翌日には、待ちに待ったクィディッチの開幕戦があった。天気はやっぱりあいにくの雨だったけれど、それくらいではホグワーツ生達のクィディッチへの興奮や期待は冷やせはしない。朝食の席は、あと1時間後に始まる試合を想像して誰もが目を輝かせていた。
「正直、どっちが勝つと思う?」
ロジャーの言葉に、レイチェルは食べかけだったスクランブルエッグをごくりと飲み込んだ。そして周囲の友人達と顔を見合わせる。正直、この質問に対して考えることはほとんど皆同じだろう。パメラがぶちりと音を立ててレタスを乱暴にちぎり、エリザベスの溜息が紅茶を揺らした。レイチェルはちらっと少し離れたグリフィンドールのテーブルに視線を向け、それから隣のスリザリンのテーブルを見た。選手はもうとっくに朝食を済ませてしまって居ないようだ。これなら、うっかりでもこの会話がアンジェリーナやフレッドやジョージの耳に入ることはないだろう。小さく溜息を吐き、今日の試合結果を予想する。
「スリザリン」
「スリザリン」
「スリザリン」
「グリフィンドール」
「……勝ってほしいって、願ってるわ。箒の性能で全てが決まるって、思いたくないもの。それに、スリザリンのシーカーは初めての試合でしょう?」
その言葉に、レイチェルはなるほどと納得した。確かに、2年生のドラコは試合に出るのは今日が初めてだ。いくら箒が最高級だとしても、緊張していたらその全力を出すのは難しいだろう。もしかしたらそれは、チョウ自身の去年の経験から導き出された答えなのかもしれない。
「正直、スリザリンの鼻を明かしてやってくれ!って思うけどな……」
ロジャーが眉を顰めた。グリフィンドールチームの実力は確かだ。チャーリーがチームを抜けて以降、なかなか次のシーカーが見つからず精彩を欠いていたグリフィンドールチームは、去年ハリー・ポッターを引き入れたことで非の打ちどころのない強力なチームになった。グリフィンドールがもしもニンバス2001の前にペシャンコにされてしまったとしたら、この先に控えているレイブンクローとスリザリンの試合も自然と結果は見えてしまう。そう言う意味では、今日の試合がどうなるかはレイブンクローやハッフルパフにとっても重要なのだ。テーブルはしんと静まり返ったが、ふいに誰かが口を開いた。
「ニンバス2001が7本でしょ? グリフィンドールは優秀な選手ばかりだけど、やっぱり不利よ」
「おいおい、クィディッチはいつから速く飛べば勝ちってスポーツになったんだよ?」
「サッカーで言えばドリブルが速い選手ばっかりってことでしょ? 普通に考えて無理じゃない?」
「でも、スニッチさえ取ればいいわけだから……」
「ねえ、サッカーって何?」
ああでもない、こうでもないとあちらこちらから声が上がり、クィディッチ談義が白熱する。レイチェルはサッカーの詳細な説明を求めてパメラのセーターの袖を引っ張ったが、議論に夢中なパメラは気づかなかったらしい。諦めて紅茶のカップを傾ける。そんな風にレイブンクローのテーブルが騒がしくなってきた頃、バタンと音を立てて大広間の扉が開いた。
「競技場が開いたぞ!」
扉から入って来たグリフィンドール生の誰かがそう叫び、口々に歓声が上がる。そうして、あちこちからガタガタと椅子から立ち上がる音が聞こえ始めた。グリフィンドール生とスリザリン生は、応援のための飾りつけの準備があるからだ。それに、ハッフルパフやレイブンクロー生の中にも立ち上がった生徒がちらほら居た。せっかくの試合だから、少しでも見やすい席を押さえるつもりなのだ。
「私達も早く行って席を取らなくちゃ! レイチェルも行きましょ!」
「私はいいわ。まだ食べ終わってないし……パメラ達は先に行ってて」
「じゃあ、レイチェルの分も席を取っておくわよ!後から来て」
「ううん。たぶん皆を探してる間に試合が始まっちゃうと思うし……適当に隅の方で見るから大丈夫」
クィディッチ選手のロジャーとチョウ、意外とクィディッチ好きのエリザベス、それからお祭り好きのパメラ。4人は朝食を急いで切り上げて、競技場の方へと駆け出していった。レイチェルはその背中を見送って、食事を続けることにした。話に夢中になっていたせいで、まだトーストは半分しか食べ終わっていない。
「あ、ねえ、ペネロピ―。さっき、アンソニーとテリーが金貨を賭けてたわ。やめたらって言ったんだけど、ちっとも聞かないの」
「本当に!? やめさせなくちゃ! ありがとう、パドマ!」
背後でそんな会話が聞こえ、ペネロピーがパタパタと走って行く。選手だけでなく、観客の生徒達までが、落ち着かない様子でソワソワして、慌ただしい様子だ。レイチェルは小さく息を吐いて、ガラスボウルに残った苺を一粒摘んだ。グリフィンドールのローブによく似た真っ赤な苺は、よく熟れていて甘酸っぱい。舌の上でそれを転がしながら、レイチェルはのんびりと紅茶を啜った。
全く、クィディッチの朝って忙しい。
時計の針は10時45分を差していた。つまり、試合が始まる15分前だ。
生徒達のほとんどが競技場へと向かい、城の中は空っぽになった。しかしレイチェルはその流れに逆らって、競技場を見下ろせる図書室に居た。マダム・ピンスも今日ばかりはどうにか休暇をもぎとったらしく、クィディッチに興味がないらしい上級生がちらほら居るだけで、図書室はいつも通りの静寂に包まれていた。窓際の席に座って、レイチェルはぼんやりと眼下に広がる競技場と、黒いローブの人だかりを眺めていた。金色のライオンが描かれた真紅の垂れ幕が、風にはためいている。
「レイチェル。やっぱりここに居た」
「セド」
「はい。これ。使って」
「…………ありがとう」
誰かに肩を叩かれたと思ったら、そこには穏やかに笑顔を浮かべるセドリックの姿があった。差し出された双眼鏡を受け取って、窓の側へと立つセドリックの隣に並ぶ。誰にも言わずにここへ来たのに、どうしてレイチェルがここに居ることがバレているのだろう?レイチェルは複雑な気持ちでセドリックを見上げた。
「どうしてわかったの?」
「『ハリー・ポッターの試合』だからね。試合の様子や結果は気になるけど、競技場で応援はしたくない。違う?」
「……当たり」
見透かされている。レイチェルは小さく息を吐いた。ロジャーやチョウは、去年スリザリンチームに散々反則スレスレのプレーをされたこともあって、当然グリフィンドールを────つまり、シーカーのハリー・ポッターを応援するだろう。レイチェルの大嫌いなハリー・ポッターを。それに、今は喧嘩して疎遠になってしまったとは言え、チョウも言っていたようにドラコにとってはデビュー戦だ。アンジェリーナ達だって居るし、グリフィンドールを応援したい気持ちもあるけれど……ロジャー達ほどレイチェルは純粋にグリフィンドールの勝利を願えない気がしたので、競技場で皆と一緒に応援するのはやめておいた方がいいと思ったのだ。
「セドはあっちで見なくていいの?」
別にレイチェルに付き合わなくたって、友達と競技場で観戦してくれていいのに……。ルームメイトやクィディッチチームの仲間や、他にもきっとセドリックと一緒に観戦したがる人は多いだろう。レイチェルがそう尋ねると、セドリックは照れたように苦笑してみせた。
「あの空気の中だと、自分の試合のことを考えて、緊張しちゃうからダメなんだ」
ふうん、と頷く。それが本音なのか、レイチェルを気遣った優しい嘘なのか、問いただそうと言う気にはなれなかった。静かに観戦したいと望んでいたとは言っても、やっぱり1人きりは少し寂しいから。
そんな会話をしているうちに、競技場が図書室にまで届くほどの歓声に沸いた。選手が入場したのだ。カチカチとダイヤルを回し、レイチェルはレンズの照準を合わせた。ニンバス2001はあまりにも速すぎて、緑色の線のようにしか見えない。どれがドラコなのかもよくわからない。そう言えば、結局シーカーになったことへのお祝いも言えなかったし、もちろん「試合頑張って」なんて声をかけることもできていない……。そんなことを思い出して気分が沈みそうになり、レイチェルは首を横に振ってそんな憂鬱を追い出した。今は、これから始まる試合に集中するべきだ。
どうやら、試合開始のホイッスルが鳴ったようだ。2人のシーカーのことはあまり気にしないようにして、ウッドやアンジェリーナやアリシア、フレッドやジョージの応援をしよう。そう思ってレイチェルは双眼鏡を握る手に力を込めた。けれど、試合を観戦し始めてすぐに、そんな決意は崩れてしまった。だって、どんなにハリー・ポッターに興味がなくたって、彼から目を離さずにはいられないような展開だったからだ。
「去年は箒で今年はブラッジャー? もう、一体どうなってるの? ……ああ、もう、危ない!」
試合が始まってしばらくして、セドリックとレイチェルは異変に気が付いた。これについては、もしかしたらレイチェル達の方がスタンドで応援している生徒達よりも先に気がついたかもしれない。距離が遠い分、その異変ははっきりと見て取れた。
ブラッジャーの1つが、ハリー・ポッターに付き纏って離れない。フレッドとジョージ───どっちがどっちかはわからないけれど────がどんなに遠くに弾き飛ばしても、すぐにまたハリー・ポッターを狙って戻ってきてしまう。まるで、ハリー・ポッターの背中にブラッジャーを引き寄せる見えない磁石でもついているみたいに。実際にそんな磁石があるはずもないので、誰かがブラッジャーに細工したのだろう。正常に動作するブラッジャーなら、あんな風にたった1人の選手の動きだけに反応したりしない。そんな状態なので、フレッドとジョージはハリー・ポッターに付きっきりだ。グリフィンドールのチェイサー達はハリーとブラッジャーの間に入らないよう気を配らなければいけないし、自力でブラッジャーを何とかしなければいけない。ハリー・ポッターを狙うとわかっているので、選手にとってはブラッジャーの動きがいつもより予測しやすいのかもしれない。スリザリンのチェイサー達は自分達のビーターに守られながら、アンジェリーナ達がブラッジャーの軌道に入らなければ奪い返せないようクアッフルを運んでいく。スリザリン優位で試合が進んでいた。
「あれじゃ……あれじゃあ、首の骨を折って死んじゃうわ! 試合中止にならないの?」
「中止って言うか……今の状況だとグリフィンドールが棄権って扱いになるだろうから、没収試合だと思うよ。つまり、スリザリンの勝ちになる」
「そんな!」
そんな、明らかにブラッジャーがおかしいのに、こんな不公平な状況で、グリフィンドールの負けになるなんて────困ったように眉を下げるセドリックの言葉に、レイチェルはここが図書室であることもつい忘れて叫んでしまった。
今回の件について、ハリー・ポッターは何も悪くない。悪いのはブラッジャーに細工した誰かだ。わかっている。しかし、どうしてこう、ハリー・ポッターの周囲はトラブルだらけなのだろう。何か深刻な呪いでもかかっているんじゃないだろうか?
「タイムアウトだ」
セドリックが呟いた。競技場を飛び交っていた選手達が地上へと降りて行く。レイチェルはその様子を見てホッとした。きっと、試合を棄権するつもりなのだろう。いくらクィディッチ狂いなんて呼ばれているウッドだって、選手の命より試合の結果を優先するなんてことはないはずだ。しかし、そんなレイチェルの予想は見事裏切られた。
「本当、無謀……いつもいつも……」
双眼鏡のレンズの向こうで、ハリー・ポッターはビーターの守りもなしにたった1人でブラッジャーをかわしながら、ドラコとスニッチを競り合っている。いつブラッジャーに箒から弾き飛ばされて死んでもおかしくないような、危険な状況だ。ウッドの作戦なのか、ハリー・ポッターが言い出したのかは、離れて見ているだけのレイチェルは知らない。けれど、ウッドの作戦なら他の選手が───フレッドやジョージが止めるだろう。アンジェリーナやアリシアだって。と言うことは、たぶんあれは、ハリー・ポッターが言い出したのだろう。根拠はないけれど、レイチェルにはそんな確信があった。
トロールに、真夜中の散歩に、賢者の石。フォード・アングリア。今度は暴走するブラッジャー。ハリー・ポッターは、一体どれだけ無茶をやらかせば気が済むのだろう。
確かにハリー・ポッターの箒捌きはすごい。本人も自分の箒の腕に自信があるのだろう。けれど、ブラッジャーの不規則な動きは、どんなに素晴らしい乗り手でも妨害できるように作られているのだ。怪我をしない保証なんてどこにもない。ハーマイオニーは一体、今どんな気持ちでこの試合を見ているだろう……。
レイチェルがやきもきしながら双眼鏡を握り締めていると、ァッと競技場の方から歓声が上がった。リー・ジョーダンの興奮した解説がここまで響いて来る。荒れ狂うブラッジャーにも立ち向かい、ハリー・ポッターは見事金のスニッチを手にしたのだ。
「セドがもしあんな真似をしたら、箒をバラバラに切り刻んでやるから」
図書室を出て、レイブンクロー塔へと向かうレイチェルの機嫌は最悪だった。主にハリー・ポッターのせいだ。あんな無茶な真似をして、一体どう言うつもりなのだろう。結果的に勝ったし、死ななかったからいいようなものの……もしも最悪の結果になったらどうするつもりだったのか。取り返しのつかないことになっていてもおかしくなかったのに。いや、そうなる可能性の方がずっと高かったのに。
本当に信じられないとレイチェルがぼやいていると、廊下の角から真っ赤なシルエットが2つ現れた。真紅のグリフィンドールの競技用ローブに、燃えるような赤毛。フレッドとジョージだ。
「試合、見てたわ。お疲れさま。……どこ行くの?」
「シーカーの見舞いさ」
「お見舞い?」
グリフィンドール塔とは反対方向に向かっている様子の2人を不思議に思って尋ねると、そんな答えが返って来た。フレッドとジョージがドラコのお見舞いに行くと言うのは考えにくいから、つまりはそのシーカーとはハリー・ポッターのことだ。確かにメチャクチャな今の試合で、かすり傷の1つもなかったとしたら奇跡だ。
「……じゃあ、やっぱりあのブラッジャーで怪我したの?」
「ああ。腕を骨折さ」
「骨折だけなら良かったんだけどな」
フレッド(たぶん)が溜息を吐いた。その言葉に、レイチェルとセドリックは不安になって顔を見合わせた。骨折だって十分重傷なのに、それよりももっとひどい怪我って、一体何だろう。困惑するレイチェルとセドリックに肩を竦めるてみせると、双子は口を揃えて「ロックハート!」と叫んだ。
「やってくれるぜ」
「骨折を治そうとして、ハリーの骨を消しちまった。全く、素ン晴らしい魔法の腕前にクラクラするよ」
「これが本当の骨抜きってやつだな」
双子はケラケラと声を立てて笑ったが、レイチェルは自分の口元が奇妙に引きつるのを感じた。禁書のサインに引き続き、ここでもロックハート。しかも、どちらも事態が全然良い方向に働いていない。確か、骨って折れたのを治すならあっと言う間だけれど、生やすのは相当時間がかかる上に、ものすごく痛いんじゃなかっただろうか……?
「……ねえ、セド」
打ち上げもあるからと急いで医務室の方へ走って行った双子の背中を見送って、レイチェルは隣に立つセドリックの横顔を見上げた。セドリックもクィディッチで何度か捻挫やら骨折をしたことがあるけれど、流石に骨が跡形もなく消えてしまったことは未だかつてない。
「試合の後は、ロックハートに近寄っちゃダメよ。絶対に。箒どころか、セドがバラバラにされちゃう。私、セドの残骸をマッチ箱に詰めて医務室に持っていくのは嫌だもの」
「うん……」
セドリックが困ったような、ハリー・ポッターに同情しているような、神妙な表情でこくりと頷いた。
荒れ狂うブラッジャーはとても恐ろしい。しかし、どうやらその認識には少し訂正が必要なようだ。専門外のことに関してもでしゃばる教師の方が、ブラッジャーよりもよほど恐ろしいのかもしれない。
一夜が明けても、城中が試合の余韻に包まれていた。話題の中心はやっぱりハリー・ポッターだ。あんな凶悪なブラッジャー相手にたった1人で立ち向かうなんてすごい。勇敢だ。自分なら怖くってあんなことはできない。狂ったブラッジャーをかわしながら、スニッチを掴むなんて。スリザリンの奴らめ、ざまあみろ。
口々にハリー・ポッターを褒めそやす周囲にレイチェルは素直に同調できなかった。けれど、下手に反論をして集中砲火を浴びるのも嫌だったので曖昧に相槌を打つことでその場をしのいでいた。この空気の中、「ハリー・ポッターの行いって無謀だしありえない」と言い出せるほど、レイチェルの神経は頑丈にできていない。
「でも本当、すごいわよね?」
はにかむように頬を染めるチョウは可愛い。同じシーカーとして、チョウはハリー・ポッターの行動にいたく感銘を受けたらしい。レイチェルの目にはこの上なく無謀に見えた行動は、チョウの目にはどうやらチームの勝利のために自らを犠牲にした英雄行為として映ったらしい。
「私だったら、あんな風にブラッジャーに集中攻撃されたら、棄権してしまうかもしれないわ……」
「是非そうしてね、チョウ……」
ハリー・ポッターの飛びっぷりを見て自信喪失してしまったのか、物憂げに表情を曇らせるチョウの肩に手を置き、レイチェルは心をこめてそう言った。あれがシーカーとしてのお手本だなんて考えて、真似することだけはやめてほしい。チョウやセドリックがあんな風にブラッジャーにしつこく追いかけられたりしたら、心臓が潰れてしまいそうだ。チョウやセドリックの箒の腕前がハリー・ポッターに劣っていると疑っているわけじゃない。2人がたとえワールドカップに召集されるような優秀な選手だろうと、できればあんな目にあってほしくない。
「それにしても、誰があんな細工をしたのかしら?」
チョウの疑問は尤もで、あの後先生達が調査をしてみたけれど結局は何も異常は見当たらなかったらしい。
スリザリン生の誰かの悪戯だ、いや生徒にあんなことはできない、上級生じゃないのか、いや違う。もしかしたらスリザリンの継承者の仕業なんじゃないか。様々な憶測が飛び交っていたけれど、いくら議論したところで答えの出ない話題はそう長くは続かない。結局は、そんなブラッジャーを見事退けたハリー・ポッターはすごいと言う話題に戻るのだった。
学校中がお祭り騒ぎに湧いて、まるでハロウィンが再びやってきたようだった。ミセス・ノリスの件で暗くなっていた城の空気をまた明るく活気づけてくれたのだから、ハリー・ポッターには感謝すべきだとも思う。レイチェルはポッターポッターと肩を組んで歌っているグリフィンドールの下級生達の浮かれようを見ながら、そんなことを思った。しかし、そんなグリフィンドールの勝利の熱狂も、長くは続かなかった。
「ペニー、何してるの? それ、マグル製品の紙?」
「そうよ。手紙を書いてるの」
その時レイチェルは、談話室で本を読んでいた。天井の星の模様は、きらきらと優しく輝いている。隣の席に座っているペネロピーは、可愛らしい模様の書かれた紙に羽ペンを走らせている。マグル製品は気になるけれど、手紙ならば覗きこむのは失礼だろう。レイチェルが手元の本へと視線を戻した時、談話室の扉がバタンと音を立てて開いた。
「おい、大ニュースだ!」
そんな声に、レイチェルは再び顔を上げた。飛びこんできたのは、ロジャー・デイビースだ。息を切らしているところを見ると、走って階段を上ってきたらしい。ロジャーがひどく切羽詰まったような表情だったので、レイチェルは首を傾げた。いつものロジャーらしくない。一体どうしたと言うのだろうか。
「ロックハートがハリー・ポッターの腕をクラゲみたいにしちゃったって話なら、もう新しくはないわよ!」
「違う」
ソファでファッション誌を広げていたパメラがからかうように言い、同級生の間で笑い声が上がった。しかし、ロジャーは神妙な顔で首を横に振ってみせた。その深刻そうな声に誰もが話を止め、談話室中の視線がロジャーに集まる。沈黙の中、ロジャーは静かに口を開いた。
「1年生が襲われたらしい。マグル生まれだ」
レイチェルの隣で、ペネロピーが息を呑んで口元を覆った。肘が当たってしまったせいでインク瓶がテーブルから落ちて、濃紺のカーペットの上に染みを作っていく。さっきまでの楽しげな空気が嘘のように、ざわざわと、またハロウィンの夜と同じ不安げな囁きが広がっていく。1年生の女の子の何人かは、泣き出してしまっていた。足元から得体の知れない気味の悪さが這い上がってきて、皆の表情を曇らせていく。レイチェルは青ざめるペネロピーの背中を擦りながら、カーペットを伝って深い紺色を侵食していくインクをぼんやりと見つめていた。少しずつ。けれど着実に、不安が広がって行く。まるで、このインクの染みみたいに。