小高い丘から見渡すオッタリー・セント・キャッチポールは、クリスマスの時期もやっぱり素敵だ。おもちゃのようなレンガ造りの小さな家々は雪に覆われて、街路樹には赤や緑のピカピカ輝くオーナメントが飾られている。ホグズミードのそれと違って、飛んだり跳ねたり歌ったりはしないけれど、遠目に見るその光景は十分にレイチェルの目を楽しませてくれた。クリスマスイブの夕暮れ時になると、マグル達は家族揃って町はずれにある教会へ向かっていく。古びた木の柵にもたれかかってそれを眺めながら、レイチェルは小さく溜息を吐くのだった。こっそりあの中に加わってマグル式クリスマスを楽しみたい気持ちは勿論あったけれど、いくら何だって年に1度のクリスマスにおじさん達を心配させるのはレイチェルだって本意じゃない。
レイチェルの関心はもっぱら家の外へ注がれていたとは言え、家の中が退屈だと言うわけではない。毎年のことながら、レイチェルの家の中はクリスマスもハロウィンも無関係な素っ気ない内装だけれど、ディゴリー家は違う。リビングの真ん中にはレイチェルよりも背の高い立派なクリスマスツリーが飾られていた。どうやらおばさんが呪文でどうにかしたらしく、もみの木の葉は去年までの深緑色ではなく、雪のような白へと染められている。天井からは溶けない雪の結晶が吊り下げられ、銀色の羽をした小さな天使が部屋の中をはばたいている。まるでマグルの絵本で見た雪の国のようだと、飾りつけを手伝ったレイチェルはうっとりした。
おばさんが気合いを入れて準備してくれたのは飾り付けだけではなかった。料理もだ。温められたモールドワイン、前菜はおばさんお得意のミネストローネとメルバトースト。メインディッシュはもちろん、クランベリーソースのかかったダークミートのローストターキー。そして、デザートにはクリスマス・プディング。所狭しとごちそうが並べられたテーブルを囲んで、レイチェル達はクリスマスの晩餐に参加していた。
「2人共、学校はどう?」
おばさんの朗らかな笑顔に、レイチェルはどう返すべきかと逡巡した。まだ半年しか経っていないのが嘘みたいに、今年はあまりにも色々なことが起こっていた。ハロウィンの夜の壁の文字に、ミセス・ノリスやマグル生まれの生徒、そしてゴーストまでが石にされたこと────。
「…………私は、まあまあだと思うわ。先生達が今からOWLの対策をしなくちゃって張り切ってて……宿題の量がとにかくすごいの。それさえなければ楽しいんだけど……ね、セド?」
一瞬の沈黙のあと、レイチェルはそんな当たり障りのない内容を口にした。そして、大人達には気づかれないようセドリックに目配せする。こんな質問をしてくると言うことは、たぶんおじさん達は今ホグワーツで何が起きているのか知らないのだろう。だとしたらきっと、中途半端な情報だけを伝えても心配させてしまう。
「あれは確かにすごいね。まあでも、先生達も必要だと思うから出してるんだろうし……」
どうやら、レイチェルの意図を察してくれたらしい。ちょっとわざとらしいような気もしたけれど、明るい声でそう返すセドリックに、レイチェルはホッとした。けれど、表情に出してしまっては不自然なので、できるだけ何でもないようなフリをして笑顔を作った。
「あらあら、じゃあ、2人のOWLの成績には期待できそうね?」
「まだ1年以上も先なのよ、おばさん!」
からかうようなおばさんの言葉に文句を言ってみせながら、レイチェルは胸を撫で下ろした。おばさんもおじさんも、どうやら気づいていないらしい。せっかくのクリスマスなのだ。どうせなら、継承者のことなんて忘れて楽しく過ごしたい。
「セドはどうだ? クィディッチは?」
「あ……うん。勝ったよ。レイブンクローとの試合で……父さん、僕、手紙に書かなかった?」
「読んだとも。レイチェルが送ってくれた写真も、ちゃあんとリビングに飾ってある」
おじさんの言葉に、レイチェルはリビングへと視線を走らせた。なるほど、確かに夏よりも写真立ての数が増えている気がする。ここからだとよく見えないけれど、きっと銀色の額縁の中では競技用ローブを着たセドリックが笑っているのだろう。
「セド、せっかく取ったスニッチを私にくれたの。部屋に置いてあるから、持って帰って来てないんだけど……」
おじさん達に見せるために持って帰って来るべきだったかもしれないと、レイチェルは後悔した。キラキラ輝く小さな金色のスニッチは、今もレイチェルの寮のベッドサイドテーブルのガラスケースの中にしまってある。気が利かなかっただろうかと俯いていると、セドリックがレイチェルを気遣うように言った。
「いいよ。また僕がスニッチを取るから。そうしたら、今度はそれをふくろう便で父さん達に送るよ」
「そりゃ楽しみだ」
照れくさそうに笑うセドリックに、おじさん達が声を上げて笑う。レイチェルもつられて笑った。今度は作り笑いではなく、自然と顔に笑みが浮かんだ。ダイニングルームに笑い声が重なり合って反響し、蝋燭の火が楽しげにゆらゆらと揺れる。
「新しい防衛術の教授はどうなんだ? ロックハートは。」
「最悪よ。上級生も皆そう言ってるし……もう、防衛術は自分で勉強してる。最近じゃ、あの人が本に書いてることってほとんど嘘なんじゃないかって思うわ」
「なかなか引き受けてくれる人が見つからないらしいわね。……私達が学生の頃から、1年以上続いた先生は居なかったもの」
「そうだったそうだった。防衛術と言えば、私が6年生だった頃の担当の先生が変わっていてな………」
「父さん、その話は前も聞いたよ……」
「そうだったか? じゃあ、私が3年生の頃のハロウィンの話を……」
「それも聞いたわ、おじさん」
そうして、テーブルの上で交わされる話題は、子供達の今の話から、大人達の思い出話へと移っていく。シャンパンを傾けながらの、長い長い昔話。もう何度も聞いた、本音を言えばちょっぴり退屈な話だ。目新しいことも、ワクワクするような冒険も、何もない。もう耳にタコだと、セドリックと視線を交わしてそっと苦笑する。どこにでもありふれていて、もう聞き飽きた凡庸な話。いつもと変わらないクリスマスの夜。それが、何だかホッとする。
──────家に帰って来たのだ。口の中に広がるミンスパイの優しい甘さに、肩の力が抜けていくような気がした。
楽しい夕食も終わって、レイチェルはソファに座って読書を楽しんでいた。さっきまではクリスマス恒例のチェス大会が行われていたのだけれど、レイチェルは気づかれないよう途中でこっそりと抜けて来た。酔っぱらった大人達の相手をするとロクなことがないので、早めに切り上げるに限るのだ。
「レイチェル」
背後から呼ばれた名前に、レイチェルは振り返った。セドリックだ。ちらりとダイニングテーブルに視線を走らせてみると、大人達はまだ昔話に花を咲かせているらしい。セドリックは両手に持ったマグカップの片方をレイチェルに渡すと、そのまま空いていたソファの隣へと座った。
「……父さん達に、言うかと思った。その……色々と」
「言わないわよ」
深刻な顔でそう呟いたセドリックに短く返して、レイチェルはマグカップの中のココアを一口含んだ。熱い。ミルクとチョコレートの甘さが、じわりと舌の上に広がっていく。飲み干すと、少し喉がざらつく感じがした。
「と言うか……言えないわ。……心配かけるだけって、わかってるもの」
ダイニングテーブルの方からは、大人達の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。もしもあの時、正直に今ホグワーツで起こっていることを打ち明けていたら、この和やかな空気は壊れてしまっていた。子供達が危険な目に遭っているなんて知ったら、おじさんもおばさんも、きっと不安に思うだろうから。
「そうだね。たぶん……言わない方がいい」
セドリックも、困ったように苦笑してみせた。たぶん考えていることは同じだろうな、とレイチェルは思った。本当は、隠し事なんて良くないのはわかっている。後になって新聞で知るくらいなら、きっとおばさん達はどんなちっぽけな情報でも子供達の口から知りたかったと思うだろう。わかっているけれど……心配をかけたくない。知らせたところで何かが変わるわけではないのなら、何も知らないまま、笑っていてほしい。去年の終わりの────あの騒動に関わったハーマイオニーも、もしかしたらこんな気持ちだったのだろうか。
「ここに居ると、何もかも……嘘みたい」
肺の中の空気をゆっくりと吐き出す。それが安堵によるものなのか、溜息なのか、自分では判断がつかなかった。こうやって慣れ親しんだふかふかのソファに座って温かなココアを飲んでいると、継承者も、秘密の部屋の怪物も、石にされた生徒も、あのピリピリした空気も……全てが遠い出来事のように思えた。
「……ハーマイオニー、今頃どうしてるかしら」
「きっと、僕達と同じで、クリスマスを楽しんでるよ」
「うん……そうよね」
せっかくのクリスマスなのだ。ハーマイオニーも、継承者のことなんて忘れて思い切り楽しんでいてくれればいい。ひとりよがりな考えかもしれないけれど、レイチェルはそんなことを願った。暖炉の炎が、まるでダンスを踊っているかのように楽しげに爆ぜる。ちょうどいい高さにあったセドリックの肩にレイチェル頭を乗せて、レイチェルはその様子を眺めていた。
カーテンの隙間から覗く空は、ビロードのような濃紺に染め上げられている。オッタリー・セント・キャッチポールの夜は、ただ静かに穏やかに更けて行った。
いつもならこのままベッドに向かって、明日の朝のプレゼントを楽しみにしながら眠るところだ。けれど、今日は違う。レイチェルのクリスマスイブはまだまだ終わらない。分厚いコートにマフラーと手袋、そしてイヤーマフ。防寒対策をばっちり済ませると、レイチェルはウキウキと暖炉の前へと向かった。
「行ってきます!」
心配顔のおじさんとおばさんにニッコリ笑いかけて、レイチェルは燃え上がる緑色の炎の中へと飛び込んだ。向かう先はダイアゴン横丁────つまり、漏れ鍋の暖炉だ。セドリックもすぐに追って来る。
煙突飛行を終えて暖炉から這い出ると、クリスマスイブだけあって漏れ鍋は混雑していた。杖先から飛び出した光線が天井や床へと跳ね返り、まるで昼間のように明るい。眩しい室内に目を細めながら、レイチェルはきょろきょろと辺りを見回した。待ち合わせの相手の姿を探すためだ。
「パメラ!」
「来たわね、レイチェル! それにセドリックも」
「メリークリスマス、パメラ」
待ち合わせの相手───パメラ・ジョーンズは両親と共にパブの2階に居た。勢いよく階段を駆け下りてきたパメラと、レイチェルはきつくハグをした。ほんの少しぶりの再会だけれど、やっぱり友達と会えるのは嬉しい。
「パメラはどうやってここに来たの?」
「地下鉄よ! パパとママは私達が帰って来るまでここで待ってるって! まあパパ達はマグルだけど、キャリーのパパ達と一緒なら大丈夫だろうし!」
「マグルの地下鉄って、こんなに遅い時間まで動いてるの?」
「今日だけは特別よ! クリスマスだもの」
パブの中は喧騒で満ちていて、近くに居ても声を張り上げないとよく聞こえない。そんなわけで、レイチェル達はさっさと漏れ鍋の外へ出ることにした。通りも魔法使いで溢れていて、空にはひっきりなしに花火が上がっている。いつも以上に賑やかなダイアゴン横丁はとても魅力的だったが、レイチェル達の目的は違う。パメラが2人を振り向き、腰に手を当てて言った。
「じゃあ、行くわよ2人とも! マグルのイルミネーション見学ツアーに!」
ペネロピーに地下鉄に乗せてもらう約束がなくなってしまってほんの少し────そこそこ、結構落ち込んでしまっていたレイチェルに、同じくマグル生まれのパメラが案内しようかと言ってくれたのだ。そして、どうせ休暇にマグルの町に行くのなら、せっかくだからイルミネーションを見ようと言うことになった。エリザベスも誘ってみたのだけれど、初めてのロンドンが混雑するクリスマスイブなのは怖いと断られてしまったので、セドリックと3人で行くことになったのだ。
「これが券売機なのね……! 教科書で見た通りだわ……!」
漏れ鍋からマグル側のロンドンの街へと出て、レイチェル達は早速移動することになった。チャリングクロス通りから、イルミネーションが有名だと言うオックスフォード通りへ。移動手段は念願の地下鉄だ。間違いなく手間取るからとレイチェルは切符を買わせてはもらえなかったけれど、パメラが色々な種類のボタンを押すのは見ているだけで楽しかった。日付や行き先が印字されたペラペラした紙の切符にも、勿論金属でできた電車の車体にもワクワクした。ゴーッと言う音を立てながら真っ暗な中を進んで行くスピード感や、車内のマグル達の様子。このまま地下鉄にずっと乗っていたいと思ったレイチェルだったが、目的の駅で降り、出口へと向かう階段を上った先で認識を改めることになった。
オックスフォード通りには、レイチェルの想像もつかないような光景が広がっていた。キラキラ輝く白い光の粒で象られたクリスマスツリーが、何本も立ち並んでいる。幻想的なその輝きに、レイチェルは思わずうっとりしてしまった。
「ねえ、パメラ。これって全部電気な……んぐっ」
「そうに決まってるでしょ! あんまり妙なこと言うと、どこの未開の地からやって来たのかと思われるわよ!」
「あの、パメラ……その、レイチェルより君の声で、目立ってるみたいだけど……」
パメラに口を塞がれて、レイチェルはむぐむぐと声にならない声を出した。けれど、本当に信じられなかったのだ。これが全部、電気の力だけでできているなんて。バーベッジ教授から習った「コンセント」だって見当たらないのに……あの木の1本1本に巨大な電池が埋め込んであるのだろうか? マグルの技術って一体どうなっているのだろう。
マグルのイルミネーション巡りは、場所によって雰囲気もそれぞれ違っていて、想像以上に素敵だった。トラファルガー広場の大きなもみの木は、蝋燭のようなオレンジ色の淡い光が優しく厳かな雰囲気を漂わせていたし、リージェント・ストリートはトナカイや雪の結晶なんかの、色々な形をしたイルミネーションが可愛い。街路樹に、デパートのショウウィンドウ、通りに並ぶ店の看板。赤、青、白、黄色、緑、ピンク、紫。色も形もとりどりの美しいイルミネーションは、きっと何時間見ていても飽きないだろうとレイチェルは思った。
「ここ、お気に入りなの。綺麗でしょ?」
「ええ、とっても! 教科書の写真で見たのより、ずっと綺麗だわ!」
「連れて来てくれてありがとう、パメラ」
パメラが最後に連れて来てくれたのは、スローン・スクエアだった。葉の落ちたたくさんの木々が青い光で淡く照らされている光景は、まるでマグルの絵本の挿絵に出てきそうで、とても幻想的で美しかった。しばらくの間、言葉もなく見惚れていたレイチェルは、ふとイルミネーションからその向こうの道路へと視線を移した。
「ロンドンって、こんなにたくさんの人が居るのね」
通りは、レイチェル達と同じくイルミネーションを見に来た人達で溢れている。小さな子供を連れた家族や、恋人同士や、老夫婦。もしかしたら中にはホグワーツの生徒も居るかもしれないけれど、きっとほとんどはマグルなのだろう。夏休みにこちら側のロンドンに連れてきてもらった時も人の多さには驚いたけれど、今日はあの時とは比べものにならないほどだ。
「そうだね。僕達は普段あまり意識しないけど、世界には、魔法使いよりもマグルの方が多いんだよね」
セドリックが感慨深そうにそう返した。日頃レイチェル達は魔法使いに囲まれているから、ほとんどマグルと関わることはない。だから、つい────世界には魔法使いばかりのように考えてしまうけれど、ほんの少し魔法界の外へと出てしまえば、世界はマグルで溢れているのだ。魔法使いを見つけることの方が、ずっとずっと難しい。
「そうよ」
パメラが、ぽつりと呟く。いつも感情豊かなパメラらしくない、怒りも、悲しみも何もない─────感情が全て削ぎ落とされてしまったような、そんな声色だった。その視線は、真っ直ぐに美しい人工の灯りへと向けられている。マグルが生み出した、技術の結晶に。
「それなのに……あの人達って、一体、何を根拠に私を……私達を、見下すの? 魔法よりも、マグルの技術が劣ってるって……マグルがどんな技術を持ってるかなんて、知りもしない……知ろうとも、しないくせに」
耳を澄ましてなければ聞き逃してしまいそうな、小さな呟きだった。きっと、隣に居るレイチェルにしか聞こえていない。レイチェルの心臓は小さく跳ねた。辺りが暗いせいだろうか。レイチェルには、パメラの横顔が、今まで見たこともないほど深刻そうで、大人びて見えたからだ。「あの人達」が誰で、「私達」が誰を指すのか─────レイチェルは、たぶん知っている。
「パメラ……?」
恐る恐るレイチェルが名前を呼ぶと、パメラはハッとしたように目を見開いた。戸惑ったように揺れる瞳の中に、レイチェルが映る。レイチェルの瞳に映るパメラは、今この場に居ても、違和感なく溶け込んでいる。考えてみれば、当たり前のことだ。元々、パメラはマグルの世界で過ごした時間の方がずっと長いのだから。魔法使いの世界とマグルの世界、パメラやハーマイオニー、それにペネロピーはそのどちらも知っている。魔法なしの生き方を知らないレイチェルと違って、彼女達は選ぶことができる。
パメラの目には、レイチェルとセドリックはどう映っているのだろう。レイチェルも、今はマグルに溶け込めているだろうか。それとも、ただマグルに似た服で誤魔化しているだけで、ここには本来居るべきではない……異物として映っているのだろうか?
「何でもないわ」
そう言って笑った顔は、いつものパメラだった。パメラがまたイルミネーションを眺め始めたので、レイチェルもそれに倣うことにした。無数の光の粒が、きらきらと光っている。まるで、宝石みたいだ。マグルによって作り出された、地上に輝く星。魔法界にだって美しい景色はたくさんあるけれど、どちらが美しいかなんて優劣はつけられない。魔法によって作られた光も、マグルによって作られた光も、どちらも同じように綺麗だ。マグルの技術を馬鹿にする人達は、きっとこの美しい光景が見る機会がないのだろう。それは、とても残念なことだとレイチェルは思う。
魔法族の中には色々と言う人も居るけれど、レイチェルは、マグルも、マグルの技術も────とても素敵で、好きだなあと思う。