翌朝、少し早めに目覚めたレイチェル達は朝食の席へと下りて行った。
大広間にはにぎやかなおしゃべりが溢れ、天井の空模様を覆い隠すように、保護者からの手紙や忘れ物なんかを運んできふくろう達が飛び交っている。外はひどい雨なのか、ふくろうの羽根から水滴が降って来て、レイチェルは日刊預言者新聞を濡らさないようにするのに苦労した。今日もシリウス・ブラックの目撃情報すら載っていない。
「今年もひっどい」
パメラが歯で咥えたフォークをぶらぶらさせながら、心底うんざりした顔で言った。それを見てお行儀が悪いと眉を寄せるエリザベスの表情も憂鬱そうだ。2人の視線の先は、さっき配られたばかりの時間割だ。レイチェルは自分の分を手元へと手繰り寄せ、その中身を読み上げた。
「今日は1日中一緒ね。午前中は変身術、呪文学が2時限続き、午後は魔法史……で、最後に闇の魔術に対する防衛術」
「壮絶なラインナップよね。金曜日が特に最悪! 古代ルーン文字に薬草学、変身術に魔法薬学、おまけに夜中には天文学って……何なの?殺す気なの? あ、レイチェル、そこのゴブレット取って」
パメラがぐったりとテーブルの上に突っ伏した。言われた通り、レイチェルが近くにあったかぼちゃジュースのゴブレットを渡すと、それを一気に飲み干す。勢いよく元の位置へと戻されたゴブレットが、テーブルとぶつかって固い音を立てた。
「自分で言うのもどうかと思うけど、どうせ私、OWLの魔法薬をパスする可能性なんてほっとんどないのよ!もしパスしたとしても、スネイプの授業なんて絶対継続しないし!魔法薬学、受ける必要ある!? 」
「やる前から諦めてしまうのはよくないわ……試験は1年も先ですもの」
「サボるのはお勧めしないわ。間違いなく罰則だもの。逆を言えば、今年1年の我慢よ」
エリザベスとレイチェルがそれぞれ慰めを口にすると、パメラは黙りこんだ。
レイチェルにだってパメラの気持ちがわからないわけじゃなかった。興味の持てない科目や苦手科目はどうせNEWTには進まないのだから、なかなかやる気になるのは難しい。
「確かに、なかなかハードな時間割よね」
朝から夕方までぎっしり埋まっている時間割を見て、レイチェルは小さく溜息を吐いた。ある程度覚悟はしていたと言え、こうやって実際に突きつけられると気分が滅入る。この上に、空いた時間には課題をやらなければいけないのだから、考えるだけで憂鬱になりそうだ。
「OWL学年ですもの。これくらいは当然だと思うわ」
生真面目なエリザベスの言葉に、レイチェルとパメラは顔を見合わせて、盛大に溜息を吐いた。
レイチェル達にだってわかっている。ホグワーツの5年生なら皆似たような時間割をこなしてきたのだろうし、手を抜いて後々泣くことになるのは自分だ。それでもやっぱり、レイチェルには優等生のエリザベスのように割り切って受け入れることはできそうになかった。
「皆さんもおわかりかと思いますが、今年はOWLの年です」
そしてどうやら、ホグワーツの教授達はエリザベスと同意見のようだ。
新学期初日の、しかも最初の授業がマクゴナガル教授の変身術だと言うのは、まだ夏休みボケの抜けないレイチェル達にとってはただでさえ気が引き締まる。教壇に立つマクゴナガル教授は、いつもの厳格な表情で教室内の一人ひとりを見渡し、15分以上もの長い演説を繰り広げた。OWLがいかにレイチェル達の将来にとって重要な試験で、そのためにこの1年どう過ごすかがレイチェル達の将来をはっきり左右すること。生半可な気持ちや態度で簡単に乗り切れるような生易しい試験でないこと────。
「しかし、きちんと勉強すれば、ここに居る全員がOWLで合格点を取ることも不可能ではありません……集中してお聞きなさい、ウィーズリー」
教室内の誰もが────欠伸をしたフレッドとジョージを覗いて────緊張して言葉の一句一句を聞き洩らさないよう集中する中、マクゴナガル教授はそう締めくくった。
それから恐ろしく複雑な理論を書き取り、残りの時間は、ひたすら消失呪文の練習だった。OWLでテストされるものの中でも一番難しいと前置きされたこの呪文は、確かに想像以上に難しかった。レイチェルにとって、変身術はそれなりに得意だと言える科目だったが、それでも授業終わりにやっとカタツムリの尻尾から胴体までを消すのがやっとだった。
クラスの中で完全にカタツムリを消し去ることができたのはたった2人きりで、それ以外は反復練習を言い渡された。明日の昼にもう一度テストだ。もっとも、斜め前の席に座っていたフレッドとジョージはカタツムリの角と目玉以外を消失させて面白がっていたので、本当は成功していたのは4人だったんじゃないかとレイチェルは思う。
「まさかいきなり消失呪文をやるなんて思わなくて……予習不足だったわ」
「教科書の最後だったじゃない!あんなところまで予習済みだったとしたら、狂ってるわよ!」
教室から出るとき、表情を曇らせてそんなことを言うエリザベスにパメラが眉を寄せる。
たぶん、いきなり難しい呪文に挑戦させたのは、OWLに向けて自分達がまだまだ実力不足だと言うことを理解させるためだったのだろう。だとしたら、その目論見は大成功だ。少なくともレイチェルははっきりと自分に勉強が足りないと言うことを思い知らされた。
「まだ皆さんが真剣に将来の仕事を考えたことがないのなら、今こそそのときです!自分の力を十分に発揮できるよう、これまで以上にしっかり勉強しましょう!」
続いての呪文学でも、やっぱり授業の初めにOWLに関する長い長い演説があった。フリットウィック教授の甲高いキーキー声を聞きながら、レイチェルはぼんやりと思考の海へと沈んで行った。
将来────レイチェルが将来、やりたいことは何だろう。そのためには、どんな職業に就けばいいのだろう。マグルが好きだから、マグルに関われる仕事ができればいいなと思う。でも、具体的には何もわからない。バーベッジ教授のような、マグル学の研究? それとも、魔法省でマグルに関係する部署に行けばいいのだろうか?そもそも、マグルに関係する職業って、どんなものがあるのだろう。
わからない。わかるのは、もう先延ばしにできる時間はそう残されていないと言う、それだけだ。
昼食の後は魔法史だった。
まだ1日の半分しか終わっていないのに、げっそりと疲れ切ったレイチェル達は、憂鬱な足取りで魔法史の教室へと向かった。ビンズ教授はマクゴナガル教授やフリットウィック教授のように熱心な演説をすることはなかったが────たぶん生徒のOWLの合否にそう感心がないのだろう────その代わりいつもの単調な語り口でOWLが始まった経緯や背景について長々と話したので、結果としてはそう変わらなかった。パメラに言わせれば「掃除機でもかけてるみたい」な話し声は、ほんの10分だけで生徒達を眠りへと誘う。レイチェルもいつものように頭が朦朧としてきたが、今日は必死に話を聞き取ろうと耳を澄まし、熱心に羽根ペンを動かした。
今年はOWLなのだ。今までのビンズ教授が作成した問題じゃないし、どんなにレポートで平常点を稼いだところでどうにもならない。だから今年こそは真面目に授業を受けなければいけない。そうわかっていたからこそ、レイチェルは少しでも気を抜けば落ちて来そうになる瞼を必死に持ち上げた。
しかしその努力もむなしく、結局授業後に見返したノートはところどころ読めなかった。巨人の戦争は魔法史の面白いテーマの一つだと思うのだけれど、どうしてビンズ教授の手────正確には声────にかかるとこんなにつまらなくなってしまうのだろうか。レイチェルは首を捻るばかりだった。
「やあ、皆。初めまして。今年度の防衛術を担当するリーマス・ルーピンだ」
その日最後の授業は、新任教授による闇の魔術に対する防衛術だった。去年はロックハートの肖像画や写真で埋め尽くされていた壁はすっきりと白く、部屋の中には大きな水槽や色々な魔法道具が置かれている。まだ魔法史での眠気を引きずってぼんやりしている生徒達の顔を見回して、ルーピン教授は穏やかに微笑んだ。
「君達は今年、OWLの学年だね」
レイチェルは思わずぎくっとした。また演説が始まるんじゃないかと思ったからだ。OWLが大切な試験だと言うのは確かだが、流石に1日4回も聞かされるのは勘弁して欲しい。憂鬱な気持ちで教壇のルーピン教授を見上げていると、ルーピン教授は落ち着いた調子で言った。
「OWLが君達の将来にとっていかに重要か────は他の先生方から聞いているだろうから、私からはやめておこう。君達も、昨日今日顔を知ったばかりの人間に言われたところで、勉強を熱心に頑張ろうと言う気持ちにはならないだろうしね」
そう言って悪戯っぽくルーピン教授が微笑んだのに、クラス中がほっとするのがわかった。どうやら周囲も、レイチェルと同じ気持ちだったらしい。ルーピン教授は楽しげに目を細めると、杖を軽く振って本棚の中から数冊の本を呼び寄せた。レイチェルの位置からは本のタイトルまでは見えないが、どこか見覚えがある。去年までの防衛術の教科書だ。
「君達の授業の記録によると、防衛術の理論そのものや、魔法生物に関しては大分やったようだね。危険度XXXXまでの魔法生物までは、大方終わっているようだ。その代わり、実地訓練────杖を振るような授業はあまり受けて来なかった。違うかな?」
その通りだった。1年生のときはまだ魔法を実際に使うところまで行かず、防衛呪文にはどんなものがあるかを教わったし、2年生のときの教授は防衛術の理論の研究家だった。3年生のときのクィレル教授ぶは危険な魔法生物の知識を教わった。去年は言わずもがな。レイチェル達の学年は、防衛術の授業で杖を振った経験は全くないと言っていいほどだった。試験前に自主練習は多少したけれど、それだけだ。
「私の知る限り、OWLでは危険な魔法生物を実際に試験に用いることはまずない。対処法を筆記で聞かれることは勿論あるけれどね。けれど、防衛呪文の類については実技試験が行われる。ありとあらゆる呪文を、実際に使える必要がある。もちろんOWLのためだけじゃない。君達の今後にも役立つだろう。今の世の中では使う機会も少ないけれど、使えないのと使わないのとでは全く違う。今学期は、主に防衛呪文を練習していこう。クリスマス休暇後には、まだ習ってない範囲や今までの復習を取り入れていくつもりだよ」
さっきまで眠そうだった生徒達は、今ではルーピン教授の言葉を熱心に聞いていた。レイチェルも、すっかり感心してしまった。さっきはOWLに関する演説はしないなんて言っていたが、レイチェル達をOWLに合格させたいと思っていてくれていることが伝わって来たからだ。
正直、レイチェルにとって────いや、レイチェル以外にとってもだろう────OWLの試験科目の中で一番心配なのが防衛術だった。1年ごとに教授が変わってしまうせいで、年ごとに教科書も方針も内容も変わりすぎる。この1年できちんとOWLの準備ができるのか、それが不安だった。けれどこの先生なら、大丈夫かもしれない。
「じゃあ早速、今日は盾の呪文をやろう。呪文は、『プロテゴ』。杖の振り方は、こう。ロジャー、やってみて」
「プロテゴ」
「そう。ペアを組んで、片方のかけた呪いを弾ければ成功だ。そうだな……怪我をしたりすると困るから、かける呪いはくすぐりの呪いに限定しよう。じゃあ、始めて」
しばらくすると、教室内は呪文を唱える声とけたたましい笑い声で溢れた。レイチェルはパメラとペアを組んだが、パメラの呪いを上手く弾くことができず、体をくの字に折って笑い転げることになってしまった。が、通りかかったルーピン教授がコツを教えてくれたので、3度目には成功させることができた。教室内に響く笑い声は、ひとつ、またひとつと減って行き、授業終わりのベルが鳴る頃にはほとんどの生徒が成功させることができるようになっていた。
「あの先生にずっと防衛術をやってほしいわ!」
「全くだわ」
「ええ。OWLのことをきちんと考えてくださってるし……教え方も、わかりやすいですもの。教鞭をとるのは初めてだって仰ってたのに」
教室から戻る道すがら、誰もが口々にルーピン教授を褒めそやしていた。
パメラの言葉に、レイチェルとエリザベスも賛同する。防衛術の教授には1年で辞めると言うジンクス。あのポストは呪われているだなんて言う噂もある。去年はそれを励みにしていたが、こうして素晴らしい教授が来てみると歯痒い。どうかルーピン教授には呪いが適用外となることを祈るしかない。
────そうだ。初めての授業と言えば。レイチェルはふと窓の外を見下ろして、首を傾げた。
「そう言えば、もう一人の新任の先生はどうだったのかしら?」
「失礼します。こんにちは、マダム・ポンフリー」
荷物を置きに寮に帰ったレイチェルにパドマが教えてくれたことには、もう一人の新任教授────ハグリッドは、3年生の魔法生物飼育学の授業で怪我人を出してしまったらしい。そして、その被害者はレイチェルの友人であるドラコ・マルフォイだと言う。授業で扱ったヒッポグリフに襲われたらしい。
3年生の最初の授業でいきなりヒッポグリフと言うのは、結構思いきった選択だ。初授業だから、張り切りすぎたのだろうか。何にせよ、新学期初日から医務室送りなんてついていない。せめて甘いお菓子でもとレイチェルは適当なお見舞い品を見つくろって医務室へと足を運ぶことにしたのだった。
「どうしましたか、ミス・グラント」
「あ、その、友達のお見舞いです」
マダム・ポンフリーは不機嫌そうだった。まあ、新学期初日から入院患者が出れば当然かもしれない。胡散臭そうな視線に、レイチェルは焦って答えた。自分は怪我人ではないと言うレイチェルの主張に、マダムの表情は随分と和らいだ。
「ああ、それなら結構。もうOWLで神経衰弱した患者が出たのかと思いましたよ」
「まさか!」
「冗談ではありませんよ。5年生や7年生と来たら、毎年半数はここの厄介になるんですからね。特に今年は試験の学年以外も体調を崩すでしょうよ。吸魂鬼なんてものがそのへんをウロウロしているんですから」
貴方はそうではないことを祈りますよと、マダムのぼやきにレイチェルは苦笑した。OWLやNEWTの学生がどんなに精神的に追い詰められるかはレイチェルも知っている。ああなりたくはないが、自分がそうならないと言う保証はない。やっぱり上機嫌とはいかなそうなマダムの脇を抜けて、レイチェルは医務室の奥へと足を進めた。入院用のベッドのある部屋へと入ると、複数の視線がレイチェルへと注がれる。患者が一人しか居ないからか、今はカーテンなんかの仕切りはないようだ。一番奥のベッドにはドラコ。そして、その周囲にはドラコの友人達が居た。
「ドラコに何か用?」
ドラコのベッドの脇に座っていた女の子が、怪訝そうに眉を寄せる。ネクタイの色は、ドラコと同じ深緑だ。レイチェルはその女の子に見覚えがあった。以前、廊下で何人かの女の子と一緒にドラコのことで話しかけてきた子だ。えっと、名前は────。
「やめろ、パンジー。僕の友人だ」
「嫌だ、そうだったの? ごめんなさい、ドラコ」
「僕じゃなくて、彼女に謝れ」
そうだ、パンジーだ。ドラコの溜息に、パンジーはしょんぼりと眉を下げる。ああやっぱりドラコのことが好きなんだなと、レイチェルは何だか微笑ましくなってしまった。友達が来ているのならば、レイチェルは出直した方がいいだろうか。
「あの、お見舞いここに置いておくから……よかったら食べてね」
とりあえずお菓子だけでも渡しておこうと、レイチェルはドアのすぐ近くにあったチェストの上へとお見舞いの蛙チョコレートを置いた。本当は手渡しするべきだろうが、パンジーの敵意一杯の視線が痛い。そのまま部屋を出ようとすると、「ちょっと待った」と背中に誰かの声がかかった。ドラコじゃない。振り返ると、声の主は壁に凭れかかっていた背の高い少年のようだった。
「僕達はこれで。いいよな、ドラコ」
「ああ」
「はあ!? 何で!? 私、まだ……ちょっと、何すんのよ、ノット!」
「いいから、行くぞ。ほら、クラッブ、ゴイル。お前らもだ」
どうやら少年はノットと言うらしい。納得いっていないらしいパンジーの腕を引いて、ノットはレイチェルの脇をすり抜け、部屋を出て行った。バタンとドアが閉まって、部屋の中にはドラコとレイチェルだけが残される。外からはまだパンジーが文句を言っている声が微かに聞こえてきた。
「ごめんね。せっかく友達が来てたのに……」
「気にしなくていい。あいつらは30分も前からここに居たんだ」
ドラコの友人に気を遣わせてしまった。申し訳なさに眉を下げると、ドラコは素っ気なくそう返した。そして、ベッド脇へと置かれた椅子を示す。さっきまでパンジーが座っていた椅子だ。促されるままに腰を下ろして、レイチェルはやっとドラコの姿をしっかり見た。
「怪我はひどいの?」
「ああ」
大した怪我じゃないとパドマは────正確にはたぶん姉のパーバティが────言っていたが、腕に巻かれた真っ白な包帯は見るからに痛々しい。腕を見下ろして、ドラコは眉を顰めた。その顔色は、いつもより更に青白かった。それだけでなく、レイチェルはドラコの様子がいつもと違う気がして、違和感を覚えた。でも、その理由が何なのかはわからない。
「せいぜい森番が似合いの無能に授業をやらせたりするからこうなるんだ……あれを教授と呼ばなきゃならないだなんて、全く悲劇としか言いようがない」
「……ハグリッドったら、ヒッポグリフは侮辱しちゃダメだって言わなかったの?」
ヒッポグリフが人間を襲うことはそんなにない。獰猛な一面もある生き物だが、きちんと敬意を払えばあちらも敬意を返してくれる生き物だ。それなのに人を襲ったとなると、考えられるのは一つしかない。彼らを侮辱して、その誇りを傷つけたことしか。レイチェルの疑問に、ドラコは気まずそうに視線を逸らした。
「いや……それは……」
「それなら、何もかもハグリッドが悪いってわけじゃないのね。先生の注意はちゃんと従わなくっちゃ」
初めての授業で緊張して注意を忘れていたのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。いくらドラコがハグリッドを嫌いでも、授業中に教授として注意をされたのなら、従わずに困るのは自分自身だ。こう言っては何だけれど、激昂したヒッポグリフに襲われて、腕の怪我くらいで済むなんて運が良かった方なのだから。
「だとしてもだ。生徒に怪我を負わせるなんて教師の監督不足だ。父上が知ったら、何て言うか……」
そこからは、ハグリッドを教授に採用したダンブルドアに対する批判のオンパレードだった。それもドラコ自身ではなく、ルシウス・マルフォイの。
父上はこう言った、父上はいつもこう言っている。父上の、父上が、父上を。次から次へと、ドラコの口から飛び出してくるのは、全部父親から借りた言葉ばかりだ。レイチェルはくらりと目眩がした。
「あのね、ドラコ」
小さく溜息が洩れる。ドラコには悪いが、レイチェルにはルシウス・マルフォイと言う人がドラコが思うほど素晴らしい人だとは思えない。魔法省でたった一度会っただけだが、噂に違わず純血主義で、それを隠そうともしない人だった。そしてドラコは少し、父親を心酔し過ぎている気がする。父親の言うことは何でも正しいのだと、そんな風に。
「私の友人は貴方であって、貴方のお父様じゃないはずよね? 貴方は、どう思ってるの?」
レイチェルはドラコのことを友人だと思っている。ドラコ自身のダンブルドアやハグリッドへの愚痴なら聞こう。レイチェルはダンブルドアを尊敬しているし、ハグリッドのことも嫌いじゃないから同調はしてあげられなかもしれないけれど、それでドラコの気分がすっきりするのなら。今日の授業のハグリッドに不満があるのなら、いくらでもぶちまければいい。ルシウス・マルフォイの意見がドラコの意見とそっくり同じなら、それでもいい。でも何だか、それは違う気がした。ただ、ルシウス・マルフォイの受け売りと言うか────真似をしている、だけな気がする。何となくだけれど。レイチェルがそう言うと、ドラコは何だか複雑な表情をした。驚いたような、困ったような、悲しんでいるような、喜んでいるような────そんな、何ともつかない表情を。見開かれたアイスブルーの瞳が、戸惑ったように揺れる。
「……今日はもう、帰ってくれないか」
視線が逸らされる。長い沈黙の後に、ドラコの口からやっと出て来たのはそんな言葉だった。レイチェルは驚いたが、見舞いの相手がそう言うのなら従うほかない。相手が嫌がることをするのでは、何のための見舞いかわからなくなってしまう。
「ええ……えっと、じゃあ……お大事にね」
レイチェルは曖昧に笑みを浮かべた。が、顔を背けられてしまったので、ドラコが今どんな表情なのかはわからなかった。何か、怒らせてしまっただろうか。口調は静かだったけれど、いきなり帰れと言われるなんて、そうとしか思えない。父親の意見を蔑ろにしたと、そう思ったのだろうか? きっとそうだ。ドラコは父親を尊敬しているみたいだから。誰だって、好きなものを尊重してもらえないのは気分が良くないに決まっている。
……失敗してしまった。
医務室のドアを背にして、深く溜息を吐く。
そして、レイチェルはようやくさっき感じた違和感の正体にも気がついた。……たぶん、声だ。今話したドラコの声は、レイチェルの知っていたはずのものより少し低くなっていた気がする。夏休みに会ったときのドラコの喉も、やっぱり声変わりのせいだったのせいだろう。元々口調は似ていたけれど、そのせいでますますルシウス・マルフォイの話し方と似て聞こえた。
レイチェルはドラコが好きだ。けれど、ドラコはレイチェルの苦手なルシウス・マルフォイを尊敬していて、そして、たぶん、ルシウス・マルフォイの真似をしている。あの、純血主義の────マグルを嫌悪し、蔑んでいる人を。ドラコは、父親のようになりたいのだろうか。ドラコもいずれ、あんな風になってしまうのだろうか?
だとしたら、レイチェルがずっと今と同じにドラコと友達で居るのは、とても難しいことなのかもしれない。