たとえば、そう。2年生の終わりに選択科目を選びなさいと時間割を渡されたとき。新聞に卒業生の活躍が書かれている記事を見つけたとき。自分の知っている上級生が、難関と呼ばれる就職先に内定をもらったとき。卒業までの学生生活がもう半分しかないのだと気がついたとき。まだまだ先だと思っていたOWLが、もう150日後に迫ってきたとき。レイチェルは自分の進路と言うものについて思いを巡らせるときがある。自分はホグワーツを卒業した後どうするのだろうか、と。
下級生のときはただ純粋な疑問だったはずのそれは、学年が上がるにつれて、少しずつ現実味を帯びて、同時に不安を伴うものになっていった。遠くから見ると真っ白でコットンキャンディみたいだった雲が、近づいてみると、ただの水の粒だったみたいに。コットンキャンディみたいにふわふわしてないし、甘くもない。未来と言う名の現実が、どんどん近付いて来る。
そんなに難しく考えないで、10年後の自分を想像してみたら、なんて言われたこともあるけれど、レイチェルにはさっぱり想像がつかなかった。10年後、もう子供がほしいと思う? いいえ。結婚はどう? ……いいえ。じゃあ、仕事がしたい? はい。それはどんな仕事? ……わからない。
「じゃあレイチェルは、自分がしたい仕事を見つけなきゃね」
まだ2年生なんだから、ゆっくり考えればいいじゃない。そう言って上級生だった女子生徒は笑ったが、あれからもう随分と季節は巡って、レイチェルはもう5年生になってしまった。それなのにその「仕事」はまだ見つかっていない。何と言うことだろう。一体自分はこの3年間何をしていたのだ。
まだ2年生なんだから、将来のことなんて決まってないのが当たり前。3年生なんだから決まってなくても大丈夫。4年生なんだからまだ時間はある。────5年生にもなって何も決まってないのはさすがにマズい。
でも、とレイチェルは自分に言い訳してみる。
まるきり何も決まってないわけじゃないわ。マグル関係の仕事に就きたいって、それだけははっきりしてるじゃない。
具体的な目標はなくとも、とりあえずの方向性だけは決まったのは、あの頃からの進歩と言えるだろう。
3年生になって選択したマグル学。あの科目を2年間受講したことによって、レイチェルの意志は固まりつつあった。何かマグルに関係するような仕事がしたい、と。以前から周囲にも言われていたし、自分でも自覚はしていたが、レイチェルは平均的な魔法族の子供に比べるとマグルやその文化への関心が強いらしい。そして、実際マグル学の成績も────そもそもの受講者がそう多くないとは言え────良好なのだから、これはそう不可能なことでもないようだ。どうやらこの冊子によれば、マグルとの連携にはマグル学のOWL以外に求められるものはそう多くない。
マグル関係の仕事に就きたい。それはいい。けれど、それだけではあまりにも漠然とし過ぎている。大体、マグル関係の仕事って何よ。犬が好きだから何か犬に関わる仕事がしたいって言うのと変わらないじゃない。獣医になりたいの? ドッグフードの研究をしたいの? はっきりしなさいよ。
レイチェルは最後のページを捲り終えて、溜息を吐いた。フリットウィック教授に頼んで貰ってきたのだが、少なくともレイチェルにとってはあまり手助けになってはくれなかった。今の気分とは正反対な、キャンディみたいな鮮やかなピンクとオレンジの表紙がうらめしい。その真ん中には金箔押しの文字が躍っている。『あなたはマグル関係の仕事を考えていますね?』──── 考えています。考えてるんです。でも、この中のどれが自分のやりたいことに近いのかわからないの。
そもそもこんな数行の職業紹介に自分の将来を託せって言う方が無茶なのよ。文章も下手だし、この著者ってきっとマグルのことなんて大して知りもしないんだわ。レイチェルは心の中で悪態を吐いて、イライラと冊子を鞄の中へとしまった。そうして何か他に役立ちそうな本はあるだろうかと、本棚へ向かって歩き出す。
進路指導が行われる夏学期まで、そう時間はない。
早く決めなければと気持ちが逸る一方で、将来に関わることなのにこんな風にやっつけ仕事みたく決めてしまっていいのかと言う疑問が首をもたげる。大切なことなのだから、じっくり考えて決めるべきだ。けれど、そんなに悠長に構えていられる時間はない。
今更後悔したところで遅いけれど、どうしてもっと早くからちゃんと考えなかったのだろう。まだ先のことだからとか、そのうちきっと何か見つかるだろうとか。そうやって先延ばしにした結果、こうやって焦る羽目になっているのだから、何だか本当に馬鹿みたいだ。そして、自己嫌悪で泣きたくなってくる。しかし、泣いたところで進路は決まらない。無意味なことをしている時間があったら、有益な本の一冊でも探すべきだ。
ああ、こんな退屈な本を読むくらいなら、部屋に戻ってマグルの絵本でも読みたい。シンデレラはいいわよね、泣いてたら妖精が来てくれて馬車もドレスも何とかしてくれるんだから。
自分一人で考えていても、考えが脱線するばかりなので────主に過去の自分への後悔とか明後日な方向の現実逃避だとか────レイチェルは、同級生の話を聞こうと思った。明確な目標が決まっていれば、そこから何か糸口が掴めるかもしれないし、決まっていないならいないで一緒に考えることができる。どちらにしろ、一人で鬱々と現実逃避しているよりはずっといいだろう。
「ねえ……2人は、卒業後ってどうするか決めてる?」
週末の、勉強の息抜きの、ちょっとしたティータイム。楽しげなおしゃべりが途切れた合間に深刻な表情で切り出したレイチェルに、親友達はきょとんと目を丸くした。チョコレートファッジを口の周りにつけたまま、パメラが首を傾げる。
「なぁに、レイチェル。将来のことでお悩み中ってわけ?」
「ん……そんなところ」
「レイチェルは目標がはっきりしているでしょう? マグルに関わるような仕事をするつもりだとばかり思っていたけれど……」
困惑した表情のエリザベスが、優雅に紅茶を傾ける。確かにいきなりだったので、2人とも戸惑ってるようだった。けれど、こう言う話題ってタイミングが難しかったのだ。人がたくさん居て賑やかなところには不向きだし、かと言って勉強を中断させてまで聞くのも申し訳ない。だから、今しかないと思ったのだけれど。
「何て言うか、その……具体的に、全然想像がつかなくて……ほら……マグルに関わる法案を考えるのだって、マグル製品を売るお店で働くのだって、どっちも『マグルに関わる仕事』でしょ……?」
だから、2人の話を参考までに聞かせてもらえたら嬉しいなあって。レイチェルは気まずさからごにょごにょと口ごもったが、2人は納得してくれたようだった。それなら、とパメラがチョコレートファッジを飲み込んでニッコリ笑う。
「私、マグルの専門学校に行くつもり! ファッション関係のね! 私はやっぱりマグル界で暮らしていきたいし、手に職つけなくっちゃ」
初耳だ。レイチェルはぽかんと口を開けた。予想もしていなかったので驚いたが、確かにパメラにとってはマグル界で暮らして来た年月の方が長いのだから────マグルの友達も多いようだし────卒業したらそちらに戻ろうと思うのは自然なことなのかもしれない。しかし、これは残念ながら、マグル生まれのパメラだからこそ可能と言うか、レイチェルにはあまり参考になりそうにない気がする。レイチェルはもう片方の親友へと振り向いた。
「エリザベスは?」
「私……実は、卒業したら留学しようと思っているの。フランス魔法史の研究がしたくて……あちらには研究者も多いでしょう? だから、去年から休暇にはフランス語の特訓をしているのよ」
発音が難しくて、とエリザベスが頬を染める。こちらも初耳だった。けれど、言われてみればこれも納得だ。エリザベスはあれほど安眠効果があると評判のビンズ先生の授業でも寝ないほど、魔法史に熱心な生徒だった。研究者と言うのも、真面目なエリザベスには向いているように思う。
「素敵ね」
口から出た賛辞は紛れもない本心だったが、戸惑っていたせいかどこかぎこちない言い方になってしまった。ありがとう、と微笑む2人が、レイチェルは何だか眩しく見えた。と、同時に何だか恥ずかしくなった。レイチェルが知らなかっただけで、2人はとっくに卒業後の進路を決めていたのだ。
「マグル関係の仕事……となると、やっぱり魔法省かしら? 誤報局とか、マグル対策口実委員会とか、マグル連絡室とか……」
「えー、でもそれって、実際にはマグルに関わらない仕事でしょ? レイチェルってマグルのガラクタをいじってるときとかマグルの町並みを見てるときが一番楽しそうじゃない。物足りないんじゃないの?」
当人がぼんやりしている間に、親友達は真剣にレイチェルの進路について議論を始めている。確かにパメラの言う通りかもしれないと、レイチェルは思った。マグル学の教科書やマグルに関する文献だけでも十分楽しめるが、実際マグルの町に行ったときがやはり一番楽しい。
「そうかもしれないけれど……レイチェルの頭脳は社会のために役立てないともったいないわ。マグルに接していたいと言うのなら、マグル学の研究はどう?」
「エ……エリザベス……頭脳って、嬉しいけど、私、そんな……」
エリザベスの言葉に、レイチェルは飲みかけの紅茶でむせた。真面目な顔で紡がれた賛辞に、頬に熱が集まる。エリザベスはレイチェルを買い被り過ぎだ。そもそもマグルに関することは好きだからのめり込んでいるだけで、レイチェルは自分が研究者になれるほど賢いとは思えない。レイチェルが咳き込んでいると、パメラがパチンと手を叩いた。
「あっ、ねえ、いいこと思いついた! マグルに関する本を書くってのはどう? それか、雑誌の記事とか! レイチェルのママなら、出版社にもコネがあるでしょ? マグル製品とか、マグル文化の紹介記事とかいいんじゃない?」
「それは……どうかしら……私、ママみたいに文才があるわけじゃないし……」
キラキラしたブルーの瞳に見つめられて、レイチェルは視線を泳がせた。考えてもみなかったが、確かに、自分の書いた文章でマグルに興味を持ってくれる人が1人でも増えたら嬉しい。つまり、それはジャーナリストになると言うことになるのだろうけれど────それはまた、魔法省とは違った意味で狭き門だ。
「いっそマグルとして生活してみるのもいいんじゃない? 体験談とか、それなりに需要ありそう」
「パメラ。貴方は知らないだろうけれど、それは難しいと思うわ。既に『マグルとして生きて』ってベストセラーが書かれているんですもの」
「でも、それって何年前に書かれた本よ、エリザベス? 言っておくけど、マグルの文明って魔法界よりずーっと進歩が早いんだからね!」
やっぱり親友達に相談してみてよかった。甘ったるいチョコレートファッジを咀嚼しながら、レイチェルは思った。自分だけじゃ出て来ない新たな視点と言うのは大切だ。紙の上の文字からでもそれは得られるけれど、レイチェルのことをよく知っている相手からの、自分のための助言と言うのは、すんなりと胸に入って来る。
しかし、それと同時に何だか胃の辺りが少し重たくなるのも感じていた。親友達は、もうとっくに卒業後の進路を決めていた。こうして他愛のないおしゃべりしたり、ホグズミードでウィンドウショッピングしたり、クィディッチのことではしゃいだり。同じ時間を過ごしていたのに、2人はとっくに将来のことを見据えていた。
何も決まっていないのは自分だけだ、と。
グリフィンドールのタウラーはグリンゴッツ志望らしい、だとか。ハッフルパフのサマーズは癒者を目指しているらしい、だとか。ステビンズは魔法省狙いらしい、だとか。注意深く周囲を見渡せば、同級生の進路の情報はちらほらと入って来る。そのたびレイチェルは、何とも言えない焦りが膨らんでいくのを感じた。
大丈夫よ、私だけじゃない。セドだってまだ決まってないもの。クリスマス休暇のとき、セドもまだ考え中だって言ってたじゃない。
そう言い聞かせることで気持ちを軽くしようともしてみたが、あまり効果はなかった。セドリックが決まってなかったとして、だから何だ。セドリックはレイチェルとは違う。学年首席で、監督生で、おまけにクィディッチチームのキャプテンだ。魔法省だろうがグリンゴッツだろうが、望めばどこだって入れるだろう。そんなのと比べて安心したところで、ただの欺瞞だ。
「失礼します」
できるなら進路のことだけ考えていたいが、現実は許してくれない。休暇が明けてからと言うもの、課題は増える一方だ。嵩張る羊皮紙を胸に抱え、何とかドアをノックする。「どうぞ」と返事が返って来たので、レイチェルはノブを回した。
「ルーピン教授。これ、レイブンクロー生の分のレポートです」
「ありがとう、レイチェル。そこに置いてくれ。それと、お茶はどうかな? ちょうど私も飲もうと思っていたんだ」
「あ……えっと……頂きます」
穏やかに微笑むルーピン教授にレイチェルはぎこちなく頷いた。断るのも失礼な気がしたし、特に急ぎの用事もない。ルーピン教授が手元のケトルを杖で叩くと、たちまち湯気が立ち上った。白いカップの中に注がれた液体は、みるみる色づいていく。
「暗い顔をしているね。何か心配ごとでもあるのかな」
勧められるまま椅子に座ったレイチェルは、目の前へと置かれたカップへと視線を落とした。透き通った紅茶に映り込む自分の顔は、確かに憂鬱そうだ。レイチェルはカップの中をスプーンでかき混ぜて、それをかき消した。
「勿論、言いたくないことならば無理に言う必要はないけれど」
柔らかいテノールが耳を撫でる。視線を上げれば、優しげな鳶色の瞳と視線が合った。ルーピン教授には、どこか人の心をほぐすような雰囲気があるとレイチェルは思った。話してしまいたくなる。でも、この話ってどっちかと言うと、フリットウィック教授やバーベッジ教授にするべきなんじゃ? レイチェルは躊躇ったが、意を決して口を開いた。
「その……進路を、悩んでいて……」
「進路? ああ、そうか。5年生は、そろそろ進路相談も近づいてきてるんだったね」
あっさりとした口調に、レイチェルは何だか拍子抜けするのと同時に、気持ちが軽くなるのを感じた。ルーピン教授は寮監でも教科担当でもない。正式な進路相談の場でもないのだから、そんなに深刻になる必要はないのかもしれない。知らず入っていた肩の力が抜けていく。
「スネイプ先生から、君は魔法薬学で優秀な生徒だと聞いているけれど」
「あ、いえ……優秀って程では……私、マグルやマグルの文化に興味があって……何か、マグルに関わりがあるような仕事ができたらって思ってるんですけど……」
「わからないんです……何と言うか、漠然としていて……自分が、何をしたいのか。よく知らないからわからないんだろうと思って、職業紹介の本を読んだりもしてみたんですけど……やっぱり『これだ』って思えるようなものが見つけられなくて。いえ、そもそも……自分がしたいことよりも、人の役に立つことをするべきなんじゃないか、とか……色々考えてしまって……」
口に出すと、随分と甘ったれていて、言い訳じみていると思った。おまけに傲慢だ。親に強制された選択肢を受け入れるしかない人だっているのに、贅沢だとも思う。レイチェルは膝の上でスカートを握り締めた。今頃こんなことを言っているのかと、呆れられてしまうかもしれない。
「こう言った問題は、その人によって、きっかけや時機があるものだ。必ずしも、いつまでに見つけなければいけない、と言うものでもない。そんなに焦る必要はないよ。NEWT学年になってから進路を変える生徒だって居るし、大人になってから癒者を目指す人も居る」
「そ、れは……わかってるんですけど……」
紅茶を傾けるルーピン教授の声は相変わらず穏やかだった。
レイチェルが知らないだけで、たぶん、同じように進路が決まっていない人も居るだろう。もしかしたら、その方が多数派かもしれない。それでも、もうとっくに進路を決めている人だって居る。
レイチェルの頭の中を見透かしたように、ルーピン教授は苦笑した。
「そうだね。これはあくまで一つの考えとして、聞いてくれるかな。私が思うに……」
そうして何か言いかけたとき、コンコンと誰かがドアをノックした。言葉が途切れて、沈黙が落ちる。「どうぞ」ルーピン教授が促すと、勢いよくノブが回った。薄いドアが壁に打ちつけられて、バタンと大きな音を立てる。
「失礼します。先生! あの……」
慌てた様子で入って来たのは、ハリー・ポッターだった。部屋の中にルーピン教授以外の誰かが居るとは思わなかったのだろう。レイチェルの存在に気づいた彼は、緑色の瞳を丸くした。戸惑ったように視線が泳ぐ。
「すまない、ハリー。もうそんな時間か」
ルーピン教授が壁に掛けられた時計へと視線をやって、合点したように言う。レイチェルはカップに残っていた最後の一口を飲み干すと、椅子を引いて立ち上がった。第三者の存在がある今、これ以上会話を続けるのは困難に思えた。
「アー……その……僕……ごめんなさい」
「気にしないで。私こそ、ごめんなさい。……ありがとうございました、教授」
約束をしていたのなら、むしろ邪魔をしてしまったのはレイチェルの方だ。申し訳なさそうに眉を下げる少年に微笑みかけて、レイチェルは防衛術の教室を出た。後ろ手にドアノブを握り締めたまま、s深く溜息を吐く。
ルーピン教授は、何を言いかけてたのだろう。また今度、聞ける機会があればいいのだけれど。
考えれば考えるほど、不安や焦りばかりが膨らむばかりだ。自分と向き合おうと躍起になるほど、わからなくなってくる。自分は、何がしたいのだろう。いや────そうじゃない。自分は、何にならなれるのだろう?
自分のやりたいことと、自分にできることが同じとは限らない。
小さい頃は、何にだってなれるのだと思っていた。自分にはその力があると、もしくは大人になれば手に入れられるのだと。手のひらの中には、可能性と言う無数のキラキラ光る糸が握られていて、それはレイチェルのまだ知らない輝かしい未来へと繋がっている。そんな風に。
けれど、時が経つにつれて、そのうちの何本かは気づかないうちに指の間から擦りぬけたり、切れてしまっているのかもしれない。いや、何十本か何百本。もしかしたら、何千本かもしれない。そして、もう切れてしまった糸こそが、レイチェルの望んでいる未来だったかもしれない。もしも、その糸がまだ手の中に残っていたとしても、間違った糸を選んでしまったら?
たった一本の糸を選ぶと言うことは、同時に他のたくさんの糸を選ばないと言うことだ。まだ繋がっている糸に、自分の手で鋏を入れてしまうこと。
切れてしまった糸を結び直すのは不可能じゃない。けれど、それはきっと繋がっていた糸を辿るよりもずっと難しい。
後悔がないように慎重にならなければいけない。そう思えば思うほど、選ぶことが怖くなる。
今の状況はまるで、海の真ん中で、無数の糸を握り締めたまま、ふらふらと波間を漂っているみたいだ。糸は四方八方に伸びているから、どちらに進めばいいのかわからない。選べないから、捨てられない。無理に進もうとして、別の糸が切れてしまうのが怖い。
焦っても仕方ないとはわかっている。それでもやはり、先の見えない心細さに、一足早く夢へと漕ぎ出し始めた周囲に置いていかれそうな不安に────焦らずには、いられないのだ。