにしていたのに。
そうガッカリする気持ちはあったものの、セドリック達は朝の5時過ぎからここに居たのだ。他にやることもなかっただろうし、それにまだ帰るときテントを分解する作業は残っている。レイチェルは気を取り直した。

「ありがとう。大変だったでしょ?」
「そうでもないよ」

レイチェルは早速、自分用にと用意されたテントに入ってみることにした。外から見ると3フィート四方程度で、腰までの高さしかないテントだが、中はどこかの屋根裏部屋のようだった。少しくすんだピンクの壁紙に映える黒いアイアンベッド、小さな木製のドレッサー。壁には小さな黒い額縁に入れられた子猫の写真が飾ってある。寝室とバスルームだけの簡素な造りだが、たった1晩きりの仮住まいには十分だ。レイチェルは満足してテントから這い出した。

「何か私に手伝えることはある?」
「そうだな……水も汲んだし、薪も拾ったし……そろそろ父さんも戻って来ると思うから、先に昼食の準備を始めようか」
「わかったわ」

エイモスおじさんの姿が見当たらないと思ったら、魔法省の同僚と会って話しこんでいるらしい。
それからレイチェルとセドリックは、昼食の準備に取り掛かった。とは言っても、大がかりな料理は必要がなかった。セドリックのリュックサックの中にはおばさんお手製のサンドイッチが3人分あったからだ。
レイチェルもまた、鞄から食料を取り出した。レトルトパウチに入ったスープと缶詰に入ったプリン。パメラが教えてくれて、マグルのスーパーマーケットで買ったものだ。せっかくだから温めて食べようと、レイチェルは小さな鍋にスープを移して積み上げた薪の上へ置いた。後は火をつけるだけだ────そう。マグル式に。

「……これ、不良品なんじゃないかしら」

火を使うのは危ないからおじさんが帰って来てからにしようと言うセドリックの反対を押し切って、ウキウキとマッチを手にとったレイチェルだったが、中々思ったようには行かなかった。マグル学の教科書で図解を見た通りにやっているのに、レイチェルのマッチは箱の側面に引っ掻いたような後を残すばかりで、一向に火がつく気配はない。

「貸して。今度は僕がやってみるよ」

5本目のマッチを折ってしまったところでセドリックにマッチ箱を渡すと、たった3回目で火がついたのでレイチェルは驚いた。セドリックとレイチェルのやり方はほとんど同じに見えたけれど、簡単そうに見えて意外と奥が深いのかもしれない。何はともあれ不良品でなかったことは証明されたので、今度こそ着火を成功させるべく張り切ったレイチェルだったが、戻って来たおじさんに危険だからと取り上げられてしまった。
昼食を終えると、キャンプ場はますます賑やかになってきた。ちょうど、成人の魔法使いたちが姿現しでやって来る時間帯のようだ。

「よう、よう、エイモス!君も来ていたのか」

ディゴリー家のテントはメインストリートから近い場所にあったので、多くの魔法使いが行き交っているのがよく見えた。エイモスおじさんのところには、ひっきりなしに知り合いが挨拶にやって来た。多くは魔法省関係の知り合いや、学生時代の友人だった。中でも一番目立っていたのは、元イングランド代表チームのビーターでもあったルード・バグマンだった。現役時代のウイムボーン・ワスプスの競技用ローブを身に着けていたせいで、黄色と黒の派手なコントラストにレイチェルは目がチカチカした。

「君達も、賭けないか? せっかくのワールドカップの決勝戦だ!」
「いやいや、ルード。息子達はまだ未成年なんだ……賭けは無理だ」
「なぁにエイモス、確かOWLも終わったと言ってたじゃないか。もうほとんど大人だろう!」

溌剌とした笑みを浮かべるバグマン氏に悪気はなさそうだったものの、仕事仲間の紹介だけならともかく、とうとうクィディッチ賭博に巻き込まれそうになった2人はその場を離れて辺りを散策することにした。おじさんのところにこれだけたくさん人がやって来ているのだ。レイチェル達の知り合いも来ているかもしれない。

 

 

「あっ、あそこに居るのガブリエルだ。ごめんレイチェル、僕少し話して来る」

その予想はやはり当たった。少し歩いたところで、早速セドリックが去年卒業したハッフルパフの監督生を見つけた。他にもクィディッチチームの元キャプテンなんかも一緒のようだったので、レイチェルはそこでセドリックと別れた。さっきは派手なテントの飾りや外国の魔法使い達の物珍しさに目が行ってしまったけれど、思った以上にたくさんのホグワーツ生がやって来ているようだ。制服を着ていないからわかりにくいが、見覚えのある顔を何人も見かけた。どうやら競技場に近いこの辺りには、あちこちのキャンプ場から人が集まって来ているようだ。

レイチェルレイチェルも来てたのね!」

レイチェルもレイブンクロー生に何人か出会った。まずは、チョウ・チャンがレイチェルを見つけて駆け寄って来てくれた。いつもは下ろしている艶のある黒髪に緑のリボン────たぶんアイルランドを意識してだろう────チョウはとても可愛らしかった。素敵な髪型だと褒めると、チョウはレイチェルの髪にも同じようにリボンを編み込んでくれた。

レイチェルはどっちが勝つと思う? クラムのプレーが見れるなんて、すごく楽しみよね」

クィディッチファンのチョウにとっては、やはりワールドカップへの思い入れは強いらしい。とりわけ、同じシーカーのポジションだから凄さが際立つのか、目をキラキラさせてクラムのスーパープレーを語るチョウに、レイチェルはもしかしたら────今まであまり話しているのを見たことはないけれど────実はセドリックとチョウはかなり気が合うのではないかと思った。

「あ、レイチェルじゃん。久しぶり」
「久しぶり、ロジャー。えっと、そっちは……」
「可愛いだろ。今9歳」

次に会ったのは、ロジャー・デイビース。家族で来たらしく、弟と一緒だった。ロジャーと違って内気で人見知りのようだったが────知らない年上の女の子に照れてしまったのか、レイチェルが挨拶するとサッとロジャーの後ろに隠れてしまった────ロジャーによく似た顔立ちの可愛らしい少年だった。

「こら。ちゃんと挨拶しなきゃダメだろ」
「だって、僕、恥ずかしいもん……」
「大丈夫だって。優しいお姉さんだから……おい、笑うなよレイチェル。ごめんな、家からあんまり出ないから人見知りしてさ……家だともっとよく笑うし結構しゃべるんだけど……」
「気にしないで。誰だって知らない人は緊張するもの」

困った顔で頬を搔くロジャーに、レイチェルはニッコリした。友人の多いロジャーだから、その中の何人かも来ているはずなのに、こうして弟と一緒に過ごしていると言うのがレイチェルは意外な気がした。どうやらロジャーは弟をとても可愛がっているらしいことが2人のやり取りからも窺えて、レイチェルは何だか微笑ましくなった。

「ねえルーナ。これは何?」
「ガーディルート。ガルピング・プリンピー避けなんだ。こう言う人の多いところが好きだから、集まって来るんだもン」

それに、ルーナ・ラブグッドにも会った。ルーナとその父親はどうやら2週間も前からキャンプ場に来ていたらしく、ラブグッド家のテントやその周囲は何かの魔除けや呪いと思わしき品々で埋め尽くされていた。テント中にガーランドのように張り巡らされた乾燥したエシャロットのような植物にレイチェルが首を傾げれば、ルーナはニッコリと教えてくれた。

レイチェル! 久しぶり!」
「元気だった?」

勿論レイブンクロー以外の生徒にも会った。向こうから手を振っているのは、グリフィンドールのアンジェリーナ・ジョンソンとアリシア・スピネット。クィディッチ選手である彼女達もやっぱりワールドカップを前に興奮してはいたものの、たった今の関心事は別のもののようだった。

「正装用のドレスローブって、もう買った?」
「ええ。エリザベスとパメラと一緒に選んだの」
「そうなんだ! いいな、どんなの? ……あっ待って、やっぱり言わないで。当日見るのを楽しみにするから!」
「あれ、何に使うんだろうね。リストには書いてなかったじゃない?」

どうやら、さっき別の同級生と会ってその話題になったらしい。そう言えば、ビルやギルバートはドレスの使い道について何かを知っていた様子だったけれど結局レイチェル達にははぐらかして教えてくれなかった。それに、さっきエイモスおじさんのところに話に来ていた魔法省の人達もホグワーツで「何か」が起こるのだと言いたげだった────「何が」か教えてくれるつもりはなさそうだったけれど。

「2人ももうドレスは買ったの?」
「私達はこれから!来週一緒に行くんだけど……いいのはなくなっちゃわないか心配」
「売り切れるってことはないと思うけど……カタログがあったから、デザインさえ決まれば仕立て直してくれるんじゃないかしら。ただ、新学期が近づくに連れて混雑するだろうってマダム・マルキンが言ってたから、できるなら朝早く行った方がいいかも」
「あーっ、やっぱり? そうだよね、新入生の制服もあるもんね」

パーティードレスの話題の他にも、レイチェルはアンジェリーナ達と色々な話をした。OWLの結果や、来年の時間割や、夏休み何をしていたか。4年に1度のワールドカップの決勝の前に全然関係ない話題で盛り上がっているのは何だか奇妙な気もしたが、やっぱり友達とのおしゃべりは楽しい。話しこんでいるうちに、いつの間にか日は傾き始め、辺りにはますます人が増えて来ていた。

「それにしても、すごい人だよね」
「ホグワーツ生の半分は来てるかも」

アリシアの言葉はさすがに大げさだと思ったものの、確かにレイチェルも学校の外でこんな風にたくさんの生徒が集まっているのを見るのは初めてだった。
たとえば聖マンゴにお見舞いに行ったら隣のベッドの患者が友達の祖父母だっただとか、ダイアゴン横丁に買い物に行ったら同級生とバッタリだとか、曾々々祖父のお葬式に行ったら実は知ってる上級生が遠い親戚だったとわかるとか、妖女シスターズのライブで誰それを見かけただとか。夏休み中にホグワーツ生と会うこと自体はそんなに珍しいことじゃないけれど、こんな風に一度に大勢集まるなんて今までなかったことだ。

「卒業生も結構来てるよね。もしかして、教授達も来てたりして!」
「誰か1人くらいは来てるんじゃない? マクゴナガル教授、実はオリバーに負けず劣らずのクィディッチファンだし」

クスクス笑いと共にアンジェリーナの口から出た名前に、レイチェルは心臓が小さく跳ねるのを感じた。2人には言ってないけれど、オリバー・ウッドは、レイチェルの好きになった人だからだ。色々考えた結果、諦めようと自分の中では納得したものの、やっぱり急に元通り何もなかったことにするのは難しいらしい。いきなり名前が出ると動揺してしまう。

「あ、噂をすれば……オリバー!」

─────えっ。そんな、まさか。嘘。
向かい合った位置に居るアリシアがレイチェルの後ろに向かって手を振ってそんな風に呼びかけたので、レイチェルの心臓は今度こそ跳び上がった。

「アンジェリーナ。アリシアも。2人も来てたのか」

鼓膜を震わせるこのよく通る声を、レイチェルは知っている。胸が細い糸で締めつけられたように、息が苦しくなる。肩越しに恐る恐る振り向くと、そこには予想した通り────偶然にしてはあまりにもタイミングよく、本当に本物のオリバー・ウッドが居た。

レイチェルも、久しぶり」
「あ、えっと……久しぶり、オリバー。元気そうでよかった」
「君も。実は、さっきセドリックに会って君が来てることは聞いたんだ。会えてよかった」

ウッドはそう言ってニッコリ笑いかけたが、レイチェルはうまく笑い返せたか自信がなかった。まさかこんなところで会えると思っていなかったので、全然心の準備ができていない。ジニーとワールドカップの話をしたときウッドのことを考えはしたけれど、まさか本当に観戦に来ているなんて。ああでも、確かにウッドのクィディッチの熱狂を考えたらワールドカップの決勝を見逃すはずがないのだから、ウッドに会う可能性を考えてなかったレイチェルが馬鹿だったかもしれない。

「えーっ、オリバー、私達には?」
「たった今言おうと思ってたって……勿論、会えて嬉しいよ」
「もっと気持ちを込めてよ!」

アンジェリーナやアリシアが一緒でよかった。レイチェルは3人に気づかれないようそっと胸を撫で下ろした。2人だったら、何を話したらいいかわからない。いや、そもそもレイチェル1人だったらウッドに声をかけたりしなかったかもしれないけれど、向こうから話しかけられる可能性はあった。ウッドはレイチェルの気持ちなんて知らないのだ。

「ねえオリバー、他には誰か会った?」
「ハリーには会ったな。それからフレッドとジョージも」
「ハリーも来てるの? じゃあ、グリフィンドールチームで来れなかったのはケイティだけね。チケットが取れなくってて残念がってたのよ。可哀想に」
「大丈夫だよ。次のワールドカップの決勝はオリバーが関係者席に招待してくれるし」
「おい、無茶言うな……俺はまず国内リーグ優勝に貢献するのが先だ。まだようやく二軍でスタートしたとこなんだぞ」

緊張と動揺に口をつぐんだまま、レイチェルはアンジェリーナ達とウッドの会話に耳を傾けた。ウッドは少し髪を切って、プロの厳しい練習のせいか少し体格も変わって────けれど、2人と話すその声も表情も、レイチェルのよく知るウッドだった。ホグワーツでよく見ていた光景。変わらないやりとり。

────ああ。やっぱり、レイチェルはこの人のことが好きだ。

バスタブに浸かったときみたいに、温かな液体が心の中を満たして、ざらついた感情が溶けていく。
この人が好きだ。プロのクィディッチ選手になると言う目標が叶って、そしてもう次の目標を追っている。きっと苦しいことだってたくさんあるのに、いつだって、ひたむきに前に向かって走り続けているところが。
レイチェルは自然に口元に笑みが浮かぶのを感じた。

「まだ4年もあるじゃない。オリバーならきっとできるわ。チケット、楽しみにしてるわね」
レイチェルまで……」

困ったように眉を下げるウッドに、レイチェルはアンジェリーナ達と顔を見合わせて笑い合う。半分はアンジェリーナ達のからかいに合わせていたけれど、半分は本気だった。ウッドなら────あれだけ真摯にクィディッチに向き合える人なら、きっとできる。4年は無理だったとしても、いつかきっと。
クィディッチが関わると小さな子供みたいなのに、それ以外のところではやっぱり大人びていて。少しぎこちない優しさが好きで。でも、何よりも、クィディッチをしているウッドが好きだった。真っ直ぐに夢を追いかけている瞳に、背中に、憧れた。
だから、邪魔をしたくなかった。レイチェルの恋心を押し付けることで、ウッドを困らせたくなかった。見ているだけで十分だと────何もせず諦めることに決めた。そんな独りよがりなレイチェルの決意にどの程度の意味があったのかなんて、わからないけれど。

自分の選択はやっぱり間違っていなかったと、そう思えた。

 

 

 

辺りが薄暗くなりはじめたので、レイチェルも、そしてアンジェリーナとアリシアもウッドと別れ、それぞれのテントに戻ることにした。そろそろ戻らないと、きっとおじさんやセドリックを心配させてしまう。空の色が暗くなってきたとは言え、周囲の魔法使い達が出す魔法火や花火のせいで足元は照らされて明るい。一方で、落ち着きをなくした人々が道を塞いでいるせいで、暗闇よりもよほど歩きにくかった。

「きゃっ……」
「大丈夫か?」
「すみません、どうもありが……ドラコ?」

楽しげに騒いでいる外国の魔法使いにぶつかってよろけたレイチェルは、転びそうになったところを近くに居た誰かに助けられた。お礼を言おうと顔を上げると、その支えてくれた人物はレイチェルの友人であるドラコ・マルフォイだった。

「久しぶり……元気だった?」
「まあね。君は?」
「私も」

そんな会話をしながら、レイチェルは視線が泳がないよう気を付けなければいけなかった。ドラコの顔が真っ直ぐ見られないのには理由がある。友人────そう思っていたのはレイチェルだけで、ドラコにとっては“ただの友人”ではなかったと知ったのは、イースターの頃のことだった。とは言え、ドラコはレイチェルに気持ちに応えることを求めはしなかった。今まで通り友人で居てほしいと言われたものの────やっぱり、顔を合わせるとまだ何となく気恥ずかしくて気まずい。

「君が来ていると知ったら、母上は会いたがるだろうな。……気分さえ悪くなければ」
「ナルシッサおばさまもいらしてるのね。体調を崩されてるの?」

むしろ、ドラコの方がいつも通りだ。口調も表情も、ほんの少しの動揺の欠片すら見当たらない。もうレイチェルのことなんて好きでも何でもなくなったのかもしれない────一瞬そんな卑屈なことを考えたものの、レイチェルはすぐにそんな考えを恥ずかしく思った。自分に当てはめてみればすぐにわかることだった。諦めると決めたからって、いきなり気持ちが呪文みたいにパッと綺麗さっぱり消えるわけじゃない。……何かレイチェルにガッカリすることがあって気持ちが冷めたと言う可能性もゼロではないけれど。

「母上はこう言う騒々しいところは苦手なんだ。でも、魔法省大臣直々の招待では断るわけにもいかなくてね」
「……確かに。おばさまに人混みって似合わないわね」

ドラコがいつも通りに見えるのはたぶん、ドラコがそう見えるよう意図した振る舞っているからだ。レイチェルが気詰まりにならないよう、気を遣ってくれているのだろう。気まずいのはきっと、ドラコだって同じなのに。むしろきっと、ドラコの方が気まずいはずなのに。
ともすれば素っ気ないようにも見える態度は、きっとドラコの優しさから来るものなのだろう。口調は高慢で、棘があることも多いけれど────ドラコは優しい男の子だ。今だって、こうして体調の悪い母親を心配している。不器用だけれど優しくて、とても家族想い。レイチェルはドラコのそんなところがとても好きだった。

「じゃあね、ドラコ。また新学期に。おばさまによろしく」
「ああ」

レイチェルは、今度は自然にドラコの目を見て微笑みかけることができたと感じた。ドラコもわずかに口元を緩めたのがわかって、レイチェルはほっとした。
少し進んで、振り返る。遠ざかっていくドラコの背中がが人混みに紛れていくのを、レイチェルはじっと見送った。
急に今までと全く同じに戻ることは難しい。けれど、少なくともさっきのレイチェルは友人として振る舞うことができたのではないかと思う。そもそも、元通りなんて無理なのだ。だって、知ってしまったんだから。たとえこの先ドラコの恋心が溶けて、あるいはドラコに他に好きな人ができて、レイチェルのことなんてもう何とも思わなくなったとしても。知る前には、もう戻れない。なかったことになんてできない。覚えていてほしいと、ドラコがレイチェルに望んだのはそれだけだった。
友人として、これまで通り。それは、過去の2人に戻るわけじゃない。溶けた雪の上にまた雪が積もって、深く、固まっていくように。これからまた、友人としての言葉や信頼を積み上げていく。異性としてドラコを好きになることはできなくも、友人として大切にすることはできる。

レイチェルが向けた恋も、向けられた恋も。花開くことも、実を結ぶこともなかったけれど。叶わなかったからと言って、きっと無意味だったわけじゃない。

ウッドを好きになったことで、レイチェルは勇気をもらえた。あんな風になりたいと憧れたから、自分も夢を見つけることができた。
戸惑いもしたし、同じ想いを返すこともできなかったけれど、ドラコが自分を好きになってくれたことは嬉しかった。
この先きっと、今胸を灯す熱は引いていく。ただ、甘くて苦い思い出になる。それでも、確かにそこにあった感情は────誰かを好きになったこと。誰かに好きになってもらったことは、きっと無意味なんかじゃない。
ウッドもドラコも、前に進んでいる。レイチェルを好きになった人。レイチェルを好きになってくれた人。少しずつでもいいから、レイチェルも彼らのように前へと進みたい。

彼らに恥ずかしくない自分であれたらいいなと────レイチェルは何だかくすぐったいような気持ちで足を早めた。

熱情の行き先

top


    お返事が早いのはこちら ⇒ Wavebox