思えば、物心ついたときからいつだってそうだった。
いや、生まれてからずっと、が正しいかもしれない。魔法界ではベストセラー作家の母親。小説家のロザリンド・アンチゴーネ・バングズの娘として生まれたときから。もしかしたら、母親の子宮の中に居たときから、そうなることは決まっていたのかもしれない。レイチェルが出会うどこかの誰かは、いつだってレイチェルを見ていない。
「貴方が彼女の娘なのね」「お母様にそっくり」「貴方も、レイブンクローに入るのね?」────周囲が関心を持っているのは、レイチェルじゃない。それでも、幼いレイチェルは気にならなかった。だってそれは、彼女達にとっては褒め言葉なんだとわかっていたから。レイチェルを取り囲む貴婦人達が、母親へ親しみを持ってくれていることは、何となくだけれどわかったから。
この人達はママが好きだから、レイチェルにも優しくしてくれる。ママに好かれたいから、レイチェルにお菓子やおもちゃをくれる。それで何か困ったことがあった? 何の不満があるの?
ホグワーツに入ったら、きっとこうは行かないのだろう。11歳になった頃には、レイチェルにもちゃんとわかっていた。だって、ホグワーツに行ったらママは居ない。ホグワーツに居るのは、レイチェルを可愛がってくれる貴婦人達じゃない。ママの名前は役に立たない。友達は、自分で作らなきゃ。同年代の女の子達の中でうまくやっていけるかと言う不安はあったが、それでも楽しみや期待が胸を膨らませた。
いつもセドとばかり遊んでいたけど、ホグワーツに行ったら新しい友達を作るの。一緒に買い物をしたり、ファッションのことを相談したりできる、女の子の友達を。

「私、レイチェルレイチェルグラント。よろしくね」

そして、それはレイチェルが心配していたよりもあっさりと叶った。
組分け帽子が選んでくれたレイブンクローは、スリザリンほど血筋や家名の妙なしがらみに縛られてはいないし、レイチェルの学年に関して言えば就学前の繋がりもそう密なものではなかった。せいぜい従妹や親戚、親同士が友人。その程度。ほとんどが初対面同士、そして同い年の子と接するのも初めて。友達付き合い初心者の群れの中でそう出遅れることもなかった。
そうして、レイチェルには2人の親友ができた。

「あ、あなた知ってる。パメラのルームメイトの……」

パメラ・ジョーンズ。綺麗な青い目で、腰まで伸ばした豊かなブロンドは誰もが羨しがる。おしゃれが好きで、背が高くて大人っぽい。何事にも物怖じせずにハッキリ物を言うし、勉強は嫌いだけど頭の回転が速い。マグル生まれだからスリザリン生とは衝突しがちけれど、明るくて社交的な彼女は友達が多い。

「エリザベスと仲が良いのよね? いいなあ」

エリザベス・プライス。学年5位の秀才で、純血名家プライス家の令嬢。ゆるやかに波打つ黒檀のような巻き毛に、雪のような白い肌。いかにも良家の子女らしい立ち居振る舞いや黙っていると冷たく見える美貌は、近寄りがたいとか高嶺の花だとか言われているのを耳にするけれど、実際は優しくて友達想い。
そして。

「ねえ、貴方がセドリックの言ってた『レイチェル』?」

セドリック・ディゴリー。お隣に住んでいる、幼馴染の男の子。ハンサムで優しいけど、ちょっと要領が悪い。嘘がつけないし、意外と頑固だし、クィディッチのことになると周りが見えなくなる。11歳のセドリックは、確かにそんな男の子だったのに。
レイチェルと変わらなかった背は伸びて、顔立ちが大人っぽくなって。1年生の頃には競っていた成績は、もう追いつけないほど引き離されてしまった。一緒にクィディッチの試合を見て目を輝かせていたのに、セドリックはその羨望を向けられる側になった。黒いローブの胸には、監督生バッジが輝くようになった。けれど、驕ったところはなくて、優しくて穏やかで、誠実な気質はそのままで。
今では皆の憧れで、非の打ちどころのない、ホグワーツの女の子達の王子様。

レイチェルって、セドリックの幼馴染だったのね!」

2、3度話したことがあるだけの下級生が、そう知った途端に談話室や大広間でレイチェルに詰めよって来ることも、1度や2度ではなかった。
あのセドリックの幼馴染なのね。いいなあ。羨ましい。ねえ、幼馴染ってどんな感じ? セドリックって何が好きなの? 普段どんな話をするの? ねえ、セドリックって、セドリックは────。
「あのセドリック・ディゴリーの幼馴染」とわかった途端に熱っぽい視線が向けられる。「ただの上級生のレイチェル」のときにはなかったものが。

「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」

いつだっただろう。そう言って口を尖らせる1年生の女の子達に、レイチェルは胸が締め付けられた。
どうして言う必要があるの? レイブンクローの、自分の寮の下級生と話をするのに、「私はハッフルパフのセドリックの幼馴染なの」って、そう紹介しなければいけないの? 貴方達がセドリックを崇拝してるかどうかなんて、私が知ってるわけないじゃない。貴方達は、大して親しくもない上級生相手に、セドリックの話なんてしなかったでしょう。憧れの上級生の噂話をするほど、打ち解けてはいなかったでしょう。別に意地悪で内緒にしてたわけじゃない。言う機会も必要もなかったから、言わなかっただけよ。
悪気なんて全くないのだろう。わかっている。わかっているから、何も言えない。ただ笑うしかない。

ホグワーツの中でも、結局いつもレイチェルは誰かの付属品で、おまけで、影だった。

レイチェル「が」セドリック「の」幼馴染なのだ。その逆じゃない。セドリックはセドリック。レイチェルは「セドリックの幼馴染」だけれど、誰かがセドリックを差して「レイチェルの幼馴染」と言うことはない。
今までもそうだったから、傷つきはしなかった。いつだってそうだったから、もう慣れた。
仕方のないことよ。だって、セドの方が目立つもの。セドの方が優秀だもの。パメラの方がおしゃれだし、話していて楽しいでしょ? エリザベスは美人だし、私よりずっと優秀だもの。
セドも、2人の親友達も、自慢だもの。皆が羨むような素敵な友達が居て、私は幸せなの。そうでしょう?
そう思うのに。一方で、憂鬱が胸へと広がる。澄み渡った青空の端から、灰色の雲が差すみたいに。

先に出会ったのは私なのに。セドリックの幼馴染だから、こんな風に話しかけて来るの? セドリックの幼馴染じゃなかったら、ママの娘じゃなかったら、私に興味はないの?

たぶん、そうなのだろう。あの子達にとっては、セドリックの幼馴染じゃないレイチェルには価値がない。あの子達が話しかけているのはレイチェルでも、あの子達が見ているのはレイチェルじゃない。
仕方ない。仕方ないの。そう言い聞かせて、喉に引っ掛かるもやもやした感情を無理矢理飲み下す。
誰のせいでもないわ。あの子達は悪くない。勿論、パメラもエリザベスも。セドも、誰も悪くない。
だから仕方ない。仕方ないのよ。
飲み込む。吐き出したところで、大好きな人達を困らせるだけだとわかっているから。

 

 

 

朝から校内が騒がしい。
その理由は明白で、あと20分後にはクィディッチの試合が始まるからだった。対戦カードはハッフルパフ対スリザリン。混戦する今年のクィディッチリーグで、優勝杯の行方を左右する試合となれば、盛り上がらないはずがない。スリザリンが勝てば、次の最終戦でグリフィンドールとの試合で優勝杯を争うことになる。対してハッフルパフが勝てば、順当に行けば現状2位につけているレイブンクローがグリフィンドールと今シーズンの総得点で争うことになる。もしも大きく差をつけて勝てば、ハッフルパフが2位に躍り出ることもあるかもしれない。そう。つまり、全ての寮にとって無関係な試合ではないのだ。
しかし、浮足立つ周囲とは反対に、レイチェルの足取りは重かった。
……やっぱり、試合、観に行くのやめておこうかな。バタバタと廊下を駆け抜けて行く1年生の集団を見送って、レイチェルは小さく溜息を吐く。
セドリックの試合は勿論見たい。それにスリザリン戦なのだから、当然ドラコも出るだろう。彼らが頑張っているのだから、応援したい。でも、きっと競技場にはあの子達も来ているのだろうと思うと────そのせいでまた何か言われたら嫌だと言う気持ちのせいで、どうにも足が向かない。レイチェルが競技場へ向かえば、あの子達は「セドリックの応援に来た」と受け取るだろう。そして何より、声を張り上げて応援できるような気分じゃない。ここのところ食欲が減退しているせいで、朝食もほとんど喉を通らなかった。
少し考える時間がほしくて、パメラとエリザベスには図書室に本を返して来ると言って別れた。ちょうどいい。そのまま、あそこで静かに観戦しよう。そう結論付けて、人気のない廊下をのろのろと進む。

「おや、レイチェル
「……ルーピン先生」
「競技場に行かなくていいのかい?」

角を曲がって渡り廊下へ出ると、ちょうど向こうからルーピン教授が歩いて来るところだった。
まるでそれが当然だとでも言いたげな口調に、レイチェルはぱちりと瞬きをした。確かにクィディッチの試合の日は、ほとんどの生徒が競技場に観戦に行く。けれど、自分の寮の試合でなければ行かないと言う生徒も居る。レイブンクロー生のレイチェルがここに居ても、何ら不思議なことはないはずだ。
レイチェルが首を傾げると、ルーピン先生は虚をつかれたような顔をした。

「いや……その、君が行かないとセドリックはガッカリするんじゃないかと思ってね」

……そうだろうか。確かに、レイチェルが応援に行けばセドリックは喜んでくれる。けれど別に、行かなかったからと言ってガッカリもしないだろう。今のところ、応援を欠かしたことはないのでわからないけれど。ただの世間話だとわかっていたが、思わず眉を寄せてしまったのは、ルーピン教授の言葉にある種の含みを感じてしまったからだ。つまり、そう。たぶんルーピン教授は誤解している。

「私とセドリックは、そんな関係じゃありません」

自分の口から出たはずの声があまりにも不機嫌そうに響いたので、レイチェルは驚いた。はっとして、思わずルーピン教授の表情を窺う。ルーピン教授は驚いたように目を見開いたが、やがて申し訳なさそうに眉を下げてみせた。

「……気を悪くしたのならすまない。教師が生徒同士の交友関係に口出しをするのはあまりよくないな」
「いえ……あの……すみません。違うんです。そうじゃなくて……私……」

穏やかな口調で紡がれた謝罪に、頬に熱が集まった。違う。教授が謝る必要なんてない。こんなの、ただの八つ当たりだ。誤解はしていたかもしれないけれど、ルーピン教授はきっと、からかったり面白がったりするつもりで言ったんじゃないのに。
しどろもどろに言い訳すれば、ルーピン教授が困ったように微笑む。それが一層罪悪感を募らせた。

「私は……」

セドリックとの仲を誤解しないでほしい。誤解されたくない。けれど、誤解されても仕方ないのかもしれないと、自分でもそう思う。ルーピン教授の目から見てもそう見えたと言うことは、きっとおかしいのはレイチェル達の方なのだ。でも、違う。誤解だ。レイチェルとセドリックは、恋人同士なんかじゃない。
恋人同士、なんかじゃない。

「私が、セドの恋人じゃ……皆、納得しないもの」

零れた言葉は、今度はひどく頼りなげだった。
恋人同士になるなんて、ありえない。私じゃ、相応しくないもの。セドリックにはもっと素敵な女の子が似合うって、皆思ってる。私も、そう思う。私なんかじゃダメ。私みたいに、何の取り柄もない人間じゃ、セドの隣には相応しくない。

「セドの恋人になりたいわけじゃ、ないけど」

じわりと涙が滲む。握り締めた手のひらに、爪が食い込んだ。
セドリックが大切だ。大切な、たった一人の幼馴染だ。男の子として好きなわけじゃない。強がりでも、照れてるわけでもなく、本気でそう思っている。だから、恋人になんてならなくていい。
恋人になんて、なりたくない。だって、絶対、皆どうしてあの子なのって影で言うもの。全然釣り合ってないって、笑うもの。ただの幼馴染でも、あんな風に言われるのに。ただ、幼馴染ってだけで、こんな思いをしなきゃいけないのに。

レイチェル。君は君のお母さんによく似ている」

静かな声が、鼓膜を震わせる。
それは、いつもなら何ともないはずの────幼い頃から言われ慣れているはずの言葉なのに、奇妙なほどに感情がざわつくのがわかった。またそれなのと、飲み込んだはずの感情が胃の中で蠢く。
ママに似ていることしか、私には価値がないの?

「少なくとも私は最初に君を見たときに、そう思った」
「……知ってます」

ぐずりと鼻を啜る。ホグワーツ特急で会った時のルーピン教授の反応を思い返しても、それは明らかだった。そして、その後話したときの、この人の表情からも。ただのファンと言う呼称で片付けてしまうのは躊躇うほど、まるで母親に恋をしているような瞳からも。

「でも、今は違う。君と彼女は、似ていない」

穏やかな、けれどはっきりとした口調がレイチェルの胸を刺した。
勝手な話だと思う。似ていると言われるのにはうんざりしているくせに、似ていないと言われると突き放されたような気持ちになる。お前には価値がないと、存在を否定されたような気持ちに。

『お母様にそっくりね』

そう言われるのが、いつも当たり前だった。母親に似ていると言われることはレイチェルを辟易させる一方で、レイチェルを安心させた。それが、母親を知る人にとっては賛辞なのだとわかっていたから。
ルーピン教授の言うことは正しい。実際、レイチェルと母親は似ていない。顔がそっくりだから。レイブンクローだから。だから、若い頃の母親にそっくりだと言われる。それだけだ。中身は、ちっとも似ていない。

同じ顔で同じネクタイをしているから、似ていると勘違いしてもらえる。本当は似ていないのに。
本当は、レイチェルはただの平凡な子供で、母親みたいな才能なんてないのに。

レイブンクローを選んだのは、セドリックと離れたかったからだ。セドリックが居るからと、それだけでハッフルパフを選んで後悔したくなかった。うまくいかなかったとき、セドリックのせいだと思いたくなかった。
でも、今思えばそれだけじゃなかったのかもしれない。たぶん、怖かったのだ。母親と違う寮を選ぶことで落胆されることが。「お母様とは違うのね」と、そんな風に。
レイブンクローを選んだことに後悔はない。だって、そうじゃなければパメラとエリザベスと同室にはならなかった。2人と親友になれなかった。後悔はない。けれど、母親と同じ寮を選んだからこそ、はっきりしたことがあった。

ママと同じ寮を選んでも、私にはママみたいな特別な才能はない。似ているのは見てくれだけ。
ママと同じ色のネクタイをしていても、私はママみたいにはなれない。

「彼女は才能豊かな魔女だったけれど、いつも一人だった。そんな彼女を孤高と呼ぶ人も居た。でも、彼女は以前言っていたよ。自分には心を開けるような友人が居なかったと。だから本に没頭するしかない、寂しい学生時代だったと。娘には友人が居て、楽しく日々を過ごしているようでよかったと。父親に似て素直で、よく笑う子だとね」

──── そんなの、知らない。聞いたことない。だってママは、そんなこと言わなかったもの。一度だって、言わなかったもの。パパだって、ママに似てきたって嬉しそうに言うのに。
誰も、似てなくていいなんて、言ってくれなかった。ママに似てなかったら、私自身になんて誰も興味がないんだと思った。もしこの顔がママに似てなかったら、皆きっとこんなに優しくしてくれないんだろうと思っていた。

レイチェル。君はもっと、自分を誇っていい」

温かな茶色の瞳が、レイチェルを真っ直ぐに見つめる。その目が、声があまりにも優しいから、また涙が滲みそうになる。ぎゅっと唇を噛みしめた。誇るなんて、できない。自信なんて、持てるはずない。
だってレイチェルの周りには、レイチェルより素晴らしい人達で溢れているのに。そんなレイチェルの考えを見透かしたように、ルーピン教授は微笑んだ。

「確かに、君の周囲に居る人達は君よりも人目を引くかもしれない。彼らと比べると、自分が小さく思えることもあるだろう。けれど、だからと言って君が無価値な人間だと言うことにはならない。大輪の薔薇の横では小さなすみれや雛菊の花は目立たないが、かと言ってそれらが美しいことに変わりはない。花にも人にも、それぞれに違った個性や魅力や役割がある。単純なものさしでは測れないものだ」

ルーピン教授の声には、魔法がかかっているに違いないと思った。本で何度も読んだような、ありふれた言葉なのに。ただの理想論で綺麗事だと、そう思ってもおかしくないようなことなのに。それなのに、ルーピン教授の口から紡がれると、真実なのかもしれないと思えてくる。

「君と実際に会って話してみて、彼女の言う通りだと思ったよ。君はとても優しい子だ。たとえ友人でも、自分以外の誰かの成功を心から喜べる人間は、そう多くはない」

かっと耳が熱くなる。買い被り過ぎだと思った。レイチェルは、自分がそんなに素晴らしい人間だとは思えない。ルーピン教授が言うような優しい人間と言うのは、セドリックのような人のことだ。レイチェルは、あんな風にはなれない。

「……そんなこと、ないです。私、セドやエリザベス達に嫉妬してます。優しくなんかない。嘘だって吐くし、意地っ張りだし、わがままだし……ルーピン先生は、よく知らないから……っ」
「自分の欠点に目を逸らさず向き合えるのなら、いずれ乗り越えることもできる。それに、君が本当にそんな人間ならば、君の身近な人達はとっくに君から離れていってしまっていただろう」

諭すような口調に、レイチェルは言葉に詰まった。本当にそうだろうか。そう、疑う気持ちは拭えない。
けれど、それは────彼らの言葉を疑うと言うことだ。「幼馴染でよかった」と言ってくれたセドリックを。「ずっと友達よ」と言ってくれた親友達を。

「君の魅力に気づいている人は、君の側に居るはずだ」
「……セドや、エリザベス達のことですか?」
「君が気づいている以外にも、だよ」

そう言って、ルーピン教授は悪戯っぽく笑ってみせた。
レイチェルは何か言おうと口を開いたが、競技場の方から聞こえてきた大歓声によってかき消されてしまった。どうやら、試合が始まったらしい。

「すまないね。随分と引きとめてしまったようだ。用事は大丈夫かな?」
「あ……、はい……大丈夫です。私こそ、すみません……」

ルーピン教授の苦笑に、レイチェルは我に返って俯いた。さっきまでの会話を冷静に思い返せば、およそ教授に相談するような内容じゃないし、そもそも寮監でもない教授にカウンセラーの真似ごとをさせてしまったのも申し訳ない。羞恥に身を縮めていると、ルーピン教授はいつもの穏やかな笑みを浮かべて、廊下の角へと消えて行った。
その背中を見届けて、レイチェルも誰も居ない廊下を急いだ。

「あれ? レイチェルじゃないか」
「オリバー?」

そうして当初の目的地である図書室へと辿りついたレイチェルは、意外な人物と遭遇した。いや、ウッドが図書室に居ること自体が意外なわけではない。クィディッチが行われている今この瞬間に、こんなところに居ることが意外だった。自寮の試合ではなくても、戦略を練ったりするのに熱心に試合を観戦していそうなイメージだったからだ。

「……競技場、行かないの?」
「今から行く。昨日までが返却期限だったんだ。うっかり忘れてた」

そう言ってウッドはばつが悪そうに苦笑してみせた。それでカウンターに居たマダム・ピンスの機嫌が悪かったのか。それは確かに、何にも優先して本を返しに来なければ、後々恐ろしいことになるだろう。レイチェルが納得して頷いていると、ウッドが不思議そうな顔をした。

レイチェルこそ、競技場には行かなくていいのか? セドリックって、君の幼馴染だろ?」

────「君の幼馴染」。そのフレーズは耳慣れなくて、何だか不思議な気がした。ああ、そうか。この人、そう言えば、レイチェルが教えるまで、レイチェルがセドリックの幼馴染だって知らなかったんだ。
だから。だから、この人は一度だって、レイチェルを「セドリックの幼馴染」とも「小説家の娘」とも「パメラやエリザベスの友人」とも見なかった。

「そういや、体調は大丈夫か?」
「え……あ、うん。もう、退院したの1ヶ月も前だし……」
「その割には顔色良くないな」
「あ……」

背の高いウッドが体を折るようにして顔を覗きこむので、自然と距離が近くなる。睫毛が数えられそうな距離に、レイチェルは思わず一歩後ろへと下がった。真っ直ぐな視線を見返せなくて、視線を泳がせる。絶対、今、自分の頬は赤い。心臓がうるさく騒ぎ出す。

「OWLが心配なのはわかるけど、あんまり無理はするなよ」

そう言って笑うその顔が、大人びて見えて、レイチェルはぎゅっと胸が締め付けられた。嬉しくて、それでいて胸が詰まって息苦しいような、何故だか泣きたいような気持ちになった。

この人はいつだって、レイチェルを誰かの付属品として見なかった。
この人はいつだって、ただのレイチェルを見てくれた。

どうして、今まで気づかなかったんだろう。
やっとわかった。どうして、ウッドが女の子に告白されているのを見たとき、気持ちがざわついたのか。
どうして、あの雨の試合の日に、あんなに胸が痛かったのか。
どうして、この人が誰かと笑っているのを見ると、ほっとして、それでいて少し寂しかったのか。
やっとわかった。

この人のことが、好きだからだ。

ランプに火を灯して

top


    お返事が早いのはこちら ⇒ Wavebox