10月がやってきた。
とは言っても、レイチェルにとっては変わったことなんて特別ない。相変わらず教授達の出す課題はハードだったし、そして相変わらずじめじめとした雨の日が続いていた。羊皮紙が湿気ると、羽根ペンの先が引っ掛かってしまうのでこれはレイチェル達にとっては嬉しくないことだった。
「あいつ何なの」
ある木曜日、授業が終わる時間が過ぎてもパメラとエリザベスがなかなか占い学から帰って来ないので、レイチェルはたまたま一緒になったロジャーとランチを食べていた。シェパード・パイを突きながら、ロジャーがぼやく。
「あいつって?」
「ディゴリーだよ。今年に入ってから『セドリックが好きだから』ってデート断られるの3人目なんだけど」
今年って、5年生にってからまだ1ヶ月しか経っていない。むしろもう3人もデートに誘ったのかと、レイチェルはそこに驚いたが、ロジャーの交友関係に口を出す義理もないので口に出すことはしなかった。ロジャーは黙っていればハンサムだし結構モテるのだが────現に今も、ロジャーの5つ隣に座った女の子がロジャーのことをちらちらと気にしている。レイチェルとロジャーはそう言う関係になることはこの先もないから全く心配する必要はないと教えてあげたい────何故だかロジャーが好きになる女の子とはなかなかうまくいかない。
確かに断られたのは気の毒だ。同情する。が、だからって何故それをレイチェルに言って来るのだろう。レイチェルどころかセドリックすらあまり関係ない気がするのだけれど。
「弱点とかねーの」
「弱点……?」
聞いてどうするつもりなのだろうと言う疑問が首をもたげたが、確かにセドリックの弱点って何だろう。魔法薬学は苦手みたいだけれど、それでも十分成績上位に入るのだから弱点とは言えない。容姿も、運動神経も言わずもがな。性格も良い。友達も多い。セドリックの弱点────。
「……強いて言えば、絵を描くこと?」
「絵?」
「そう、絵」
怪訝そうな顔をするロジャーに、こくりと頷く。弱点と呼ぶにはあまりにも可愛らしいものだけれど、それくらいしか思いつかなかった。押しに弱いと言うか、頼まれごとを断れないのはレイチェルから見るとやきもきするが、それは優しすぎる正確に起因するものであって欠点ではない。あとは本人は口下手だと言うのを気にしているようだけれど、周囲はそれを「寡黙」と評価しているのでこれも弱点ではないだろう。
「絵とか歌とか、あんまり得意じゃないみたい。特別下手ってわけじゃないんだけど……本人にはすっごく苦手意識があるみたいなのよね。この間の夏休みも、クィディッチの戦略を図にするの私に代わりにやってって……」
「ちょっと待て」
言葉の途中で、ロジャーに遮られる。レイチェルは紅茶に入れた砂糖をかき混ぜていた手元から顔を上げた。やけに真剣な瞳で見つめてくるロジャーに、一体どうしたのだろうと首を傾げる。セドリックが絵が苦手って、そんなに意外だっただろうか?
「ハッフルパフのクィディッチの作戦を考えるの手伝ったのかよ? じゃあ……」
「言っておくけど、教えないわよ」
ロジャーが何を言わんとしているかがわかったので、レイチェルはきっぱりと否定した。確かにレイチェルはハッフルパフの作戦を多少知っている。その情報は、ハッフルパフ戦には有利に働くだろう。けれど、それをロジャーにペラペラ喋ってしまうのは、セドリックの信頼を裏切ることになってしまう。
「ハッフルパフを手伝ったんじゃないわ。セドを手伝ったの」
「どう違うんだよ?」
全然違う。セドリックがレイブンクローだろうが、グリフィンドールだろうがレイチェルはきっと手伝っただろう。夏休み中まで寮の対立を持ちだして争うのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
ロジャーは納得できなさそうに眉を寄せていたが、やがて諦めたらしく小さく溜息を吐いた。
「ま、いいけどな。そんなんなくたってレイブンクローが勝つし」
そう言って、ロジャーは不敵に笑ってみせた。
10月に入ってからは、1ヶ月先のクィディッチリーグの開幕に向けて、どこの寮もチーム練習を始めている。一番熱心なのはやはりクィディッチ狂いと名高いオリバー・ウッド率いるグリフィンドールだけれど、レイブンクローも優勝杯を目指して戦略を練っているらしい。
「期待してるわ、キャプテン」
「おう。ディゴリーをこてんぱんに負かしても文句言うなよ」
「言わないわよ」
からかうようなロジャーの言葉にむっとした。レイチェルはレイブンクローの生徒なのだから、レイブンクローの勝利に文句なんてあるはずもない。
けれど、キャプテンと言えば、セドリックもとても頑張っている。ここ数年ですっかり定着してしまった「ハッフルパフは弱い」と言うイメージを払拭すべく、効果的な練習法を模索しているようだ。
「セドが言ってたけど、ハッフルパフも選手を選抜し直してチームを強化したらしいから。甘く見てると怪我するわよ」
「……やっぱりお前、ハッフルパフの味方だろ?」
「そんなことないわ」
疑わしそうに眉を寄せたロジャーに気づかない振りをして、レイチェルはティーカップを口へと運んだ。
レイブンクローとハッフルパフの試合では、もちろんレイブンクローを応援する。けれど、それ以外の試合ではハッフルパフを応援するだろう。ハッフルパフと言うか、セドリックを。
まあ、スリザリンのシーカーはドラコだから応援したい気持ちもあるが────あの寮はドラコ以外の選手のラフプレーが頂けない。
確かにハッフルパフはレイブンクローのライバルだ。けれど、だからってレイチェルがセドリックを応援しない理由にはならない。
ロジャーが何と言おうと、これだけは譲れないのだ。
「ねえ、レイチェル。セドリックってどんな子がタイプなの?」
変身術の授業後、教科書を片付けていたレイチェルはそんな風に話しかけられた。目の前に立っている女の子はグリフィンドールの────名前はええと何だっけ────ともかく、レイチェルとは全く親しくない。2、3度話したことかあるかないかくらいの関係だ。それなのに随分親しげな様子なので、レイチェルは思わずぽかんとしてしまった。それに対して、女の子は苛立ったように言葉を募る。
「セドリックの、好きな女の子よ。あるでしょ?こう、知的な子が好きとか、チャーミングな子がいいとか!」
「さ、さあ……セドとそう言う話、全然しないから……」
「……ああ、そう」
何だか機嫌を損ねてしまったようだけれど、別に意地悪で教えてあげないわけじゃない。本当に知らないのだ。幼馴染だからって、何もかも知っているわけじゃない。恋愛に関することなんてなおさらだ。セドリックとそんな話ほとんどしない。
「監督生バッジの効果ね」
隣で黙って聞いていたパメラがそう評した。
実を言うと、セドリックに関することで話しかけられるのは、これが初めてと言う訳ではなかった。似たようなことをつい3日前にレイブンクローの後輩からも聞かれたし、その前にハッフルパフの同級生にもセドリックとは恋人同士なのかと尋ねられた。勿論答えはノーだ。
何だか一人で納得しているパメラに、レイチェルは反論する。
「でも、セドは監督生になる前から学年首席だったし、シーカーだったのだってもう2年も前からよ」
「そりゃあね!でも、やっぱり監督生って肩書きは大きいわよね!何て言うか、7割増しくらいでかっこよく見えるし」
「……そんなに?」
うんうんと頷くパメラに、レイチェルは眉を寄せた。やけに実感のこもった言葉だ。そう言えばホグワーツの卒業生であるパメラの恋人は、在学時はレイブンクローの監督生をやっていた。そんなものだろうかとレイチェルが首を捻っていると、「それに」とパメラは続けた。
「単純に大人っぽくなったしねー。大人っぽくなったって言うか、男っぽくなった?」
「そう? まあ、背は伸びたけど……」
「レイチェルは側に居すぎるから気づかないのよ」
それを言われると、レイチェルには何も言えなくなってしまう。背が伸びた。大人っぽくなった。それは確かだ。けれどそれが男の子として魅力的になったかと言われると、レイチェルにはよくわからない。
セドリックは前からモテていたし、去年までも色々と聞かれることはあったが、こんなに頻繁じゃなかった。となれば、理由は確かに、パメラの言う通りだと考えるの自然かもしれない。でもだ。
「じゃあ何?最近セドのことを聞いて来る子達は、セドが監督生で、急に大人っぽくなったから興味を持ったってこと?」
監督生じゃないセドリックには見向きもしなくて、監督生バッジをつけた途端に素敵だと色めき立つ。そんなのって、監督生と言う肩書にしか興味がないみたいだ。勿論、セドリックに恋をする子が皆が皆そうじゃないんだろうけれど、でも、少なくともさっきのあの女の子はそんな風に見えた。
「不純だって言いたいの? でもそれじゃ、これからセドリックと出会う女の子はセドリックに恋できなくなっちゃうじゃない!監督生のセドリックしか知らないんだから」
「そうだけど……」
「誰もが皆、レイチェルみたいにセドリックを小さい頃から知ってるってわけじゃないのよ」
そんなことは、今更言われなくてもわかっている。でも、セドリックの恋人になるのは、セドリック自身を見てくれる女の子であってほしいと、そう思うのはレイチェルのわがままなのだろうか。
レイチェルとセドリックはあまり恋愛の話をしない。お互いにあまり恋愛に興味がないと言うのが一番の理由だけれど、もしもセドリックに好きな子ができたところで、レイチェルに教えてくれるかどうかは微妙なところだと思う。根掘り葉掘り問い詰めれば白状するだろうけれど、逆を言えばレイチェルが聞かない限りは自分からは話さないだろう。
レイチェルも同じだ。好きな人ができたところで、セドリックに報告することはたぶんない。けれど、別にそれが特別おかしなことだとは思わない。レイチェルもセドリックももう15歳だ。小さい頃のように何もかも打ち明けることはなくなった。秘密と言うほど隠しておきたいわけではないけれど、セドリックに話していないことはたくさんある。レイチェルにあるのだから、セドリックにもきっと。
もしかしたら、レイチェルが勝手に居ないと思い込んでいただけで、もうセドリックには好きな女の子が居るかもしれない。最後にそんな話をしたときには居ないと言っていたけれど、それだってもう随分と前のことだ。あれから好きな子ができていてもおかしくない。
セドリックの好きになるのは、どんな女の子なのだろう。
「まあ、面白くないのはわかるけどね。皆が皆、純粋にセドリックに恋してるってわけじゃないだろうし」
「どう言うこと?」
パメラの言葉に、レイチェルは思考の海から引き戻された。パメラが何を言いたいのか、いまいちよくわからない。きっかけが何にしろ、あの女の子はセドリックのことが好きなのだろう。それに、セドリックのことを聞いて来た、他の女の子達も。
「レイチェルは知らないか。この間の占い学のとき、スリザリンのヴィクトリアが、セドリックを落とすって宣言してるの聞いちゃったのよねー。あんな女と付き合ったら、正直ガッカリだけど、まあでも顔だけなら美人だし」
「……ヴィクトリア? 彼女も、セドを?」
「あー……そうじゃなくって」
初耳だ。自分が受講していない占い学の間にそんな会話が交わされていたなんて、レイチェルには知る由もない。しかもセドリックを好きじゃないってどう言うことだ。わけがわからないと困惑するレイチェルに、パメラは苦笑してみせた。
「セドリックを誰が手に入れられるかって言うのもステータスってことよ」
皆が欲しがるものを手に入れるのって気分がいいでしょうと、続けられた言葉にレイチェルは戸惑った。
そんなのって────そんなのって本当に、監督生じゃないセドリックには興味がないってことじゃないか。監督生だから好きになったと言われた方が、まだマシだ。手に入れたら自慢だからだなんて。監督生じゃなくたって、セドリックは昔から、優しくて、思いやりがあって、素敵なところがたくさんあるのに。
「……セドはセドなのに」
レイチェルは何だか、胸の中にもやもやした感情が広がっていくのを感じた。ロジャーが言っていたことを思い出す。セドリックが好きだからとロジャーの誘いを断った女の子。レイチェルが知らないだけで、セドリックのことを好きな女の子はもっともっとたくさん居るのだろう。セドリックは────セドリックは、その中の誰かを選んで、恋人同士になるのだろうか。
いつだったか、王子様みたいとハッフルパフの下級生がはしゃいでいた様子が頭をよぎる。ハンサムで、誰にでも優しくて、頭が良くて、クィディッチが上手くて、監督生で────。美徳を上げ連ねればきりがなくて、弱点を考えると思いつかない。幼馴染の────嫌なところも一番見えているはずのレイチェルから見てるとそうなのだから、他の人から見ればもっとだろう。
皆の憧れの、理想の王子様。
何だか急に、セドリックが遠い人になってしまったみたいだ。