降り続いていた雨は雪に変わり、ある朝カーテンを開けると、一面の銀世界になっていた。
湖は厚い氷に覆われ、城の周りの山々も粉砂糖をまぶしたみたいに真っ白だった。週末になると、生徒達は雪玉に魔法をかけてポンポン跳ね回らせたり、凍った湖の上でスケートをしたりして楽しんだ。レイチェル達も勿論その一員だった────と言いたいところだが、そうも行かなかった。学期の終わりが近付くにつれて、レイチェル達の毎日は慌しくなっていった。来るべき休暇に向けて、教授達が恐ろしい量の課題を出したからだ。机の上に山のように積まれた課題は雪よりも凄まじい早さで積もって行き、うっかり肘をぶつけようものなら雪崩を起こした。
「こんなんなら、休暇なんてない方がマシ」
ベッドに突っ伏してそう呻くパメラに、レイチェルも全くだと頷いた。休暇の課題の量は年々増すばかりだったが、今年はもはやこんなにたくさんトランクに入りきるだろうかと心配になるほどだった。いくら何でも極端だとぶつぶつ言いあっていると、優等生のエリザベスが溜息を吐いた。
「OWL学年ですもの。仕方ないことだと思うわ」
このところ寝不足なのか、エリザベスの顔は青白く、目元には薄っすらとクマが浮かんでいた。
レイチェルの場合は課題のことだけを考えていればいいので────あまり考えたくないが────まだマシだ。監督生のエリザベスは、更にあらゆる仕事に駆り出されて目も回るような忙しさだった。しかし上にはまだ上が居る。セドリックには更にクィディッチの練習もあるので、それこそいつ寝ているのか心配になる。ここのところはさすがに少し疲れた様子だったが、それでもセドリックは不平を言うどころか、監督生としての役目にやりがいを感じているようだった。
「一昨日はクリスマスの飾り付けを手伝ったんだ。大広間の柱に渡す金モールなんて、こんなに長いんだよ。ピーブズが端っこを持って邪魔するからちょっと大変だったけど」
そう語るセドリックは、きらきらと目を輝かせていた。そうして、フリットウィック教授に習ったのだと言って、魔法で雪を降らせてみせてくれた。
────クリスマス。そう、クリスマスだ。レイチェルが教科書や羊皮紙にかじりついている間に、城の中はすっかり様変わりしていた。
大広間には教授達がありとあらゆる魔法を凝らしたツリーが所狭しと並び、ドアと言うドアには赤い実や金のベルのついたリースがかけられた。薬草学の第七温室は咲き染めのクリスマスローズで一杯だったし、呪文学の教室は妖精の美しい羽のはばたきから零れる光がキラキラと輝いていた。クリスマス大好きのフリットウィック教授は、談話室の暖炉の真ん中にもクリスマスツリーを出してくれた。真っ白なツリーは、溶けないよう魔法をかけた本物の雪の結晶と、シンボルカラーのサファイアブルーのオーナメントで飾られていて、いかにもレイブンクローらしかった。
「でも、やっぱりクリスマスカラーって言ったら赤と緑よね!」
パメラはそう言って色変え呪文で部屋中のカーテンやカーペットを赤や緑に変えたが、流石にこれはエリザベスにこっぴどく怒られたので渋々元通りに戻した。とは言え、エリザベスも「節度のある」季節感は大切だと考えているらしく、魔法で金色の星のガーランドを天井から下げてくれた。パメラが持ち込んだトナカイのぬいぐるみや動かないサンタとスノーマンの置物、アドヴェントのカレンダー。それに、レイチェルの持ち込んだリースや手のひらサイズのツリー。そんなもので溢れて、レイチェル達の部屋は一気にクリスマスムードになった。
山のような課題に、クリスマスの気配。その2つで頭が一杯だったレイチェルは、すっかりあの手紙の存在を忘れていた。それはつまり、セドリックとレイチェルの主観で見ればいつも通りの適切な距離感で────客観的に見れば「ベタベタ」過ごしていたと言うことだ。マグル学の授業は隣の席で並んで受けたし、魔法薬学の授業では誘われるままにペアを組んだ。図書室で一緒に薬草学のレポートをやった。朝食時に大広間を抜け出して2人でシャールの世話に向かった。
そしてたぶん、その結果が今の状況なのだろう。
「警告をムシした見せしめってとこ?」
「……かもね」
肩を竦めるパメラに、レイチェルは苦笑を返すしかなかった。
ここ数日、レイチェルの身の回りには奇妙な出来事が起こっていた。たとえば図書室でちょっと席を外していた間に、机の上に置いておいたはずの本がなくなっていたり。たとえば魔法史の授業中、触っていないはずのインク瓶が急にひっくり返ったり。たとえば大広間での食事中、手に取ろうとしたゴブレットが急に割れたり。思い違いかもしれないとか、ただの偶然だろうと深く考えなかった。いや、正確にはおかしいなと思わないでもなかったのだが、そう思いこもうとした。が、しかし、これはもう誤魔化せない。明らかに人為的なものだ。
さっきの授業で、レイチェルは魔法史の教室にペンケースを忘れた。気づいたのは昼食の最中だったので、食べ終わってすぐに取りに来たのだが、レイチェルの座っていた席には見当たらない。これが他の教科ならば先生が気づいて忘れ物として持っていったのかとも思えたが、ビンズ先生がそんなことするはずもない。おかしいと思ってパメラやエリザベスに手伝ってもらって探したら、ペンケースは思わぬところから見つかった。教室を出て、レイチェル達が向かった大広間とは反対側の、廊下の側で。よりにもよって、屋根から落ちた雪でできた、水溜りの中に。
レイチェルはルーナ・ラブグッドほど、架空の魔法生物の存在に肯定的ではない。なので、これはしわしわ角なんとかの仕業だと目を輝かせることはないし、ごくごく自然な推論の元、人間の仕業だと結論づけた。誰かが意図的に、置きっぱなしになっていたレイチェルのペンケースを持ち去って、捨てたのだ。この、泥だらけの水溜りの中に。
「レイチェル、これでどうかしら……。ほとんど元通りになったと思うんだけれど……」
「流石ね……ありがとう、エリザベス」
「大体の目星はついてるし、ガツンと言ってあげましょうか?」
「パメラ……気持ちは嬉しいけど……それって却って面倒な事にならない?」
良いのか悪いのか、この嫌がらせの犯人達────そう、嬉しくないことにたぶん複数なのだ────に、レイチェルは心当たりがあった。たぶんあの子達だろうなあ、程度の。とは言え、確信があるわけではないし、誤解かもしれない。何か証拠があるわけでもないのに、決めてかかるのは失礼だ。レイチェルはもう一度、溜息を吐いた。
「そのうち飽きるわよ」
エリザベスが心配そうに何か言いかけたが、気づかなかった振りをしてレイチェルはその場を立ち去った。
気分が良くないのは確かだが、状況の割に冷静で居られるのは、原因がはっきりしているせいだろうか。セドリックと仲の良さが気に入らないことへの────八つ当たりと言うか憂さ晴らしと言うか報復と言うか、そんなものだとわかっているから。もしもこれが何の前触れもなく起こったことだったとしたら、自分は何か誰かの恨みを買うようなことをしてしまっただろうかと戸惑っただろうし、もっと傷ついていたことは間違いない。
それに、仕方ないかなと言う気持ちもあった。向こうはレイチェルにセドリックと関わってほしくない。だから警告してきた。けれど、レイチェルはそれを聞き入れなかった。実際には忘れていただけなのだが、向こうにはそう見えただろう。むしろ忘れていたなんて知られたら、余計に神経を逆なでするだけな気もする。まあ、つまり、レイチェルはあの手紙を無視したと思われているわけで────手紙の主からすれば、腹を立てるのは当然だ。だから、仕方ない。もっとも、理不尽だと言う気持ちもないわけではないけれど。
仕方ない。そう、仕方ないことなのだ。レイチェルは自分に言い聞かせる。
好きな男の子と自分以外の女の子が仲良くしていたら、悲しいし不安だろう。嫉妬もするだろう。やめてくれと言いたくもなるだろう。けれど理不尽なのは自分でもわかっているから、面と向かっては言いづらい。だから、鞄にこっそり手紙を忍ばせることもあるだろう。なのにそれを無視していつも通りに過ごされたら────当てつけか、見せつけられたと思って、腹を立てるだろう。ここまではわかる。そしてその苛立ちのはけ口が、相手への「ちょっとした嫌がらせ」になることも、もしかしたらあるかもしれない。しかし────これはいくら何だってやりすぎじゃないだろうか。
ついさっきのこと。レイチェルが階段を下りていたら、レイチェルの背中に何かがぶつかった。そんなに強い衝撃だったわけではないが、突然だったし、考え事をしていたせいで反応が遅れた。重心が前へと傾いて、レイチェルは階段を踏み外した。そして、落ちた。幸いにも、あと5、6段と言うところだったし、落ちた、と言うより滑り落ちた、が正しいけれど。
「ちょっと、やり過ぎだって!」
「だって、まさか落ちると思わなかったんだもん!ちょっとぶつけただけよ!」
「先生に見つかったらヤバいって……行こっ」
「おいおい、大丈夫か?」
拾い上げたボールをしげしげと見つめていると、そんな声がした。顔を上げると、ちょうど廊下の角を曲がってきたらしいジョージが顔を引きつらせていた。その表情から察するに、どうやら一部始終を見られていたらしい。よりにもよってこんな妙なところを知り合いに見られてしまうなんて。
「痛っ……」
「捻ったのかな。立てるか?」
「……ありがとう」
気まずいのでさっさと立ち上がろうと思ったら、足首に痛みが走った。これ以上地べたに座り込んでいるのも嫌だったので、伸ばされたジョージの手を素直にとって立ち上がる。スカートの埃を払っていると、ジョージが気まずそうに口を開いた。
「さっきの……あれだろ?ディゴリーのファンの……」
レイチェルは何と返したものかわからず、押し黙った。その通りなのだが、ジョージに打ち明けてしまうことには抵抗があった。レイチェルを心配してくれているのだろうけれど、無関係のジョージを巻き込みたくはない。と言うかジョージじゃなくても、こんなこと誰にも知られたくなかった。「……お願い。セドには黙ってて」
誰にも知られたくない。特に、セドリックには。口止めしなければ、ジョージはセドリックに言うだろう。レイチェルがジョージの立場なら、きっとそうするからだ。でも、セドリックには知られたくない。
レイチェルがこんなことになっていること────しかも原因は自分と親しいせいで────になっていると知ったら、心配するに違いない。ただでさえ忙しいセドリックに、これ以上負担をかけることは避けたい。
ジョージは何か言いたげに口を開きかけたが、結局やめることにしたのか、小さく溜息を吐いてみせた。
「まあ、何だ。なんとなくわかるな」
「何が?」
「彼女達が君を目の敵にする理由が、さ」
転んだ拍子に床に散らばったレイチェルの教科書を拾い上げて、ジョージが悪戯っぽく笑ってみせる。次に何を言われるか想像がついて、レイチェルはうんざりと溜息を吐いた。
「貴方まで、私とセドはベタベタしすぎだとか言いたいわけ?」
「そうじゃない。まあ、君達がベタベタってのは否定しないけどな」
軽く睨んでも、ジョージは涼しい顔だ。冷静に否定されて、レイチェルは目を見開いた。てっきり、またいつもみたいにセドリックとの仲をからかわれるのだろうと思ったのに。レイチェルがまじまじと見返すと、ジョージは肩を竦めてみせた。
「要するに彼女達は、君が怖いんだろうってことさ」
「…………怖い?」
ジョージの言葉が、レイチェルには意外だった。彼女達が、レイチェルを怖がっている? 嫌がらせをされてるのはレイチェルの方なのに。目障りだとか、邪魔だとか、羨ましいとか、妬ましいとか────それなら、わかる。けれど、怖いってどう言うことだ。思わず首を傾げると、ジョージは苦笑してみせた。
「アー……怒らないで聞いてくれよ。君はまあ、学年で1番の美人ってわけじゃない」
「えっと…………そうね」
オブラートに包んでくれてはいるが、要するにレイチェルじゃハンサムなセドリックの隣に立つと見劣りすると、ジョージはそう言いたいのだろう。面と向かって言うのは失礼なんじゃないかと思ったが、紛れもない事実だ。事実だからこそ、ちょっと傷つく。
自分でもわかっている。レイチェルはエリザベスみたいに美人じゃない。パメラのような見事なブロンドでもない。学年で1番どころか、10番にすら入らないだろう。そんなこと、毎日鏡を見ていれば、とっくに気づいている。レイチェルは美人じゃない。わかっているし、事実だけど、やっぱり他人から、しかも男の子にそう思われているのだと突きつけられると落ち込む。しかしそんなレイチェルの様子には気が付かないのか、ジョージは言葉を続けた。
「でも、別にブスってわけじゃない。まあ……どっちかって言えば、可愛い」
「は……」
────『可愛い』。レイチェルは自分の耳に入って来た言葉が信じられず、俯いていた顔を上げた。
ジョージは何でもないことのような口調だったが、レイチェルの視線を避けるように視線を泳がせてみせた。もしかしたら、照れているのかもしれない。そう気付くと、何だかレイチェルまで恥ずかしくなってきて、じわりと首筋を熱が這い上がって来る。
「『敵わない』 って諦められない。けど、『ディゴリーは君の事なんか好きになるわけない』と安心もできない。今はお互いに恋愛感情なんかなくても、もしかしたらいつかは……とまあ、こんな感じなんじゃないかと俺は思うね」
レイチェルの戸惑いをよそに、ジョージは言葉を続ける。何だか頭の理解が追い付かなかったが────つまり、ジョージは彼女達がいつかセドリック「が」レイチェル「を」好きになることを心配してると言いたいのだろうか? 冗談にしか聞こえない。それに、それじゃあ今まで言われてきたのとはまるで正反対だ。「足、痛むようなら医務室に行っとけよ」
ジニーにするみたくレイチェルの頭を軽く叩くと、ジョージは階段を上って行った。その背中が見えなくなっても、レイチェルの頭の中にはまだジョージの言葉がくるくる回っていた。
いつか好きになるかもしれない?セドリックが?レイチェルを? 正直、その可能性は考えてなかった。いや、これはあくまでジョージの考えと言うことだけれど────でも、ジョージは何だかんだ言って人の心の機微に聡い。少なくとも、レイチェルよりはずっと。そんな風に、周りには思われているのだろうか?
セドリックは幼馴染だ。家族みたいなもので、今更異性としてなんか見れない。そう笑い飛ばすのは簡単だし、実際レイチェルはそう思っている。たぶん、セドリックも。そう。だから、心配なんかしなくたって、セドリックがレイチェルを好きになることなんて、あるはずないのだ。
レイチェルがセドリックに恋をすることはきっとないし、セドリックがレイチェルに恋をすることもないだろう。周囲が期待しているような、ドラマチックな何かが生まれることはない。「いつか」はきっと来ない。5年先も、10年先も。
そう考えて、不安が胸をよぎった。お互いを異性として見れないと言うことは、セドリックはレイチェル以外の誰かに恋をして、その誰かを恋人にすると言うことだ。10年後なら、もしかしたら結婚もしているかもしれない。セドリックにとって、レイチェルよりも大切な女の子が────大切な女性ができる。そうなったらもう、セドリックの隣は、レイチェルの場所ではなくなってしまう。
ううん、セドリックだけじゃない。レイチェルも、セドリック以外の誰かとそうなっているかもしれない。今はまだ居ないけれど、遠くない未来、レイチェルにも来るのだろう。セドリックじゃない男の人を、大切に想う日が。セドリックよりも、大切に想う日が。
その「いつか」の来ない未来、1番身近な女の子じゃなくなったレイチェルを、セドリックはどうするだろう。他に大切な誰かができたレイチェルは、セドリックのことをどう思っているのだろう。
10年先の未来。レイチェルとセドリックは、お互いにとってどんな存在なのだろうか。