「それで、どうだったわけ? マグルのイルミネーション見学は?」

吹きつける風に、華奢な窓枠がガタガタと揺れる。薄い窓硝子からは、冷えた外気が漏れだしていた。荒れ狂う吹雪の中を進むせいで、ホグワーツ特急は常よりも速度を落としているように思えた。
4人掛けの、小ぢんまりとしたコンパートメント。向かいの席に座った親友からの問いかけに、レイチェルは読んでいた雑誌から顔を上げた。

「とっても楽しかったわ。パメラが書いてくれたルート通りに回ったんだけど、どこもすごく素敵だったの。ありがとう。写真もたくさん撮ったから、後でエリザベスにも見せるわね」

口元に笑みを浮かべて、そう返す。そうしてまた、視線は再び誌面へと。このラズベリーみたいな色のマフラーは可愛い。そんなことを考えていると、親友達が妙に静かなことに気がついた。沈黙を奇妙に想って再び視線を上げれば、パメラとエリザベスは何か言いたげに自分を見つめていた。

「……どうしちゃったのよ、レイチェル? なんか、変じゃない?」
「何か、心配ごとでもあるの? その……セドリックと喧嘩でも……?」
「どうして? 別に、喧嘩なんてしてないし……何もないわよ」
「なら、いいけれど……」

何故だか心配そうな顔をする親友達に、レイチェルは苦笑を浮かべる。
そう、別に何もなかった。少なくとも、2人にわざわざ報告するようなことは何も。全体的に見れば、ごくごく平凡なクリスマス休暇だった。
友人や家族からのクリスマスプレゼントの開封作業に心を躍らせて、トランクの中で眠っていた課題と格闘して。そんなありふれた日々だった。唯一、心に引っかかっていることと言えば、やはりあのクリスマスの夜の出来事だけだった。

結局あの日、セドリックはレイチェルが迷子になったことをおじさん達には言わなかった。

泣いているレイチェルを見て同情したのかもしれないし、大人に叱られなくたってもう十分反省したのだと考えたのかもしれない。とにかく、セドリックは何も言わなかった。2人だけの秘密にしてくれた。
家に帰って、心配したとおばさんに抱き締められて。あれほど大丈夫だと言い張って出てきた手前、気まずさに言葉少ななレイチェルの横で、セドリックはにっこり笑ってみせた。

「マグルのイルミネーションはすごく綺麗だったし、父さんたちが心配してたような問題なんて何もなかったよ。地下鉄もバスも乗ったけど、危ないことなんてなかったしね。父さん達も一緒に来ればよかったのに」

────ね、レイチェル。そうやって同意を求めるセドリックに、レイチェルはただ遠慮がちに頷くだけでよかった。父親が早速レイチェルが撮った写真の現像をしたので、それを囲んで楽しげな大人達とセドリックの会話を聞きながら、レイチェルは戸惑いに心が波立つのを感じていた。

セドリックが嘘を吐くところなんて、初めて見た。

いつだってセドリックはいかにもハッフルパフらしく誠実で、純粋で────曲がったことや卑怯なことが大嫌いなのに。嘘を吐いた。レイチェルを庇うための、優しい嘘を。
思えば、帰りの夜の騎士バスの中でも、セドリックは一度だってレイチェルを責めるようなことは言わなかった。
叱られると思った。「父さん達はこうなることを心配してたんだよ」とか、「だから二人で来るなんて危ないって言ったじゃないか」とか、「余所見をしてるから迷子になるんだよ」とか「レイチェルはマグルのことになると我を忘れすぎる」とか────そう言ったことを言われるのは、仕方ないと思った。だって、その通りだから。心配するおじさんに、2人でも大丈夫だと我を通して、マグルのあれこれに夢中になるあまり、セドリックを見失ったのはレイチェルだ。どう考えたってレイチェルが悪い。叱られるのは嫌だけれど、当然だともわかっていた。それなのに、セドリックはそのどれも口にしなかった。

「今日は楽しかったね。レイチェルのおかげで、来れてよかった。ありがとう」

代わりにかけられたのは、そんな言葉と優しい微笑だった。そしてそれは、想像していたどんな言葉よりもかえってレイチェルの胸を締めつけた。そんな風に、優しくしないで。そんな、大人びた顔して笑わないで。そんなの、まるでレイチェルの知ってるセドリックじゃないみたいだ。
セドリックが優しければ優しいほど、自分の幼稚さが恥ずかしくなる。どうしようでもなく、ちっぽけでみじめに思えて、苦しくなる。優しくされるのが辛いなんて、何て贅沢なわがままだろう。

「って言うか、エリザベス、何その荷物。行きもそんなだった?」
「少し増えてしまったの。OWLの参考書でしょう?それに、お兄様に貰った過去の試験問題……休暇中だけでは終わらなくて……」
「休暇中そんなことやってたの!?休暇なんだから休みなさいよ!道理で何かやつれたと思った!
「貴方は呑気すぎるわ、パメラ。どれだけやっても、勉強し過ぎなんてことはないわ。OWLまでもう150日を切っているんですもの」
「ああっ、もう、やめてよ!休暇中は忘れることにしてたんだから!」

騒がしくなった親友達の声に、レイチェルは雑誌を閉じた。窓枠へと肘を置いて頬杖を付くと、冷えた硝子の向こうへと視線を向ける。広がっているはずの田園風景は、吹き荒れる雪で真っ白に霞んでいた。
今頃、セドリックはどうしているだろう。レイチェルはキングズクロスに着くなり別れた幼馴染を思った。セドリックはそのままレイチェルと一緒のコンパートメントで過ごすつもりだったようだが、パメラとエリザベスと一緒に行くからと半ば強引にそれを振り払って来た。セドリックの驚いた様子に少しの罪悪感を覚えたものの、まあセドリックは友人も多いのだから、今頃どこかのコンパートメントで爆発スナップかクィディッチ談議か、何かしら楽しく過ごしているだろう。先学期のいざこざを思えば、休暇明け早々セドリックと2人きりのコンパートメントで過ごすと言うのは愚行に過ぎるように思えた。それではまた、階段から落とされる口実を与えるようなものだ。けれど、それだけではなかった。
休暇中、ずっと考えていた。少し、セドリックと距離を置くべきなのかもしれない、と。
自分では、セドリックと適切な距離感を築けているのだと思っていた。けれど、あの夜、気づかされた。それは、あくまで表面的なものに過ぎないのかもしれない。
手を繋がなくなったとか、おやすみのキスをしなくなったとか、そんなものだけを拾い上げて大人になったつもりでいただけで、根っこのところは、きっと5歳のあの頃とそう変わっていない。深層心理と言うか、そんなものでは、レイチェルは、セドリックに甘えている。依存、と言ってもいいかもしれない。
セドリックとレイチェルは、15歳に────セドリックは、16歳になった。16歳のセドリックは、もうあの小さな男の子じゃない。レイチェルが居なくたって、もう一人で何でもできる。けれど、レイチェルはきっとそうじゃない。

少し、離れた方がいいのかもしれない。

それは、あの手紙だとか、セドリックを好きな女の子達だとかとは、無関係に。自分の問題として。
セドリックが手を引いてくれなくても、大丈夫なように。転んでも、一人で起きあがれるように。セドリックに助けてもらわなくても、大丈夫なように。
遠くない「いつか」、セドリックの選んだ女の子を傷つけることはしたくない。そして何より、大切な幼馴染の重荷には、なりたくないから。

 

 

 

汽車がようやく目的地へと到着したのは、定刻から1時間近くも遅れてのことだった。
吹雪はいつの間にか止んでいたが、冷え込んだ外気は思わず身震いするほどだ。門の前に待ちかまえていた吸魂鬼の検閲が更にそれに拍車をかけた。まるで生徒達の誰かがトランクの中にシリウス・ブラックを瓶詰にして隠しているんじゃないかとでも言いたげに行ったり来たりしてなかなか通そうとしないので、レイチェル達はすっかり体の芯まで冷え切ってしまった。ふいに気持ちが翳るような、独特の無気力感や倦怠感。それに加え、冷たい氷を背筋に這わされたようなぞっとする心地は、何度経験しても慣れない。
トランクを寮部屋へと運び入れると、レイチェルは荷ほどきもそこそこに、再びコートを着込んで城の外へと向かった。

「シャール!」

禁じられた森の側に据えた犬小屋へと向かうと、そこに黒い犬の姿があった。レイチェルが来ることがわかっていたのか、座って待っていてくれたのが可愛らしい。レイチェルがポケットから砂糖なしのクリスマスクッキー────休暇中にシャールのために焼いたものだ────を取り出して与えると、シャールはそれを澄ました顔で食べ始めた。

「ごめんね、寂しくなかった? 元気そうでよかったわ」

休暇中のシャールの食事はハグリッドが快く引き受けてくれたので心配してなかった。が、2週間もセドリックもレイチェルも会いに来ないのだから、シャールは捨てられたと思うんじゃないかと不安だったが、それもなかったようだ。レイチェルは不思議そうに見上げてくるシャールに視線を合わせると、にっこりした。

「いいニュースよ。セドがおじさんを説得したの。夏期休暇までに飼い主が見つからなかったら、私達、貴方を連れて帰れるわ!」

おじさんもおばさんも元々犬が好きだ。既に成犬で、元は迷い犬だと言うところに多少難色を示したものの、結局は飼っていいと許可が出た。驚いたように目を真ん丸にするシャールに、レイチェルはおやと思った。もしかして、意味がわかったのだろうか? 以前から、シャールは人間の言葉を理解してるんじゃないかと思えるような節がある。

「こんなところで何をしてるんだ?」

ふいに背後から話しかけられて、レイチェルはびくりと肩を揺らした。こんな人気のない場所に、誰かが来るなんて珍しい。しかし、その声には聞き覚えがあった。肩越しに振り返れば、やはり予想通りの人物がそこに居た。

「ドラコ?」

チャコールグレーのコートを着たドラコは、いつもの高慢そうな表情でレイチェルを見下ろしている。そうしてその影に居るシャールと、それからその側にあるセドリックの手作りの犬小屋を見て、状況を察したらしかった。

「野良犬の世話なんかしてるのか?」
「野良じゃないわ。今は私達が飼ってるんだもの」
「私達?」
「私とセド」

レイチェルの返事に、ドラコは怪訝そうに眉を寄せた。それからじろじろと遠慮のない視線でシャールの鼻先から尻尾までを見回すと、馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らす。その仕草が、ルシウス・マルフォイそっくりだとレイチェルは思った。

「だとしても、元は野良だろう?毛並みも悪い」
「とっても賢くて気立てが良くて、ハンサムな犬なの。私のペットを馬鹿にするのなら、出直してくれる?」
「僕に犬相手に順番待ちをしろと?」
「ええ、そうよ」

レイチェルがふいと視線を逸らすと、ドラコは黙りこんだ。そしてやや嫌そうな表情でシャールを見下ろしていたが、結局は何も言わず、渋々と言った様子でレイチェルの隣へと座る。見つめ合っているシャールとドラコを見比べて、レイチェルはにっこりした。

「シャール、ドラコよ。私のお友達。ドラコ、この子はシャーロック。禁じられた森の近くで拾ったの」

ね、と言いながらシャールの毛を撫でる。シャールは不審そうな目でドラコをしばらく見ていたが、やがて興味を失ったように地面に寝そべって丸くなった。レイチェルがそのまま背中をブラッシングしてやっていると、ドラコが遠慮がちに口を開く。

「……君は、動物が好きなのか?」
「うーん……普通に好きだけど……ものすごく動物が好きとか、そう言うんじゃないわ」

どちらかと言えば、それはレイチェルよりもセドリックの方だ。レイチェルは犬や猫やリスなんかの、可愛い動物は好きだけれど、虫は嫌いだし爬虫類も好きじゃない。シャールだって、懐いてくれた今こそ可愛いけれど、最初に見た時はどちらかと言えばちょっと大きすぎて怖かった。

「パパはそれこそ、無類の動物好きなんだけどね。家族よりもドラゴンの方が好きだから、1年中家にはほとんど帰って来ないし、ママも書斎にこもりきりだから、うちはふくろう以外のペットは飼ってないのよ。ドラコの家は何か飼ってる?」

マルフォイ家ならお金持ちだし、世話をする屋敷しもべ妖精もたくさん居るのだろうから、ペットもたくさん飼っていそうだ。ドラコはレイチェルの両親への率直な物言いに驚いたのか、目を白黒させていたが、やがてぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。

「母上が猫を飼ってる。それに、ふくろうやワシミミズクが何羽か居るし……猟犬も。あと、父上が孔雀を……」
「孔雀?って、あの孔雀?」
「ああ」
「……すごいわね」

流石お金持ち────と言うより、流石マルフォイ家、と言うのが正しいだろうか。エリザベスの家もお金持ちだが、確か孔雀は居なかったはずだ。そして、ふと気付く。別にドラコはわざわざここにペット談義をしに来たわけではないだろう。レイチェルはブラッシングの手を止めて、ドラコを振り向いた。

「あの……もしかして、私に何か用事だった?」
「ああ。これを。母上からだ」

そう言ってドラコが差し出したのは、小さな包みだった。淡い紫色の紙の箱に、同色のサテンのリボンがかかっている。中を開けてみると、小ぶりなダックワースが詰まっていた。レイチェルはできるだけ丁寧にリボンをかけ直すと、ドラコに向かって微笑んだ。

「ありがとう。何だか、ナルシッサおばさまにはいつも頂いてばっかりで申し訳ないわ」
「気にしなくていい。母上が好きでやってることだ」

口調は素っ気ないけれど、それでもこうやって母親に言われた通りにレイチェルへのお使いを果たすのだから、ドラコってやっぱり家族想いなんだよなあ。澄ましたドラコの横顔を見ながら、レイチェルはそんなことを思った。セドリックはまたタイプが違うけれど、ドラコの横顔もまた作りものみたいに整っている。どこか繊細な印象を与えるそれは、陶器でできた高価な人形みたいだ。
家族と言えば────レイチェルは、クリスマスディナーに顔を出しはしたものの、すぐに慌ただしく帰って行った父親を思い出した。結局、あの人は特にレイチェルに何かを言う訳ではなかったけれど、仕事が立て込んだいたらしいのにわざわざ帰って来たところを考えると、やっぱり、レイチェルの進路を気にしてくれていたのだろうと思う。あれこれ詮索するのが嫌で、課題を言い訳に部屋に閉じこもりがちだったけれど────年頃の娘の部屋にはなかなか入りづらいらしい───何だか悪いことをしてしまったかもしれない。

────進路、かあ。

レイチェルは無意識のうちに、ふうと溜息を吐いた。
父親は動物好きが高じて────と言うか、中でもドラゴンへの熱意が並々ならなかったので、ドラゴンに関わる仕事がしたいとルーマニアのドラゴン研究所に就職した。実際やっている仕事はドラゴンの世話とではなく魔法薬なんかの研究らしいが、それでも好きな事ができて楽しそうだ。
母親は言わずもがな。在学中に書いた小説が賞を取って、そのままデビューして小説家になった。締め切り前の姿を見るに、世間が思うほど華やかな仕事ではないけれど、それでも自分が書くものを多くの人が待っていると言うのは、充実しているのだろうと思う。
おじさんもやっぱり、魔法生物が好きだから、それに関係する仕事に就いた。書類仕事ばかりだと不平を言っていることもあるけれど、それでも毎朝仕事に向かう背中はかっこいい。
あんな風に、好きなことを仕事にできたらいいなあと思う。そして、できれば自分の長所をいかせる仕事。レイチェルの好きなものと言えばマグルやその文化で、長所と言うか得意科目は魔法薬学だ。けれどその2つはなかなか結び付けるのは難しいように思えるし、何よりおじさんも言っていたように一口にマグルに関わる仕事と言っても色々ある。魔法省でマグル対策の政策を講じるのだって、マグル製品を売る店の店員だって、どちらも立派な「マグル関係の仕事」だ。あまりにも漠然としすぎているから、せめてもう少し範囲を狭めなければいけない。
イースター休暇なんてすぐそこだ。せっかくの進路相談の機会なのだから、ある程度レイチェルが方針を決めなければ、いくらフリットウィック教授だってアドバイスのしようもないだろう。

「……大丈夫か?」
「ええ……気にしないで」

もう一度溜息を吐いたレイチェルに、ドラコが怪訝そうな視線を向ける。
悩む余地があるだけ、たぶん自分は幸せなのだろうと思う。たとえレイチェルがマグルの世界で就職すると言い出しても、両親はきっと好きにさせてくれる。魔法省やグリンゴッツに入りたいと言えば、知り合いや親戚を紹介してくれるだろう。必ずこうしろとか、あれはやめろと指図されるでもない。何だって、自分で好きに決めていいのだから。
でも、だからこそ────将来と言う大きな、未知のものを前にすると、小舟で嵐の海の中を漕ぎだしてしまったような気分にさせられる。自分の舵を取った方向が間違っていたらどうしようとか、そもそもこの船でちゃんと目的地まで辿りつけるだろうかとか。辿りついた場所が、自分の思い描いていたのと違ったらどうしようとか。けれど、そんな風にぐずぐず迷っているような余裕はそんなに残されていないと言うのもわかっている。同級生にはもうとっくに目標を決めて、それに向かって努力している人達も多く居る。もしも目的地が同じ場所なら、足踏みしてスタートが遅れれば、どんどん置いて行かれてしまう。

漠然とした夢はある。それをただの夢で終わらせたくないのなら、もうじっとしている時間はないのだ。

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