夕暮れ時になって城に戻っても、ハロウィンの賑やかさは続いていた。
朝は晴れていた空は荒れ模様へと変わっていたが、灰色の雲は生徒達の表情まで翳らせることはできなかった。城門に立つ吸魂鬼も、今日ばかりは生徒達の幸福を吸い取りきれなかっただろう。誰もが今学期最初のホグズミード休暇を満喫し、話に花を咲かせていたので、城のどこもかしこもが楽しげな声で溢れていた。
特に3年生は、初めてのホグズミードの興奮が冷めやらない様子だった。ハロウィンの飾り付けで彩られたホグズミードの町の素晴らしさや、バタービールがどんなにおいしかったか、ハニーデュークスの見たことないお菓子の数々────。まだホグズミードに行ったことのない後輩に熱っぽく話して聞かせる3年生達、そしてそれに対してきらきらと目を輝かせる下級生達の様子は見ていて微笑ましい。
しかしホグワーツのハロウィンだって、ホグズミードに負けていなかった。大広間には何百ものジャック・オ・ランタンが宙に浮かび、キャンドルの柔らかなオレンジ色の灯りが辺りを照らし出していた。天井には魔法で変えられた生きたこうもりが羽音を立てて飛び交っている。毎年見ている光景だけれど、やっぱり何度見てもわくわくする。
生徒達だけでなく、先生達も、ゴーストまでもが楽しげだった。宴の終わりには、気のいいゴースト達が壁やテーブルを摺り抜けて姿を現し、隊列を組んで広間中をぐるりと巡ってみせた。半透明の真珠色をしたゴースト達がキャンドルの灯りに照らされているのは、なんとも幻想的な光景だった。レイブンクロー寮のゴーストである灰色のレディはそのなかには参加していなかったが、ほとんど首なしニックが自身の打ち首の場面を再現した寸劇でナレーターとしての役割を見事に務めあげていた。
宴のごちそうも素晴らしかった。屋敷しもべ達の作ったデザートはどれもおいしいが、中でもパンプキンプディングは絶品だ。ついもうちょっとだけ、と手が伸びてしまいそうになり、レイチェルは昼間にケーキを食べなければよかったと後悔した。いや、あそこでケーキを食べなければそれはそれで後悔しただろう。今日だけはハロウィンだから特別なのだと自分に言い訳して、レイチェルは結局2回もプディングをおかわりしてしまった。スカートが少しきついような気がする。たぶん気のせいではない。しかし周囲の女の子達も似たようなことを言っていたので、レイチェルは少しほっとした。
とっても素敵な宴会だったと言い合いながら、人混みにまぎれてレイブンクロー塔へ向かう。自室へと辿りつくとすぐ、レイチェルはふかふかのベッドに身を投げ出してしまった。買い物や宴会ではしゃいだせいでとても疲れていたが、とても満ち足りた気分だった。

「今年は何にもなかったわねー」

ハニーデュークスで買ったらしいお菓子を選り分けながら、パメラが何だか拍子抜けしたように言った。そう言えばレイチェルもせっかく買った写真立てをどこかにしまっておかなければいけない。このまま眠ってしまいたかったが、緩慢に起き上がり、パメラへと向き直る。

「今年はって?」
「ほら、ここんとこハロウィンって色々事件があったじゃない?一昨年はトロールが城に入って来るし、去年は継承者が出たし!」

そんな継承者をゴキブリか何かみたいに───パメラのあっけらかんとした口調に、レイチェルは苦笑した。
一昨年は宴会の最中にトロールが乱入して大騒ぎだったし、去年は壁に継承者が声明文を書いて大混乱だった。レイチェルだって忘れたわけじゃない。しかしだ。

「去年と一昨年が異常だったの。そんなに毎年毎年妙な事ばかり起きないわよ」

けれど今年は────今夜は、もう後は眠るだけだ。これ以上何か事件なんて起こりようもない。せっかく今日は非の打ちどころもないような楽しい日だったのだ。そんな日に、嫌なことをわざわざ蒸し返す必要もないだろう。レイチェルが溜息を吐くと、エリザベスも同調した。

レイチェルの言う通りだわ。そんな風に、おかしな事件が起きることを期待するなんて……不謹慎だわ」
「別に期待してるわけじゃないわよ!でも、2度あることは3度あるって言うじゃない」

眉根を寄せたエリザベスに、パメラが反論する。不吉なことを言うなあとレイチェルは顔を引きつらせた。
パメラの言うこともわからないでもない。とは言え、学校に今年は脱獄犯がまだ再逮捕されていない上に、吸魂鬼まで校内に居るのだ。これ以上の事件なんてそうそう起こらないだろう。
何はともあれ、もう夜も遅いのだからさっさと就寝準備をしようと、レイチェルはネクタイを緩ようと手をかけた。その時だった。

「ねえ大変、大変よ!」

ドアの向こうから、バタバタと勢いよく階段を駆け上って来る音が聞こえて、誰かのそんな叫び声がした。そうして、レイチェル達の部屋がノックされた。「どうぞ」と答えると、ドアの開いて、3年生のリサ・ターピンが頬を紅潮させてそこに立っていた。あまりの勢いに、レイチェルはドアの蝶番が外れてしまうのではないかと思った。

「フリットウィック教授からの伝言よ!生徒は全員大広間に集合だって!」
「大広間に?一体どうして?」

何だか興奮した様子のリサがまくし立てるので、レイチェルには何が何だかわからなかった。宴会の後に大広間に呼び戻されたことなんて、未だかつてない。何かサプライズでもやるのだろうか?しかしリサの口から出てきた答えは、そんなレイチェルの予想とはまるきり反対だった。

「わからないけど、とにかく非常事態なんだって!」

次の部屋にも同じことを言うつもりなのか、リサはそれだけ言い残すと、慌ただしくドアを閉めた。────バタン。足音が去っていって、部屋には静寂がおとずれた。エリザベスは何も言わなかった。レイチェルも何かを言う気になれなかった。吸魂鬼が居ること以上の事件なんて起きないだろうと思っていたのに────その「事件」が起こってしまったようだ。

「ほらね?」

だから言ったでしょとでも言いたげにパメラが肩を竦める。
エリザベスは無表情になり、上品に溜息を吐いた。ネグリジェをきちんとたたみ直し、チェストの引き出しへしまう。レイチェルもほどいたネクタイを結び直し、大広間へと向かうべく柔らかなマットレスから腰を上げた。
このまま素敵な1日だったねと締めくくれればよかったのに────どうにもそうはいかないらしい。

 

 

「えっ……シリウス・ブラックなの?本当に?」

大広間に向かう途中で会ったアンジェリーナ達に聞いたところによれば、その事件はレイチェルの思っていた以上の大事件だった。
グリフィンドール生が宴を終えて寮へと戻ったら、入口の番人である太った婦人の肖像画が何者かに切り裂かれていたらしい。そしてピーブズがそれをシリウス・ブラックの犯行だと証言したと言う。ピーブズならば嘘を吐いて皆が大騒ぎするのを面白がっているんじゃないかと思ったが────と言うかそれならいいのにと思ったが────それでは切り裂かれた肖像画の説明がつかない。グリフィンドール生が全て寮を出るまで婦人はいつも通り快活だったし、宴の最中は皆大広間に居たのだ。

「本当にズタズタだったの。ひどかったわ」

アリシアがそう言って眉を寄せた。
そんな凄惨な爪痕だけを残して、シリウス・ブラックは依然行方知れず。そして太った婦人もまた行方不明らしい。
太った婦人には気の毒だが、侵入が未遂に終わったのは不幸中の幸いだろう。もしもズタズタにされたのが肖像画でなく人間だったら────そう考えるとぞっとする。
とは言え、今も殺人犯が城の中に居るかもしれないと考えると、安心できるはずもない。誰もが皆、さっきの宴が嘘のような、不安そうな、当惑した表情をしていた。
生徒達が大広間へと集まったのを確認すると、先生達は大広間の扉と言う扉を施錠していった。ダンブルドアは今夜は大広間に泊まるように言い渡し、先生達全員で城の中を見回る必要があると告げた。そしてその間の指揮は首席が、扉の見張りは監督生が行うらしい。

「あらら。ご指名みたいよ、エリザベス」

パメラが気の毒そうに言った。エリザベスはの顔色は今や蒼白だったが、それでも胸に輝くバッジの責任感がそうさせるのか、ぎこちない足取りで入口へと向かった。レイチェルのすぐ脇をペネロピーが不安そうな表情で通り過ぎ、遠目にセドリックが緊張した面持ちで歩いているのが見えた。レイチェルと目が合うと、心配しないでと言いたげに微笑んだが、レイチェルはそれに笑い返すことはできなかった。
監督生とは言え、同じ学生なのに────凶悪犯が来たら皆を守れなんて、いくら何だって無茶苦茶だ。セドリックやエリザベスが怪我をしたりしないだろうか?

「さあ、レイチェル。行きましょ!さっさと動かないと、いい場所は皆とられちゃうわよ!」

パメラに肩を叩かれて、レイチェルは大人しく寝袋を引きずっていく友人達の後に続いた。人気のない壁際に寝袋を5つ並べて────1つはエリザベスの分だ────レイチェル達はさっさとその中に入ることにした。制服のまま眠るのは快適とは言えないが、寝袋はふかふかしていて意外にも寝心地が良さそうだ。
キャンドルの灯りが全て消え、広間の中が暗くなっても、周囲はまだおしゃべりでざわめいていた。

「せっかく楽しいハロウィンだったのに、ブラックのせいで台無しよ!」

何だってよりによってハロウィンの日にとアンジェリーナが大きく溜息を吐いたので、レイチェルは苦笑した。やっぱりそう考えてしまうのはレイチェルだけではなかったらしい。でも、とやけに明るい声を出してみせたのはアリシアだった。

「考えようによってはハロウィンで良かったんじゃない?だって今日だけは誰も寮に残ってなかったんだし」
「確かにね。課題が終わって図書室から帰ってきたらブラックとバッタリ!────悪夢だわ」

アンジェリーナが唸る。確かにそう考えれば、今日がハロウィンだったのは幸運だったのかもしれない。そう、ハロウィンだ。ホグワーツの卒業生なら、大広間で宴が行われているのは、誰でも知っている。ブラックが巷で言われている通りの狂った殺人鬼ならば、無人の寮よりも、宴の最中の大広間を襲撃しそうなものだけれど、そうしなかったのは何故だろう?逃亡生活の間に、時間の感覚が狂ってしまったのだろうか?

「ね、まだ城の中に居ると思う?」
「どうかな。もう遠くに逃げちゃったかも。でも、ダンブルドアはそう考えてるんじゃない?」

思考の海へと沈みこもうとしていたレイチェルは、パメラとアンジェリーナのそんなやり取りによってはっとした。ブラックがもうホグワーツから遠く離れてしまったならいい。けれど、もしもまだ城の中に────いや、敷地内に居るのだとしたら。

「シャールは大丈夫かしら?」
「あー、例の犬? 賢い犬なんでしょ?きっと今頃ぐっすり寝てるわよ」
「それならいいんだけど……」

パメラが大丈夫だと慰めてくれたが、レイチェルは不安だった。もし、シャールが逃亡中のブラックと遭遇して、気の立っているブラックに立ち向かったりしたら────シャールは賢いとは言え、ただの犬だ。ブラックと対峙して、無事で居られるだろうか?

「そもそも、どうやってブラックは城の中に入ったんだと思う?ディメンターが見張ってるのに!」

3人がそんな話題について議論している間にも、レイチェルの頭の中はシャールのことで一杯だった。
今すぐにでも様子を見に行きたかったが、そんな勝手な行動は許してもらえないだろう。ただでさえ夜に城の外に出るのは危険なのに、今はブラックが辺りをうろついているのかもしれないのだ。先生に頼んだとしても、危険すぎると止められるだろう。皆が寝静まった後、こっそり抜け出してみる?いや、それには入口を通らなければいけない。監督生に止められるだろう。それに、もしブラックと遭遇してしまったら? こんなとき、姿現しができればいいのに。あ、でも、ホグワーツではできないんだった。じゃあ、透明マントがあればいいのに。いや、でも、マントがあったとしてもドアを通らなければいけないのは変わらない。それにこっそり抜け出すのは皆に迷惑がかかってしまう────。そんな風にごちゃごちゃと色々思いを巡らせてみたものの、結局、今レイチェルにできることはシャールの無事を祈る他には何もないように思えた。パメラの言う通り、大丈夫だと信じるしかない。

「いいや、考えても仕方ないし。とりあえず今日はもう寝よう」
「私も。朝からホグズミードだったし疲れちゃった……おやすみ」
「あ、えっと、おやすみなさい。いい夢を」

レイチェルがシャールのことで頭を悩ませている間に、アンジェリーナ達の議論も一通り出尽くしたらしい。
眠そうに欠伸をする気配がして、アンジェリーナとアリシアの影が寝袋の奥へと潜って行く。しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてきた。周囲を見渡してみても、おしゃべりの声はさっきよりもずっと少なくなっている。とは言え、レイチェルは目が冴えてしまって、まだ眠れそうになかった。

「…………パメラ?パメラ、起きてる?」
「起きてるわよ。何?」

レイチェルは隣に居る親友へと囁いた。衣擦れの音一つすらしないのでアンジェリーナ達のように眠ってしまったのかと思ったが、返事が返って来たのでレイチェルはほっとした。一人だけ寝付けないよりは、誰か話し相手が居てくれた方がずっといい。

「……ねえ、パメラ。もしもブラックが忍びこもうとしたのがレイブンクロー塔だったらどうなってたと思う?」

レイチェルはブラックがどうやって城内に侵入したのかは、正直そんなに興味がなかった。そもそも絶対に脱獄は不可能だと言われていたアズカバンを破ったような人だ。ホグワーツも安全だと言われていたが、今夜実際こうして侵入されしまったのだから何かしら方法があったのだろう。それよりも、もしも狙われたのがグリフィンドールではなく自分達の寮だったら────その方がずっと気がかりだった。

「あの根性悪のドアノブが追っ払ってくれたわよ。癇癪を起こしたら、そうね、私達、ノブのないドアから出入りすることになったかも」
「逆に言えばそれって、ブラックがノブの問題に答えられたとしたら、ドアは開いちゃうってことよね……」

パメラが冗談めかして言ったが、レイチェルは却って胃のあたりが沈んで行くような気がした。
今回グリフィンドールは、ブラックが部外者だから────合言葉を知らなかったから通さなかったが、レイブンクローを守っているのは肖像画じゃない。あのドアノッカーは相手が何者だろうと、質問に答えられさえすれば通してしまう。シリウス・ブラックがトロールみたいな脳みそをしているのなら話は別だが、吸魂鬼を出し抜いて脱獄するくらいだ。きっと凄まじい魔法力の持ち主で、頭の回転も早いのだろう。そんな恐ろしい殺人犯が、真夜中のレイブンクロー塔に侵入して、ベッドで眠る誰かにナイフを振り下ろす────そんな光景を想像して、レイチェルは背筋が冷たくなった。

「……レイブンクローが狙われることは、ないんじゃないかしら」
「お疲れ、エリザベス。遅かったじゃない」
「あ……お帰りなさい、エリザベス」

話に集中していたせいで気がつかなかったが、いつの間にかすぐ近くに誰かが立っていた。エリザベスの声だ。どうやら先生達が戻って来たので、監督生も就寝することになったらしい。エリザベスが寝袋へ入るのを待って、レイチェルはさっきの言葉の意味を尋ねた。

「どうしてそう思うの?その……レイブンクローはブラックに狙われないって……」

ブラックがレイブンクローの卒業生だから後輩は狙わないなんてそんな話ではないだろうし、そもそも確かブラックはレイブンクロー出身ではなかったはずだ。もしかして、エリザベスはレイチェルの知らない何かを知っているのだろうか?

「ねえ、エリザベス。思わせぶりなことだけ言うなら、最初から何も言わないでよね!気になって眠れなくなっちゃうじゃない!」

黙りこむエリザベスを、パメラが急かす。真っ暗なせいで表情は見えないが、エリザベスは言っていいものかと迷っている様子だった。けれど結局、打ち明けることにしたらしい。気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして、エリザベスはそっと囁いた。

「あまり大きな声では言えないんだけれど……シリウス・ブラックはハリー・ポッターを狙っていると言う話があるわ。そのために脱獄したんじゃないかって……あくまでも噂よ」
「ハリー・ポッターを?」

レイチェルははっとして辺りを見回した。もしもこの近くにハリー・ポッターが居て、今の会話を聞いていたらと思うと、心臓の鼓動が早くなった。大丈夫だ。ここは大広間の中でもかなり端っこだし、さっき消灯する直前にも、周りにはレイチェル達4人しか居なかった。だから大丈夫だ。

「……ブラックが例のあの人の腹心だったのは、レイチェルも知っているでしょう? そして、例のあの人を凋落させたのはハリー・ポッターだと言うのは、誰もが知っているわ。ブラックは、ハリー・ポッターを消してしまえば例のあの人が復活すると考えて────」

言葉を続けるにつれて、エリザベスの囁きは段々と小さく、早口になっていくので、レイチェルとパメラは一句たりとも聞き漏らすまいと息を潜めて耳を澄ました。けれどとうとう話の途中で、パメラがあれっと不思議そうな声を上げた。

「えっ?ちょっと待ってよ、その例のあの人って、もう死んじゃった人なんでしょ?」
「そう言われてるけど……まだどこかで生きているんじゃないかって考えている人も居るみたい。力を取り戻すのを待ってるんじゃないかって……えっと、エリザベス、それで?」

わけがわからないと言った様子のパメラに、代わりにレイチェルが答える。
例のあの人が「死んだ」のか「生きている」のか、魔法界では意見が割れている。死体が見つかっていないのだから、当然なのかもしれない。まだ小さかったからレイチェルにはよくわからないが、それほど恐ろしい魔法使いだったと言うことだろう。パメラは何だか納得してなさそうだったが、ともかくレイチェルはエリザベスの言葉の続きを促した。

「動機は何か、何が真実かなんて、結局はブラックが逮捕されてみないとわからないわ。けれど、少なくとも、魔法省はブラックがハリー・ポッターを狙っていると考えて動いている……お父様やお兄様からは、そう聞いているわ。だから、ホグワーツにも吸魂鬼が配置されたって……まあ、それも……突破されてしまったみたいだけれど…………」

言葉尻が徐々に自信なさげに、小さくなっていく。吸魂鬼が配置されたのはそう言うわけだったのかとレイチェルは納得した。殺人鬼がホグワーツに用があるわけないじゃないかと思っていたが、それなら確かに何よりもホグワーツに警備が必要だ。しかし、結局はブラックには通用しなかった。いよいよ、どうやってブラックを再逮捕するのだろう?

「……もう眠りましょう」

エリザベスが溜息を吐いた。パメラがえーっと声を上げたが、レイチェルはエリザベスに賛成だった。エリザベスなら────魔法省との繋がりも深い純血名家の令嬢なら────もしかしたらもっとレイチェルの知らない色々な情報を知っているのかもしれないが、これ以上話していても、気分が落ち着くことはなさそうだ。むしろ不安が増す気がするので、このあたりでやめておきたい。
いつものものよりも薄っぺらい枕へと頭を預けて、レイチェルはじっと天井に映る空を見上げていた。

『ブラックはハリー・ポッターを狙っていると言う話があるわ。そのために脱獄したんじゃないかって……』
『ハリー・ポッターを消してしまえば例のあの人が復活すると考えているんじゃないかしら』

頭の中を、さっきのエリザベスの言葉がくるくる回っていた。
そんなのって、酷い。ハリー・ポッターが、あまりにも可哀想だと思った。いや、ハリー・ポッターは別にレイチェルに同情なんかされたくないだろう。けれどあまりにも、理不尽だと思った。そう、理不尽だ。
確かに、例のあの人はハリー・ポッターが倒したのだろう。だから、今の魔法界がある。平和がある。それはきっと、レイチェルが思う以上に偉大なことなのだろう。
けれど────けれど、本人は覚えていない赤ちゃんの頃のことで、勝手に英雄だと祭り上げられて、勝手に期待されて、勝手に失望されて。12年前のハロウィンに何が起こったのかなんて、レイチェルは知らない。けれどその日を境に、あの痩せた少年は「生き残った男の子」と言う英雄になって、そして、大人の魔法使いでも震え上がるような凶悪な殺人鬼に命を狙われている。
ああ、そうだ。今日は、ハロウィンだった。生き残った男の子が例のあの人を打ち破った日。魔法界を覆っていた暗雲が取り払われて、悪が去った日。だから魔法界の人々にとって、ハロウィンは特別だ。誰もかれもが、日頃の憂鬱も何もかもを忘れて、お祭り騒ぎをする。しかし同時に、ハロウィンはポッター夫妻の────彼にとっての両親が死んだ日だ。
レイチェルにとって、ハロウィンはクリスマスや誕生日と同じ、楽しい日だった。とても楽しい日なんだと、素晴らしい日なんだと、そう教えられて育ってきた。そんな風に、過ごしてきた。過ごさせてもらった。
誰か、ハロウィンに辛い思いをした人が居たなんて、そんな思いをしている人が居るかもしれないなんて、考えたこともなかった。そんな、思慮の足りない自分が恥ずかしい。
レイチェルにとって、今年のハロウィンも────つい1時間ほど前までは────とても素晴らしい1日だった。ハリー・ポッターにとってはどうだったのだろう?彼にとっても、今日は楽しい1日だっただろうか?
そうならばいいなと思った。ハロウィンが彼にとって楽しいものになるようにと、そう願うことしか、レイチェルにはできない。

天井の星がちらちらと瞬く。驚くほどに静かな夜に、レイチェルの意識もまどろんでいった。

最大多数の幸福

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