燦々と降り注ぐ日差しが、白い石畳の上で跳ね返る。
頭上に広がる空は濃い青をしていて、わたがしみたいな雲は対照的なまでに白い。夏をテーマに絵を描きなさい、と小さな子供に言ったとしたら、まさしくこんな空を描くだろう。そんな美しい夏空の下を、レイチェルグラントは一人歩いていた。
高さの不揃いな石畳を進みながら、手の中の地図と周囲の通りの名前とを、慎重に見比べる。2つ目の角を右に曲がって少し行くと、目当ての店は見つかった。褪せかけた淡いグリーンの壁に、スカイブルーのドア。小さな看板に書かれた文字は、手元の地図と同じ綴りだ。
アンティークなノブを回すと、キィと木製のドアが軋む。銅色をした古びたドアベルがカラカラと鳴って、冷たい空気がレイチェルの肌を撫でた。
目抜き通りからは少し外れたところにあるこの店は、地元の人々にも人気の老舗のジェラテリアだ。小ぢんまりとした店の中は、多くの観光客や少しでもこの暑さを紛らわせたいと考えた人々で賑わっている。店内の幅一杯に広がった大きなガラスケースの中には、色とりどりのジェラートが所狭しと並んでいた。ストロベリーにラズベリー、カシス、レモン、桃、洋梨、パッションフルーツ。チョコレートにバニラ、チョコチップ、コーヒー、ココナッツ、ピスタチオ。レイチェルはほうと息を吐いた。何にするか店に入る前に考えて来たと言うのに、実際見てみるとどれもこれもおいしそうで、目移りしてしまいそうだった。やっぱり、ラズベリーは外せない。ヨーグルトやレモンもおいしそうだけれど、ストロベリーも気になる。それに桃も捨てがたい。それに、あの奥のは何味だろう?

「あれはヘーゼルナッツだよ」

そんなレイチェルの思考を読みとったかのように、頭上から答えが降って来た。顔を上げると、いつの間にかレイチェルの隣に立っていた男の子が目が合う。年の頃はレイチェルよりと同じか、少し上くらいだろうか。どうやら彼は買い物を済ませたばかりらしく、手にはジェラートのコーンが握られていた。

「どれが食べたいの?」
「あ……えっと、ラズベリーとストロベリー……」
「Scusi,per lei un cono medio,lampone e fragola e pesca…,con panna,per favore」

どうやらレイチェルと違って、観光客ではないらしい。レイチェルには耳慣れない言葉が少年の口からジェラートみたく滑らかに紡がれる。常連客なのか、無愛想だった店のおじさんが僅かに笑みを覗かせた。
レイチェルはジェラートの注文も一人でできないほどか弱い女の子ではないつもりだけれど、少年の親切を台無しにするのも気が引けた。それに、店員のおじさんにしたって言葉もろくに通じないレイチェルよりも慣れた少年相手の方が確実だし、気が楽だろう。そんな思いもあって、レイチェルは大人しくそのやり取りを見守った。が、ややあって少年が手渡してくれたジェラートを見て、はてと首を傾げることになった。レイチェルが注文したのは2種類。だが、コーンの上にたっぷり乗せられた色鮮やかなジェラートは、3色に分かれている。

「1種類多いわ」
「ここのジェラテリアは桃が1番美味しいんだよ」

おまけに生クリームがたっぷり乗っている。人懐こい笑みを浮かべる少年はいかにも好青年そうに見えたが、やってることは結構強引だ。とは言え、少年がよかれと思ってやってくれたのは明らかだし、正直なところ桃も食べてみたかったので、レイチェルはありがたく受け取ることにして、にっこりと笑みを浮かべた。

「どうもありがとう」
「どういたしまして。ほら、溶けちゃうよ」

少年に急かされて、レイチェルは早速一匙掬って口へと運んだ。やわらかく泡立てられた生クリームの甘さとラズベリーの甘酸っぱさが舌の上で溶けあう。うっとりするくらい美味しい。レイチェルはそこで、自分はまだ代金を支払っていないことに気がついた。注文だけでなく支払いまで少年がいつの間にか済ませてしまっていたのだ。レイチェルが慌ててポシェットから財布を探して居ると、少年は肩を竦めてみせた。

「いいよ。女の子にお金をもらったなんて知られたら、ママに叱られるから」

いくら何だって、初対面の人におごってもらうのは気が引ける。レイチェルが眉を寄せると、じゃあこのまましばらくおしゃべりに付き合ってよと返って来た。店の前に置かれたベンチに座ってのんびりしようと、そう言うわけだ。レイチェルは時計を見て、しばらく考えこんだ。このままさよならと言うのは罪悪感があるし、かと言ってお金は受け取ってくれそうにない。いい人そうに見えるし、ほんの少しなら───ほんの少しの時間だけならいいだろう。

「どこから来たの?」
「イギリス」
「ローマは初めて?」
「ええ。とても素敵な町ね」

外気に触れると、ジェラートの輪郭はゆるやかにぼやけていく。レイチェルはそのスピードと同じくらいゆっくりと、簡単な言葉を選んで話すよう心がけた。どうやら英語はそこまで得意なわけではないらしい。かく言うレイチェルも、少年の母国語で会話をしようと言われたらお手上げなわけだけれど。
あまり長く喋ってボロが出てしまうと困ると思ったが、このぶんなら大丈夫そうだ。何せ「あのこと」がバレてしまうと、面倒になることは間違いない。ジェラートをつつきながら、レイチェルはそんなことを考えた。
ふいに少年が黙りこんで、沈黙が落ちた。レイチェルが不思議に思って顔を上げると、真剣な表情がレイチェルを見つめていた。

「ねえ。君はもしかして魔女なの?」

唐突な質問に、レイチェルは目を見開いた。それはまさしく、レイチェルが隠し通さなければいけない秘密だった。
悪戯が成功したみたいな顔で、少年が楽しげに笑う。絹糸みたいなブロンドが、さらりと揺れた。
────どうしてわかったのだろう? 一体何が原因になった?
溶けたジェラートが、ぽたりとアスファルトに染みを作った。

 

 

 

少年の指摘した通り、レイチェルは魔女だ。
ルーマニアのドラゴン研究所で働いている魔法使いの父親と、魔法界ではベストセラー作家の母親の間に生まれた。両親だけでなく、祖父母もそのまた祖父母も、従妹やハトコも皆魔法使いばかりの、いわゆる“純血”の魔女だ。とは言え、レイチェル自身もその周囲もとりたてて純血主義ではなかったので、レイチェルにとっては純血であることはイギリス人であると言うことと同じ程度の意味しか持たない。むしろ逆純血主義と友人達に呆れられるほど、マグルやマグルの文化に強い関心を持っていた。生家の近くにあるマグルの村、オッタリー・セント・キャッチポールへ出掛けてマグルと交流するのが、レイチェルのここ数年来の野望だった。
魔法界においてはごくごく一般的な人生を歩んできたレイチェルは、イギリスの魔法族の子供なら誰もがそうであるようにホグワーツに通っていて、次の9月には5年生に進級する。ちなみに寮はレイブンクローだ。とは言っても、自分が機知と叡智に富んでいるとは思っていなかったし、特別勉強が好きなわけでもなかったが。まあ、青が好きだからなんて冗談みたいな理由で選んだのだから当然と言えば当然だけれど。実際、レイチェルの年下の友人、ハーマイオニー・グレンジャーには冗談だと思われた。
そう、確かに、レイチェルは魔女だ。学期中のレイチェルは真っ黒なローブを着て、魔法の杖を常時携帯している。式典の時には黒いとんがり帽子も被る。わかりやすく魔女らしい。
だがしかし、今のレイチェルは夏季休暇の真っ最中だ。ここイタリアでの法律がどうなっているかは知らないが、イギリス魔法界は就学年齢に達した未成年が学校以外で魔法を使うことを禁じている。レイチェルの杖は今やケースに入れられ、おじさんのトランクの5番目の底に鎮座ましましていて、ホテルの部屋に闇の魔法使いが襲撃でもして来ない限り返してもらえないだろう。服装だって、夏休みにまでホグワーツのエンブレムを引っ付けていたいと思うほど、レイチェルは愛校心に溢れた生徒ではない。今のレイチェルは、ごくごく普通のマグルの女の子にしか見えないはずだった。それなのにどうして、この少年はレイチェルが魔女だと見抜いたのだろう?

「どうしてそう思ったの?」

とりあえず肯定も否定も返さず、レイチェルは原因を探ることにした。もしもこの僅かな時間の中でレイチェルが魔女だとバレるような────マグルの常識からあまりにも外れたことをしたのだとしたら、今後改める必要があると感じたからだ。そうでないとしたら、マグルのように見えただけで、もしかして彼もイタリアの魔法使いなのかもしれない。もしくは、レイチェルの友達の誰かの知り合いとか────。

「だって」

するりと流れるような動作で、レイチェルの空いた方の手に少年の指が絡められる。今日の空と同じ色をした瞳がレイチェルを熱っぽく見つめた。紡がれる声は、舌の上に広がるジェラートよりもずっと甘ったるい。

「君を一目見た瞬間、君のことしか考えられなくなっちゃったから。一体どんな魔法を使ったんだい?」

レイチェルはその言葉に、ぱちりと瞬きをした。どうやら、本当に魔女だとバレたわけではないらしい。最悪の事態は免れた。が、はてさてこの状況は一体どうしたらいいものだろうとレイチェルは視線を泳がせた。さっきより顔が近い。イタリア人の男の子は情熱的だとは聞いていたけれど、ここまでだなんて。

レイチェル!」

誰かがレイチェルの名前を呼んだ。とは言っても、その「誰か」が一体誰なのかなんて、慣れ親しんだその響きだけでレイチェルにはわかってしまう。視線を向ければやはり、そこには見慣れた少年の姿があった。

「セド?」

幼馴染のセドリック。彼についてごくごく簡潔に説明するとすれば、黒髪にきりりとした灰色の瞳をしたハンサムで、頭も運動神経も性格もよくて、おまけに背まで高い。これだけ美点ばかりを上げ連ねると幼馴染の贔屓目だと思われそうだけれど、客観的に見ても事実そうだった。セドリックがにっこり笑いかければ大抵の女の子は頬を染めるし、成績はほとんどの科目で学年首席。クィディッチの寮代表チームではシーカーを務めていて、同級生の誰もがセドリックほど親切な男の子は居ないと口を揃える。つまり見た目も何もかもレイチェルとは全く似つかないセドリックと見比べて、少年はどうやら2人が兄妹ではないと察したらしかった。残念そうに軽く肩を竦めてみせる。

「Ciao,strega bella」

レイチェルの頬に軽くキスをして、少年はそんな挨拶とともに通りの向こうへと消えて行った。あまりにもあっと言う間のことだったので、レイチェルはただただされるがままにするほかなかった。
イタリア人の男の子ってすごいなあと妙な関心をしていると、セドリックが重たい溜息を吐いた。

「……なかなか戻って来ないから、心配した」

セドリックの口調は別にレイチェルを責めているわけじゃなかったけれど、思わずばつの悪さに視線を逸らした。心配をかけたのは申し訳ないとは思う。けれどそれにしたって、セドリックは少し過保護すぎるのだ。一体いつまでレイチェルを5歳の女の子みたいに扱うつもりなのだろう。素直に謝罪をするのはなんとなく悔しくて、言い訳じみた弁解を口にする。

「ジェラートを買いに行って来るっておばさんにちゃんと言ったわ」
「知ってるよ。母さんから聞いた。それに、『買ったらすぐに戻って来る』ともね」

当てこすられた。そりゃあ呑気におしゃべりしてたのはよくなかったかもしれないが、レイチェルから誘ったわけじゃない。それに、レイチェルは本当にすぐに戻るつもりだったのだ。確かにマグルと話してみたい気持ちもあったけれど、いくら何だって異国の地で無茶をやらかすほど無鉄砲じゃない。

「だって、話しかけられたし……親切にしてくれたんだもの。無視するわけにいかないでしょ。それに……」
「それに?」
「……何でもない」

ちょっとハンサムだった、と続けようとしてレイチェルは口をつぐんだ。今この状況でそんなことを言えば、セドリックの眉間の皺が深くなることは間違いなかった。5ガリオン賭けてもいい。
セドリックが来てくれてほっとしたのは事実だったし、感謝の気持ちもあるが、それを言葉にするのは気が進まなかった。助かったと言うことは、困っていたと認めてしまうことでもある。そんなレイチェルの考えを見透かしたのか、セドリックはもう一度溜息を吐いた。

レイチェルは女の子なんだから、気をつけなくちゃダメだよ」
「だってガイドブックに載ってたから、行ってみたかったんだもの。セドと一緒に行こうと思ってたのに、居なくなったんじゃない」

ポシェットのままにしまいっぱなしだったガイドブックを取り出して、パラパラと捲る。付箋をつけたページのひとつに、さっきのジェラテリアの写真が載っていた。キャッチコピーも一緒だ。『魔法使いが始めた、マグルにも大人気のジェラート店』。

「元々は魔法使いに向けて始めた店だけど、マグル避けを忘れちゃったから、いつの間にかマグルに人気になったって……イタリアの魔法使いっておおらかなのかしら」

少なくともこの旅行中見て来た限りはそんな気がするなと、レイチェルは思った。
イタリアに行こうと思っているのだと隣人であるディゴリー夫妻から打ち明けられたのは、夏休みに入ってすぐのことだった。せっかくの夏休みなんだもの、どこかバカンスに行きましょう。結局去年も皆で旅行には行けなかったし────そんな風に言われては、レイチェルに反対する理由なんてあるはずもない。何せ、レイチェルが去年彼らにとって一人息子をルーマニアへ連れて行ってしまったことが、彼らの家族旅行の機会を奪ってしまったのだから。ディゴリー一家が旅行に出かけてしまうのは寂しいが、レイチェルは快く見送るつもりだった。
「そうなの。素敵ね」とレイチェルが賛成すると、おじさんとおばさんは嬉しそうに旅行のプランを語り出したのだが────なぜだかその旅行プランにはレイチェルも組み込まれていた。家族旅行なら家族水入らずで────つまり一人息子と3人で行くべきだと言うレイチェルの当然の主張は、あまりにもあっさりと却下された。曰く、大人には大人の旅行の楽しみ方があるから、子供は子供同士やってくれていた方がこっちも気が楽だとか何とか。勿論それは100%嘘ではないのだろうけれど、オッタリー・セント・キャッチポールに残されるレイチェルを気遣った優しい嘘であることに気づかないほど、レイチェルは馬鹿じゃなかった。そりゃあイタリアは魅力的だが、いくら魔法禁止とは言え自分の身の回りのことくらいは何とかなるし、流石にそこまで迷惑をかけるのは気が進まず散々ごねたが、何だかんだと丸め込まれて結局レイチェルもこの少し奇妙な家族旅行に参加することになってしまった。「レイチェルは私達と旅行なんて嫌なのね」なんて泣き真似をしてみせるのはずるい。

「おじさん達はまださっきのバールに居るの?」
「父さんはね。母さんは姿くらましでフィレンツェに戻った。あのブルーの花瓶がやっぱり一番良かったって」
「ああ。おばさん、すごく迷ってたものね」

昨日と一昨日はフィレンツェ。その前はヴェネツィア。3日後には、煙突飛行でミラノに行く。時間はたっぷりあるはずなのに、見るものもそれ以上にあるせいで、レイチェルは時計の針が早回しになっているのかと錯覚してしまうほどだった。
海の上に浮かぶヴェネツィアの街の夕暮れ時はこの上なく美しかったし、ポンテ・ヴェッキオは魔法使いが建築に紛れこんでいたと言う逸話も納得のユニークな作りだった。ローマ時代の魔法使いが作った数々の遺跡は、それだけで軽く羊皮紙2巻き分は魔法史のレポートが書けてしまうだろう。

「そう言えば、セドはどこに行ってたの?」

ジェラートの最後の一口が舌の上で消えて行く。
レイチェルはセドリックの横顔を見上げて首を傾げた。少し観光に疲れたからと、皆でバールで一休みしていたのに、急にちょっと行く所があるとか言ってどこかに走って行ったんだった。セドリックは一瞬困ったような表情を見せたが、立ち止まってポケットを探り出した。

「これ。レイチェル、気に入ってたみたいだったから」

そう言ってセドリックが差しだしたのは、海みたいな深い青の包装紙でラッピングされた小さな包みだった。リボンをほどいて箱を開けてみると、中にはガラスビーズのネックレスが入っていた。レイチェルはそのネックレスに見覚えがあった。ヴェネツィアの小さなアクセサリー店で見つけて、迷ったけれど結局買えなかった、あのネックレスだ。

「誕生日おめでとう」

驚いて言葉を失うレイチェルに、セドリックがにっこり笑いかける。
わざわざこのためだけに煙突飛行でヴェネツィアまで戻ったのかとか、結構高かったはずなのにとか、色々言いたいことはあったけれど、レイチェルは嬉しさに任せてセドリックの首へと抱きついた。

「ありがとう、セド!」

燦々と降り注ぐ日差しが、白い石畳の上を跳ね返る。
頭上に広がる空は濃い青をしていて、わたがしみたいな雲は対照的なまでに白い。
太陽を反射して、ビーズがキラキラと輝く。目の前には優しい幼馴染。そんな、美しい夏の日。

レイチェルの15歳の誕生日は、とびきり素敵な1日だった。

 

ベルシアナ通り16番地

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