グリフィンドールの優勝による熱狂は、少なくとも1週間は続いていた。試験も近づいていると言うのに、試合の興奮を引きずって、校内はどこかふわふわとした空気が流れている。廊下でも教室でも、生徒達は試合の話に楽しげに花を咲かせていた。

「優勝おめでとう」

レイチェルがウッドに直接そう伝えられたのは、試合から3日が経ってからのことだった。
本当はもっと、早く言いたかった。けれど、なかなか────レイチェルにはウッドの時間割もよくわからないし、見かけた時は常に誰かと一緒に居たから。だから、偶然1人で居るウッドを捕まえるには、3日もかかってしまった。

「ああ。ありがとな!」

溌剌とした笑顔が、レイチェルだけに向けられる。それだけで、心臓に細い糸が絡みついたみたいに、苦しくなるのに。ウッドの手がレイチェルの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜるから、頬が熱を持つ。指先に触れられたところから、チョコレートみたいな甘くてあたたかなものが、指先まで広がっていく。
遠くから友人やチームメイト達に囲まれているウッドの姿を見るたび、レイチェルは誇らしいような、どこか寂しいような気持ちになった。自分がその輪に加われないことに、自分は彼にとってはその他大勢に過ぎないのだと突きつけられるような気がして。それでも。

ウッドが好きだ。

ウッドが好きだ。レイチェルは、ウッドに恋をしている。
だからやっぱり、セドリックに対するこの感情は、恋じゃない。
ウッドが好きだ。それなのに────隣に立つ女の子に嫉妬するのも、ずっと一緒に居たいと思うのも、セドリック。
それは、「本当はセドリックに恋をしている」と言うよりも、ずっと身勝手なことに思えた。ウッドが他の女の子とおしゃべりしていても、他の女の子とホグズミードに行ったとしても────レイチェルはたぶん、悲しくなるだけだ。胸が痛くなりはするだろうけれど、たぶん、仕方ないことだと自分に言い聞かせることができる。選ぶのはウッドだと、自分には何も言う権利はないと、飲み込むことができる。
けれど、セドリックは────セドリックには、言ってしまうかもしれない。私以外の女の子と、仲良くしないで。あんな子とホグズミードなんか行かないで。そんな風に。
わがままだと、わかっている。でも、不満に思う。選ぶのはセドリックだ。レイチェルには何も言う権利はない。頭ではそうわかっているのに、感情は納得していない。いつか自制が効かなくなって、セドリックにぶつけてしまうかもしれない。まるで、自分にはその権利があるみたいに。

幼馴染だからと言うただそれだけで、レイチェルはセドリックの行動を縛ろうとしている。

それは、この上もなく傲慢なことに思えた。
好きだから、離れたくない。好きだから、一緒に居たい。好きだから、他の女の子と一緒に居るのを見たくない。────それなら、まだいい。
好きじゃないのに、私を一番に優先して、なんて。そんなの、許されるわけない。自分の傲慢さが、幼稚さが、恥ずかしい。
大切な幼馴染だと、思っていた。周囲にも、そう言っていたくせに。本当は、心の底では、セドリックのことを軽く見ていたんだろうか。ただの、都合のいい存在とでも思っていたのだろうか。何でもレイチェルの言う事を聞いてくれる、甘やかしてくれる。幼馴染なんだから、自分の思う通りにしてくれて当然。そんな風に?

レイチェル

誰よりも慣れ親しんだ声が、レイチェルの名前を呼ぶ。その響きが優しければ優しいほど、レイチェルは居たたまれない気持ちになる。肩へ食い込む鞄を背負い直し、足を早めた。しかし、足音は諦めることなくレイチェルを追いかけてくる。

レイチェル。待って」
「……ごめん、セド。私、急いでるの」

肩に触れた手に、仕方なく振り返る。心配そうに顔を曇らせた幼馴染が、レイチェルを覗きこんでいた。その表情に、また申し訳なさが募る。放っておいてくれていいのに、と思う。レイチェルのことなんか、気にしてくれなくていい。勝手な言い分だと、わかってはいるけれど。

「顔色悪いよ。ちゃんと寝てる?」

熱がないかを確かめようと、大きな手のひらが額に触れる。皮膚から伝わる肌の温度を感じても、やっぱり、ウッドに触れられたときのように心臓が跳ねることはない。レイチェルはセドリックの手を避けて、ふいと視線を逸らした。

「……大丈夫。ありがとう、心配してくれて」

セドリックの顔が見れない。透き通った灰色の瞳に全てを見透かされそうで、怖くなる。
あの子達の言う通りだ。こんなんじゃ、本当に、『セドリックが可哀想』だ。こんな幼馴染を持って、セドリックが可哀想。
自分では、セドリックを大事にできていると思っていた。お互いを尊重できている、つもりでいた。レイチェル達にとってはこれが自然で、これが2人にとって────幼馴染として、これが適切な距離感なのだと、そう思っていた。でも────レイチェルはいつだって、セドリックに何かを与えてもらうばかりだ。その代わりに、レイチェルはセドリックに何をあげられるだろう?

レイチェルだって僕の自慢だよ。僕だって、レイチェルが大好きだし、大事だ』

あの日、医務室でセドリックはああ言ってくれたけれど。今のレイチェルには、そう言ってもらえる資格はないように思えた。
どうしよう。こんなんじゃ、本当に、うんざりされる。軽蔑される。
セドリックに見放されたら、一体どうしたらいいのだろう。

 

 

「ねえ、本当に、付き合ってないの?」

そして、またしてもこれだ。ただでさえ余裕がないところに、他人の癇癪に付き合わされるほど鬱陶しいことはない。空き教室に連れ込まれて糾弾されるこの流れも、うんざりだ。まあ、今日はいつもと違って何故だか相手が1人なので、多少はマシかもしれないが。レイチェルに向かい合っているのは、リーダー格のグリフィンドール生1人きりだ。取り巻きはどうしたのだろうか。試験勉強で忙しいのかもしれないなと、レイチェルはそんなことをぼんやりと思った。

「だから……違うって、私は何度も言ったはずだけど」

溜息を吐きたくなる衝動を何とか押し留める。相手を刺激しないよう、できるだけ冷静な口調を意識した。視線を逸らさず、真っ直ぐに相手を見返して────そこで、気がついてしまった。レイチェルを睨みつける瞳が、今にも泣き出しそうなことに。

「私はとセドは、恋人同士じゃないわ。……本当よ」

諭すような口調で、静かにそう告げる。
彼女のことが一瞬、迷子になった小さな女の子みたいに見えて────自分を嫌って、敵意を持っている相手なのに、どうしてか同情してしまった。戸惑ったように、視線が揺れる。

「……セドリックのこと、好きじゃないの?」
「ええ」
「どうして!? どうして、好きにならないの!? あんなに彼に大事にされてるくせに!!」
「勿論、セドのことは大切よ。でも……男の子としてじゃないわ。私は……」
「嘘よ!」

言葉の途中で、遮られる。喉から絞り出すような叫びは、悲鳴じみていた。ギラギラとこちらを睨みつける視線は鋭くて、レイチェルは思わず怯んだ。ひどいことを言われているのはレイチェルのはずなのに、会話を重ねれば重ねるほど、傷ついていくのは彼女の方に思えた。

「本当は好きなんでしょ!? 影で、私達のこと笑ってるんでしょ!? じゃなきゃ……私っ、何で……っ」

たぶん、「そう」であってほしいのだろう。レイチェルはそのとき、ようやく理解した。彼女にとっては、レイチェルは悪者でなければいけないのだ。そうであれば、彼女は卑怯な女を好きな人から引き離したのだと、そう思い込むことができるから。手段はどうあれ、自分の行動は正しいのだと。そうでなければ、困るのだ。
ずるずると膝から崩れ落ちて行く姿に、どうすればいいものかと戸惑う。震える肩へと手を伸ばした所で、彼女がまた声を荒げた。

「クロディーヌを止めてよ!!」

吐き出された言葉に、レイチェルは思わず目を見張った。これじゃまるで、子供の疳癪だ。もしかしたら、自分でも何を言っているのかわからなくなっているのかもしれない。レイチェルは、伸ばしかけた手を下ろし、床へと座り込む彼女を見下ろした。

「……それを、私に言うの?」

────『お情けで仲良くしてもらってるだけの、ただの幼馴染』の私に?
淡々と、そう問い返す。その願いは、あまりにも身勝手だと思った。『セドリックに近づくな』『幼馴染だから仕方なく付き合っているだけで、本当はレイチェルの存在にウンザリしている』『セドリックの優しさに甘えるな』 そう、言ったのは貴方でしょう。それなのに、今更レイチェルに何を期待するの。
冷たい視線を向ければ、涙で滲んだ瞳が揺らぐ。唇がわなわなと震えて、それから俯いた。

「ごめんなさい……」

そうして、小さく漏らされた謝罪に、レイチェルは目を見開いた。まさか、ここで謝られるとは思わなかったので、レイチェルはぽかんと口を開けた。
長い髪で隠れてしまったせいで表情は見えないが、その隙間からは、小さくしゃくり上げる声が聞こえてくる。

「謝っても、許してもらえるとは思ってないけど」

いよいよ泣き出してしまったらしい彼女に、レイチェルは途方に暮れた。状況的に、何だか自分が泣かせてしまったようで、罪悪感が湧いて来る。ポケットから出したハンカチを差し出したが、彼女は首を振るだけで受け取らなかった。擦った目元は、赤く腫れあがってしまっている。

「……自分でも、八つ当たりだったってわかってたわ。でも、止められなかった」

────こんな嫌な女、セドリックに好きになってもらえるわけない。
嗚咽交じりの声が、苦しげに喘ぐ。それは以前、レイチェルが彼女達に向けた言葉だった。
「セドリックは、貴方達みたいな女の子は絶対好きにならない」と。レイチェルだってそれまで散々ひどいことを言われたし、売り言葉に買い言葉だったが────今となっては、あそこまで言うべきではなかったかもしれないと思う。

「羨ましかったの」

たぶん、彼女も最初は本当に、純粋に、セドリックのことが好きだったのだろう。
ただ、それが、セドリックへと向けられるのではなく────歪んだ形で、レイチェルへと向かってしまっただけで。

「あなたが、羨ましかった」

理不尽だと、思っていた。どうして幼馴染だからと言うだけで、セドリックの恋人でも何でもない女の子達から、敵視されなければいけないのだろうと。どうして、レイチェルばかりが悪者にされるのだろうと。でもそれはきっと、本当は彼女達もわかっていたのだろう。

「ごめんなさい」

繰り返される謝罪を、レイチェルはただ黙って聞いていた。
気に入らないからと言って影から嫌がらせをして、1人に対して大勢で罵声を浴びせて。彼女の行動は、レイチェルには理解できない。理解したくない。
でも────レイチェルには少しだけ、彼女の気持ちがわかる気がした。
たぶん、レイチェルが美人じゃないだとか、クロディーヌが本気でセドリックのことを好きじゃないとか。そんなのはきっと、後付けで。本当は、理由なんてどうだっていいのだ。自分以外の女の子なら、誰だって気に入らない。
自分が選ばれないのはわかっている。でも、他の女の子と並ぶのは見たくない。
私を好きになって。私を見て。私を選んで。私を選んでくれないなら、私以外の誰かも選ばないで。

『ごめんな。今はクィディッチに集中したいんだ』

あの日の彼の言葉が、頭の中によぎる。
あのときはまだ、レイチェルは自分の気持ちに気づいていなかった。けれど───けれど。
ウッドがあの女の子の告白を断ったとき、レイチェルは確かに────ほっとしたのだ。

 

 

 

胸の奥にもやもやとしたものが渦巻いていて、気持ちが悪い。けれど、悩んでいる暇はない。OWLまでもう1ヶ月を切っているのだ。
やるべきことは山ほどある。変身術や呪文学などの杖を使った実技の練習。不思議なもので、勉強をすればするほど、自信がついて安心するどころか、どんどん不安なところが増えていく。真っ白な羊皮紙に文字を書きこむほどに、その余白の部分が目立つみたいに。
ワーロック法が調印された日付が思い出せない。あとそれと、人狼と普通の狼の見分け方の5つ目の項目って何だったっけ。あとでノートを見返さなきゃ。

「何を悩んでるか、当ててみましょうか?」

イライラと羽根ペンを握り締めていると、背後から声がかけられた。振り向けば、ベッドに寝転がっているパメラと目が合った。傍らにはマグルのファッション誌が広げられているところを見ると、休憩中らしい。

「恋の悩みでしょ?」

パメラが目を細めて、にんまりと笑う。たった今頭を悩ませていたのは勉強についてだが、確かに最近の全般的な悩みが何かと問われれば、そう言う事になるのだろうか。そんな、楽しげなものではないのだけれど。レイチェルが何と言っていいものか、困惑していると、パメラがうきうきした口調で言った。

「とうとうセドリックのこと、好きになったんじゃないの?」

その問いかけは、レイチェルにとってはあまりにも的外れだったが────いっそ、そうならよかったのかもしれないと、レイチェルは一瞬、そう思ってしまった。
セドリックのことが大切で、一緒に居たいのに、恋ではなくて、でも嫉妬はする。この宙ぶらりんな状態が、全ての元凶な気がする。レイチェルにとっても、周りにとっても。

「……違うわ」
「別にいいじゃない。セドリックが好きになったとしたって、誰も責めやしないわよ。……うん、嘘、ごめん、まあ、責める人は居るかもしれないけど、所詮外野の言うことなんてほっとけばいいじゃない」

レイチェルは苛々と否定したが、パメラは気にしていないようだ。どうしてパメラまで────パメラまで、セドリックとのことを誤解するの。かっと頭に血が上る。レイチェルはバンと勢いよく机に手を突いて立ち上がった。

「……だからっ、違うって言ってるじゃない!」

パメラの驚いた表情に、レイチェルははっと口元を押さえた。俯いて、「ごめん」と小さく呟く。「ああ、うん、いいけど」目を丸くしたままのパメラが頷く。首筋を羞恥が這い上がって来るのを感じた。
ああ、もう、ダメ。こんなの八つ当たりだ。全部、中途半端な自分が悪いのに。

「……好きな人が、居るの」

絞り出した声は自分で思った以上に小さく、震えていたが、しんと静まりかえった部屋にはやけに響いた気がした。結局レイチェルは、ウッドを好きになったことを親友達にも打ち明けていなかった。自分でもうまく整理がつかなかったし、言い出すタイミングが掴めなかった。どこか気恥ずかしさもあった。
それに、言わなければと言う強い衝動もなかったのだ。ただ、見ているだけでいいと決めたから。誰に知られなくても、誰に認められなくても、自分だけが知っていればそれでいいと思っていたから。

「その人に会えると、嬉しくて……ドキドキする。私、この人が好きなんだなって……そう思う」

好きな人が居るの。セドリック以外の人を好きになったの。ウッドが好きなの。だからやっぱり、セドリックのことは、その「好き」じゃない。セドリックは違う。
だから、セドリックはレイチェルにとって、「ただの幼馴染」で。今まで、周囲にそう言っていたことは、嘘なんかじゃなくて。セドリックに対する感情は、恋愛なんかじゃなくて。

「それなのに、セドとクロディーヌが一緒に居るのは嫌なの。セドの隣は私の場所だって、そう言いたくなる。セドとずっと一緒に居たいって……そんなの、無理だって、私のわがままだって、わかってるのに。でも、嫌なの。自分でももう、どうしたらいいのかわからない。頭の中がぐちゃぐちゃ」

「ただの幼馴染」なんだから。レイチェルにセドリックの行動を制限する権利はない。
セドリックの夢が外国でしか叶えられないならば、その背中を押してあげなければいけない。セドリックがクロディーヌを好きなら、邪魔をしてはいけない。クロディーヌなら、お似合いだ。
セドリックの気持ちを尊重しなければ。誰よりも、親身になって然るべきだ。だって、「幼馴染」なんだから。一番、近くで見て来たんだから。セドリックがいつも、レイチェルに対してそうしてくれるように。
セドリックの願う通りになるよう、応援するべきだ。
頭では、そう言い聞かせようとする。感情が言うことを聞いてくれない。

セドが遠くに行っちゃうなんて嫌。置いて行かないで。クロディーヌなんて、好きにならないで。クロディーヌと恋人になんてならないで。側に居て。

頭で考えることと、心の中が、ちぐはぐで。正しいと思うことと、自分が言いたいことが、バラバラの方向を向いている。自分のことなのに、ちっとも思い通りにならない。
しゃくり上げるレイチェルの背中を、パメラが擦ってくれる。早く泣き止もうと思うのに、その手つきが優しいから、余計に勢いがついて止まらなくなった。
わかっている。こんなのおかしい。ただの、レイチェルのわがままだ。セドリックも、クロディーヌも何も悪くない。わかっているのに、止められない。

わかっているから、どうしたらいいのかわからない。

これは、恋なんかじゃない。

top


    お返事が早いのはこちら ⇒ Wavebox