セドリックの快挙によって、久しぶりに家の中の空気は明るいものになった。おじさんとおばさんは勿論一人息子の栄誉に手放しで喜んでいたし、セドリック自身も嬉しそうだった。早速バッジを着けた所を見せてとおばさんにせがまれて、セドリックは夏休み中なのに厚い制服のローブに袖を通すことになった。真新しい銀色のバッジは真っ黒な生地によく映えたし、何よりずっと前からそこにあったかのようにしっくり来ていて、違和感がなかった。
お祝いのパーティーには勿論レイチェルもお呼ばれされた。とろりとしたオニオンスープにマッシュポテト、ローストビーフにヨークシャープディング、他にもたくさん。料理上手なおばさんが腕を振るったごちそうが所狭しと並んで、季節外れのクリスマスかと思うほどだった。食事が終わって、皿の上が皆空っぽになってしまっても、和やかな空気はまだダイニングを満たしていた。

「よく頑張ったなあ、セド」
「ああ、もう、本当に誇らしいわ!あの小さかったセディが監督生だなんて! おばあちゃまにも知らせなくっちゃ! きっと喜ぶわ!」
「やめてよ母さん……恥ずかしいよ」

ワインを飲んで上機嫌なおじさんに、セドリックの頬に何度もキスをするおばさん。そんな両親の様子に照れながらも、はにかむセドリック。幸せそうなディゴリー一家を見ていて、レイチェルはちくりと自分の胸が痛むのを感じた。きらきら輝くバッジは、セドリックの胸元によく似合っていた。あれは、セドリックのものだ。レイチェルにはバッジがない。また1歩、セドリックが先へと行ってしまった気がした。いや、1歩じゃなく2歩かもしれない。驚いたことに、セドリックの元に届いたのは監督生バッジ一つきりではなかった。監督生に任命されるだけでも十分すごいことなのに、封筒には更にクィディッチのキャプテンバッジも入っていたのだ。監督生の仕事だけでも忙しいだろうに、キャプテンまで。大丈夫だろうかと心配になったのはレイチェルだけでなくセドリックも同じだったようだったが、レイチェルは「スプラウト教授はセドならできるって思ったのよ」とセドリックを勇気づけた。嘘じゃなかった。きっとスプラウト教授も、ダンブルドアも、セドリックならできると考えたのだ。セドリックなら、皆から信頼される監督生になれて、チームを引っ張る立派なキャプテンになれると。セドリックの元にはバッジが2つ。でも、レイチェルの元には何もない。別に、監督生になりたいと思っていたわけじゃなかった。憧れはするけれど、ただ憧れていただけだ。自分が実際に監督生が務まるとは思えなかったし、まして自分が選ばれはずだなんて考えもしなかった。それなのに────いや、だからこそなのかもしれない。監督生に選ばれたセドリックが羨ましい。レイチェルと違って、監督生に選ばれたセドリックが羨ましい。監督生を、クィディッチのキャプテンに相応しいと先生達に認められたセドリックが羨ましい。レイチェルにはないものを持っていることが羨ましい。それはバッジもそうだけれど、もっと色々なものに対して。
羨望と言うよりも、嫉妬だ。セドリックが監督生に選ばれたことは嬉しいのに、妬ましい。馬鹿みたいだ。セドリックは監督生に選ばれるだけの努力はしていた。そんなこと、側で見ていたレイチェルが一番知っている。それは別に監督生に選ばれたくてやったわけじゃないだろうけれど、セドリックはレイチェルよりもずっと勤勉で、誰よりも努力していた。キャプテンだって、ハッフルパフの前任のキャプテンはこの間卒業してしまったし、今居るメンバーの中ではチームに一番長く居るセドリックが選ばれるのは自然な流れだ。そもそも、クィディッチチームにすら入っていないレイチェルがキャプテンになれるわけない。頭ではそうわかっているのに、胸の中はすっきりしてくれない。置いてきぼりにされたような寂しさと、嫉妬が絡み合って胸を締めつけて、レイチェルはぎゅっとティーカップを握り締める手に力を込めた。砂糖をたっぷり入れたはずの紅茶は、妙に苦い。
本当に馬鹿みたいだ。セドリックのお祝いなのに、どうして心の底から祝福してあげられないんだろう。さっきセドリックの封筒からバッジが出てきたときは、本当に嬉しかったのに。ありえないとは言え、逆だったら絶対、セドリックは手放しに喜んでくれるのに。最低だ。

「どうしたの、レイチェル。気分でも悪い?」
「えっ?」

一人ソファに座っていたはずが、気づかないうちにセドリックが目の前に立っていた。俯いていた顔を上げると、心配そうにレイチェルを覗きこむ灰色の瞳と目が合う。何となく気まずくて思わず視線が泳いだが、ここで逸らしてしまうのは不自然だ。何でもない風を取り繕って、じっとセドリックの顔を見返す。ただただ善良で、微塵もレイチェルを疑っていないだろうその表情を見ていると、何だか肩の力が抜けてしまった。たった今まで胸の中に詰まっていたもやもやしたものが、少しずつ───ゆるやかに、溶けていく。

「そんなことないわ」

ふ、と口元が緩む。ああもう、本当に、なんて馬鹿みたいなんだろう。おじさんも、おばさんも、誰も、「レイチェルは監督生になれなかったのね」なんて、意地悪を言ったりしてないのに。先に行ってしまった? 置いて行かれた?セドリックはいつだって、こうやって立ち止まって、レイチェルを振り返ってくれるのに?
勝手に比較して、劣等感を持って、落ち込んで、妬んで。ただの一人相撲。本当に、馬鹿みたいだ。

「セドが監督生に選ばれたんだもの。私も、嬉しい。すごく、気分がいいわ」

真実ではなかったけれど、嘘ではなかった。嬉しいのは、嘘じゃない。セドリックが監督生に選ばれて誇らしい。もしもハッフルパフの監督生がセドリックじゃなかったら、きっと「先生達は見る目がない」なんて機嫌を悪くしただろう。幼馴染の努力が認められたのに、レイチェルが喜んであげなくて、どうするのだ。

「まだ、ちゃんと言ってなかったわ。監督生おめでとう、セド」
「うん。ありがとう」

今度は真っ直ぐにセドリックの目を見つめることができた。そうして、その頬にキスをした。セドリックははにかんだように微笑むと、レイチェルの頬にキスを返した。胸元に光るバッジを改めて見つめていると、セドリックがその視線に気づいたのか苦笑してみせた。

「このバッジに相応しくなれるよう、頑張るよ」
「セドなら模範的な監督生になれると思うけど……ひとつだけ心配なのは、悪戯っ子達を取り締まるのにその心理を理解できるかってことね。セドって、お利口さんだもの」
「う……努力するよ」
「努力って……」

悪戯っ子の心理を勉強でもする気なのだろうか。真面目な顔で言うセドリックに、レイチェルはくすくす笑ってしまった。どこまでも、セドリックらしい。セドリックはセドリックだ。もうずっと前から、レイチェルよりも頭が良くて、ハンサムで、親切で、皆に好かれる、レイチェルの自慢の幼馴染。ただ、それに、監督生と言う肩書きが加わっただけ。セドリック自身は相変わらず謙虚で、誠実で、何も変わらない。羨ましいと思うのならばもっと努力するべきだったし、落ち込むのは馬鹿げている。だって必要なんてない。セドリックはたとえ先に進んでも、こうやって振り向いて、レイチェルを待っていてくれるのに。

「母さんがそろそろデザートにしようって。チョコレートケーキだよ」

そう言って、セドリックがテーブルへ着くよう促す。おばさんの手作りのチョコレートケーキは、レイチェルも大好物だ。ふわふわしたスポンジと、少し苦みのあるチョコレートホイップが絶妙においしい。
カップの中に残っていた最後の一口を含み、立ち上がった。ゆっくりと舌の上を滑らせて味わう。紅茶はちゃんと、甘かった。

 

 

 

自分の努力不足を棚に上げて、セドリックが監督生になったことを妬んだり僻んだりするのは、とても自分勝手で、とても馬鹿馬鹿しいことだ。そう結論が出たことによって、多少気持ちの整理はついたものの、やっぱりちょっぴり悔しい気持ちがあるのは確かだった。また1つ、セドリックに負けているものが増えた。こんな発言を口に出したとしたら、人間の美徳は勝ち負けなんかじゃないとおじさんにはこんこんとお説教をされるだろうし、おばさんはどうしてそんなことを言うのと悲しむだろう。「大切なのは、いつだって自分のベストを尽くして、胸を張って生きていくことだ。他人を励みにして頑張るのは素晴らしいことだけれど、勝敗にばかり固執すると、相手を蹴落とすことしか考えられなくなってしまう」────そんな風に。レイチェルだってそんなことはわかっている。だが実際、目に見えて優劣が明らかなのだから気になってしまうのは仕方ない。セドリックの方が成績がいいのは数値で証明されているし、スポーツだってセドリックの方ができる。レイチェルだってどっちもそこそこだが、セドリックの方が優れているのは明らかだ。外見も性格も、セドリックは文句なしに良い。友達も多い。レイチェルは────レイチェルも、そこそこだと信じたい。少なくとも、鏡を見る限り、とびきり美人でない代わりに、ブスでもないはずだ。友達はそう多い方じゃないことは自覚している。少なくはない、人並みだ。セドリックが多すぎるのだ。
まあ、つまり、レイチェルがセドリックよりも優れていると誇れるものって、ほとんどないのだ。歌や絵はセドリックより上手いと思うが、それはレイチェルがとりたてて芸術的素養に恵まれているわけではなく、単にセドリックがそれらを苦手としているだけだ。料理やお菓子作りもセドリックよりできると思うが、これは趣味の側面が強いのであまり誇る気にはなれない。読書量もレイチェルの方が多いが、クィディッチの練習がないぶんセドリックより暇な時間が多いと言うだけの話だ。ファッションや流行についてもセドリックよりは詳しいが、レイチェルも同学年の女子に比べれば疎い方なので誇れるようなものではない。要するにレイチェルがセドリックのことを「素敵な幼馴染ね」「私もあんな幼馴染が欲しい!」と羨ましがられることはあっても逆はない。悲しいけれどそれが現実だ。
レイチェルがセドリックに勝てている数少ないもの────魔法薬学。これはセドリックが苦手にしている科目だと言うのもあるが、レイチェルの成績は学年でもかなり上位の方だ。レイブンクローの女子の中では1番の成績だ。魔法薬学だけは、今年もセドリックに負けたくない。セドリックのことがなくても、レイチェル自身魔法薬学を続けたいと思ってるので、何としてでもOWLでは優を収めてNEWTクラスの受講資格を手に入れたい。
そしてレイチェルは、もうひとつ、どうしてもセドリックに勝ちたいと願っているものがある。これが今、セドリックとレイチェルのどちらが勝っているのか、曖昧だった。一昨年は僅差でセドリックに負けてしまって、去年は試験そのものがなくなってしまった。マグル学は、レイチェルが一番興味を惹かれる、そして情熱を注いでいる科目だ。
今年こそはセドリックに勝ちたい。いや、いっそ学年で1番になりたい。そしてレイチェルは、これは頑張れば不可能ではないのではないかと考えていた。レイチェルには、この夏に、マグル界にホームステイをしにいく予定があるからだ。荷作りももう終えたし、事前準備はばっちり整っている。セドリックは友達とキャンプに行くからと応募しなかったので、ホームステイはレイチェルだけ。マグルに関する理解を深めるこの上ない機会だ。夏休みの間に差をつけて、今度こそセドリックに勝ちたい。

レイチェル。ちょっと休憩したら?」
「きりがいいところまでやってからにする。セドは先にケーキ食べてて」

そうと決意してからは、レイチェルはこれまでになく熱心に夏休みの課題に取り組んでいた。これが終わればあと1つ。何としてでも、ホームステイに行くまでに全部片付けてしまいたい。そうすれば、ホームステイに課題を持って行かずに済む。そのぶん、マグルのことに集中できる時間が増えるのだ。レイチェルが課題へと没頭していると、窓から1羽のふくろうが入って来たようだった。

レイチェル。手紙が来たよ」
「手紙?」
「ホームステイに関することじゃないかな。明後日からだよね?」
「ええ、そう。何かしら……悪いんだけど、セド、読んでくれる? 今、手が離せないの」

ホームステイがすぐそこまで迫っているこの時期に手紙を送って来るなんて、何か緊急の用件に違いない。が、レイチェルはちょうど天文学の複雑な星座図に定規で線を引いている途中だったので、手どころか顔も上げられなかった。ずれてしまったらやり直しになってしまう。レイチェルはこの課題は今日中に終わらせるつもりなのだ。

「えっと……」

カサカサと羊皮紙を広げる音がしたので、レイチェルは大人しくセドリックが内容を読み上げてくれるのを待った。が、手紙を読みこんでいるのか、セドリックは沈黙したままだった。そんなに複雑な内容なのだろうか?

「何て書いてあったの?」

レイチェルはじれったくなってセドリックを促した。顔を上げてセドリックを見ると、羊皮紙へと視線を落したまま、難しい顔をしている。そうして顔を上げたと思ったら、困ったように眉を下げて、言いづらそうに口を開いた。

「その……ホームステイ、中止だって」
「……え?」

思わず力を入れてしまったせいで、うしかい座の線が斜めに大きく歪んだ。が、レイチェルはそんなことは気にせず、手の中の羽根ペンを放り出してセドリックから手紙を引ったくった。そうして、羊皮紙に書かれた几帳面な文字へと視線を走らせる。けれど確かに、要約するとセドリックの言った通りのことが書かれていた。
誠に恐縮ですが、現在の社会情勢を考慮し、参加者の安全を第一として今回は実施を見送らせていただきます────ぼかされてはいるが要するに、シリウス・ブラックがまだ逃亡中なので、ブラックの狙っているかもしれないマグルの町になんて行かせられませんと、そう言うことだ。

「最悪……!」

張り詰めていた糸が切れたように、レイチェルはソファの上へと崩れ落ちた。放り出した羽根ペンが、羊皮紙の上でじわじわと黒い染みを広げている。その脇に置かれた白いケーキ皿の上には、レイチェルの分のケーキがまだ乗っている。ピンク色のクリーム色とラズベリーで飾られた、おばさんお手製の可愛らしいケーキ。けれどその存在すらも、今のレイチェルの心を慰めてはくれなかった。
目頭がじわりと熱を帯びて、視界がぼやけた。楽しみにしていたのに────せっかくホームステイをさせてくれる家が見つかったのに、中止だなんて。

レイチェルのこの夏最大の楽しみは、シリウス・ブラックによってあっけなく潰れてしまったのだった。

ティーカップの渦

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