時計の針に急き立てられるように日々は過ぎ、気づけば事件から2週間が経っていた。
先生達の警戒の効果か、はたまた継承者がこの状況を大いに楽しんでいるせいなのか。少なくともレイチェルな知る限りでは、事件らしい事件は起こっていない。けれど、教授達も生徒達の誰一人として安心はしていなかった。むしろ、日増しに不安は募っていくばかりだ。今にも物陰から継承者が現れるかもしれないと四六時中気を張っているせいで、ますます神経を摩り減っていく一方だった。授業中も、食事の時間も、ベッドの中でさえも。誰もがほんのひと時すら、事件のことを頭の外に追いやることはできなかった。

「試験まであと1週間ですぞ!」

が、この時ばかりは話が別だった。キーキー声でそう告げたフリットウィック教授の言葉に、教室内は一瞬水を打ったように静まり返り、それからざわざわと騒がしくなった。

「嘘だろ!あと1週間とか! 1週間とか……何の冗談だよ……」

隣に座っていたロジャーは、頭を抱えて項垂れていた。どうやら現実が受け入れられないらしい。が、逃避したところで試験までの期間は伸びたりしない。レイチェルが試験範囲をノートに書き写していると、ロジャーが信じられないと言いたげな視線をレイチェルに向けた。

「つーか、レイチェルは何でそんな冷静なんだよ……」
「……だって、カレンダーを見てたらわかることだし……」

と言うか、教室が騒がしくなったとは言っても、それはハッフルパフの生徒達がほとんどで、レイブンクローの中で驚いている人はごくごく少数派だ。それにロジャーは気づいていなかったかもしれないけれど、朝には試験の時間割が廊下に張り出されていた。レイチェルにしてみればなぜロジャーがそんなに驚いているかの方が不思議だ。

「っつーか試験なんて中止だろ普通に考えて! こんな状況で勉強に集中できるかよ」
「まあ、それは同感だけど……」

レイチェルは再び、呪文学の教科書へ視線を落とした。こんなときにもホグワーツが閉鎖されないのはレイチェル達が学ぶためだ。そうでなければ、とっくに家に帰されて自宅学習になっているだろう。教室移動に教授の護衛をつけてまで授業をすることにこだわっているのだから、試験も実施されるに決まっている。
ロジャーに言えば顔を顰められそうだけれど、レイチェルは正直、試験が行われることをありがたいとも思っていた。試験が近づけば近づくほど、そのことを考える時間が増えていく。勉強で疲れきって眠りが深くなれば、悪夢を見ることもない。気づけば朝日が上っている。継承者や、石になったハーマイオニーやペネロピー。レイチェルを蝕む恐怖と不安が完全に頭の中から消え去ることはなくても、ほんの少しの間忘れさせてくれる。ただし、それはレイチェルにとっての話であって、皆がそうでないことも理解はしている。

「ジニー。ジニーったら、ねえ、本当に顔色が悪いわ。医務室に行きましょ」
「大丈夫よ……寝不足なだけ……大丈夫……」
「だったら、尚更よ。眠れるように薬をもらった方がいいわ」
「ダメ……ダメよ、そんなの」

ここのところのジニーの様子は、一目でわかるほど具合が悪そうだった。ただでさえ色白の顔は血の気がなくて青白いし、髪もなんだか艶がない。おしゃまで悪戯っぽい表情も、キラキラした目の輝きも、今のジニーの顔からは拭い去られてしまったようだった。心配から発したレイチェルの提案に、ジニーは小さく首を振った。

「だって、勉強しなきゃ……あたし、落第しちゃう……そんなことになったら、ママ、絶対ガッカリするわ……」

泣きそうに顔を歪めるジニーには、たぶん安心と十分な休息が必要なのだ。けれど、今のジニーにとってはそのどちらも難しい。継承者がうろついているかもしれないこの状況で安心なんてできるわけがないし、勉強が足りないと強迫観念に駆られているのだから、休息さえまた不安の種になってしまう。

「ホグワーツに居られなくなったら、どうしよう」
「そんなことあるわけないじゃない」

細い指が、縋るようにレイチェルのローブを掴んだ。薄茶色の瞳は今にも零れ落ちそうに涙で潤んでいる。レイチェルはジニーを落ち着かせようと、できるだけ優しい声で慰めを口にする。悲痛な声で小さく喘ぐジニーの様子は、あまりにも痛々しかった。
継承者に襲われたらどうしよう。不安でよく眠れない。心配で勉強が手に付かない。落第してしまったらどうしよう。勉強しなきゃ。でもいざ勉強しようと机に向かっても、寝不足の頭じゃ集中できない。眠らなきゃ。でも眠ろうとしても、ベッドに入るとまた継承者のことを考えてしまう──────。レイチェルには、ジニーの胸に渦巻く不安が見えるような気がした。初めての試験も、継承者も、まだ1年生の小さなジニーが背負うには、あまりにも大きすぎる。

レイチェル、あたし……」
「ジニー!」

何か言おうとしたジニーの言葉が途切れた。プツリと糸が切れたように、ジニーの体が前へと倒れ込む。レイチェルは慌ててその体を支え、ジニーを見下ろした。顔色は相変わらず青白いけれど、唇からは規則正しい寝息が漏れている。どうやら疲れが極限に達したせいで、意識を失ったようだ。
大事にはならなそうだと思わず息を吐いたけれど、さてどうしようとレイチェルは眉を下げた。できればこのまま寝かせておいてあげたいけれど、ここから医務室、あるいはグリフィンドール寮までは結構な距離がある。ジニーがいくらレイチェルより小さいとは言っても、背負って運ぶのは難しいし、誰かに手伝ってもらおうにもここは本棚の影になってしまっている。周囲には誰も居ない。

「おっと。大丈夫かい?」
「あとは俺達に任せろ、だ」

と思ったら、背後から声をかけられた。振り向くと、フレッドとジョージが居た。ニヤッと笑った2人は、レイチェルの腕の中からジニーを取り上げると、軽々と背中に背負ってしまう。それでもなおスヤスヤと寝息を立て続けているジニーを見て、レイチェルはそっと囁いた。

「……ジニー、大丈夫なの?」
「パーシーも俺達も、医務室に行けって言ってるんだけどな。ママに似て頑固なんだ」
「心地いい眠りってわけにはいかなさそうだけど、これでちょっとは顔色も良くなるだろうさ。起きたらまた、『試験が!』って叫ぶだろうけどな」
「まったく、いつから俺達の妹はハーマイオニーになっちまったんだ?」

そんな風に軽口を叩く2人だけれど、レイチェル以上にジニーのことを心配しているのだろう。レイチェルから見たって様子がおかしいのだから、家族からすればその変化はより顕著に決まっている。3人が図書室を出て行くのを、レイチェルは黙って見送った。
可哀想なジニー。早く元気になってほしい。歯痒いけれど、レイチェルがジニーにしてあげられそうなことが思い浮かばない。小さく息を吐いて、レイチェルはふと考えを巡らせた。ひとつ、気になることがあったのだ。

レイチェル、あたし……』

思いつめたような表情で、何かを言いかけていたジニー。何かを伝えようとしていた。その言葉を、最後まで聞くことはできなかったけれど。ジニーは何を言おうとしていたのだろう? 試験のことか、それとも継承者のことなのか。はたまた別の何かなのだろうか。そして。

『トム』

意識を失う瞬間に、ジニーが呟いた名前は、誰なのだろう。

 

 

 

レイブンクロー寮へと戻ってきたレイチェルは、憂鬱な足取りで長い長い螺旋階段を上っていた。ジニーも心配だし、これからまた夜遅くまで勉強だ。継承者のことばかり考えるよりはマシだと言うだけで、勉強が楽しいわけじゃないし、疲れも溜まる。
ようやく階段を上りきると、何やら騒がしかった。どこかの部屋で喧嘩でもしているようだ。扉から顔を出して様子をうかがっている同級生の視線の先と、声の出所を見るに────レイチェルの部屋だった。

「あなたのおせっかいは今更だけど、いくら何だって最近ひどすぎるわよ!」

まだ閉じられたままの扉の向こうから、そんな怒鳴り声が聞こえてきた。パメラの声だ。それも口調からして、相当、かなり────キレている。レイチェルはそっと扉を開けて部屋の中へと入った。が、2人は気づいていないようだった。部屋の真ん中で立ったまま、睨み合っている。

「私は……私は、あなたのためを思って言ったのよ」
「ええ、ええ、そうでしょうね! いっつもそうだもの! それが余計なお世話だって言ってるのよ!」
「ちょっと待って、2人とも……落ち着いて。一体どうしたの?」

一触即発の雰囲気に、レイチェルは慌てて2人の間へと体を滑り込ませた。第三者の登場によって、パメラもエリザベスもいくぶんか冷静になったらしい。無言で睨み合う2人の顔を見比べながら、レイチェルはふとパメラのベッドにあるものを見つけて状況を理解した。そして、思わず小さく溜息を吐いた。

「パメラ。エリザベスに悪気がないことはわかってるでしょ。エリザベスも。パメラにはパメラのペースがあるんだから、押し付けるのはダメよ」

パメラのベッドにある開かれたままのファッション誌が、レイチェルに喧嘩の理由を雄弁に語ってくれる。恐らくはパメラが勉強をサボってファッション誌を読み始めて、エリザベスがそれに対して何かお説教をした。いつものことだ。それが、どうしてここまで激しい喧嘩に発展してしまったのかはわからないけれど。

「わかってる!わかってるから、我慢したわよ!でも、もう、限界なの!」
「試験まで、1週間しかないんですもの……私、間違ったことを言ったとは思ってないわ」

いつもならレイチェルが仲裁に入る頃にはお互いに引き下がるのだけれど、今日はそうはいかないらしい。パメラはやっぱりまだ目を吊り上げているし、エリザベスも険しい顔のままだ。淡々としたエリザベスの口調に、パメラがますます眉間の皺を深くした。

「ここまで来ると、おせっかいなんて可愛いもんじゃないわ!過干渉よ!たとえ私が落第したってエリザベスには関係ないんだから、放っておいてよ! ここは確かにあなたの部屋だけど、私の部屋でもあるのよ!ベッドの上での行動まで制限をかけられるなんて冗談じゃないわ!」
「私……そんなつもりじゃなかったわ……ただ……心配して……」

レイチェルはここまで怒っているパメラを見たことがない。激しい口調に、エリザベスも怯んだ様子を見せる。レイチェルは二人の間に立ったまま、一体どうしたものだろうと動揺するばかりだった。エリザベスのかろうじての反論も、パメラは馬鹿にしたように笑ってみせた。

「心配? 冗談はやめて、単に小言を言うきっかけがほしかっただけでしょ? 自分が勉強に集中できないからって当たらないでよ!」
「パメラ!」

エリザベスの顔に傷ついたような表情が走る。言いすぎだ、とレイチェルはパメラをたしなめようとした。が、それを止めるようにレイチェルの腕を誰かが掴む。振り向くと、さっきまで気丈な態度をとっていたエリザベスが、紙のように真っ白な顔色をしていた。

レイチェル……違うの……パメラの言う通りだわ……私……私……」

エリザベスの指が、ますますレイチェルのローブを強く握り締める。その様子は、さっきのジニーを思い出させた。今にも切れてしまいそうな張り詰めた糸や、破裂してしまいそうな風船。そう言ったものを彷彿とさせる表情だった。

「ごめんなさい……」

震える声でそう呟いて、俯いてしまう。いつも人の目を真っ直ぐに見るエリザベスにしては、らしくないことだった。しんと部屋の中が静まり返る。息苦しい沈黙の中、再びエリザベスが目を伏せたままと口を開いた。

「……私、きっと試験に落ちるわ」
「何言ってるの、エリザベス」
「全然勉強に集中できないの……事件のことばかり考えてしまって、何も頭に入って来ないんですもの……! 今のままじゃ、試験なんて絶対にうまくいかないわ」

エリザベスはいよいよ涙声だった。一体何を言うべきかと、レイチェルは混乱する頭で考えた。エリザベスは自分がイライラしたからって誰かに八つ当たりするような性格じゃない。もともと少し神経質で繊細な性質だし、ストレスで情緒不安定になっているのだろう。

「あなた、疲れてるのよ。医務室に行きましょ。マダム・ポンフリーが気持ちが落ち着く薬をくれるわ」

レイチェルはエリザベスの目を覗きこんで、ゆっくりと語りかけた。こんな状況で、ストレスが溜まらないはずがない。エリザベスも、そしてきっとパメラも。お互いにイライラしやすくなっているせいで、どちらが悪いわけでもないのだ。きっと。

「全く、こう言う患者ばかりを相手にしていると、さっさと閉鎖してしまった方がいいんじゃないかと思いますよ」

マダム・ポンフリーはエリザベスの様子を見ると、慣れた様子で────実際、エリザベスと似た患者はここのところ多いのだろう────薬とベッドを用意してくれた。軽い貧血もあるので、今日は医務室に泊まった方がいいと言い渡されたのだ。銀色のゴブレットにたっぷりと注がれた薄紫の液体は、レイチェルも先日まで処方してもらっていた睡眠薬だ。ゴブレットを両手で持ったまま、エリザベスはしげしげとその中身を見つめて眉を下げた。

「どうしましょう。私、眠っている場合じゃないのに……本当に、落第してしまうわ……」
「そんなことあるわけないじゃない。心配しなくても、エリザベスが落第するような試験なら学年全員仲良く留年よ。来年の5年生は1人も居ないわ」

冗談めかして笑ってみせたけれど、本心だった。エリザベスでもわからないような問題なんて、レイチェルには解けそうもない。レイチェルだけでなく、同学年のほとんどの生徒がそうだろう────セドリックなら別かもしれないけれど。たった1人だけ進級したセドリックが1人で大鍋をかき回すところを想像していると、エリザベスがぽつりと呟いた。

「パメラは、きっと私を疑ってるわ」
「…………何言ってるのよ、エリザベス」

返す言葉が遅れてしまったのは、何を言えばいいかわからなかったからじゃない。あまりにも予想外のことすぎて、何を言われたのか理解できなかったからだ。レイチェルが苦笑を返しても、エリザベスの表情は真剣そのものだった。

「廊下で、スリザリンの6年生が言っていたの……秘密の部屋の開け方を知っているんだから、継承者はきっと、何百年も続くような純血名家の人間で……先生達の目をごまかせるくらいだから、1年生や2年生じゃないはずだって。これだけ先生達が手を尽くしても見つからないのは、犯人が普段は純血主義じゃないフリをしてるんじゃないかって。それで……それで、その条件にあてはまるのは、レ、レイブンクローの、エリザベス・プラ、プライスくらいだって」
「そんな……そんな馬鹿みたいな憶測、気にすることないわ」

言いながら泣き出してしまったエリザベスの背中を擦って、レイチェルは慰めを口にした。継承者の正体については色々な噂が飛び交っているけれど、レイチェルはそんな話は初めて聞いたし、一部の人が勝手に言っているだけだろう。けれど、エリザベスは首を横に振るばかりだった。

「1年生のとき……皆、私のこと、純血主義者だって思っていたわ」

それは事実だった。エリザベスは入学してすぐの頃、ちょっとした誤解のせいで、学年中の生徒から純血主義者だと思われていた。その後、パメラと────純血主義者ならば関わり合うはずのない、マグル生まれの彼女と親しい友人になったことで誤解は解けた。昔の話だ。

「それは……そうだけど。でも、今では皆、誤解だったって知ってるわ」
「そんなの、わからないもの。いいえ、きっと疑われてるわ。パットやメーガンは、最近私を避けるようになったもの」

泣きじゃくるエリザベスは痛々しかったが、レイチェルは何と言えばいいものか、いよいよわからなかった。下手な慰めは、却ってエリザベスを傷つけてしまうような気がしたからだ。レイチェルは純血主義者だと疑われたこともないし、まして継承者だと噂されたこともない。そんなレイチェルが軽々しく何かを言ってはいけないような気がした。

「大丈夫よ、エリザベス」

やっと口にできたのは、それだけだった。繊細なエリザベスがスリザリン生の話を聞いたときどんなにショックだったかを想像すると、レイチェルは胸が締め付けられるような思いだった。誰にも言えず、きっと1人で抱え込んでいたのだろう。レイチェルがハーマイオニーとペネロピーを発見したことを隠していたように。

「私は信じてるわ」

この言葉が、エリザベスの心にどれくらい響いてくれるかはわからない。レイチェルが信じているから、何だと言うのだろう。頭の中の冷静な部分が、そう囁く。レイチェルが信じていたって、スリザリン生がエリザベスを疑っていることに変わりはない。けれどほんの少しだけでも、どうにかしてエリザベスを安心させてあげたかった。

「あなたが継承者じゃないって、私は知ってる。誰かがあなたを継承者だって疑ったら、絶対に違うって、そう証言するわ。パメラだってきっと同じよ」

レイチェルは少なくとも、ハロウィンから今日まで、エリザベスが継承者かもしれないなんて思ったことは1度だってなかった。ほんの一瞬でさえ、疑ったりしなかった。エリザベスが継承者のはずがない。パメラだってそう思っているはずだ。

「……ありがとう、レイチェル

まだ瞳は乾いていなかったが、エリザベスはほんの少し微笑んだ。そしてそのまま、瞼がゆるゆると下りて行く。やがて、規則正しい寝息が聞こえてきた。緊張の糸が切れてしまったのか、はたまた薬の効果が出て来たのか、どうやら眠ってしまったようだった。

「おやすみ、エリザベス」

ベッドの脇のカーテンを閉めて、レイチェルはそっとその場を離れた。もう少し付き添ってあげたかったけれど、そろそろマダム・ポンフリーに追い出される頃だろう。
マダムの言う通り、継承者のせいで全てがおかしくなってしまっているのだ。継承者さえ捕まれば────そうすればジニーの恐怖も、エリザベスの不安もきっと、なくなってくれるのに。人気の少なくなった廊下を進みながら、レイチェルはエリザベスとジニーの様子を思い出して小さく溜息を吐いた。

 

 

 

レイチェルが部屋に戻ると、パメラはベッドの上に座ってファッション誌を読んでいた。ドアを開ける音に一瞬だけこちらを振り返ったものの、何も言わずまた手元の雑誌へと視線を落としてしまう。どうやらまだ機嫌が直ったわけではないらしい。

「……エリザベスは?」
「軽い貧血らしいわ。今日は医務室に泊まることになったの」
「ふうん」

とは言え、エリザベスのことは気になるのだろう。興味がなさそうな態度を取っているけれど、その声にはどこか安心したような響きが含まれていた。やっぱり、パメラだってエリザベスのことを心配しているのだ。
レイチェルはふと、先程のエリザベスの言葉についてパメラに伝えるべきかを考えた。エリザベスが秘密にしてほしいと思っているのは明らかだったけれど────もしもパメラの口からエリザベスのことを信じていると伝えてくれれば、レイチェルが言うよりもずっとエリザベスを安心させることができるだろう。

「あのね、パメラ……」
「馬鹿よね、エリザベスも。あの子が襲われるわけないじゃない。あの子は、純血なんだから」

意を決して口を開いたレイチェルの言葉を、パメラが遮った。その吐き捨てるような口調に、レイチェルは驚いてしまった。と、同時に何だか寂しいような、裏切られたような気持ちになった。パメラはちょっと無神経なときもあるけれど、優しくて友達思いだ。そのパメラが、まさかそんなことを言うなんて思わなかったからだ。

「パメラ。そんな言い方……!」

パメラは知らないのだから仕方ないのかもしれないが、エリザベスの不安は自分が継承者に襲われることじゃない。反論しようとしたレイチェルだったが、パメラの顔を見たら何も言えなくなってしまった。パメラが見たこともないような、暗い表情をしていたからだ。

「次に襲われるのは、きっと私よ」

パメラの口調は淡々としていたけれど、静かな部屋にはやけに響いた。レイチェルは一瞬、時間が止まってしまったような気がした。そんなことない────そう言いたいのに、まるで舌の上で言葉が凍りついてしまったみたいだ。

「何で、マグル生まれだからって、こんな目に遭わなきゃいけないのよ」

何か、言わなくちゃ。そう思うのに、言葉が出て来ない。でも、何を言えばいいのだろう。わからない。今のレイチェルが何を言っても、軽々しくて、安っぽい言葉になってしまう気がした。ほんの少しの距離しか離れていないのに、パメラがとても遠く感じる。

「私が、ホグワーツに入れてくれって泣いて頼んだわけじゃない。私は、ホグワーツの存在なんて知らなかった。ホグワーツが私に入学してくれって言ったのよ。ちゃんと、皆と同じ許可証が届いたわ」

明るくて楽しくて、お洒落なパメラ。レイチェルの自慢の親友。けれど、マグル生まれの魔女だと言うそれだけで、パメラは純血主義の人達から見下される。レイチェルよりも無価値な存在だと決めつけられてしまう。エリザベスとレイチェルと3人で歩いていても、スリザリン生がからかうのはパメラだけだ。その事実を、レイチェルだって知っていた。

「馬鹿馬鹿しいって、思ってたわ。生まれで人を判断するなんて、なんて時代遅れで、幼稚な、可哀想な人達だろうって。スリザリン生に嫌がらせされたって、友達はたくさん居るし、ビクビクしたり傷ついたら向こうの思うツボだって……でも、今度ばかりはもう限界よ。どうして、マグル生まれだからって命まで狙われなきゃいけないの? 何で学校がこんなことになってるのに、先生達も魔法省も何もしないの? 魔法界って変よ。それとも、マグル生まれなんか襲われたっていいから放っておいてるだけ? だとしたら、卒業しても、ずっとこんな扱いが続くの?」

パメラはマグル生まれで、継承者が狙っているのもマグル生まれだ。ほんの少し何かが違っていたら、今頃犠牲者はパメラかもしれなかった。まだ犯人は捕まっていないし、事件が終わったわけじゃない。いつ次の犠牲者が出るか分からない状況で、マグル生まれのパメラが不安にならないはずがない。

「もう、うんざり」

周りを心配させないように気丈に振る舞っていただけで、きっと、誰よりも不安だった。少し考えればわかることなのに。当たり前のことなのに、どうして大丈夫だなんて思い込んでいたのだろう。どうして、もっと気遣ってあげられなかったのだろう。

「……私」

声が震える。視界が奇妙に歪んだ。何故だかわからないけれど、泣きそうだった。こみ上げそうになる涙を、ぐっと押しとどめる。泣いちゃダメ。パメラが泣いていないのに、レイチェルが泣くのはおかしい。泣きたいのはきっと、パメラの方だ。

「私、パメラと友達になれてよかったと思ってるわ」

慰めの言葉は、思いつかなかった。パメラが日頃からマグル生まれだと言うただそれだけで差別を受けているのも、継承者がマグル生まればかりを狙っているのも、魔法省がホグワーツに介入していないのも、全て事実だ。レイチェルには、パメラの言葉を否定することができない。

「パメラがホグワーツに来てくれなかったら、私達、会えなかったわ」

レイチェルに言えたのは、それだけだった。そしてそれは、心からの本音だった。パメラは確かに、ホグワーツの存在なんて知らなかったのだろう。ホグワーツに来なければ、こんな風な扱いを受けることもなかったのだろう。パメラにはきっと、ホグワーツには行かないと言う選択肢もあった。でもそれでは、レイチェルはパメラと会えなかった。今みたいに、友達になることはできなかった。

「そうね」

パメラはじっとシーツを見つめたまま、静かにそう呟いた。感情が読み取れない声だったので、パメラがその言葉をどう思ったのか、レイチェルにはよくわからなかった。そしてそのままベッドへと寝転がり、レイチェルに背を向けてしまう。

「……ごめん、レイチェル。しばらく1人にしてくれる?」
「……ええ」

パメラの言葉に頷いて、レイチェルはふらつきそうになる足で部屋を出た。頭の中がとても混乱していたので、レイチェルも1人になりたかったからだ。それに今パメラの隣に居ても、自分にできるようなことは何もない気がした。
ジニーも、エリザベスも、パメラも。友達が悩んでいるのに、彼女達のためにレイチェルがしてあげられることがちっとも思い浮かばない。

大切な友達が、泣いているのに。レイチェルには、何もできない。

割れた風船

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