山と積まれていた課題もようやく終わりが見えて来たと思ったら、気づけば8月になっていた。
ジョージから預かった小包の中身は、未だわからない。と言うか、できれば知りたくない。今のところ爆発も異臭もしないが、この状態が夏休みの終わりまで続くかどうかは怪しい────と、レイチェルは考えていた。絶対に家に置き忘れたりしたくないし、目につくところに置いておくと不安になるので、レイチェルはあの包みをトランクの中に押し込めて早々に鍵をかけた。いざ中身が爆発すればこんな小さな鍵なんて吹き飛ぶだろうことはわかっているけれど、気休めにはなる。
「うちにも“魔法のトランク”があればよかったのに」
ふあ、と欠伸を噛み殺しながらベッドから起き上がる。思わず出たそんな呟きは、夜更かしして読みふけってしまった伝記のせいだ。
かの著名な魔法動物学者、ニュート・スキャマンダーが所有していた魔法のトランク。一見何の変哲もない革製のトランクの中は、彼の研究室や、多種多様な魔法生物の飼育環境などに繋がっていたと言う。それくらい巨大な空間があれば、ちょっとした爆発くらいなら何ともないだろう────もっとも、レイチェルがそんなトランクを持っていたとしたら、それこそ双子の悪戯の実験にでも悪用されそうだけれど。
────もしも手に入れたとしても、絶対あの2人には知られないようにしなくちゃ。
寝ぼけた頭でそんなことを考えながら、レイチェルはのろのろと身支度をして朝食に向かった。
つまり、ディゴリー家に。
「おはよう、セド」
「あ、おはようレイチェル」
玄関ドアを開け中へ入ると、ダイニングではセドリックが先に朝食をとっていた。
向かいの席へと座ったレイチェルは、ぼんやりとセドリックの顔を見つめる。そう言えば、セドリックも幼い頃、魔法のトランクを欲しがっていた。あれがあれば、家の中でも雨の日でも、箒を乗り回すことができるから。あと、トランクの中でドラゴンを飼いたいとも言っていた気がする。
「マーマレードのジャムがなくなったから新しいのを開けていいって。カシスとラズベリーがあるよ」
「ラズベリーがいい……」
「じゃあこっち。……なんだか随分眠そうだね?」
「昨夜遅くまで本を読んでたから……ありがとう」
セドリックに渡された小さな瓶を開け、レイチェルはトーストにジャムを塗りつける。
────魔法のトランクを手に入れたら、今のセドリックならどうするだろう?
ふとそんな疑問が頭をもたげたが、レイチェルはそれを口に出すことはしなかった。聞かなくても予想がついたからだ。きっと、昔とさほど変わらない答えが返ってくるに違いない────食事が終わったらしく、日刊預言者新聞のスポーツ面を読みふける幼馴染の姿を見てレイチェルは確信した。
今日も今日とて、セドリックはワールドカップのことで頭がいっぱいだ。まあ、レイチェルだって結果には興味があるけれど。
「クラムは……と言うか、ブルガリアは勝ったの?」
「勿論。でも、スコットランドはルクセンブルクに負けた。これでもう、残ってるのはアイルランドだけだ」
「それは残念ね。でも……どの道、ルクセンブルクに勝ったらブルガリアと当たってたのよね?」
「うん。その点、アイルランドはブルガリアとはブロックが別だから、決勝まで当たらない。でも、フランス相手に僅差でなんとか勝てた……って感じだったみたいだから、どうかな。次に当たるのは強豪のスペインだし……スペインと言えば、チェイサーが優秀なんだよ。この間のカナダ戦なんて、クアッフルだけで500点ちかくも得点して────」
そんな熱のこもったクィディッチ談議は、レイチェルの朝食の間中続いた。ちなみに、内容の半分はクラムのスーパープレーについてだ。途中からあまりにも専門用語が多すぎたせいで、レイチェルにはちんぷんかんぷんだった。
ようやくセドリックの興味がワールドカップから逸らしたのは、窓から入って来た梟が運んできた封筒に描かれていたホグワーツの紋章────つまり、学校からの教科書リストが届いたことだった。
「数占い学って、こんな教科書を使うのね。今度読んでみようかしら」
羊皮紙の上には、びっしりと教科書や資料集の書名が並んでいる。NEWTクラスに上がり内容が専門的になるのに加えて、今年はOWLの結果が出ないと教科選択ができないせいで全科目分が載っているからだ。何だか新鮮な気持ちで目を通しながら、自分に必要ない教科書を消していく。そうしてリストの端まで行きついたところで、レイチェルはふと手を止めた。
「ドレスローブ?」
4年生以上は正装用のドレスローブを用意すること────リストの最後に記されたその文言に、レイチェルははてと首を傾げた。もうこのリストを受け取るのも6度目になるけれど、こんなことが書かれていたのは初めてだ。
「パーティーでもするのかしら?」
「何かのお祝いかな? ホグワーツ開校1000年記念とか……」
「だとしたら、4年生以上だけって言うのは変じゃない?」
正装用のローブと言うことは何かのお祝いなのだろうけれど、ホグワーツ生皆に関係のあることならば、上級生に限定する必要もないだろう。わざわざリストに書かれているくらいだから、何かに必要なのだろうけれど────一体何に使うのだろう?
そんな会話をしていたのが、今朝のこと。
午後になって、レイチェル宛てにはもう1通手紙が届いた。淡いピンク色の封筒には、縁に銀色の花模様の飾り枠が箔押しされている。おそろいのデザインの便箋には、藍色のインクで几帳面な文字が綴られていた。
毎日暑い日が続くわね。
私の家に泊まりに来てもらう件だけれど、パメラからようやく返事が届いたわ。アメリカからの帰国日が8月5日に決まったらしいの。(手紙にはソッカー?のワールドカップについて、色々と書いてあったけれど、私にはよくわからなかったわ。レイチェルならわかるかしら?)
それ以降なら、いつでもOKですって。ただ、パメラもクィディッチの8月15日のワールドカップの決勝戦に行くことになったらしいの。レイチェルもでしょう?だから、ワールドカップが終わってから新学期まで……って思っていたんだけれど。
ホグワーツからの教科書リストは届いたかしら? 私は今朝受け取ったんだけれど、持ち物に正装用のドレスローブが必要なんですって。(何に使うのかは書いていなかったけれど、校長先生のことだもの、きっと楽しいことに決まっているわよね)
私、せっかくだから新調しようと思っているの。お母様もそれがいいって言ってくださったから。
我が家に滞在している間に一緒にドレスを買いに行けたらと思うんだけれど、どうかしら?
夏休みの終わりに近づくほど、同じようなホグワーツの生徒で混むと思うから、そうするなら早めのほうがいいと思うの。だから、ワールドカップの前に。8月8日から1週間。どうかしら?
(もしこの日程でよければ、ワールドカップの会場へはお兄様が連れて行ってくださるそうよ。詳しくは聞いていないのだけれど、未成年は移動が大変なんですって)
レイチェルは確か、マグルの街にホームステイに行くのよね? 都合が悪ければ、遠慮せずに言って頂戴ね。そうしたら、ドレスを買う日だけ別に調整しましょう。
急な話でごめんなさい。すぐに返事をもらえると嬉しいわ。
2人に会えるのを心待ちにしています。
エリザベス・プライスはレイチェルの入学当時からのルームメイトでもあり、親友でもある。
何百年も続くレイブンクロー家系の純血名家、プライス家の出身。成績優秀な模範生で、レイチェル達の学年の監督生でもある。豊かな黒い巻き毛と長い睫毛に縁取られたアーモンド型の瞳が印象的な、学年でも指折りの美人だ。いかにもお嬢様然とした雰囲気や立ち居振る舞いのせいか下級生にとっては少し近寄りがたいらしく、本人にとっては不本意な誤解されることも多い。けれど実際は真面目で優しくて、とても友達想いな女の子だ。
そして、レイチェルにはもう1人親友が居る。パメラ・ジョーンズ。彼女もやっぱりルームメイトで、腰まで届く見事なブロンドと、今日の空みたいな明るいブルーの瞳の持ち主だ。社交的で友達が多くて、話上手。マグル生まれのパメラは自分のふくろうを持っていないので────マグルの住宅街でふくろうは目立ちすぎるし隣人の奥さんが鳥嫌いらしい────夏休みになるとなかなか連絡が取れない。パメラに言わせれば魔法界はあらゆる面において“遅れている”らしく、レイチェルから見ると時々破天荒にも思える突拍子のない言動には驚かされることも多い。容姿も性格も生い立ちも対照的な2人だが、2人ともレイチェルの大好きな自慢の友達だ。
さて、とレイチェルはもう一度手紙の内容を読み返した。
「新調」と言うあたりお嬢様のエリザベスは既にドレスを持っているのだろう。けれど、レイチェルは持っていないので当然新しいドレスを買わなければならない。エリザベスの提案は大歓迎だ。
そして、エリザベスが心配してくれているホームステイの件も全く問題ない。去年シリウス・ブラックの脱獄のせいで────もっとも今も凶悪犯が逃亡中であると言う状況は何も変わっていないのだが────マグルの一般家庭へのホームステイのチャンスが潰れてしまってとても悔しい思いをしたので、レイチェルはもちろん今年も応募した。運よく条件の合う受け入れ先も見つかり、本当なら来週から行くはずだったのだが、ホームステイ先の状況が変わってしまって取りやめになってしまったのだ。レイチェルの行く予定だった家庭は若い夫婦だったのだが、奥さんに赤ちゃんができたらしい。もちろんとても残念ではあったけれど、おめでたいことだし、手紙で来年こそぜひと言ってもらったのでレイチェルは納得している。だから、エリザベスの提示してくれた日程はレイチェルにとって特に問題はない。
「すぐに返事を書くから、少し待っていてくれる?」
ふくろうが了解したとばかりに優雅に羽を広げてみせたのを確認して、レイチェルは急いでディゴリー家へと向かった。エリザベスの家に泊まりに行く間、レイチェルの分の食事の準備が必要ないことを伝えなければいけないからだ。
約束の日はあっと言う間に来た。
楽しんでおいでと見送ってくれたセドリックとおばさんに手を振って、レイチェルは待ち合わせ場所の漏れ鍋へと向かった。移動にはもちろん煙突飛行を使うので、レイチェルはそのままエリザベスの家の暖炉に向かうこともできるのだが、マグル生まれのパメラはそうはいかない。漏れ鍋で落ち合って一緒に向かうことになったのだ。
「こっちよ!久しぶりね、レイチェル!」
暖炉から這い出すと、店の奥からパメラがレイチェルに向かって手を振った。
鮮やかなホットピンクのTシャツに、ジーンズの短いスカート。ベルトにたくさんついたビーズが、蝋燭の灯りにキラキラ光っている。ハイカットのスニーカーには、レイチェルの知らないマグルのブランドらしきロゴマークが印字されていた。街で見るマグルの女の子そのものの服装は、魔法使いだらけの漏れ鍋の中では少し浮いていた。
「パメラ。久しぶり!……荷物、多いわね」
「そう? こんなものでしょ。マグルのお菓子もあるわよ!学校には持っていけないやつ」
「えっ本当?」
やっぱり傷みやすいものは持っていけないしねとパメラは溜息を吐く。ふくろう便で運ぼうとすると、家からホグワーツまでの旅の間にポテトチップスが袋の中で粉々になってしまうことはパメラの入学以来の悩みだ。
「元気だった?」
「まあまあね。パメラはアメリカに行ってたんでしょ?」
「そう!楽しかったわよ、ワールドカップも見れたしね!」
「クィディッチじゃなくて、マグルのスポーツよね? 後で聞かせてね」
「勿論!って言いたいとこだけど……やっぱルールの説明からしなきゃダメ?」
ちょっと面倒くさいと真顔でパメラに言われてしまい、レイチェルはしょんぼりした。
確かに以前、テニスのルールの説明をしてもらったときは、あまり理解できなかったけれど、今ならきっともう少しわかるはずだと思う。レイチェルがそう言いかけたとき、パメラの背後で暖炉の火が燃え上がり、中から華奢な人影が現れた。
「2人とも、久しぶりね。少し待たせてしまったかしら?」
「久しぶり、エリザベス。私も今来たところなの」
エリザベスは心配そうに顔を曇らせたが、時計を見てもちょうど待ち合わせの時間ぴったりだ。優雅な足取りでこちらへと歩いて来るエリザベスは相変わらず美人だが、肩越しに振り向いたパメラはうわっと驚いたような声を上げた。
「エリザベス!何そのダサ………………魔女みたいな服!」
「パメラ。“みたい”じゃなくて、エリザベスもあなたも魔女よ」
エリザベスは生成り色のレースのワンピースを着ていたが、その上からブルーグレーのマントを羽織り、襟元をパールのブローチで止めていた。いかにも良家の子女らしい装いは、確かに魔女らしいと言えなくもないし、パメラと並ぶと何だかとてもちぐはぐだった。
「お嬢様の今日のお洋服はフロプシーが選ばれたのです!お嬢様は肌が白いので、淡い色がとてもお似合いなのです!」
どこからか甲高い声が聞こえたかと思うと、エリザベスのマントの陰から何かが飛び出してきた。コウモリのような長い耳に、小ぶりなリンゴほどもありそうなぎょろりとした大きな目。体には花柄のティーポットカバーを巻きつけている。屋敷しもべ妖精だ。好奇心一杯にレイチェルとパメラを見つめる屋敷しもべ妖精に、エリザベスが微笑んだ。
「フロプシー。前にも会ったでしょう? 私の友人のレイチェルとパメラよ。ご挨拶して」
「こんにちは!フロプシーはお嬢様の友人の荷物をお運びになるのです!」
この上ない名誉な任務を与えられたとばかりに胸を張った屋敷しもべ妖精────フロプシーは、小さな足で前に進み出たかと思うと、パチンと長い指を鳴らした。足元に置いていたレイチェル達の荷物がふわりと宙に浮き上がる。そうしてもう一度指を鳴らすと、次の瞬間にはフロプシーも荷物も忽然と姿を消していた。
「マントを着なきゃいけないのは仕方ないにしても、色が地味過ぎない? ブローチだって、おばあちゃんが持ってそうなデザインだし。もっとこう……」
「パメラ、貴方こそそのスカートは短すぎると思うわ。布の端の始末もされてないし……」
「わざと切りっぱなしなの! そう言うデザインなのよ!」