ベッドサイドテーブルの上のランプが、ガラス越しに辺りを照らしている。レイチェルはシーツへと身を投げ出した体勢のまま、その柔らかなオレンジ色の光を見つめていた。もう真夜中なのに、眼が冴えてしまって眠れない。壁掛け時計の針の音が、やけに耳に響く。

結婚と言うのは、世界で一番愛する人とするものだ。

日頃友人達からは恋愛ごとに疎いと散々に評されるレイチェルだが、それについては、ごく普通の少女らしい感性を持っていた。ピンクや黄色の薔薇のブーケ。繊細なレースのベール。きらきら光る銀のティアラ。真っ白なシルクのウェディングドレスは、幸せの象徴だ。オッタリ―・セント・キャッチポールのはずれにある教会では、時折マグルの結婚式が行われる。マグルの結婚式の作法は魔法使いの結婚とは少し勝手が違うようだけれど、参列者たちに祝福される花嫁の笑顔の輝きは同じだった。
たくさんの人の中からたった一人、この人しか居ないと思える相手。その先の未来を、ずっと一緒に歩いていきたいと思える人。病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまで。
結婚してから20年経ってもなお仲の良いディゴリー夫妻は、まさにそんな理想的な結婚をした人達だろう。レイチェルは2人を見ていると、夫婦って素敵だなあと思う。プロポーズの話や新婚旅行の話はもう何度も聞いて暗誦できそうなほどだが、それでもやっぱり、他人事なのに胸が高鳴る。
もちろん全てのカップルがディゴリー夫妻のようにはいかないこともわかっている。まあそれでも、少なくとも結婚を決めたからには────万年別居状態で、はたして結婚している意味があるのかと娘のレイチェルが首を捻る両親でさえも────きっとかつては、この人しか居ないと思えるような何かしらのロマンスがあったのだろう。

この人と、人生を共にしたい。この人とずっと一緒に居たい。

いつか、そんな風に思える人を見つけられたらいいなあと思う。そして、その人も同じように思ってくれたら。そうして、喜びも、苦しみも分け合って隣で歩いていく。年をとってしわくちゃのおばあちゃんになっても、穏やかに笑い合えるような、そんな人と。
夢見がちと笑われるかもしれないが、それがレイチェルの考える結婚だった。
だから────だから、家のために純血の魔女を選ぶと言うドラコの価値観は、レイチェルには馴染みがないものだ。無論、家同士の繋がりに重きを置いた結婚の存在を知らなかったわけではない。一昔前は、魔法族でもマグルの世界でも、それがごく当たり前だったと聞く。今でも、純血の家系の間ではそう珍しくもないことだ。そうした話は、レイチェルの好んだ物語の中にも数多くあった。マグルと魔女だったと言うただそれだけの理由で、惹かれあう2人が引き裂かれてしまう。結末はさまざまで、真実の愛のために手に手を取って誰も知らない場所で2人で幸せになることもあれば、結局は家のために愛を捨てる悲劇のこともあった。
悲劇────そう。悲劇だった。愛してもいない相手と生きていかなければいけないことは、辛くて苦しいことなのだ。

けれど、きっと、ドラコにとっては、自分の気持ちを優先させて家名に傷をつけることの方がずっと辛いことなのだろう。

大切なものや、譲れないものと言うのは、人それぞれ違う。だから、レイチェルは自分が正しくてドラコが間違っているとは思わない。ドラコにとっては、自分の感情よりも何よりも、家名が、家族が大事なのだろう。魔法族として誰よりも純粋な血が流れていることが、ドラコにとっては何よりも誇りなのだ。
先祖が、両親が守り抜いてきたものを、自分も守るべきだと、守りたいと────そんな、責任感や使命感。それは、もしかしたら幼い頃からの刷り込みなのかもしれない。けれど、ドラコ自身の望みでもあるように思えた。
レイチェルには、わからない。いや、わからないと言うのは正しくないのかもしれない。理解はできる。けれど、きっとレイチェルにはドラコと同じ選択はできない。
レイチェルには、自分の母方の生家にも父方の生家にも、そこまで強い思い入れはない。もしもレイチェルがマグルと結婚すると言って祖父母や両親に反対されたとしても、レイチェルはきっと諦めないだろう。ただ、レイチェルだってできるなら大切な人達に祝福されるような結婚がしたい。たぶん、ドラコの価値観も、根本は同じなのだろう。ただ、ドラコにとって「周囲の祝福する相手」と言うのが純血の魔女に限られてしまうと言う、それだけの話なのかもしれない。
けれどやっぱり、レイチェルとドラコの価値観は違うように思えた。
もしも、この先、マグルや混血の魔女に────両親に祝福されない相手に恋をしたら、ドラコはどうするのだろうか。レイチェルなら、両親を説得する。わかってもらおうとぶつかって、どうしてもダメだったときに、初めてどちらを選ぶのかを考える。けれど、きっとドラコはそうしない。わかりあおうとすることもなく、ただ諦めてしまうのだろう。今日、レイチェルに対してそう言ったように。
レイチェルには、家柄や血と言ったしがらみが鎖になってドラコの体や心に巻きついているように思えた。きっとそれは、誰にでも多少はあるのだろうけれど、ドラコの鎖は人よりもずっと多くて頑丈なように思えた。ドラコの感情を、行動を、その鎖が制限してしまう。少なくとも、レイチェルの目にはそんな風に見える。その不自由さを、可哀想だと口にするのは、きっとドラコに対する侮辱なのだろう。そんな安っぽい同情を、ドラコはきっと何よりも嫌うに違いない。

ドラコの言葉を聞いて思ったのは、やっぱり、レイチェルとドラコは違うと言うことだ。

背負っているものも、見ている世界も、価値観も。きっと、何もかもが違う。それはきっと、ドラコも理解している。だから、ドラコはレイチェルにこの先も友人としてあり続けることを望んだのだ。レイチェルには、ドラコの隣で、ドラコと同じものを見ることはできないとわかっているから。
黒と白を混ぜて灰色を作るように、妥協点を探すことはできるかもしれない。けれど、そうしてできあがった色は黒でも白でもない。ドラコにとっては、それは何の意味もないことなのだろう。
もしかしたら、この先、この違いはレイチェルとドラコの間に大きな溝を生むのかもしれない。
けれど、確かなのは、レイチェルはドラコのことが好きだと言うことだ。────勿論、友人として。
だから、もしもドラコが友人以上の関係をレイチェルに望むのならば、難しかったと思う。だって、レイチェルには今、他に好きな人が居る。けれど、ドラコはそうではなく今のまま、これからもレイチェルと友人として接することを望んでいる。それ以上、何も望まない。

「君はOWLがあるだろうし、僕もクィディッチの練習で忙しい。お互いが落ち着いた頃にまた会おう」

別れ際、ドラコはそう言って微笑んでみせた。
確かに、それは事実なのだろうけれど─────たぶん、レイチェルを気遣って。その笑みを見て、何と言うか、レイチェルが思っていた以上に大人だったのだと思った。
実際、その提案はレイチェルにとってもありがたかった。正直、次にドラコに会った時、どんな顔をすればいいのかわからない。友人だと思っていた相手に、いきなり好きだと告白されて────どうしたらいいのかわからなくて戸惑った。だって、こんなこと初めてなのだ。
レイチェルはドラコが好きだ。これからもドラコの友人で居たい。そして、ドラコもそう望んでくれている。それに、何の問題があるだろう?
何事もなかったように、と言うのはすぐには無理でも、多少時間をおけば、そのうちまた自然に接することができるだろう。
気にしない、と言うか────引きずらない。それがきっと、お互いのためにいいのだろう。
ふあ、と欠伸が出る。時計を見上げれば、もう3時だ。ようやくやって来た睡魔に、レイチェルは布団の中へと潜り込み、ゆるゆると瞼を下ろした。

いつか、ドラコの鎖を切ってくれる人が現れればいいのに。

マグルでも、純血の魔女でも誰でもいい。いつか、ドラコにとって、家よりも大切にしたいと思える女性と出会えればいいのに。傲慢かもしれないが、そう願わずにはいられない。
鎖から解放されて自由になって、それでもまだその鎖を大切にしたいと思えるなら、拾い上げて大切にすればいい。

 

 

 

学期が始まると、校内にはまた慌ただしさが戻ってきた。
休暇が明けてすぐだと言うのに、教授達は授業開始早々から容赦なく目まぐるしい勢いで板書を展開させ、授業終わりには膨大な量の課題を言い渡した。午前の授業を終えてようやく昼食の席に着いた頃には、5年生の誰もがすっかり疲れ切ってぐったりしていた。

「私、水曜の午前からだわ」
「じゃあ、パメラが最初ね。どんな感じだったか教えて」
「私、古代ルーン文字の授業と重なってしまうの。私の分もノートを取っておいてもらってもいいかしら?」

加えて、レイチェル達5年生は、明日から進路指導が始まるのだ。レイチェル達レイブンクローの寮監は温和なフリットウィック教授なので、そう厳しいことを言われることはないだろうとわかってはいるが、一体何を言われるのだろうと皆そわそわしている。上級生に詳しい話を聞いているうちに昼休みはあっと言う間に過ぎ、レイチェル達は午後の防衛術の授業に慌てて駆けこむことになったのだった。

「あ、レイチェル
「セド」

何とか午後の授業も乗り切り、放課後シャールのところへと足を運ぶと、そこにはセドリックが居た。今日はハッフルパフはクィディッチの練習があると聞いたと思ったのだが、どうやらその前にシャールに会いに来たらしい。

「休暇はどうだった?」
「どうもこうも。自分とシャールの食事以外、ほとんど部屋から出てないわ」

僕も似たようなものだよとセドリックが笑う。休暇中と聞いて、一瞬ドラコとの一件が頭に浮かんだが、あんなことをセドリックに打ち明けたところでどうしようもない。レイチェルはそれきり休暇の話題を打ち切り、シャールのブラッシングへと集中することにした。

「そう言えば、もうすぐ進路相談だね。レイチェルは、もう進路は決めたの?」

そう言われて、レイチェルは結局自分の進路についてセドリックに何も話してないことに気がついた。別に秘密にしようと思っていたわけでもないのだが────ゆっくり話す時間もなかったし、機会を逃していたのだ。今が、打ち明けるタイミングかもしれない。レイチェルは意を決して口を開いた。

「私ね……忘却術士になりたいの」

そうして、レイチェルはぽつぽつとセドリックにそう考えるようになるまでのことを話した。
何か、マグル学の知識を役立てるような仕事に就きたいと思ったこと。そしてそれは、魔法省でマグル政策を考えるのではなく、もっとマグルに寄り添った、マグルに身近なものがよかったこと。ルーピン教授が貸してくれた本を読んで、忘却術士がやりたいことに近いと思ったこと────。

レイチェルらしいね」

話し終えると、セドリックがそう言って笑ってくれたので、レイチェルはどこかほっとした。そして同時に、何だか気恥ずかしくなって俯いた。別にセドリックは馬鹿にしたりしないとわかっているけれど、将来の夢を人に語ると言うのは照れくさい。

「セドは?」

レイチェルだけが話すのは不公平だとセドリックを見上げる。そう言えば、セドリックの進路についても、レイチェルはほとんど聞いたことがない。じっと言葉を待てば、シャールの首元を撫でていたセドリックは、困ったような笑みを浮かべてみせた。

「うーん……まだはっきり決めたわけじゃないんだけど……ドラゴンキーパーを考えてる」
「え?」
「ほら、一昨年の夏、ルーマニアに行っただろう。それで、興味が出て……チャーリーにも手紙で相談したんだけど、色々教えてもらって、やっぱりやりがいのある仕事だって思ったよ」

────そんな話、私、聞いてない。
そう口走りそうになって、レイチェルはすんでのところで飲み込んだ。自分だって、進路のことに関しては何も相談してなかったのに、セドリックを責めるのはおかしい。
確かに、あのときのセドリックは、ドラゴンの世話に夢中だった。ドラゴンキーパーの資格をとるのは難関だと言われているけれど、セドリックの優秀さなら、きっと何なくパスできるだろう。

「……外国に行っちゃうの? セド」

レイチェルは、内心の動揺が悟られないように気をつけながら、そう尋ねた。
イギリス国内にもドラゴンの研究機関はある。けれど、やっぱり最大の研究機関はルーマニアと言うのが共通認識だ。答えなんてわかりきっている質問だ。

「まだわからないけど……そうできたらいいなって」

そうして返ってきた答えは、予想通りで。はにかむように笑うセドリックに、レイチェルは何だか突き放されたような気持ちになった。どうしてそんな、何でもないことみたいに言うの。
何か言わなければと思うのに、頭が真っ白になってしまって、何も出て来ない。

「そう……素敵ね。セドらしい夢だと思うわ」
「ありがとう」

何とかそう絞り出すのが精いっぱいだった。そんなこと、思ってもないくせに。どうか自分の声が白々しく聞こえませんようにと、レイチェルは願った。穏やかに笑うセドリックに、罪悪感で胸が軋む。笑い返した自分の顔は、不自然になっていないだろうか。

「そろそろ練習に行かないとだ。またね」
「うん。またね、セド」

セドリックの進路について、レイチェルはほとんど何も聞いたことがなかった。何も知らなかった。
魔法省か、グリンゴッツか、クィディッチ選手か────優秀なセドリックなら、きっと何にだってなれる。セドリックの好きなものになればいい。セドリックの好きなところへ行けばいい。
けれど、そのどれも。レイチェルの想像では、セドリックはイギリス国内に居た。いつだって、会って話せる距離に居るのだと、そう信じて疑わなかった。

「『いつまでも一緒』なんて、それこそ結婚でもしなきゃ無理よ、レイチェル

いつか、パメラに言われた言葉が、頭をよぎる。
あのときのレイチェルは、そんなことわかってると笑った。別に、毎日おやすみのキスをするって意味じゃないわと。けれど、ちっともわかってなかったのかもしれない。
小さくなっていくセドリックの背中を、レイチェルはただ呆然と見ていることしかできなかった。
どうしよう。レイチェルの夢を応援してくれるのに。レイチェルは、セドリックの夢を素直に応援できそうにない。

ねえセド。本気なの? 本気で、イギリスを出て行くつもりなの?
ルーマニアなんて、行かないで。そんな遠い所になったら、会えなくなっちゃう。

ねえ、セド。セドは、私と離れても平気なの?

 

 

 

「さあさあ、お入りなさい! そう緊張する必要はありませんからな!」

金曜日の午後、レイチェルは西塔にあるフリットウィック教授の私室へと足を運んだ。小柄なフリットウィック教授のためにノブが2つあるドアを開けると、中で待っていた教授は、口髭の下で朗らかな笑みを浮かべた。勧められるままにふかふかのソファへと体を沈めて、レイチェルはぐるりと部屋の中を見渡した。ここに入るのはこれで何度目かだが、いつ来ても心地良く、それでいて不思議とワクワクするような雰囲気があった。
円筒型の部屋の高い天井からは、いくつもの球状のランプがつり下がっている。青にオレンジ、ピンク、黄緑。色とりどりの淡いガラスの中に、妖精の光を閉じ込めて作ったものだ。半分の壁は作り付けの本棚になっていて、天井までぎっしりと本で埋め尽くされている。その前には、古めかしい大きなマホガニーの机。上には、羽根ペンやインク壺がいくつも置かれ、脇には生徒達の課題らしき羊皮紙が山と積まれている。そのてっぺんには、重し代わりの蛙チョコレートの箱。反対側の壁には、大小さまざまなキャビネットが置かれていて、その棚のひとつひとつが、古い望遠鏡や、真珠色をしたフルートや、小さなブリキの缶や、そう言ったほんの少し珍しいもので溢れていた。空いた部分の壁には、卒業生達の手紙や写真、新聞の切り抜きが所狭しと貼ってある。雑然としているようで、調和している。屋根裏の隅に置き去りにされていた、誰かの古い宝箱。そんな印象だった。

「さて……今日は、ミス・グラントの進路について話し合って、そのために役立つようOWL後の継続科目を選ぶための助言をさせてもらうための機会でしてな。何か、卒業後の希望についての考えは?」
「えっと……その」

フリットウィック教授の座るソファが宙に浮いているので、自然と目線の高さが合う。こげ茶色の目に真っ直ぐな視線を向けられると、別に責められているわけでもないのに自然と目が泳いでしまう。
まごついていても無駄に時間が過ぎて行くだけだ。レイチェルは意を決して背筋を伸ばした。

「卒業後は忘却術士を目指そうと考えています」
「ほう、忘却術士! 理由を聞いても?」

レイチェルが一息に言うと、フリットウィック教授はキラキラと目を輝かせた。
聞かれるがままに、レイチェルは教授に話して聞かせた。前々から何かマグルの役に立つ仕事がしたいと思っていること、魔法使いが行っている忘却術はマグルにとってはちぐはぐな記憶を植え付けていることがあると本で読んだこと、それを改善するために、マグルへの理解を深めて、彼らが違和感なく日常に戻れるように手助けができればと思っていること────。

「結構、結構! いや、将来の希望に着いて、理由と目的が明確なのは素晴らしいことですぞ!」

レイチェルが一通り話し終えると、フリットウィック教授は言葉通り満足そうに2度、3度と頷いた。その反応に、ほっと肩の力を抜く。レイチェルには無理だろうと難色を示されなくてよかった。
そんなレイチェルの様子を気にした風もなく、フリットウィック教授は言葉を続ける。

「忘却術と言うのは、とにかく繊細で高度な魔法の技術が問われる分野でしてな……私も専門ではないが、率直に言えば、ただ単に記憶を『忘れさせる』だけならばさほど難しくない。記憶を破壊、もしくは消し去ってしまえばいいのですからな。これには大した魔法の腕は必要ないし、何なら杖の暴発によって作用してしまうことすらある。誤解されがちだが、忘却術と言うのはただ『忘れさせる』だけではないのです。忘れさせたい記憶が消えたとしても、それで相手が廃人になってしまっては意味がない。ヒトの頭の中にある膨大な記憶から過不足のない最小限の部分だけを取り出し、それを別の記憶に作り替えて元の場所に継ぎ目なく戻すのです。言葉で聞くと簡単そうに聞こえるが、他人の脳みそと言う複雑極まりない迷路を解き明かすのも、記憶と言う硝子細工よりも脆いものを扱うのにも、途方もない魔法の腕が必要になる。そのため、忘却術士と言うのは何よりも魔法の精確さが重視される……つまり、まあ、ミス・グラントが読んだ本に書かれていたように、マグルの文化に明るいかどうかはさほど気に留められなかったと言う経緯があるのです」

そこで言葉を切り、教授は手元の羊皮紙へと視線を落とした。

「フーム……では、具体的な継続科目の話に移るとしましょう。先程も言った通り、忘却術士になるためには、何よりも魔法の腕が重視されます。最低でも変身術と呪文学はNEWTで『優』を修める必要がありますな。どちらの科目も『良』以上なら継続が許可されるので……ミス・グラントの成績なら問題ないでしょう!特に変身術は、今のままなら十分『優』が取れるとの評価のようだ。呪文学は……フム……私の評価だと、今のままだと『優』と『良』の中間と言ったところですな。NEWTの受講はいいとして、できればもう少し頑張ってOWLでも『優』を目指すのが好ましいですぞ」
「は、はい……頑張ります」

レイチェルは呆気にとられつつ返事をした。すごくソフトに教授の担当教科についてダメ出しをされている気がする。いや、でも、良って別にそんなに悪くない成績のはずだし、教授はレイチェルのためを思って言ってくれているだけで他意はないのだろう……たぶん。

「マグル学は受講に制限はないので希望通りに継続するとよろしい。これとは別に、他に何か続けたい科目はありますかな?」
「防衛術と薬草学……あと、できれば魔法薬学です」
「魔法薬学は、『優』以上の生徒のみ受け入れる条件ですが……ほう、これは……スネイプ教授の貴方の評価は高いようだ! 薬草学、防衛術はともに『良』以上が条件なので、このままの調子で進めれば問題ないでしょう」
「ありがとうございます」
「あとは、私が勧めるのは魔法生物飼育学ですな。忘却術士は魔法生物がマグルの目に触れてしまったときに現場に呼ばれることもある。対処は専門家が行うとは言え、知識はあるに越したことはない」
「………………はい」

フリットウィック教授の言葉に、レイチェルは思わず顔を引きつらせた。
魔法生物飼育学。と言うことは、また来年もハグリッドのあの授業に参加すると言うことだろうか。気は進まないが、フリットウィック教授の言うことは尤もだとも思える。気は進まないが。
その後は、フリットウィック教授の教え子の忘却術士になった人の話や、教授の知る忘却術の失敗例なんかを聞いているうちに、次の人の時間が近づいて来た。
教授の私室を出たレイチェルは、ふうと息を吐き出した。特別厳しいことも言われなかったし、進路指導としてはまあまあだろう。まあ、フリットウィック教授は優しいし、他の人に対してもたぶんこんな感じなんだろうけれど。
他の人────そう考えて、セドリックの顔が浮かぶ。セドリックの進路指導は、今日の午前だと言っていた。セドリックは、どんな感じだったんだろう。レイチェルが問題ないと言われたのだから、セドリックもそうに決まっている。スプラウト教授はきっと、セドリックならルーマニアの研究所にも就職できると考えたに違いない。
はあ、とさっきよりも深い溜息が出た。ルーマニア。ルーマニアだ。卒業したら、セドリックがそんな遠い所に行ってしまうかもしれないなんて。嫌だなあとは思うけれど、反対する理由がない。私が寂しいから行かないで、なんて。レイチェルはもう、そんなわがままを許してもらえるような小さな女の子じゃないのだ。
重い足取りで廊下を進むレイチェルは、ふと渡り廊下に見える人影に気がついた。

セドリックと、クロディーヌだ。

距離はそう遠くないけれど、親しげに話している2人は、どうやらこちらには気がついていない。セドリックはいつも通り、穏やかな様子で、クロディーヌは楽しげにくすくす笑っている。そしてセドリックの耳に顔を寄せて、何事か囁いて────セドリックの頬に、キスをした。セドリックが、驚いたように頬を押さえて、それから赤くなる。それを見たクロディーヌが、悪戯っぽく笑う。

────────やめて。

頭の中が真っ赤になる。指先までその熱が伝わって、動けなくなる。息が詰まって、呼吸ができない。
やめて。離れてよ。セドに、触らないで。ダメ。そこは、セドの隣は、私の────。

縫い止められたようにその場に立ち尽くす。ふいに、こちらを振り向いたクロディーヌと目が合った。
コーラルピンクのルージュが、ゆるく弧を描く。その笑みがやっぱり綺麗だから、レイチェルは何だかみじめでたまらなくなった。それ以上その場に居たくなくて、急ぎ足でその場を立ち去る。どうして涙が滲んで来るのか、理由は、自分でもよくわからない。さっき見た光景が瞼の裏から離れない。頭の中がぐちゃぐちゃだ。もう、全部、わからない。

ねえセド、どうして? どうして、ルーマニアなんて行こうとするの?
ずっと一緒に居るって約束したのに。どうして? どうして、何も言ってくれなかったの?

私から離れて行こうとするくせに、どうしてクロディーヌなんかの隣に居るの。

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