「ねえセド、2足歩行の生物をヒトたる存在に認定しようとしたのって誰だったっけ?」
「バードック・マルドゥーン」
「そうだったわ。ありがとう」

楽しい旅行から家に帰ったレイチェルの最初の使命は、家が無人の間に勝手に屋根裏に住みついたグールお化けを追い出すこと、そして机の上に積みっぱなし埃をかぶった夏休みの課題の計画を立てることだった。OWLを意識してのレポートの量と質たるや、なかなかどうして一筋縄ではいきそうにない。夏休みの終わりになって泣く羽目にならないようにするためには、無理のない学習計画を立てることが不可欠だ。そして、決して計画を立てるだけで満足してはいけない。きちんとプラン通りに課題をこなしていく必要がある。こつこつ地道に、余裕を持って。できそうならば前倒しに。早く終われば終わるほど自由な時間は増えるのだ。
そう頭ではわかっている。わかっているのだ。それでも急にお菓子作りがしたい気分になったりもするし、机に向かうと部屋の模様替えがしたくなったりする。寮の部屋に閉じこもっていれば誘惑も少ないけれど、自分の家ではそうもいかない。ついつい「また明日やればいいし」なんて自分を甘やかして、勉強を投げ出したくなってしまう。
隣に同級生が住んでいると言うのはこう言う時便利だ。レイチェルは羽根ペンの先をインク壺に浸しながらそんなことを考えた。いや、正確には同級生がと言うよりも優秀で模範的な同級生が、だろうか。
ディゴリー家の4人掛けのダイニングテーブルには、レイチェルとセドリック2人分の課題を広げてもスペースに余裕がある。勤勉なセドリックと同じペースで課題を進めておけば間違いなく余裕を持って終わるし、セドリックの方が進んでいるのは悔しいのでやる気も出る。おまけに、お互いにノルマの途中で投げ出さないよう見張りにもなる。それほど勉強が好きなわけではないレイチェルにとっては、結局学校での勉強だって友達がやってるからとやらなければと思う部分が大きいのだ。

「やっと終わった……」

最後の一文を書き終えて、レイチェルは机の上へと突っ伏した。これでようやく3つ目の課題が終了だ。魔法史が一番の苦手科目だとは言え、たかだか羊皮紙1巻きのレポートに4日間もかかってしまうなんて。レイチェルの声に、セドリックもレポートから顔を上げた。

「僕もあと2行で終わる」
「じゃあちょうどいいわ。お茶にしましょ、アールグレイでいい?」
「任せるよ」

ここのところのレイチェルの毎日と言えば、同じことの繰り返し。
午前中はセドリックに付き合ってストーツヘッド・ヒルで箒に乗り、午後はディゴリー家のダイニングで課題。おばさんの用意してくれるお菓子を食べて一休みしたらまた課題。夕食を食べたら、チェスや読書なんかを楽しんだら眠る。まるで修道女みたく禁欲的で変わり映えしない。それがイギリスに帰ってからのレイチェルの毎日だ。日記を書いたとしたら、まるきり退屈なものになるだろう。違うものと言えば、毎日おばさんの用意してくれるお菓子の種類ぐらいだろうか。レイチェルは艶々光るアップルパイへとフォークを差しいれながら考えた。アップルパイのリンゴはやっぱりちょっと酸っぱいくらいがおいしい。

「NEWTクラスになったら絶対、魔法史なんて選択しないわ」
「僕はたぶん継続するだろうな……興味深い科目だと思うよ」
「科目自体はね。でも私、きっと授業で寝ちゃうもの」

苦々しく呟くレイチェルに、セドリックが苦笑する。OWLは憂鬱だけれど、唯一のメリットを上げるとすればOWLさえ乗り越えれば自分の嫌いな科目とのお付き合いはそこで終了することだ。別段魔法史が必要になる職種に就く予定はないので、レイチェルが夏休みに魔法史のレポートをやるのもこれで最後だろう。

「本で読んだけど、エジプトや中国の魔法史なんか、すごく面白いよ」
「じゃあ、その本の題名を思い出したら教えてね。読んでみるわ」

セドリックの言葉に、レイチェルは軽く肩を竦めた。どんなにドラマチックな外交問題も凄惨な事件も、ビンズ先生のあの一本調子の口調で語られれば、ドラゴンのいびきよりも退屈な子守唄になってしまう。
残り少なくなった紅茶を傾けながら、レイチェルはふと思い出したことがあった。
そうだ。エジプトと言えば。

「そう言えば今、フレッド達ってエジプトに行ってるのよね。新学期になったら、写真見せてもらったら?」

レイチェルはテーブルの端に置いてあった日刊預言者新聞を手繰り寄せた。一面記事には、大きな写真と一緒に、見出しの文字が躍っている。「魔法省官僚 グランプリ大当たり」。双子の父親のアーサー・ウィーズリー氏がガリオンくじで700ガリオンを当てたらしい。大きなピラミッドを背景に映った家族写真には、レイチェルの知っている顔も映っている。隣同士に並んだジニーとチャーリーがレイチェルへと手を振ったので、レイチェルはふっと口元を緩めた。

「知り合いが新聞に載ってるのって変な感じ」
「おばさんはいつも載ってるじゃないか」
「ママのは本の宣伝だもの。何て言うか、仕事の一環でしょ? でも、これは違うじゃない」

新聞に載ることも、ガリオンくじが当たることも滅多にあることじゃない。エイモスおじさんは毎年買っているみたいだけれど、ちっと当たらなくて、こう言うのは夢を買うものなんだと肩を竦めていた。おばさんはそんなおじさんに、どうせ当たらないんだから買わなければいいのにと呆れて溜息を吐く。当てたら旅行にでもとおじさんはよく言っているけれど、まさしくウィーズリー家のこれがガリオンくじに賭けているおじさんの夢なのだろう。

「エジプトってどんなところなのかしら」
「やっぱり、ものすごく暑いんじゃないかな。イタリアより更に南だし……夏の気温は40度を超えるって聞いた気がする」
「40度!?」

セドリックの言葉に、レイチェルはぎょっとした。デヴォン州だってイギリスの中では南の方だけれど、夏のどんなに暑い日でもせいぜい30度だ。この間行ったナポリだってそれくらいだったし、去年ルーマニアに行った時も森の中だからそこまで暑くなかった。40度って、40度って体温より高いじゃないか。

「……想像つかない。ヨーロッパから出たことないもの」
「魔法界からもね」

セドリックの呟きに、レイチェルは目を見開いた。確かにレイチェルは魔法界育ちだが、まるきりマグル界に行ったことがないわけじゃない。セドリックだってそれは知っている。セドリックの言葉が何を意図したものかに察しがついて、レイチェルは苦笑した。

「やっぱり反対?」
「反対ってわけじゃないけど……」

ばつが悪そうに言葉を濁すセドリックに、レイチェルは小さく溜息を吐いた。
ああ、もう、この話題で揉めるのは一体この夏何度目だろう?

 

 

 

旅行から帰って以来修道女のような生活を送っているレイチェルにも、実はもうひとつ、夏休みに旅行と同じくらい楽しみにしていることがある。むしろこの楽しみがあるからこそ、今の生活に甘んじているとも言えた。まだ夏休みが始まる前から、ずっと楽しみにしていたことだ。
レイチェルにとっては生まれて初めての体験で、初めてだから少し不安もあるけれど、でもとてもわくわくするような出来事だ。そして、海外旅行と同じくらい貴重な体験だ。もしも成功したとしたら、イタリア旅行と同じくらい素晴らしい経験になるだろうと、レイチェルは今から確信していた。
ただこのイベントは、レイチェルにとっては最高に素敵なものだが、人によっては意見が分かれる。親友のエリザベス・プライスが聞いたとしたら「そんなことをして大丈夫なの?」と顔を曇らせるだろうし、もう一人の親友のパメラ・ジョーンズが聞いたとしたら「それってどこが楽しいの?」と肩を竦めるだろう。ドラコは────ドラコはきっとレイチェルが説明を終える前に眉を顰めるだろう。伝えなかったのは賢明な判断だった。
そして、ディゴリー夫妻とセドリックは説明を聞いてはくれたものの、レイチェルがそれに参加することには難色を示していた。

「おじさん達もセドも、ちょっと心配し過ぎだと思うけど……」
「心配するに決まってるよ、マグルの家でホームステイなんて」

レイチェルの楽しみにしていること。それは、一般的なマグルの家庭でホームステイを行うことだ。そこで10日間、マグルと同じように生活をする。電気やガスコンロを使うし、テレビも見られる。マグルのお店で買い物もするかもしれない。そんなとても素敵な企画だ。心配そうに眉を下げるセドリックに、レイチェルは眉を寄せる。

「セドだってパンフレットを見たでしょ。魔法省も支援してる企画なんだから、大丈夫よ」

セドリックはまだ納得がいっていなさそうだったけれど、自分の父親の職場を疑う発言をする気にはなれなかったのか、それ以上何も言わず、レイチェルの読み終えた新聞へ手を伸ばした。
おじさん達の世代は、多少マグルに対する偏見や誤解があるのは仕方のないことが、レイチェルと机を並べてマグル学を受講しているセドリックまで諭して来るのは一体どう言う了見だろうか。それに、今回のホームステイに関して言えば、マグルの家庭とは言っても、ちゃんとレイチェルが魔法使いだと言うことは承知で受け入れてくれる。身内に魔法族が居たり、あるいはスクイブだったり。そう言う、魔法界のことは知っているけれど、自分自身はマグルの生活をしている人のところに行くのだ。一体何の危険があると言うのだろうか。
保護者のサインは母親がしてくれたので、実のところ、ディゴリー夫妻がどんなに反対したところで参加はできる。とは言えやっぱり、心配をかけるのは心苦しいのも事実だった。おじさん達の心証を悪くしたくなかったので、レイチェルはこの夏一度もオッタリー・セント・キャッチポールへの小旅行に出かけていない。保護呪文のかけられたすぐ外をマグルの少年が通っていても、垣根を越えておしゃべりに行ったりしなかった。こんな退屈な日々に耐えているのも、全てホームステイのためなのだ。

「そろそろ案内が来てもいいはずなのに」

応募したのは学期が終わる直前の話だ。バーベッジ教授は7月の半ばには結果が出るだろうと言っていたが、まだレイチェルの手元には返事が来ない。実施する日程すら未確定だし、そもそも条件が整わず実施されない可能性すらある。魔法界のことを知るマグルの家庭の数はそもそも多くないし、魔法族の子供を受け入れようと思ってくれる人となると更に数が減る。しかもそれが年頃の女の子となれば、せいぜい片手で足りるくらいしか受け入れ先は見つからないだろうと聞かされていた。おまけに参加するにあたって審査があるので、それに引っ掛かってしまわないかも問題だった。まあ、審査に関してはバーベッジ教授が一筆書いてくれたからきっと大丈夫だろうけれど。
まあ要するに、応募したはいいものの、今回は残念でした、なんて事態もありえるのだ。返事が来るまでの時間が長いほど、やっぱりダメだったんじゃないかと不安になって来る。

「あれ?」

セドリックが新聞のページを捲ったのと同時、封筒がテーブルの上へと滑り落ちた。どうやら、ページの間に挟まっていたらしい。それを拾い上げたセドリックは、しげしげと封筒を裏返したあと、それをレイチェルへと差し出した。

「……レイチェル。もしかして、これ、そうじゃないかな」
「本当?貸して!」

確かに封筒の宛名は「レイチェルグラントさま」だ。レイチェルはそれを受け取ると、震えそうになる指でそっと封蝋を剥がした。シンプルな薄紫色をした羊皮紙には、少しくせのある文字でこんな文章が書かれていた。

レイチェルグラントさま

ご応募頂きました短期留学の詳細が決定しましたのでご連絡いたします。

◇実施日
8月15日 土曜日~8月24日 月曜日(10日間) ※1

◇集合
8月15日 土曜日 午前10時 ダイアゴン横丁「漏れ鍋」店内 ※2

◇参加費
120ガリオン

※1 事前に魔法省にて杖の登録が必要となります。実施日よりも2日前に登録が完了していない場合、参加は認められませんのでご注意ください。
※2 集合後は各自マグルの交通機関での移動となります。マグルらしい服装でお越しください

ホストファミリーの詳細、連絡先については別紙をご覧ください。
この度の短期留学が貴殿にとって貴重な体験となるようお祈り申し上げます。

間違いない。ホームステイの案内状だ。もう一枚入っていた紙を見ると、ホストファミリーの詳細と、住所が書かれていた。ロンドンの郊外に住むマグルの老夫婦で、息子がホグワーツの卒業生だけれど、2人は生粋のマグルらしい。マグルの家なら何でもいいと思っていたけれど、生粋のマグルだなんて、なんて運が良いんだろう!

「やった!」

レイチェルは椅子から立ち上がって、封筒を抱きしめたままその場でぴょんぴょん跳ねた。マグルの町に行ける。マグルの家で暮らせる。友達の家族でも、何でもないマグルの家で。後でふくろう便で挨拶を送らなくちゃ。頬が紅潮する。レイチェルは呆気にとられている様子のセドリックに向かって、満面の笑みを浮かべた。

「私、行く!セドやおじさんが止めても、絶対行くから!」

セドリックはいかにもハッフルパフらしく勤勉で、模範的な生徒だ。レイチェルよりも賢いし、正義感も倫理観も至極一般的な価値観をしているので、大体にしてセドリックの意見は正しい。セドリックと同じペースで進めておけば間違いなく夏休みの課題は余裕を持って終わる。けれど、どんなにセドリックが反対したって、今度ばかりは譲る気はない。

レイチェルは、この夏、マグルの世界で過ごすのだ。

素敵な知らせ

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