その屋敷は、もう何十年も前からストーツヘッド・ヒルの片隅に建っていた。

とは言え、その存在を知っているのは、そこから1番近いオッタリー・セント・キャッチポールの住民の中でもごくわずかで、溶けかけたチョコレートを噛み砕くのにも苦労するようなしわくちゃの年寄りだけだった。少なくとも、彼────ジム・マックガフィンは子供の頃には毎日のようにストーツヘッド・ヒルで泥だらけになるまで遊んでいたにも関わらず、そんな屋敷を見た記憶はなかった。それに、今だって月に1度はジムはかの場所を通る。半年前に入院して以降、体調の優れない祖母を見舞うためだ。ジムの暮らすブリストルから車で片道2時間。快適とは言い難い旅の終着点の少し手前にストーツヘッド・ヒルは位置している。子供の頃はワクワクするような遊び場だったはずのそこは、大人になって見てみればだだっ広いだけの丘に過ぎなかった。時々野ウサギが駆け抜けていくばかりで、やはり、人の手の入ったものは屋敷どころか道路標識さえ見当たらない。温かいココアの入ったマグを片手に楽しげにその屋敷の話をする祖父母に、これはとうとう痴呆が始まってしまったのではと母親と顔を見合わせて困惑したものだが、彼らだけでなく3軒先に住む老婦人もその隣もまたその隣も、口を揃えてその屋敷を知っていると言う。彼らはそれを、『緑の切り妻屋根の家』と呼んだ。

「あの屋敷はねぇ、元々は裕福な未亡人の持ち物だったのよ」
「子供好きで、とても優しい人だった」
「そうそう。私達が子供の頃、ストーツヘッドヒルで遊んでいると、よく彼女が声をかけてくれてね」
「そうだったそうだった。お三時に庭でヴィクトリアケーキやスコーンをご馳走になったものだ」
「けれど……50年くらい前だったかしらね。彼女が亡くなってしまって」
「しばらくしてどこかのお金持ちがあの屋敷を買い取った」
「それからね、皆があの屋敷のことを気にしなくなったのは」

なるほど、その話を信じるなら、確かにかつてはそんな屋敷が存在したらしい。恐らく、その後金持ちの気まぐれか、何かの事情で取り壊されるなり売られるなりしたのだろう。ジムの生まれるより前の話なのだから、知らないのも当然だった。つまり、そう、年寄りによくある思い出話の類だ。ジムはそう納得しかけたのだが、続けられた言葉がそうはさせてくれなかった。

「何を言っているんだ、ジム。あの屋敷はまだある。私には見えるぞ」
「私もよ。どうしてかしらねえ、若い人達は皆そう言うの。あの屋敷は、ずぅっと変わらずあそこにあるのに」

心底不思議そうな顔をする老人達に、ジムはいよいよ眩暈がした。
できるなら年寄りの昔話に水を差したくはないし、思い出の場所がなくなってしまったことを認めたくない彼らの気持ちははわからないでもない。しかし、ないものはないのである。
頑なに言い張る祖父母を納得させるため、ジムは彼らを乗せて車をストーツヘッド・ヒルへと走らせた。

「ああ、ほら、あれだ」

小石が多いせいでガタガタ揺れる草むらを進んでいくと、後部座席に座った祖父が、弾んだ声で言った。フロントガラスから視線を外し、ジムはちらと窓から祖父の視線の先を追った。やはり、ぼうぼうと茂った草と、その向こうに鬱蒼とした木々が広がるばかりだ。

「何もないよ」
「いいえ、あるわ。よく見てごらんなさい」

悪戯っぽく言う祖母にジムは車を止め、目を凝らした。ほとんど睨みつけるようにして、皺がれた指の先の何もない空間を見つめる。そしてふいに、あっと声を上げそうになった。一瞬、ぼんやりと何か建物らしき輪郭が見えたのだ。見間違いだろうかと更にじっと見続けると、その輪郭は段々とはっきりしてきて、色も鮮明になってきた。まるでジムの前に置かれていた分厚い磨りガラスが少しずつ薄くなり、忽然と消えてしまったかのように。

確かに、そこには屋敷があった。

老人達が話していた通りの、深緑色の切り妻屋根。淡いクリーム色の外壁。屋根のてっぺんと同じ高さまで伸びた、細長い灰色の煙突。木製のドアや窓枠は、風合いのあるチェスナットだ。
てっきり荒れ果てているかと思いきや、庭先の芝は青々としていたし、所々に置かれた鉢の中にはジムの見た事のない奇妙な花々(とは言っても、ジムはそもそも植物に詳しくはないのだが)が植えられていた。何より、50年以上も前の建物にしては随分と小奇麗だった。屋根も外壁も、まるで昨日ペンキが塗られたばかりのように鮮やかだ。明らかに、人の手が入っている。誰かが住んでいる。
つい最近引っ越してきたのだろうか。ジムは考えたが、狭い村のことだ、そんなニュースがあれば瞬く間に村中に広がっている。それに、ジムがこの近くを通ったのは3日前のことだ。しかし、そのときは確かにこんな建物はなかった。少なくとも、ジムの視界には映らなかった。そう。ほんの、数分前までは。

「ああ、こんなに近くに来るのは久しぶりねぇ。懐かしいわ」
「そうだなあ。ほとんどあの頃のままだ」

そんな楽しげな祖父母の声を聞きながら、ジムは2度、3度と瞬きをした。自分は夢を見ているのだろうか?はたまた、年寄りの幻の中に迷い込んでしまったのだろうか? そもそも、何故たった今までこの屋敷があることに気がつかなかったのだろう?
もう一度、瞼を閉じて開く。そうすれば目の前の屋敷がパッと消えてなくなるんじゃないかと思った。だが、屋敷は相変わらずそこにある。ジムはシートベルトを外し、ドアを開けた。

「せっかくだから、住人に挨拶をしてくるよ。2人はここで待ってて」

一体どんな人間が住んでいるのだろう。ジムの胸にあったのはそんなちょっとした興味だったが、屋敷へと歩き始めたところで、またしても奇妙なことが起こった。
これは、目の錯覚だろうか? 玄関ポーチまで緩やかなカーブを描いていた小道は、今ではぐにゃぐにゃと曲がりくねっている。車を降りた時にはすぐそこに見えていたはずなのに、屋敷は近づいているどころか、少しずつ遠ざかっているようにさえ思えた。まるで砂漠の蜃気楼だ。しかし、いくら夏だと言ったって、このイギリスで蜃気楼が出るなんて聞いたこともない。
全くもって奇妙だった。まるで、屋敷にジムを辿りつけないようにする魔法でもかかっているようだ。

「魔法だって?」

ジムは一瞬でもそんな考えを持ってしまったことに顔を顰めた。ジムの職業は気象予報士だった。数値化した気圧や降水量のデータを分析し、予測するのが仕事だ。魔法だなんて!そんな非科学的なことは信じない。この現象がどう言ったものかすぐにはわからないものの、何か論理的な根拠か、トリックがあるに決まっている。
こうなったら是が非でも住人に会ってそのトリックを聞き出してやろう。ジムはそう意気込んだが、30分後には、とうとう諦めざるをえなかった。すっかり息は上がり、汗だくで、疲れ果てていた。おかしなことに、乾いた平坦な地面のはずなのに、歩くたびにどんどん底なし沼のように重くなり、足に絡みついてくるのだ。さっきと変わらずすぐそこにある屋敷を睨みつけると、ジムは祖父母の待つ車に戻った。

「辿りつけたか?ジム」
「いや……どうして?」
「そのお金持ちが屋敷を買ってから、ずっとそうなの。見えるけれど、辿りつけないのよ」

先に言ってくれ。気遣わしげな祖父母の言葉に、ジムはがっくりと肩を落とした。とは言え、事前に言われたところでジムは信じなかっただろう。ジムは深く溜息を吐き出し、元来た道を引き返した。
それからは、祖母の家の庭や窓からでも、注意深く目を凝らせば、ジムにも遠く丘の向こうにあの屋敷を見つけることができた。あれほどジムの来訪を拒んだのが嘘のように、相変わらず澄ました顔で佇んでいる。やはり誰かが住んでいるらしく、高い煙突からは時折奇妙な緑色の煙が噴き出していることがあった。おまけに何故か、大きな鳥────あれは、ジムの目がおかしくなかったのでなければふくろうだ────があの家に向かって飛んでいくのを見ることがあった。

「『緑の切り妻屋根の家』か。一体、どんな変わり者が住んでるんだか」

そう言えば昔、そんな名前の家が登場する小説を読んだ気がする。学生の頃に付き合っていた恋人の愛読書だった。読んだことがないと言ったら半ば無理矢理押し付けられたが、ジムには大して面白いとも思えなかった。空想が大好きな夢見がちな少女が主人公の、恋や友情に青春。魔法や妖精こそ出てこなかったが、夢や希望に溢れた少女達の物語は、ジムにはどうにも背筋がムズムズした。
もしかしたら、そのせいだろうか。あの屋敷の住人の顔を拝んでやろうと躍起になっていたとき、ジムは2階のバルコニーの窓の向こうに少女のような、髪の長いシルエットを見た気がした。幽霊だったのかもしれないし、カーテンか何かを見間違えたのかもしれない。
どちらにしろ、ジムにとってはどうだっていいことだ。確かめる機会もないだろうし、あったとしても知りたくもない。

 

 

 

レイチェルグラントは苛立っていた。
2階のバルコニーへと続くガラス扉の前に座り、膝の上へと置いた教科書へと視線を落としていたが、その内容に集中できていないことは誰の目にも明らかだっただろう。椅子から投げ出された足は所在なく宙を泳ぎ、ページをめくる指はさっきからどっちつかずに行ったり来たりしている。レイチェルの関心は今、課題のレポートよりももっと別のものにあった。もちろん本人もそのことは自覚していたので、ちょうど章の終わりまで読み終えたところで、いよいよ諦めてパタンと教科書を閉じた。だって、これ以上やったって無駄だ。全然頭に入って来ない。レイチェルは大きく伸びをすると、椅子の背もたれへと深く体を預け、天井を仰いだ。
小さなシャンデリアのようなサンキャッチャーが、窓から入る日差しを屈折させ、壁や床のそこかしこに無数の虹の欠片を作り出している。細い銀の鎖と大小さまざまクリスタルガラスを組み合わせただけの簡素な作りのそれは、元々は大叔父が買い取る前にこの家を所有していたマグルのものだったらしい。今はぴったりと閉じ切ってしまっている窓をほんの少し開ければ、吹き込む風を受けて美しい光のワルツを作り出すことをレイチェルは知っている。まるで悪戯な妖精の羽根がチラチラと瞬いているようで、幼い頃からこの窓辺はレイチェルの気に入りだった。虹の欠片を追いかけて数えたこともあったし、床に寝転んで絵を描いたり、テディベア相手におままごとをしたこともあった。長じてからは、本を読んだり、チェスをしたり。ただ、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていることもあった。晴れの日も、雨の日も。そんなささやかだけれど楽しい思い出がたくさん詰まっていて、レイチェルはここに居るとほんの少し気持ちが落ち着くのだった。

────やっぱり、今日も来ないかしら。

窓の向こうへとちらりと横目で見て、レイチェルはふうと長く息を吐いた。
こんな風に手紙を待つのは、あのとき以来だとレイチェルは思った。5年前の夏。あのときも同じように、こうしてホグワーツからの入学許可証を待っていた。生成り色の上質な羊皮紙に、紫色の封蝋に押されたホグワーツの校章の刻印。エメラルドグリーンのインクで書かれた、「レイチェルグラント様」の宛名。11歳のレイチェルは、古い宝物の地図を扱うように、震える指で封筒を開けた。
まるでつい最近のことのようにはっきりと覚えているのに、早いものでレイチェルは次の9月には6年生になる。そして、手紙を待つ心境も、あのときとは正反対だった。
もう1週間もこうしているのに、一向に手紙が来ない。いや、正確に言えば手紙は来ているのだ。多すぎるくらいに。ただ、どれもレイチェルが求めているものじゃないだけだ。
今朝もふくろうが5羽手紙を運んできたけれど、その全てが小説家である母親へのファンレターだった。先月新刊を発売したばかりなので、読み終えたファンからの感想が届くタイミングなのだが、遠くの空にふくろうらしき姿を見かけるたびにレイチェルの心臓は奇妙に縮こまるし、封筒に書かれた宛名を確かめるのに神経ををすり減らしてしまう。
それに、先週はふくろうでないものもこの家にやって来た。マグルの男性と、お年寄りが2人だ。とは言っても、この家にはしっかりとマグル避け呪文がかけられているので、普通ならば存在に気がつかないし、気がついたとしても辿りつけないはずなのだけれど。それなのにそのマグルは真っ直ぐにこの家に向かって来たばかりか、一瞬目が合ったような気がして、レイチェルは慌ててカーテンに隠れる羽目になった。まあ、少なくともレイチェルの知っている限り、あのマグルはあれ以来一度もこの近くには来ていないので、ただの気のせいだったのかもしれないけれど。
そんなことを考えていた、まさにその時だった。コンコンと窓ガラスをノックする音がして、レイチェルの心臓が跳ねた。どうやら、またふくろうが来たようだ。────もしかして、今度こそ来たのかしら。
はやる気持ちを落ち着かせようと、深く息を吸う。不安と期待をこめて恐る恐る振り向くと、そこに待っていたのはふくろう────ではなかった。

「ああ……何だ、セドなの」
「『何だ』って……ひどいな」

硝子の向こうの見慣れた人物に、レイチェルは拍子抜けして肩を落とした。
バルコニーに立っていたのは、背の高い青年だった。整った顔に苦笑を浮かべているのは、セドリック・ディゴリー。グラント家の隣人である、ディゴリー家の1人息子だ。鍵を開けてセドリックを家の中へ招き入れると、レイチェルはその頭からつま先までを視線を走らせた。黒髪は風を受けたかのように乱れているし、手には箒を持っている。どうやら、空から飛んで来たらしい。

「歓迎してほしいなら、ちゃんと玄関から来ることね。それか、暖炉でもいいけど。いつから私の幼馴染はふくろうになったの?」
「ごめんごめん。ちょうど、ストーツヘッド・ヒルまで乗りに行ってたんだよ」

それは知っている。レイチェルも昼食のときに誘われたから。だとしても、だ。バルコニーは箒を乗りつけるための場所ではない。手紙が来たのかと思ったのにとレイチェルが小さく呟くと、セドリックが不思議そうな顔をした。

「もしかして、またふくろう便を待ってたの? そんなに気にしたって仕方ないと思うけど」
「だって……だって、もう1ヶ月も経ってるのよ。 いつ来るか、いつ来るかって考えてたら、呑気に箒になんて乗っていられないわ!」

きょとんとした顔でそんなことを言うセドリックに、レイチェルは顔を手で覆って首を振った。
気にしたって仕方ない。そんなことはわかっている。レイチェルだって本当は気にしたくなんかない。でも、気になってしまうのだから仕方ないじゃないか。

「そんなに心配しなくても、レイチェルなら大丈夫だよ」
「大丈夫なんかじゃないもの……」

セドリックが慰めるように頭を撫でてくれたが、レイチェルは弱弱しい否定を返すことしかできない。
つい1週間前までは、レイチェルだって夏休みを満喫していた。ホグワーツは大好きだけれど、半年ぶりの我が家はやはりほっとする。休暇が始まってすぐの16歳の誕生日には両親や友人達から素晴らしいプレゼントの数々を貰ったし、授業や課題で忙しないタイムスケジュールからも解放され、荷物になるからと学校には持っていけなかった本を読んだり、お菓子を焼いたり、のんびりと過ごしていた。それが今、こうして不安に駆られているのは、とうとう“あれ”から1ヶ月が経ってしまったことに気がついたからだ。

「どうせ採点なんてほとんど自動速記羽根ペンがやってるに決まってるのに!どうしてこんなに時間がかかるの?」

“あれ”────即ち、レイチェル達が6月に受験した普通魔法使いレベル試験。通称、OWL。ホグワーツ生なら誰もが避けては通れないそれは、将来を左右する大切な試験だと教授からも保護者からも口を酸っぱくして言われて来た。その結果が、まだ届いていない。それが、ここ数日のレイチェルをバルコニーの前に貼りつかせている原因だった。

「でも、今更考えたところで、試験の結果は変わらないよ」
「そうだけど……」

言い聞かせるような、穏やかなセドリックの口調に、レイチェルは言葉に詰まった。
OWLの結果を受け取っていないのは、セドリックだって同じだ。それなのにレイチェルばかり取り乱しているのは何だか馬鹿みたいに思えたが、実際問題セドリックと比べたらレイチェルは馬鹿かもしれない。と言うより、セドリックが優秀すぎるのだ。勤勉を美徳とするハッフルパフの模範のようなセドリックは、学年1位の秀才だった。
セドリック程ではないけれど、レイチェルも別に成績が悪いわけじゃない。レイチェルの所属するレイブンクロー寮は知識欲が強い生徒が選ばれる傾向にあり、成績優秀な生徒が多い。その寮生として恥ずかしくないように、レイチェルも自分なりに試験に向けて努力した。実際受けてみた手ごたえとしても、まあまあ上手く行ったんじゃないかと思った。それでも、だ。
解答欄をずらしてしまったかもとか、スペルミスをしたんじゃないかとか、そもそも解答用紙に名前を書いただろうかとか。そう言った小さな不安が膨らんで、どうしようもなく落ち着かない。

「せっかくの夏休みなんだから、暗いことばかり考えてるのはもったいないよ。何か、楽しいことを考えてみたら?」
「楽しいこと……」

そう言われて、レイチェルは窓の向こうへとそっと視線を送った。今度は空ではなく、その下の地面へと。遠く丘の麓には、果樹園と畑に囲まれた小さなレンガ作りの家々がある。まるでおもちゃの町並みのような、可愛らしい町並み。近くにあるマグルの村、オッタリー・セント・キャッチポールだ。レイチェルの考えに気がついたのか、セドリックが小さく溜息を吐いた。

「……わかってるだろうけど、マグルの村に行くのはダメだよ。それ以外で」
「わかってるわよ……」

魔法使いはマグルに存在を知られてはいけないのだから、気軽にマグルの村に行ったりしてはいけない。レイチェル達は小さい頃から大人達にそう言われていた。とは言え、普段ならレイチェルはそんな言いつけなんて気にしない。こうしてレイチェルを止めようとするセドリックの目を盗んでは、マグルとの交流を試みてきた────大体はセドリックに連れ戻されて失敗に終わっているけれど。
レイチェルはマグルが好きだし、マグルの文化も好きだ。マグルの友人が居たらどんなに素晴らしいだろうかと思う。今だって、できるものならマグルの村に行きたい。けれど、もしもOWLの成績が芳しくなかった場合、そう言った日頃の生活態度に関してもまとめて叱責されるだろうことを考えると、少なくとも結果が出るまではお行儀よくしておくのが賢明だろう。ふぅと小さく溜息を吐いて、レイチェルはセドリックに向き直った。

「ねえ、そう言えば……セド、私に何か用があったんじゃないの?」
「あー……そうだった」

まさか、レイチェルとおしゃべりをするためだけにわざわざバルコニーから訪ねて来たわけじゃないだろう。レイチェルが首を傾げれば、セドリックはすっかり忘れていたらしく気まずそうに頬を掻いた。それから、いいことを思いついたとでも言いたげにニッコリ笑ってみせる。

「母さんがスコーンを焼いたんだ。天気がいいから、庭で食べようよ」
「本当!?」

セドリックの提案に、レイチェルはぱっと顔を明るくした。
セドリックの母親、つまりディゴリー夫人の焼くお菓子が絶品なのは、今更言われなくたってレイチェルもよく知っていることだ。早く行かないと、せっかくのスコーンが冷めてしまうし、きっと今頃おばさんは待ちくたびれているだろう。レイチェルとセドリックは、急いで階段を駆け下りた。

わずかに開いたままになったバルコニーから吹き込む風が、サンキャッチャーを揺らす。夏の日差しが作り出す虹の欠片が、悪戯に踊っていた。

緑の切り妻屋根の家

prev │ top


    お返事が早いのはこちら ⇒ Wavebox