いつから、好きだったんだろう。
図書室の窓から見えるグリフィンドールの練習風景を眺めながら、レイチェルはぼんやりと考えた。
前にも一度、自分はウッドのことが好きなのだろうかと思ったことがあった。確か、4年生の秋頃のことだ。フィルチを避けるために、2人きりで狭い箒小屋に入って────繋いだ手とか、耳元で聞こえる声だとかに、信じられないくらい緊張して、ドキドキした。あのときは、ただ単に異性に対して免疫がないせいなんだろうなと結論づけてしまったけれど────もしかしたら、気づいてなかっただけであの時から好きだったんだろうか? それとも、あれがきっかけだったんだろうか?
わからないけれど、とりあえずレイチェルはウッドのことが好きらしい。と言うことはつまり、やっぱりセドリックに対する感情は、恋ではないと言うことだ。だって、セドリックとウッドに対する感情は全然違う。
ウッドを好きだと気づいた日から、急激にレイチェルの自我や理性はおかしくなってしまった。ウッドの姿を遠目に見かけただけで持っていた鞄を落としたり、飲んでいた紅茶を喉に引っかけたり。挨拶をされただけなのに、心臓が思いきり跳ねて、声が奇妙にひっくり返る。急に体温が上昇する。
完全に挙動不審だ。不思議そうなウッドの視線を向けられて、あまりの羞恥にその場から逃げ出したくなった。と言うか逃げ出した。
ウッドが笑っているのを見ると、胸がきゅうっと締めつけられる。もっと見ていたいと思う。溶けたチョコレートみたいな、甘くて温かなものが胸の真ん中からじんわりと染みだして溢れて、指先まで体内を満たしていく。頭の中が大騒ぎになったり、かと思ったら何も考えられなくなったりする。レイチェル、と名前を呼ばれると、それだけで何だか泣きたいような気持ちになる。
規則正しく回っていたはずの歯車が、恋と言う油を差した途端突然狂い出してしまった。今まで当たり前にできていたことが、できなくなる。レポートを書くことに集中しようとしても、ふいにウッドの顔が頭に浮かぶ。ウッドを目の前になると、呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうになる。自分が自分で居られなくなる。

これが恋なのだとしたら、たぶん自分は今まで恋なんてしたことがなかったのかもしれない。

とは言え、ウッドと恋人同士になりたいのかと自問してみると、それは違う気がした。
デートしたいとか、手を繋ぎたいとか、キスしたいとか────そう言った願望は、今のところそんなにない。まだ、自覚したばかりだからかもしれないけれど。
確かに、デートできたら素敵だなあとは思う。一緒にホグズミードに行けたら、きっととても楽しいだろう。手を繋いだりしたら────あのときですらあんなにドキドキしたのに、ウッドが好きだと気づいた今では、それこそ全身の血管が逆流してしまうんじゃないだろうか。
それに。

『ごめん。今はクィディッチに集中したいんだ。……最後のチャンスだからさ」』

あの日、ウッドはそう言っていた。あれはきっと、告白を断る口実なんかじゃなく、ウッドの本音だ。何となくだけれど、そんな気がした。きっと、レイチェルがウッドに告白をしたところで、返って来る答えは同じだ。自分だけは違う、うまくいくなんて────そんな風には、思えない。
だって、たぶん、ウッドはレイチェルのことを何とも思っていない。寮も学年も違う割にはよく喋る、くらいの認識だろうか。友人と言う括りに入れてもらえているかどうかさえ、ちょっと危うい。会ったら挨拶もするし、おしゃべりもするけれど、でも「今度また会おうね」と約束をするほどではない。
クリスマスカードも、誕生日プレゼントも贈らない。と言うかそもそも、お互いの誕生日を知らない。そう考えると、やっぱり知り合い以上友人未満と言う関係性が適切であるように思えた。
パメラなら、きっとそんなこと関係ないと言うだろう。「何とも思われてないのなら、まずは意識させなきゃ!」「男の子なんて皆鈍感なんだから、どんどんアプローチしなきゃ気づかないわよ!」 そんな風に。
確かに、その通りだとも思う。頑張れば、何とかなるかもしれない。頑張らなきゃ、何も変わらない。
────でも。
クィディッチを頑張っているウッドが、好きだなあと思うから。クィディッチ選手になることが、彼の夢なのだと知ってしまったから。そして、それがすぐ手の届くところまで近づいているのだと、知っているから。今この時間が、彼にとってはどんなに大切なのか、わかっているから。邪魔したくない。
レイチェルが自分の恋のためにとウッドにまとわりついて、そのせいでウッドがクィディッチに割くはずだった時間を奪ってしまったら。クィディッチに集中できなくなってしまったら。そんなの、絶対後悔する。
だから、レイチェルはこれ以上は望むつもりはない。ウッドが卒業するまでもう時間もない。あの人はクィディッチしか見えていない人だから、レイチェルが口にしなければこの感情に気づくこともないだろう。変に気持ちを知られて気まずくなるくらいなら、このままでいい。ウッドが笑ってくれていればそれでいい。踏み出す勇気がないだけの、臆病者の言い訳かもしれないけれど。
あの人のことが、好きだけれど。好きだからこそ、迷惑にはなりたくない。
キラキラと目を輝かせて、クィディッチについて語るところが、小さな男の子みたいで可愛いと思った。試合のときの、凛々しい表情が大人びていて、かっこいい。ゴールを止めたときの、得意げな顔。試合に勝ったときの、溌剌とした笑顔。全部好き。呆れるくらいクィディッチ馬鹿で────クィディッチに夢中なウッドが好き。
自分の恋を叶えるよりも、彼の夢が叶うよう応援したい。
だから、見ているだけでいい。レイチェルはただ、あの人を見ていたいのだ。

 

 

 

────あ。あそこに居るの、オリバーだ。
レイチェルがふいに窓の外へと視線を向けると、渡り廊下にウッドの姿を見つけた。どうやら今は授業がない時間帯なのだろう。同級生らしい女子生徒と並んで歩いているところだった。向かっている方向は競技場の方だ。天気がいいから、またクィディッチの自主練習をするつもりなのかもしれない。
一体何の話をしているんだろう? 親しげな様子にそんな疑問が首をもたげたが、考えたところでこの距離ではどんなに耳を澄ませたところで聞こえるはずもない。レイチェルはただ、少しずつ遠ざかっていく後ろ姿をぼんやりと視線で追うだけしかできなかった。角を曲がって、2人の姿が見えなくなるまで。
ふう、と知らず溜息が出た。確かに、好きな人が自分以外の女の子と仲良さそうにしているのは、何となく嫌な気分になる。ただの友達で、他愛もない世間話をしているだけかもしれないのに。もやもやとした不安が、胸の奥底で渦巻く。でも、とレイチェルは思った。
だからってレイチェルは、ウッドと一緒に居る女の子に嫌がらせをしようとは思わない。そんなのはやっぱり、卑怯者のすることだと思う。だって、そんなことしたって、自分がウッドに好きになってもらえるわけじゃない。そんなことする女の子を、ウッドが好きになるなんて思えない。
それに────と考えたところで、トントンと後ろから背中を突つかれて、レイチェルははっと思考の海から引き戻された。

レイチェル? 聞こえているかな?」
「はっ、はい!」

自分が呼ばれているのだと気がつくのに、数秒の時間を要した。完全に不意をつかれたせいで、声が上ずる。いつの間にか自分の机のすぐ前にルーピン教授が立っていて、困ったような微笑みがレイチェルを見下ろしていた。

「試験は終わったよ。答案用紙を提出してくれるかな」
「あっ……すみません」
「体調でも悪いのかい?」
「いえ、大丈夫です……あの……すみません……」

俯いて、もごもごと口の中で謝罪を転がす。そう言えば今は防衛術の授業中で、小テストの最中だった。
促されて、レイチェルは自分の肘の下に敷いていた羊皮紙をルーピン教授へと差し出す。一応空欄は全て埋め終わっていたから問題はない。問題はないが────途中から考え事をしていたせいで見直しは途中になってしまった。そして、試験の終わりのアラームが鳴ったのにも全く気がつかなかった。
一体自分はどれだけ上の空だったのだ。それも、試験や何か真剣な悩み事について考えていたのならばともかく「好きな人のことを考えていました」だなんて。恥ずかしすぎる。
ああもう、とレイチェルは羽根ペンを握り締めた。一体何をしているのよ。馬鹿じゃないの。OWLまでもうあと3ヶ月を切ってるのに。浮かれてる場合じゃないのよ。そう自分に言い聞かせて、レイチェルは今度こそルーピンの教授の解説を書きとることに集中しようと努力した。

レイチェルったら、どうしちゃったのよ? 何度も呼ばれてるのに、ぜんっぜん気づかないんだもの! スネイプが相手だったら10点は減点されたわよ!」

そうして授業が終わった後、パメラには呆れたようにそう言われてしまった。確かに、スネイプ教授だったら1度呼ばれて返事をしなかった時点で恐ろしいことになっただろう。相手が温厚なルーピン教授だったのは幸いだった。しかし────レイチェルには、減点をされなかったのはただルーピン教授が温厚と言う理由だけではないように思えた。
自意識過剰かもしれないが、ルーピン教授の態度がどこか気遣わしげなように感じたのは、やっぱり先日のあの一件が原因だろうか。ルーピン教授の前で、自己嫌悪で泣きそうになってしまったことの。それで、同情されているのだとしたら居た堪れない。優しさが痛い。早急に忘れてほしい。もしも忘却術が使えるようになったら、真っ先にルーピン教授の頭の中からあの日の記憶を消したい。
思わず小さく溜息を漏らせば、エリザベスが表情を曇らせる。

「大丈夫? その……また、何かされたの?」
「え? ……ううん、えっと、大丈夫」

一瞬何を言われたのかわからなかったが、エリザベスは例の嫌がらせの件を心配してくれているのだと気がついた。それについては、ここ数日は落ち着いている。と言うか、正確に言えば、レイチェルもウッドのことで混乱して頭が一杯だったので、たぶん悪口を言われたとしても聞こえていなかった、が正しいかもしれない。正直、あの子達の動向を気にしている余裕がなかったのだ。
それはそうと。

「ルーピン教授の字って、どこかで見た気がするんだけど……」
「どこって、板書でしょ? 毎週見てるじゃない」
「うーん、そうじゃなくて……どこか他の場所で。でも、どこだったか思い出せないの」

黒板に残った文字を見つめて、わからないと首を捻る。
医務室に入院したときにもらった手紙を見てからと言うもの、ずっと気になっていることだった。そんなに癖のある筆跡と言うわけでもないので、気のせいかもしれない。誰かと別の人と勘違いしている可能性も大いにある。けれど、やっぱり既視感があるのだ。
レイチェルがルーピン教授の筆跡について思いを巡らせていると、パメラが「あっ」と何か思い出したように声を上げた。

「ねえ、そう言えばルームフレグランスが切れかかってるんだけど、次は何がいい? ラベンダーか、グレープフルーツか、サンダルウッドか────」

ガタン。急に机にぶつかってよろけたレイチェルを、前を歩くパメラとエリザベスが振り返る。机の足に打ち付けた膝が、ジンジンと痛む。衝撃で落としてしまった筆記具を黙々と拾い集めていると、親友達が怪訝そうな表情でレイチェルを覗きこむ。

「……ねえ、レイチェル。やっぱり変よ?大丈夫?」
「気分が悪いの? それなら、医務室に行った方が……」
「だ、大丈夫だから……気にしないで……」

むしろ、頼むからそっとしておいてほしい。
ここ数日、ずっとこの調子だった。例えば、薬草学の教科書に彼の名字と同じ綴りを見つける。例えば、クィディッチの話題で、誰かが彼の名前を口にしているのを耳にする。そんな些細なことで、思考はあっと言う間に彼のことで塗りつぶされてしまう。それまで考えていたはずの変身術の理論も、消失呪文の効果も、何もかも頭の中から押しやってしまう。姿を見かけたときや顔を合わせたときだけじゃなく、何でもないときまでウッドのことを考えてしまう。
見ているだけでいいと決めたのに。自覚した途端、恋心は風船みたいに膨らんでいって、気を抜けばふわふわと空まで浮きあがってしまいそうになる。
ああもう、なんか馬鹿みたいだ。

 

 

 

遅咲きの恋心はレイチェルの試験勉強に多大なる妨害行為を働くので困りものだが、レイチェルの憂鬱を軽くもしてくれた。要するに、レイチェルは長らく続いていた自己嫌悪のドツボからようやく浮上することができた。

「『自分に誇りを持て』かあ……」

先日、ルーピン教授に言われた言葉を反芻してみる。けれど、他人にそう言われたからと言って、急に自分に自信を持つと言うのは難しい。
とは言え、外野の言うことに惑わされて、卑屈になりすぎていたのは事実だとも思った。周囲と比較してくよくよしたり羨んだりしたところで、現状に何か変化があるわけでもない。私なんてと落ち込んで泣き疲れて眠っても、目が覚めたら突然素敵な女の子になったりはしないのだ。
急に変わるのが無理ならば、今の自分と向き合うしかないのだろう。そして、何か自分の好きなところを見つけて、嫌なところは直せるように努力する。自分を好きになれるように。それしかない。……それが頭で考えるだけより、ずっと難しいことだとはわかっているけれど。
自分の好きなところを見つける。そのためには、ルーピン教授の言う通り、レイチェルを嫌っている人達の言うことに振り回されずに、自分を見てくれている人達に目を向けるべきなのだろう。
両親はもちろんのこと、おじさんやおばさん。セドリック。パメラ。エリザベス。アンジェリーナ。アリシア。ハーマイオニー。ジニー。……それに、ウッドも。こうやってすぐに思いつくだけでも、両の手だけじゃ足りない。レイチェルは誰もわかってくれないといじけていた自分が恥ずかしくなった。自分はたくさんの優しい人達に囲まれていることに、もっと感謝するべきだ。
あとは……まあ、一応フレッドとジョージもだろうか。あの2人は何だかんだでレイチェルをただの同級生の一人として扱ってくれる。「セドリックの幼馴染」や、「パメラとエリザベスの友人」でなく。
それに、ドラコ。最初はレイチェルが母親の気に入りの小説家の娘であることにしか関心がなかったのだろうけれど、今ではレイチェル自身の友人だと思える。
そのドラコから手紙が来たので、レイチェルはいつもの温室へと向かっていた。今日からイースター休暇に入ったせいか、廊下は人気がなく閑散としている。まだ午前中だし、きっと生徒達の多くは寝潰しているのだろう。
青みがかった硝子の扉を開け放てば、生温かい空気が漏れだす。大広間の半分ほどの広さの温室の中にで育てられているのは、授業で使う薬草や奇妙な魔法植物でなく、スプラウト教授の趣味の観賞用の花々だ。天井からはシクラメンやパンジーの寄せ植えがいくつも吊り下げられ、壁に沿わせるようにしてつるばらやウィステリアの垣根が作られている。縦に長い通路が2本作られていて、その脇には大小さまざまな鉢植えが所狭しと並んでいる。そしてそのひとつひとつが、ありとあらゆる美しい花々で満たされていた。ピンク。白。黄色。オレンジ。赤。水色。紫。色鮮やかな花々が咲き乱れる様は、まるで温室自体がひとつのブーケのようだ。その奥にひっそりと置かれた白いテーブルセットに座って、おしゃべりをするのがドラコとレイチェルの気に入りだった。
今日もまた、レイチェルは華奢なレリーフの彫り込まれた椅子へと腰を下ろし、テーブルの上に持ってきた水筒とお菓子を並べる。ドラコはまだのようだし、少し本でも読もう。そう思って、借りて来た本を取り出してページをめくる。しかし、温かな春の陽気のせいか、それとも室内にたちこめる濃厚な花の香りのせいか────気づけば、レイチェルの意識はまどろんでいった。

『ねえ、セディ、セディ! こっちよ!』

緑の木々の間を、幼いレイチェルが走っている。白樺の薄い葉を透かした木漏れ日が、足元の地面を斑に照らす。下草の上に群生したブルーベルの花が、風に揺れる。ああ、ここはストーツヘッド・ヒルだ。
ねえ、さっき、妖精を見つけたの。薄紫色の羽がきらきら光って、とっても綺麗だったわ。あっちの方に飛んで行ったの。ねえセディ、もっと近くで見てみましょうよ。
待ってとセドリックが言うのも聞かず走った。だって、目を離したら見失ってしまうから。振り返らずに。

『セディ? ……セディ? どこ?』

そうして気づいたときには、セドリックがどこにも居なかった。周囲を見回しても、幼馴染の姿は見当たらない。声を張り上げて名前を呼んでも、返事がない。
どこ行っちゃったんだろう。レイチェルがどんどん先に行くから、怒っちゃった? どこかに隠れて、レイチェルが困っているのを見てるんだろうか? ううん、セディはそんなことしない。
どうしよう。セディが居ない。迷子になっちゃった。心細さに滲みそうになる涙を、ぐっと飲み込む。妖精も、空高く飛んで行ったせいで見失ってしまった。木々の枝がざわざわと音を立てたので、レイチェルはびくっと肩を震わせた。考えなしに走ってきてしまったせいで、ここがどこかもわからない。
どうしよう。セディが手を繋いでくれないと、おうちに帰れない。

「……レイチェル?」

誰かがレイチェルを呼んでいる。
セドリック? ううん、違う。これは、セドの声じゃない。じゃあ、誰?
ねえ、セディはどこに居るの? レイチェルを置いて、どこに行ったの? ずっと一緒に居るって言ったのに。嘘つき。セディ、セディ。レイチェルを見つけて。一人にしないで。置いて行かないで。

「眠ってるのか?」

誰かの指が、レイチェルの髪に触れる。
落ちてくる瞼を、薄く開いた。滲んだ視界に映る影は、レイチェルの慣れ親しんだ黒髪じゃない。
……ああ。やっぱり、セドじゃない。そうよね、当たり前。セドは、忙しいもの。だから、ここには来ないの。セドはもう、「皆の王子様」だから、もうレイチェル1人に構っていられない。
眩い光を遠ざけるように、目を瞑る。セドリックの居ない世界なんて見たくないから。見なければ、寂しいと思わなくて済むから。セディが居なくても、私は大丈夫。大丈夫よ、私だって、いつまでも何にもできない女の子じゃないんだから。だから、大丈夫なの。セディが居なくたって、泣かないもの。
ふいに、閉じた瞼に柔らかなものが触れた。それから、額にも。────ああ、そうだ。あのとき、迷子になったレイチェルをセドリックが見つけてくれたんだった。樫の木の洞で泣いていていたレイチェルに、セドリックが手を差し伸べた。そうして、腫れた瞼にキスをしてくれた。「僕の大事なお姫様」って。
でも────レイチェルはもう、小さなお姫様じゃない。ここはストーツヘッドヒルじゃないし、セドリックは居ない。

じゃあ今、レイチェルにキスをしたのは、一体誰?

はっと目を開く。視線を彷徨わせると、驚いたように見開かれたアイスブルーの瞳と目が合った。詰めた距離のせいで、金色の睫毛の一本一本がはっきりと見える。逆行のせいで顔はよく見えなかったが、その色彩でレイチェルはそれが誰なのかわかった。

「ドラコ……?」

────今、何をしたの。何を、しようとしたの?
乾いた喉が張り付いたせいで、声が掠れた。重苦しいような沈黙の中、ただ答えを待つ。青白い頬には薄く朱が差して、視線は戸惑いに揺れていた。

ドラコは何も言わなかった。レイチェルに背を向けて、そのまま走って温室を出て行ってしまった。

恋は思案のほか

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