レイチェルの気持ちを置き去りにして、カレンダーのページは先へと進んでいた。気づけば、辺りは3月の空気に包まれていた。緑の芝も花壇も、蕾を膨らませた花々で鮮やかに色づき、ゆるやかな風に気持ちよさそうに揺れている。城の中には柔らかな日差しが差し込み、春らしい暖かで穏やかな日が続いていた。
レイチェルはジョージの助言通り、あれ以降ハーマイオニーと距離を置いていた。そうしているうちに誤解が深まって本当に嫌われてしまうんじゃないかと言う不安もあったけれど、また顔を合わせたときに口論にならずにいられる自信がなかった。ただでさえ拗れてしまっているのに、これ以上険悪になってしまうのはさすがに避けたい。寂しさはあるけれど、冷静になるべきだ。
言い方が最悪だったことは反省しているけれど、レイチェルは自分の考えが間違っているとはやっぱり思えなかった。ハーマイオニーは継承者騒動に首を突っ込むべきじゃない。ハーマイオニーが継承者を捕まえようと行動している以上、もしも今仲直りができたとしても、きっとまたすぐに喧嘩になってしまう。レイチェルは友達が危険を冒そうとしているのがわかっていて笑って背中を押すことはできそうにないし、そんなことしたくもない。ハーマイオニーがマグル生まれだからではなく、これがきっとアンジェリーナやエリザベスでも必死になって止めただろう。だって相手は、あの優秀なホグワーツの教授陣でも手掛かりが掴めない相手なのだ。マグル生まれだろうと純血だろうと、未成年の魔法使いにできることなんて高が知れている。

レイチェルはどっちがいいと思う?」

くるくるとよく動く褐色の瞳がレイチェルを見る。小首を傾げた拍子に、豊かに艶を放つ赤い髪がさらりと揺れた。そんなわけでハーマイオニーとの関係は相変わらずだったものの、新しくできた友人の存在はレイチェルの心を慰めてくれた。

「私は……右の方が好きだけど。ジニーの髪によく似合うと思うわ」
「そうかな? 私も右の方が素敵だと思ってたの!でも買えない、3ガリオンだなんて……」

雑誌の広告を見て溜息を吐くジニー────ジニー・ウィーズリーに、レイチェルは何と返していいものかと苦笑を浮かべた。キラキラ光る魔法がかけられたバレッタはとても素敵で、ジニーによく似合いそうだった。明るくて、可愛くて、おしゃまなジニー。あの双子の妹だけあって、頭の回転もとても早い。3つも年下だなんて信じられないほど、ジニーとのおしゃべりは楽しく、レイチェルにとって心地いい時間だった。

「ねえ、レイチェル。モペットの怪我はよくなった?」
「ええ、たぶん。もう歩けるようになったって聞いたわ。また冒険に出掛けないようにってベッドに縛り付けられてるみたいだけど」
「よかった!元気になったらまた遊びたいなあ」
「きっと喜ぶんじゃないかしら。伝えておくわ」

知り合ったきっかけはとても単純で、レイチェルはその日迷子になってしまった同寮生のペットを探していた。元々は部屋で魔法史のレポートをやっていたのだけれど、隣の部屋がやけに騒がしかったので何事かとドアをノックしたら、先月の誕生日に両親から贈られて来た子猫が行方不明だと聞かされたのだ。もしかしたら動く階段に振り落とされて怪我をしているかもしれないし、湖に落ちてしまったかもしれない。そうじゃなきゃ、スリザリン生の悪ガキにいじめられているかもしれないし、万が一ミセス・ノリスみたいになってしまったら────。自分の不注意だとわんわん泣く友人に同情して、レイチェルも捜索部隊の一員になったのだ。
小一時間の捜索の結果、人騒がせな迷子の子猫、モペットは見つかった。案の定悪戯な階段に翻弄されたらしく、足を怪我をしていた。それを保護してくれていたのが、ジニーだったのだ。どうやら無類の猫好きらしい。
あの時、子猫の捜索に付き合わずに魔法史のレポートを続けていたら、ジニーと出会うことはなかったのだろう。そう考えてレイチェルはふと忘れかけていた鞄の中身を思い出し、がくりと肩を落とした。そう言えば今日も、魔法史のレポートが出されていたんだった。

 

 

ハーマイオニーに関しても言えることだけれど、学年が違うと困るのはお互いのタイムスケジュールが噛みあわないせいでなかなか時間がとれないと言うことだ。4年生のレイチェルはジニーに比べて授業の終わり時間も遅いし、課題も山ほど出されている。泣く泣くジニーと別れて図書室へやって来たレイチェルは、本棚の前に立ち尽くして眉を下げた。

「届かない……」

参考になりそうな本が見つかったものの、高い所にあってレイチェルの身長じゃほんの少し手が届かない。近くには踏み台が見当たらないし、うかつに呼び寄せ呪文を使うと勢いで埃が立ちそうで嫌だ。あと少し、とつま先立ちで必死に手を伸ばしていると、後ろから誰かの手が伸びてきた。

「これだろ?」
「ありがとう」
「どういたしまして」

その手に握られているのは、確かにレイチェルが今必死に取ろうとしていた本だ。素直に受け取ったレイチェルだったが、たぶんジョージ────フレッドはさっき廊下でリーと一緒にフィルチを追いかけ回しているのを見かけた────はそこから動こうとしない。何か用でもあるのだろうかと見返すと、ジョージはニヤッと笑ってみせた。

「うちのジニーお嬢さんが世話になってるみたいだね」
「……ええ。まあ」

世話をしているかはともかく、最近ジニーと仲良くしているのは事実だ。知っていたのかと、レイチェルは少し驚きながらも頷いた。別に何か後ろめたいことがあるわけでもないので、隠す必要もない。それにジョージの口調からすると、レイチェルとジニーの交友関係を不愉快に思っているわけではなさそうだ。と、思ったのだけれど。

「意外だよな。まさか君とジニーが仲良くなるなんて」

その言葉に、レイチェルは顔を上げた。確かに、レイチェルとジニーにはあまり共通点がない。寮も違うし、年齢もそう近くない。レイチェルはどちらかと言うとインドア派だが、ジニーは活発だ。頭は良いけれど、それほど読書が好きなタイプではないだろう。けれど、一緒に居て楽しいのだから問題はない。不思議そうな顔をするジョージに、レイチェルは肩を竦めてみせた。

「ジニーの友達になるにはお兄さんの許可が必要? でもちゃんと許可なら取ったわよ。貴方やフレッドにじゃないけど」

ジニーと仲良くなったと手紙に書いたら、チャーリーはとても喜んでくれた。どうやらホグワーツに入学して以来可愛い妹からの手紙の数がめっきり少なくなってしまったのが彼の悩みの種らしい。少々過保護なのはチャーリーだけかと思っていたけれど、妹の交友関係を気にしているとなると、ジョージも案外心配性なのだろうか。そんなことを考えていると、ジョージは苦笑して肩を竦めた。

「そうじゃないさ。ほら、君はジニーほどハリーにゾッコンってわけじゃないだろ?」
「……ああ」

そのことか、とレイチェルは納得した。おしゃまで可愛くて楽しいジニー。彼女の不満をひとつだけ挙げるとすれば、レイチェルの嫌いなハリー・ポッターをマグルの絵本に出てくる白馬の王子様か何かと勘違いしているところだった。ジニーが褐色の目をキラキラさせてハリーのことを語るたびに、レイチェルは何とも言えない気持ちにさせられる。それは、確かに否定しようのない事実だ。

「別に……ジニーが誰を好きだろうと関係ないわ。私がジニーを好きなんだから、それでいいの」

レイチェルは活字へと視線を走らせながら素っ気なく返した。レイチェルがハリー・ポッターを嫌っているだなんてジニーは知らないし、きっと想像すらしていない。わざわざ伝える気もない。第一レイチェルが仲良しの───今は喧嘩中だけれど───ハーマイオニーだってハリー・ポッターの親友なのだから、そのことがジニーとの友情の妨げになるはずもない。

「まあ、もしもジニーに一緒にハリー・ポッターのファンクラブをやろうって言われたら、残念ながらそれは丁重にお断りするけど」

もしもそう誘われたときのことを想像してみたけれど、ジニーのハリー・ポッターに対する感情はミーハーなものと言うよりは恋愛感情に近いようなのでそれはなさそうな気がする。だとすればやっぱり、ジニーがハリー・ポッターを好きでもレイチェルにとって何の問題もない。
────この本はダメだ。パタンと本を閉じて顔を上げると、ジョージと目が合った。

「……何?」
「いや、今日はいつものレイチェルだな、と思って」

その言葉に、レイチェルはばつの悪い気持ちにさせられた。そう言えば、授業以外で顔を合わせるのは久しぶりだ。ジョージが言っている「いつものレイチェル」が一体どんな風なのかは置いておいて、「いつも」じゃなかったレイチェルが一体いつのことを指しているのかは、残念なことに想像に難くなかった。

「……忘れて」
「どうしてだい?」

あの時はハーマイオニーのことで頭が一杯でそれどころじゃなかったけれど、夜ベッドに入ってからレイチェルはブランケットの中で羞恥に悶えた。泣き顔を見られた。いや、まあ、確か以前ハーマイオニーと喧嘩して泣いたときにもフレッドとジョージはその場に居たけれど。でも、だからって前にも見られてるしいいやなんて簡単には開き直れない。レイチェルは俯いて額を押さえた。

「どうかしてたの。お願い、忘れて」
「そいつはできない相談だな。俺はどこかの誰かと違って、トロールの親戚じゃない」

セドリックなら掘り返したりしないのに────そう考えてしまったのが見透かされたらしい。ニヤニヤ笑うジョージは本当に性格が悪い。セドリックの爪の垢でも煎じて飲めばいいのに、とレイチェルは自分のことを棚上げしてそんな勝手なことを思った。

「……セドは、ただ、優しいだけよ」
「へぇ?」

からかうように目を細めたジョージから、レイチェルはふいと視線を外した。以前から、フレッドとジョージはレイチェルとセドリックの関係を誤解しているような節がある。確かにレイチェルにとってセドリックは特別だ。でも、フレッドとジョージの思っているような────ジニーにとってのハリーのような「特別」じゃない。

「もう……本当……どうしてそう、意地悪なの……」
「光栄だね」

喉の奥で笑ってみせるジョージに、レイチェルはいよいよ困り果てて眉を下げた。褒めてない。これっぽっちも褒めてない。反論したい気持ちはあったけれど、何か言うたびに揚げ足を取られてしまいそうな気がして口をつぐんだ。俯いたレイチェルの手元に、ふいに暗く影が差す。

「ああ、そうだ。この間、どうして俺が君に構うのかって聞いたけど」

頭のすぐ後ろから、ジョージの声がした。目の前の本棚に、レイチェルではない誰かの手が突いている。顔のすぐ横に、ジョージの腕が伸びていた。そう言えば、そんなこ質問をした気がする。けれど結局、あのときははぐらかされてしまったのだ。耳のすぐ側で、ジョージが笑う気配がした。

「そうやって、君が困ってる顔を見るのが気に入ってるから、かな」

予想外の言葉に、レイチェルは目を見開いた。慌てて振り向いたものの、ジョージの姿はもう本棚の向こうに消えてしまっていた。後を追ってどう言う意味かと問い質したい気もしたけれど、きっとまたはぐらかされてしまうのだろう。それに、レポートに使う本もまだ見つけられていない。レイチェルは手の中にある本を見下ろした。
こうやって時々レイチェルに親切にしてくれるし、バレンタインにはお詫びのカードをくれたり、誕生日にはプレゼントをくれた。だから、向こうはレイチェルのことを友達だと思ってくれているのかなと────少なくとも、嫌われてはいないだろうと思っていたのだけれど。

……レイチェルが困っている顔が好きって一体どう言うことだろう。

もしかして、自分は双子────少なくともジョージに、嫌われているのだろうか。でもそれなら、やっぱり放っておいてくれればいいのに。どうしてわざわざ構うのだろう? スリザリン生が、わざわざグリフィンドール生に突っかかって行くのと同じだろうか。けれどそれなら、親切にしてくる理由の説明がつかない。やっぱり、あの二人の考えることはわけがわからない。
レイチェルは口元を手で押さえた。頬の辺りがやけに熱い。ああ、確かに今自分は、ひどく困った顔をしているだろう。

「……何なの、一体……」

ぽつりと漏らした呟きは、図書室の静寂に飲み込まれて消えて行くだけだった。

うららかな昼下がり

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