ドラコは木曜日の午後になってようやく退院したらしい。
らしいと言うのは、レイチェルがあれから再びドラコのお見舞いに行くことができたのは、ドラコがとっくに退院してしまった後だったからだ。まだ学期は始まったばかりなのに、この2週間と言うものの、目が回りそうなほど忙しかった。ただでさえハードになった時間割にへとへとな上に、どの授業でも教授達は恐ろしいほどの量の課題を出した。教科書の重みで鞄は肩に食い込むし、朝から晩まで羽根ペンを持ちすぎて手首が痛い。おまけに膨大な課題のせいで寝不足だ。そんな風に毎日バタバタしているうちに、9月ももう半分が過ぎ去ってしまったことにレイチェルはぞっとした。まるで明日にはOWLがやって来ると言いたげな教授達に、まだ半年も先じゃないかと思っていたが────確かに、こんな調子じゃ、気づいたらあっと言う間にOWLになってしまいそうだ。

「あーもう、ムカつく!スネイプの奴、何だってあんなに陰険なのよ!」
「結局、12点も減点されたものね」

授業内容は難しいし、課題が多い。そんな状況は得意科目でも楽しいと思えないのに、苦手科目になれば尚のことだ。ここのところ、魔法薬学と占い学の後のパメラは大荒れだった。これに関してはレイチェルは同情した。レイチェルにだって苦手科目はあるが、だからと言ってその授業の担当教授に「貴方今学期中に死にますよ」と予言されたり、レイチェルが授業内容を理解していないとクラスの皆の前で明言されることもない。

「でも……スネイプ教授が仰ったことが全て正しかったのは事実だわ」
「だからってあんなにネチネチ言うことないでしょ!言い方の問題よ!言い方の!」

控えめなエリザベスの指摘に、パメラが噛みつく。正しく調合すれば澄んだトルコ石色になるはずの強化薬をサーモンピンクに仕立てたパメラの鍋の中身が失敗だったのは誰の目にも明らかだった。そしてそれに対してグリフィンの鉤爪の粉末を入れ忘れただろうと言うスネイプ教授の指摘が正しいことも明らかだった。しかし、いくら失敗作だからって、2時間近く煮込んだ大鍋の中身を綺麗さっぱり消されてしまうのはさすがに気の毒だ。

「スネイプ教授の不機嫌って……やっぱり、あの噂のせいかしら?」

元々穏やかとかにこやかとか言う単語とは程遠い人だが、それでも最近のスネイプ教授はいつにもまして機嫌が悪いように見える。原因として思い当たることが一つあって、今、ホグワーツにはスネイプ教授に関係するある噂が蔓延していた。

「あー、もう、すっごく見たかったわ!何で誰も写真撮ってないのよ!」
「授業中だったんでしょ?写真は無理じゃない?」

その噂とは、どこかのクラスの防衛術の授業で、まね妖怪ボガートがスネイプ教授の姿になったと言うものだ。ただスネイプ教授の姿になっただけなら、ここまで広がったりしなかっただろう。スネイプ教授は怖いもんねと、それだけだ。問題はその出で立ちだった。

「もし誰かが写真を持ってたら、私、10ガリオン出しても買うわ!1年間は笑えそうだもの!」

レース飾りのついた緑のドレスに赤いハンドバッグ、ハゲタカの飾りのついたつばつき帽子。要するに、ボガート・スネイプは年配の魔女がするような服装に変えられてしまったらしい。面白くするためにある程度誇張されているかもしれないが、本当だとしたら確かに相当────奇妙だろう。
パメラが高らかにそう宣言したところで、背後から柔らかな声がした。

「これはこれは。随分と楽しそうですな、ミス・ジョーンズ」

パメラがその場で固まった。レイチェルとエリザベスも思わず足を止めた。恐る恐る振り返ると、そこには予想通り、漆黒のローブを纏ったスネイプ教授が立っていた。
レイチェル達を見下ろす視線は冷え切っていて、まるで吸魂鬼を前にしたかのように恐ろしい。

「上級生にもなって廊下で騒ぐとは嘆かわしい。レイブンクロー、5点減点」

────さっきあっちの廊下でスリザリンの7年生達がもっと馬鹿騒ぎをしていましたよ。
そう反論したかったが、この状況で素直に口に出すほどレイチェルは馬鹿じゃない。
スネイプ教授の後ろ姿が廊下の角へと消えて行くのを見送って、レイチェルはエリザベスと顔を見合わせた。

「……やっぱり本当なのかしら? どう思う?」
「さあ……」

でも、たとえ本当じゃなかったとしても、こんな噂が広がってる時点で不愉快なんじゃないかしら。
エリザベスの呟きに、レイチェルは深く納得した。
火のない所に煙は立たないと言うし、噂ほど面白い格好だったかはともかく、ボガートがスネイプ教授に変身して、そして多少奇妙な姿に変えられたのは事実なのだろう。あのスネイプ教授が、レースのついたドレス。全然想像がつかない。
一体、どこのクラスだったのだろうか。

 

 

「ああ、それ、私達のクラスだわ」

あっさりとそう言ったハーマイオニーに、レイチェルは驚かされた。どうやら3年生のクラスらしいと言うところまでは知っていたが、まさかハーマイオニーのクラスだったなんて。そして、どうやら、件のスネイプ教授────ボガートだが────の服装は、まるきり誇張なしの真実らしい。まあそう聞いたところで、やっぱりレイチェルの頭では想像の限界だけれど。それにしても。

「あなたの周りっていつも何かしら噂になってるわよね」
「そうでもないわ。…………たぶん」

自信なさそうに付け加えたハーマイオニーに、レイチェルはくすりと笑った。ハーマイオニーの周りは────正確にはハリー・ポッターの周りは、いつだってホグワーツ生の興味を引くようなことばかり起こる。レイチェルはそれをハリー・ポッターがトラブルを引き起こしていると決めつけていたが、単純に彼はトラブルに好かれる体質なのかもしれない。昨年まで抱えていたハリー・ポッターへの敵意がなくなってしまうと、ハーマイオニーとのおしゃべりは今まで以上に楽しいものだ。

「ねえ、ところでハーマイオニー」
「何? レイチェル

レイチェルは羽根ペンを置き、自分のレポートへと没頭しているハーマイオニーをじっと見つめた。鼻先を羊皮紙にひっつけるようにして文字を書きつけているので、長い髪の先がインク瓶の中に浸かってしまっているのに気がついた。が、それ以上に気になることがあった。

「あなた……すっごく課題が多くない?」

書き終えてくるくると丸まっている分は、広げたら軽く1メートルくらいはありそうだ。ハーマイオニーの両脇には、それぞれ30センチは本が積み上げられている。椅子の上に置かれた鞄も教科書でパンパンだ。一瞬だけレポートから顔を上げたハーマイオニーは、事もなげに言った。

「ああ、私、全科目取ってるの」
「ぜ……!?」

全科目って、全科目だろうか。ハーマイオニーが勤勉なのは知っているけれど、まさかそこまでとは思わなかった。と言うか、そんなの不可能じゃないだろうか。レイチェルが3年生の頃の時間割を思い返してみても、取れる授業はせいぜい2つか3つだったはずだ。

「どうやって……?」
「やろうと思えば、案外どうにでもなるものよ。ちょっとハードだけど」

ちょっとどころじゃないだろう。3つしか選択科目を取ってなかったレイチェルでも、3年生の最初の頃はそれまでとの落差に戸惑った記憶がある。それが────5科目。5科目もだなんて。レイチェルには絶対に無理だ。

「知らないことがあると気になってイライラしちゃうんだもの。大変だけど、どの科目も面白いわ」

ニッコリ笑うハーマイオニーに、レイチェルは思わず溜息が出た。すごい。マグル学が取れれば後はどれでもいいなんて言っていたレイチェルとは心構えからして違う。本当に、どうしてハーマイオニーってレイブンクローに入らなかったんだろう。レイチェルよりよっぽどレイブンクローらしいのに。
レイチェルが感心していると、ハーマイオニーはふいに眉を顰めてみせた。

「……ただ、占い学だけは別ね」
「どうして?」

そこで挙げられるのが占い学と言うのが、レイチェルには不思議な気がした。マグル学が退屈だと言うのなら、まだわかる。レイチェルにとっては新鮮な知識の数々も、マグル生まれのハーマイオニーにとっては知ってることばかりだろう。でも割と占い学って、魔女らしい科目なのに。レイチェルが首を傾げると、ハーマイオニーはキッと目を吊り上げた。

「だってあの先生、ハリーが死ぬだなんて言うのよ!」

ああ、なるほど。どうやらトレローニー教授の死亡予告は、今年はハリー・ポッターだったらしい。3年生のとき、直接聞いたわけじゃなかったレイチェルですらいい気分じゃなかったのだから、それを間近に聞いたハーマイオニーが怒るのも当然だ。

「私達の学年はパメラだったわ。今もピンピンしてるけど」
「マクゴナガル教授に聞いたわ。あの人の流儀だって。だとしたってあんまりにも悪趣味よ」

要するに当たらないから大丈夫だと慰めて、レイチェルはハーマイオニーの愚痴に熱心に聞くことにした。レイチェル達の学年でもそうだが、トレローニー教授の占い学は、心酔する人と毛嫌いする人がはっきり分かれてしまうのはどうしてだろうか。授業を受けたことがないレイチェルにはさっぱりだ。

 

 

 

心酔、とまではいかないが、生徒達の間では防衛術が大人気だった。レイチェルは別に防衛術が好きでも嫌いでもなかったが、今年に入って大好きな科目になった。ルーピン教授の人柄や教え方の上手さもあるし、何より知識の豊富さが窺える授業は単純に内容が面白い。今年は当たりの年だと、OWLとNEWTの学年は皆言っている。去年が試験だった学年は本当に気の毒だった。

「あんな授業で、OWLはどうするの? フロバーワームなんて、試験に出るわけないじゃない」

その一方で、不人気の科目もまたはっきりしていた。禁じられた森に出入りするハグリッドは魔法生物に詳しい。どんな授業をするのかと誰もが楽しみにしていたが、予想とは違ってまるでつまらないものだった。どうやら、3年生の授業で失敗したことですっかり自信を失ってしまったらしい。気の毒だとは思うが、試験の合否がかかっているレイチェル達にとってはたまったものじゃない。レイチェルはハグリッドが好きだが、それと教授に適した人材であるかは別問題だ。

「……セド?」

何も返事が返って来ていないことに気づいて、レイチェルは振り向いた。が、隣を歩いていたはずのセドリックはそこに居なかった。どうやら、何かに気を取られていて、レイチェルの声も聞こえていないようだ。仕方なく引き返して、セドリックの視線の先を追った。

「……犬?」

鬱蒼と茂った木々のせいで少しわかりにくいが、セドリックが見ている先には、一匹の黒い犬が居た。猫ならば生徒達のペットがその辺をうろうろしているが────そう言えばレイチェルはまだ見ていないがハーマイオニーも猫を飼い始めたらしい────犬が敷地内に居るのは難しい。

「すっごく大きな犬ね。まるで死神犬みたい」
「確かに大きいけど、そこまでじゃないよ」

レイチェルの感想に、セドリックが苦笑した。でも、レイチェルは自分の言葉が大げさだとは思わなかった。ハグリッドの飼っているファングも大きいが、同じくらい大きいんじゃないだろうか。今は明るいからいいけれど、もしもあの犬を夜中に見たら、死神犬だと勘違いしてしまいそうだ。

「ねえ、セド……やめておいたら……? 噛まれるかもしれないし……」
「大丈夫だよ」

近寄っていこうとするセドリックのローブの袖を引いて、レイチェルは眉を下げた。こんな大きな犬に噛まれてしまったら、それこそ医務室行きだ。噛まれなくても、いきなり吠えかかって来るかも知れない。けれど、レイチェルの制止もむなしく、セドリックはゆっくりと犬に向かって歩いていく。

「大人しいよ。レイチェルも、ほら」

そしてセドリックは犬のすぐ側まで近付くと、レイチェルを手招きした。膝を折って視線を合わせるようにするセドリックに、黒犬はパタパタと軽く尻尾を振る。レイチェルもどちらかと言えば犬は好きだけれど、あまり大きすぎる犬はちょっと怖い。
恐る恐る近寄っていくと、やっぱり犬はレイチェルが思った以上に大きかった。立ち上がればきっとレイチェルと同じくらいあるだろう。開いた口から覗く犬歯は、レイチェルの腕くらいならガブリといってしまいそうだ。

「迷い犬かな?」
「……だとしたら、迷ってから数年は経ってそうだけど」

犬の耳の付け根のあたりを撫でながら、セドリックが呟いた。
レイチェルは黒い犬の鼻先から尻尾の先までを見て、そう評した。ボサボサで埃っぽい毛は長い間ブラッシングとは無縁に見えたし、痩せすぎて肋骨が浮き上がっている。

「首輪はしてないみたいだし……捨て犬か、野良犬かも。きっと、ホグズミードから迷い込んだのね」

いくら今は吸魂鬼が城門を固めていると言っても、まさかシリウス・ブラックが犬に変身するはずもなし、あっさり警備を抜けて来たのだろう。このまま禁じられた森に居つくのかもしれないし、そのうちふらっとどこかに行ってしまうかもしれない。フィルチやミセス・ノリスに追い出されなければ、の話だけれど。

「……まさか、この犬の世話をしよう、なんて思ってないわよね?」

レイチェルは未だ犬を撫で続けている幼馴染を見下ろした。ホグワーツに連れて来てもいいペットのリストに、犬は入っていない。その理由は色々あるけれど、一番は気ままに過ごす猫や自分で餌を取れるふくろうと違って、世話が大変だからだ。

「だって、満足に食事もしてなさそうだし……可哀想だよ」

────やっぱり。レイチェルは呆れて額を押さえた。
セドリックの動物好きも博愛精神も今更だし、セドリックの素晴らしい長所だと思う。しかし、だからと言ってこんな風に、動物ならば何でも可愛がってしまうと言うのも困りものだ。

「でも、野良犬でしょ? 病気持ってるかもしれないし……」
「そうだけど……このまま放っておけないよ」

確かにセドリックの言う通り、この犬は可哀想なくらい痩せている。あまり満足な餌を食べられていないのかもしれない。禁じられた森に犬が食べるようなものがそんなに豊富だとは思えないし、変な薬草なんかを食べてお腹を壊すかもしれない。マクゴナガル教授あたりにちゃんと相談すれば、城に連れ込まなければ世話をする許可はもらえるだろう。いや、でも────。

「おすわり。……ほら、賢いよ」

賢くたって病気は持ってるかもしれないじゃないか。レイチェルはそう思ったけれど、レイチェルを見上げてくる犬の無垢な目に押し黙った。犬は人間の言葉を理解すると聞くけれど、切なげにじっと見つめてくる様子は、まるで本当にこの会話の流れがわかってるみたいだ。

「人懐こいし、きっと、元々は誰かに飼われてたんじゃないかな」

ふいに犬は立ち上がると、セドリックの脇を抜けてレイチェルに近づいて来た。噛まれるんじゃないかと一歩後ずさったが、そうではなく、犬はレイチェルの膝のあたりに頭を擦りつけて来た。その仕草をつい可愛らしいと思ってしまって、レイチェルの気持ちが少し揺らぐ。そんな様子に、セドリックは「レイチェルのこと、気に入ったみたいだよ」と嬉しそうだ。

「……セド、何だかんだ言って、もう世話するって決めてるでしょ……」
「あー……うん」

レイチェルが呟くと、セドリックが苦笑した。考えてみたら、炎や毒を持つドラゴンの世話ですら躊躇しなかったセドリックが病気くらいで思い直してくれるはずもない。セドリックの中では、この犬の世話は既に決定事項なのだ。

「……わかったわ。私も手伝う」
「本当? ありがとう、レイチェル

溜息交じりに言えば、セドリックは満面の笑顔を浮かべた。
どうせレイチェルが反対しても、セドリックは一人でこっそりこの犬の世話をするのだろう。それなら、レイチェルも手伝った方が良い。OWLだけに集中すればいいレイチェルですら毎日バタバタしているのに、セドリックには監督生の仕事、クィディッチの練習もあるのだ。この上犬の世話だなんて、過労で倒れてもおかしくない。

「寝床をつくってやらなきゃ。それに、何か食べ物も。僕が取って来るから、レイチェルはどこか行かないように見てて」
「……わかった」

セドリックは立ち上がると、うきうきした様子で城に向かって走って行った。あっと言う間に姿が見えなくなって、レイチェルは犬と共に取り残される。立っていても仕方がないので犬の隣に腰を下ろして、レイチェルは小さく溜息を吐いた。

「もう……セドって本当に……」

セドリックは本当に、何と言うか、優しすぎる。あんなに四方八方に優しさをバラまいていて、大丈夫なのだろうか。たまに心配になる。まあ、それがセドリックなのだけれど。
溜息を吐いたレイチェルを、犬が不思議そうに見上げてくる。レイチェルはふっと頬を緩めた。確かに痩せすぎで、毛並みはあまりよくないけれど、よく見たらなかなかハンサムな犬だ。さっきからちっとも吠えないし、本当に誰かの飼い犬だったのかもしれない。頭を撫でようかと手を伸ばして────レイチェルは思わずその手を空中で止めた。

「食事もだけど……犬用シャンプーが必要ね」

いきなり健康に太らせると言うのは無理だとしても、まずはこの毛並みだけでも何とかしなければ。洗ってブラッシングするだけでも、随分変わるはずだ。やると決めたからには、ちゃんとこの犬を可愛がってあげたい。

「ご飯でしょ。散歩……はいらないわよね。ノミ取りも? 後は何が必要なのかしら?」

確か、エリザベスやロジャーは犬を飼っていたはずだ。後で聞いてみよう。
思いつくことを指折り数えていって途切れたところで、レイチェルはふと我に返った。これからますます課題も増えていくだろうに、野良犬の世話なんかしてる場合なんだろうか。
────とりあえず、考えないことにしよう。

何にしろ、レイチェルの毎日はますます忙しくなりそうだ。

キャパシティの問題

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