「新聞には出てないのね」
「たぶん、情報を流さないようにしているんじゃないかしら……正直にそのまま書いてしまったら、保護者も混乱する可能性が高いですもの」
マグル生まれの1年生────グリフィンドールのコリン・クリービーが襲われたと言う話は、週明けの朝にはホグワーツ中の生徒が知っていた。しかし、日刊預言者新聞のどこにもそんな記事は載っていないようだ。新聞を覗き込んで意外そうに呟いたパメラに、エリザべスが思慮深くそう返した。ふうん、と生返事をしたパメラは、新聞に興味をなくしたらしくレイチェルを振り返る。
「レイチェルは親に言った?」
「ううん。おばさん達に手紙は書いてるけど、このことは伝えてないわ……今すぐ帰って来いって言われたりしたら困るもの。もしかしたら、ママはネタになるって喜ぶかもしれないけど。パメラは?」
「あのね、レイチェル。私のパパやママは善良なマグルなのよ。『ねえ、パパ、ママ。最近ホグワーツに怪物が居るみたい』なんて馬鹿なこと、わざわざ書くと思う?」
それもそうだとレイチェルは納得した。マグル生まれの子達の両親は、ホグワーツがどこにあるかさえ知らないのだ。迎えに来るどころか、様子を窺うことさえできないのに、自分の子供が危険に曝されていると言う情報だけを知らされるのは悪戯に不安を煽るだけだ。だとしたら、パメラの判断は正しいのだろう。
「エリザベスは?」
「……伝えたわ」
エリザベスが深い溜息を吐いた。真面目なエリザベスらしいなと、レイチェルはこれも納得した。まあ、エリザベスの家ならば、黙っていてもどこかから情報が入ってしまうだろうから、そうなる前に自分で伝えたエリザベスの判断もやっぱりきっと正しい。しかし、その憂鬱そうな表情からすると、エリザベスはどうやら家族に伝えたことを後悔しているようだった。
「お兄様が魔除けをたくさん送ってくださったの……よかったら、貴方達も貰って頂戴」
ドスンと鈍い音がしたと思ったら、テーブルの上には大きな箱が乗せられていた。中には紫水晶や、イモリの尻尾や、乾燥させた薬草や、ルーン文字がびっしり書かれた護符や、木でできた人形や、護身用だと思われるあらゆるものがぎっしり詰め込まれていた。何かの魔法薬らしき金色の液体が入った瓶を手に取ったパメラが、その中身を揺らしながら首を傾げた。
「これ、ちょっとした露店が開けるんじゃない?」
善良なエリザベスは勿論それらを無償で友人や同寮生達に分け与えたけれど、校内では似たような護身用グッズの取引が爆発的に流行していた。しかし、それらの商品の何割がきちんと謳い文句通りの効果を発揮するものなのかは、正直なところ疑問が残る。そうしたグッズを売りつけるのは上級生、そして買っていくのは下級生だ。監督生達は大忙しで、ペネロピーはタマネギを色変え呪文で青くしただけのインチキグッズを売っていたスリザリン生を摘発し、減点した。レイチェルはエリザベスから水晶のブレスレットを引き取った以外は、それらの商品には手を出す気にはなれなかった。そもそも、先生達の目を盗んでコソコソ取引きしている時点で、胡散臭いことこの上ない。
「ジョーンズ、お前、狙われるぞ! 特別にこの護符を売ってやっても良いぜ!」
「いらないわよ。そんなに効くなら、自分の顔の真ん中にでも貼っておけば? ちょっとはマシな顔になるんじゃない」
コリン・クリービーの事件以降、下級生達の怯えようは見ていて可哀想になるほどだった。「そんなに怖がらなくても大丈夫だから」と宥めてみても、言っているレイチェルにだって確たる根拠はないのだから、あまり効果はない。女の子と言うのは元々グループで行動しがちだけれど、この頃はまるで接着剤でくっついているのかと思うほど、ぴったりと固まって移動していた。
「あれ? マリエッタは? さっきまで居たのに……」
「本当だ。まあ、でも、大丈夫でしょ。あの子は…………純血だし」
そんな会話が普通にされるようになったことも、大きな変化だ。あの子は純血、あの子は混血、あの子はマグル生まれ。まるでふくろう便の仕分けみたいに、今までは気にしなかった生まれや背景を気にし始める。ちょっとした発言や行動を拾い上げて、あの子は純血だからねとひそひそと囁く。
皆、不安なのだ。だから、仕方ない事なのかもしれない。じめじめと降り続いている雨も、憂鬱な空気に拍車をかけていた。
嫌な雰囲気だなあ、とレイチェルは小さく溜息を吐いた。
「レイチェル、天文学のレポート終わった?」
「ううん、まだ……これから図書室に行くつもり」
「私、フリットウィック教授のところに寄って行くから、先行ってて!」
今日も1日の授業が終わった。レイチェルが机の上の教科書を鞄へ詰め直していると、前に座っていたパメラがレイチェルを振り返った。そうしてさっさと教室を出て行こうとするパメラに、レイチェルも慌てて椅子から立ち上がった。
「あ、待ってパメラ、私も一緒に……」
「大丈夫よ! そんなにビクビクしてたら、継承者とやらの思うツボだわ!」
クスクス笑って軽やかに駆け出していったパメラは、あまり秘密の部屋や継承者について気にしていないらしい。いや、もしかしたら無理して明るく振る舞っているのかもしれないけれど……。何にしてよ、レイチェルにとってはこれはありがたいことだった。ただでさえホグワーツ中が暗い雰囲気なのに、いつも明るいパメラにまで落ち込まれてしまったら、一体どうしたらいいのかわからない。マグル生まれのパメラに、一応は純血のレイチェルがいくら「大丈夫だ」と慰めたところで気休めにしかならないだろうし────そんな考えが頭をよぎって、レイチェルは小さく首を横に振った。ダメだ。秘密の部屋なんて馬鹿馬鹿しいと言いながら、レイチェルも十分気にしてしまっている。やっぱり……できるなら、今はパメラにあまり1人で行動して欲しくないと思ってしまう。
そんなことを考えながら1人図書室へと向かっていると、柱の影に見知った2人組が居た。
「……何やってるの?」
背後から声をかけると、2人はびくりと肩を揺らした。驚かせてしまったのだろうけれど、こちらを振り返ったその顔を見て、レイチェルもまたギョッとした。2人の────フレッドとジョージの顔には、ダンブルドアのような立派な顎ひげが伸びていたからだ。
「……ハロウィンはこの間終わったと思ったけど」
「俺達だって日付くらいは数えられるさ」
「あー……行っちまった」
呆れ混じりに呟いたレイチェルの視界の端を、1年生らしい女の子が通り過ぎて行った。それを見て、フレッドが溜息を吐く。どう言うことだろう。まさか、今の2人のこの奇妙な格好は、あの女の子達を驚かせるために用意したものなのだろうか? 想像するに、柱の影から突然大声を上げて姿を見せる、みたいな。レイチェルは眉を寄せた。双子が悪戯好きなのは今更だし、普段なら楽しい冗談で済むだろうけれど……今そんな驚かせ方をするのは、いくら何だってタイミングが悪すぎる。
「皆不安がってる時に、1年生を脅かして面白がるなんて……」
「ちょっと待った。別に、そこらを歩いてる1年生なら誰でもいいってわけじゃないぜ」
「妹だよ、妹」
言われて、レイチェルはよくよくその1年生達を観察してみた。後ろ姿しか見えないけれど、燃えるような見事な赤毛の長い髪は、確かに以前組分けのときにレイチェルも目にしたジニー・ウィーズリーのようだ。しかし、相手が妹だからって好き勝手に遠慮なく脅かしたって構わないと言うわけではないだろう。レイチェルは深く溜息を吐いた。
「……貴方達の妹をやるのって、すっごく大変そう」
「おいおい、君の幼馴染ほどじゃないぜ」
「……セド?」
フレッドの言葉に、レイチェルは首を傾げた。セドリックが一体どうしたのだろう。確かに、まあ……迷惑をかけていないかと言われれば否定しづらいけれど────主に魔法史のノートとか────最近はそこまで何かやらかした覚えはない。レイチェルが困惑していると、フレッドがしなをつくるようにと体をくねらせ、ジョージの腕を組み甘えるように頬を寄せた。ジョージは、そんなフレッドの頭をやけに優しい手つきで撫でてみせる。突如始まったコントに、レイチェルは目を白黒させた。
「『セド、私、馬鹿なことしちゃったわ』」
「『よくわからないけど、元気出して、レイチェル』」
あまり似ていない気がするけれど、がらりと変わった声色は恐らくレイチェルとセドリックの真似のつもりなのだろう。フレッドはやけに女の子の声真似が上手い。あまりに上手すぎて、レイチェルは思わず顔を引きつらせた。
そして、その会話のやりとりにもレイチェルは心当たりがあった。先日の箒小屋でのやり取りだ。ウッドのことでちょっと動揺していたから、セドリックに対してもちょっと、かなり、甘えてしまったような───。
「……見てたの?」
「偶然さ」
「別に覗いてたわけじゃない」
否定してくれますようにと思いながら恐る恐る尋ねたレイチェルに、双子は肩を竦めてみせた。羞恥心が首筋を這い上がる。やっぱり、見られていたのだ。誰も居ないと思ったのに────。頭を抱えたレイチェルに気づいてるのか気づいてないのか、双子は無邪気に追いうちをかけてきた。
「君、ディゴリーの前じゃいつもああなのかい? 俺達の前とあんまり態度が違うんで、別人なんじゃないかと思ったぜ」
「ついでにディゴリーの誕生日に、ハッフルパフの寮の近くでキスしてたって目撃情報も信頼できる筋から得ている」
「頬にしかしてないわ!」
からかうように笑う2人の言葉を、レイチェルは力強く否定した。冗談じゃない。その言い方だと、まるでセドリックとレイチェルが恋人同士のキスをしていたみたいに聞こえる。あれはただの、親愛のキスだ。そんなんじゃない。それに、信頼できる筋って一体誰だ。眉を寄せたレイチェルに、双子はニヤッと笑ってみせた。
「安心していいぜ。わざわざ言いふらすほど俺達も暇じゃない」
「何にしろ、いちゃつくんならもう少し人目に気を付けた方がいいぜ、レイチェル!」
「いちゃ……いちゃついてなんてないわ」
「君達の主観ではそうかもしれないな」
真面目くさった顔でそう言うジョージに、レイチェルはうっと言葉に詰まった。確かに、レイチェルとセドリックがどんなに特別な意味などないと言い張ったところで、他の人にそう受け取ってもらえなかったとしたら無意味だ。現に、去年二人でホグズミードに行ったら、デートなんじゃないかと噂されて面倒なことになってしまった。それでもだ。
「別に、いちゃついてなんてないもの……」
双子の消えていった廊下を呆然と見つめ、レイチェルはぽつりと呟いた。
それでも、やっぱりレイチェルにとってセドリックは幼馴染で、キスをしたって腕を組んだって、そこに特別な意味なんてないのだ。
城の中の空気は相変わらずだったけれど、月末が近づくにつれてにわかに活気づいた。最終週の土曜日には、レイブンクロー対ハッフルパフの試合があったからだ。ニンバス2001のデビュー戦ほどの興奮はなかったものの、それでも試合特有の熱気に包まれた。心配していたブラッジャーの動きも正常だ。レイチェルもシンボルカラーの青い旗を振って、頭上を飛び交う選手達を応援した。今回の試合は、試合そう長くはかからなかった。終了のホイッスルが鳴り響いたとき、競技場の東側────レイブンクローの応援席からは盛大な溜息が洩れた。
「あー、負けちゃった!」
「でも、まだ優勝の望みがないわけじゃないわ。グリフィンドールとスリザリンに勝てばいいんですもの……」
パメラとエリザベスが残念そうに息を吐く。けれど、レイチェルは未だそわそわと落ち着かなかった。
160対70で、ハッフルパフの勝利。当然、スニッチを取ったのはセドリックだ。写真もたくさん撮ったし、チャーリーやおじさんにも送るつもりだ。去年のように、引き分けと言う中途半端な結果ではなく、文句なしにハッフルパフの勝利だった。60点もの点差がついてしまって劣勢だったハッフルパフを、セドリックがスニッチを獲ったことで勝利へ導いたのだ。さっきまで、ハッフルパフの観衆はセドリックコールに包まれていた。レイチェルはこの目で、セドリックの右手がスニッチへと伸び、その指先がスニッチを掴む瞬間を確かに見た。
レイブンクローが負けてしまったことは残念だったけれど、レイチェルは正直────セドリックの活躍がとても嬉しい。自分がレイブンクロー生でなければ、きっとセドリックがピッチへと降り立った瞬間、その側へ駆け寄っていただろう。
しかしレイチェルの立場は負けてしまった側のレイブンクロー生なので、チョウやロジャーの気持ちを考えるとあまり喜びの気持ちを表に出すわけにはいかない。今はお祝いの気持ちは手紙にだけ込めて、隠しておくべきだろう。本当なら手紙じゃなく直接言いたいけれど、こればかりは仕方ない。急いでふくろう小屋へと向かおうとしていたレイチェルは、視界の先に見つけた人物に思わず足を止めた。レイチェルの見間違いでなければ、向こうから歩いて来るのは、ついさっきまでハッフルパフの寮生達に囲まれていたはずのセドリックだったからだ。
「セド? パーティーは?」
「後で行くよ。でも、今はレイチェルに用事があったから」
慌てて駆け寄ると、やっぱりセドリックだった。箒は既に片付けたようだけれど、まだカナリアイエローの競技用のローブのままだ。ニッコリ笑うセドリックの顔は、勝利の興奮と誇らしさで輝いていた。主役のはずなのに、パーティーに遅れてしまうなんて。レイチェルが困惑していると、セドリックがレイチェルに向かって右手を差し出した。
「手を出して」
言われた通りにすると、セドリックがそっとレイチェルの手の平に何かを乗せた。大きめのクルミくらいの大きさで、艶やかに光る金色の球体に羽が生えている────スニッチだ。スニッチはまるで身じろぎをするように、レイチェルの手の平の上で羽を動かした。どうしてスニッチがここにあるのだろう。レイチェルが呆然としている間に再び宙へと逃げようとしたスニッチをセドリックが捕まえ、今度こそレイチェルの手にしっかりと握らせた。そして、まだ紅潮した頬のまま微笑んだ。
「フーチ先生に聞いたら、貰っていいって言われたんだ。レイチェルにあげるよ。最近、元気なかったみたいだから」
「いいの? ……だって」
せっかくセドリックが捕まえたスニッチだ。手元に置いていていいと言うのなら、セドリックが持っているのが自然だろう。確かに、スニッチが貰えるのはとても嬉しいけれど────でもこれは、セドリックのものだ。セドリックが持ってこそ、ふさわしい。レイチェルのものじゃない。
「いいんだ。このグローブも……それに、チャーリーと会えたのも、元々はレイチェルのおかげだしね。僕はようやく自分で満足できる試合ができたし、それで十分だ」
グローブを選んでくれたのはホグズミードの箒用具店の店員で、レイチェルはよくわからず言われた通り買っただけだし、チャーリーだって偶然父親の同僚として働いていただけだ。どちらもレイチェルの功績じゃない。そう口にしようかと思ったが、セドリックの穏やかな笑顔を見たら、何も言えなくなってしまった。セドリックが、レイチェルを喜ばせたいと思ってくれていることが、わかってしまったから。
「……ありがとう、セド」
せっかくのセドリックの優しさを、受け取らずに突っぱねてしまうのは失礼かもしれない。レイチェルは手の平の中のスニッチをじっと見つめた。スニッチに触るなんて、クィディッチ選手じゃないレイチェルには初めてのことだ。金色の球体には、彫刻のような複雑な模様が入っている。薄い羽根も、まるで硝子細工のように繊細で優雅な作りをしていた。僅かに羽根が動くたび、光を反射してキラキラと輝いている。なんて綺麗なんだろう。込み上げてくる嬉しさに、レイチェルはセドリックの首にぎゅっと抱きついた。
「……汗かいてるよ?」
「いいの」
困ったようにセドリックが苦笑したけれど、レイチェルは小さく首を横に振った。とにかく嬉しくて、誇らしかった。ドラコとの喧嘩だとか、ハリー・ポッターへの苛立ちだとか、秘密の部屋だとか継承者だとか────太陽が曇り空を晴らすみたいに、そんな不安や憂鬱は今だけはどこかに消えてしまっていた。胸が弾んで、顔が勝手に笑ってしまう。あまりにも嬉しくて、嬉しすぎて、今すぐ歌い出したいような気分だ。こんな気持ちは久しぶりだった。
「すっごくかっこよかった。チャーリーもきっと喜んでくれるわ」
「ありがとう」
セドリックが照れたようにはにかむ。今日のセドリックの活躍がどんなに素晴らしかったか。そしてセドリックが、せっかくのスニッチをレイチェルにくれたこと。世界中の人に、こんなに優しくて素敵な男の子がレイチェルの幼馴染なんだと、自慢したい気分だった。ぎゅうと抱きついた腕に力を込める。たとえもしここにまたフレッドとジョージが通りかかって、からかわれたって構わないと思った。
誰に何と言われたっていい。自慢の幼馴染の活躍が嬉しいのは、当たり前のことだ。