ハロウィンがやってきた。
ハグリッドが育てた小山のようなカボチャをくり抜いたジャック・オ・ランタンが城のそこかしこに飾られ、無数の生きたコウモリが大広間の天井を埋め尽くしていた。こうなると、今だけは課題の多さへの憂鬱も忘れて、気分も浮かれてくるものだ。
マグル学の授業では、マグル式ハロウィンをしようとバーベッジ教授からお菓子をたくさん貰えたし、やっぱりハロウィンって素敵だ。甘酸っぱいレモンキャンディーを舐めながら次の授業に向かっていたレイチェルは、ふと廊下の先に居る人物へと目を留めた。柔らかそうなウェーブのかかった金髪の、小柄な女の子。この間も廊下で会った、ルーナ・ラブグッドだ。
せっかくだから挨拶をしよう。そう思って近づいてみたところ、レイチェルはルーナが誰かと話していたことに気づいた。廊下の角に隠れてしまってよく見えなかったけれど、近づいてみるとそれはレイチェルも知っている人物だった。ごくんと口の中のキャンディを急いで飲み込み、スカートの裾を払う。それから、できるだけ丁寧にお辞儀をした。ルーナの隣に居る人物が、ヒッポグリフと同じくらい礼儀にうるさい人物だと言うのは、レイブンクロー生なら誰もが知っていることだ。
「ごきげんよう、レディ」
「ごきげんよう」
レイブンクロー寮のゴースト────灰色のレディは、美しい顔に冷たい表情を浮かべたまま、抑揚なく返した。真珠色の半透明のドレスの裾がふわりと翻る。一応寮のゴーストではあるけれど、彼女と親しい生徒はレイチェルの知る限りはほとんど居ない。そもそもハッフルパフの太った修道士やグリフィンドールのほとんど首なしニックとは違って、生徒の前にはあまり現れないし、会話もしないのだ。月に1度、姿を見かけるかどうかくらい。だから今、レディがルーナと親しげに会話を交わしているのは、レイチェルにとっては意外だった。猫のようにのんびりとあくびをしているルーナをじっと見つめていると、なかなか立ち去らないレイチェルを怪訝に思ったのかレディは眉を潜めた。
「ルーナの友人ですか?」
「ううん、友達じゃないよ」
レディの問いに、ルーナは躊躇う様子もなく首を横に振った。何だか、その言葉がグサッと胸に刺さったような感覚に陥る。確かに1度ほんの少し話しただけだし、友人と言えるほど親しくないかもしれないけれど、そこまできっぱり否定しなくったって……ちょっと落ち込んだレイチェルだったが、ルーナはニッコリ笑って言葉を続けた。
「でも、この間助けてくれたんだ。いい人だよ」
その無邪気な笑顔に、レディはようやくレイチェルへの警戒を解いたようだった。ほんの少し和らいだ表情に、レイチェルは何だか驚いてしまった。もしかしたら灰色のレディって、皆が言うような気難し屋なんじゃなく、ただ単に人見知りなだけなのかもしれない。
しかし、それきり静まり返ってしまった空気に、レイチェルはまた気まずくなった。レディは話し出す気配はないし、レイチェルもレディにどんな話題を振ればいいのかわからない。窓の外を眺めているルーナは───たぶんまた何かレイチェルの目には映らない生き物を探して居るのだろう───この沈黙を気にしていないようだけれど、じっと見つめてくるレディの視線はちょっと居心地が悪い。レイチェルも何気なく窓の外を眺めている振りをして、会話の糸口を探す。ちょうどその時、窓の外を馬に乗ったゴーストが横切って行った。
「ええと……その……今日は、やけにゴーストが集まっているみたいだけれど……レディは、その原因をご存知?」
しかも、ホグワーツのゴーストじゃない。知らないゴーストを見かけるのは今日これで3度目だ。さっきの授業の合間の廊下でも、見知らぬゴーストが自分の首でポロを楽しんでいると言うゾッとするような光景に出くわした。あれは一体、何の目的で来ているのだろうか? ゴーストであるレディなら知っているかもしれない。曖昧に微笑んで首を傾げたレイチェルに、レディはつんと澄まして高慢な口調で答えた。
「ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿の絶命日パーティーがあるのですわ」
「絶命日パーティー?」
やけに長い名前だ。でも、どこかで聞いたことがあるような……そう言えば、ほとんど首なしニックの本名はそんな感じだった気がする。ニックの絶命日パーティー。聞いたことのない言葉だけれど、ゴーストとしての誕生日パーティーのようなものだろうか。
「それって、レディも参加するの?」
「ええ。同じホグワーツのゴーストとして、5年前から招待を受けています」
レディは無表情のまま、淡々とそう口にした。たぶんあまり気が進まないのだろうなと、レイチェルにも察しがついた。ゴーストのパーティーがどんなものなのか、レイチェルには想像がつかないけれど、たぶんレイチェルが想像するパーティーとはかなり印象が違うものなのだろう。死んでしまった日を祝うのなら、そんなに愉快で楽しい集まりではなさそうだ。そんな会話をしている間にも、窓の外をまたゴーストの一団が通り過ぎていく。それを見て、レディは今度こそ美しい顔を歪めた。
「野蛮な人達の集まりです」
どうやら、窓の外のゴースト達がレディに気づいたらしい。親しげな笑みを浮かべてこっちに向かって来る彼らを睨んでそう吐き捨てると、レディはふわりと天井高く浮き上がってどこかへと行ってしまった。それを、壁を通り抜けてきたゴースト達が追っていく。ゾッと鳥肌が立つような冷気が廊下を吹き抜けて行った。取り残されたレイチェルは、呆然と彼らの消えた方を見つめていた。
「レディは騒がしいのが好きじゃないんだ」
ルーナがのんびりした口調で言う。それからゆったりと鳥がはばたくように手を動かしながら、レディ達の消えた───レイチェルが向かう逆の方向へと歩いて行ってしまった。もう少し話してみたかったなと残念に思ったが、レイチェルも次の授業へ向かわなければいけない。
その道すがらも、レイチェルは見知らぬゴーストと太った修道士が談笑している姿を見かけた。ゴーストの人間関係も───いや、ゴースト関係が正しいのだろうか───色々大変なのかもしれない。もしかしたら、生きている人間以上に。
「ね、ね、レイチェル。あの右端の人、かっこよくない?」さ
「どれ? あのブロンドの人?」
「違うわ! その後ろのあの黒髪の……あ、ほら、今、ターンした!」
ハロウィンパーティーが行われている大広間は、生徒達の笑い声で溢れていた。パーティー用のピカピカの金の皿が、蝋燭の灯りで幻想的に揺らめいている。その上には屋敷しもべ妖精たちが腕によりをかけたごちそうの数々が盛り付けられ、食べて食べてとレイチェル達に話しかけているようだ。
ダンブルドアが余興のために呼んだと噂されていた骸骨舞踏団も素晴らしかった。レイチェルは正直これまであまり興味がなかったのだけれど、実際に生で見るとその人気にも納得だった。力強く、迫力があって、けれど繊細な彼らの動作から目が離せなかった。レイチェルだけでなく、ほとんどの生徒は料理を食べるのも忘れて、彼らのパフォーマンスに見入っていた。骸骨舞踏団は黒ずくめの長いローブを着た背の高い男の人達の集団で、アップテンポの曲に合わせて激しいダンスを踊っている。時々テーブルとテーブルの間を通り抜け、近くに居た生徒を巻き込んで一緒に踊ってみせる。彼らのダイナミックな演技はどれもワクワクするようなものだったけれど、中でも浮遊呪文で浮き上がった数人がまるで何もない空中に床があるかのように地上と変わらないパフォーマンスをしているのにレイチェルは感動した。逆立ち。宙返り。バック転。かと思えば大広間の天井近くを歩き回り、テーブルに着く生徒達に向かってオレンジや黄色の薔薇の花を落としていく。たぶん、呪文に合わせてタイミングよく体を動かしているのだろうけれど、まるで本当に空中を歩いているみたいだ。時々わざと落ちそうにバランスを崩してみせるので、そのたびに女子生徒達からは悲鳴が上がった。あちこちから火花が飛び、爆発音が起こる。テンポを上げて、バンシーの叫び声のようになっていくバックバンドの演奏。そし最後には、星屑のようにキラキラ光る金色の粒子が大広間中を駆け巡り、天井の近くに大きな文字を綴った────ハッピー・ハロウィン。
恭しく一礼する舞踏団に、レイチェルも夢中になって拍手を送った。
「パンプキンプディング!」
テーブルの上に現れたたくさんのデザートを見て、パメラが嬉しい悲鳴を上げた。さっきまでのごちそうは消え、今度は色とりどりのデザートが艶々と輝いている。いつもと同じデザートも用意されているけれど、やっぱりハロウィンだけあってかぼちゃを使ったデザートが多いのが嬉しいところだ。レイチェルが鮮やかな黄色のパンプキンプディングを大きなスプーンで取り分けると、パメラはキラキラと目を輝かせた。
「去年は食べられなかったのよね! ……何でだっけ?」
「トロールよ。ほら……クィレル教授が……」
「ああ……」
エリザベスの返事に、そう言えばそんなこともあったなとレイチェルはしみじみゴブレットを傾けた。そうだ。トロールが地下室に侵入した────今考えるとクィレル教授が侵入させた、が正しいのだろうけれど────せいで、去年のハロウィンパーティーは途中でお開きになってしまったのだった。そしてそのトロールにハリー・ポッターが立ち向かって運良く倒した。思い返してみても、やっぱりまだ1年生だったのに無謀だと言う感想しか浮かばない。しかでも、今年はトロールなんて来ないだろうし、本来ホグワーツのパーティーってこんな風にとびきり楽しいものなのだ。去年がおかしかっただけで。そう言えば、ハーマイオニーは去年はハロウィンパーティーに参加できなかったようだけれど、今年は彼女も楽しめているだろうか。そう思って、レイチェルはグリフィンドールのテーブルへと視線を向けたが────。
「ハーマイオニーが居ない」
「そんなわけないでしょ! どっかに居るわよ! パーティーに参加しなきゃ、どこに居るってわけ?」
「……うん。そう、そうよね……」
ついでに言えば、ハーマイオニーだけじゃなく、ハリー・ポッターも居ない気がする。と言うか、あの仲良し3人組が見当たらない。けれど、パメラの言う通り、たぶんレイチェルの探し方が足りないだけで、きっとグリフィンドールのテーブルのどこかに座っているのだろう。
気を取り直して、レイチェルも1年ぶりのハロウィンのデザートを堪能することにした。
「そう言えば、ハッフルパフのサマーズの親戚って、骸骨舞踏団のメンバーらしいぜ!」
「えー、すごい!」
「クリスマスは今からじゃ無理だけど、次の夏の公演のチケットなら取れるかなあ。頼んでみる?」
「あ、俺、クリスマスの公演のチケット持ってるぜ!」
「えー、いいなあ、ロジャー!」
「私、今、初めてロジャーのこと羨ましいって思った!」
「どう言う意味だよ!」
おいしい食事にデザート。あちらこちらから聞こえてくる同級生や下級生達の話し声。楽しげな声と笑顔に溢れて、幸福なハロウィンの夜は更けていく。レイチェルもパメラやエリザベスとおしゃべりに花を咲かせた。
やっぱり、ハロウィンって素敵な日だ。
「あー、楽しかった! お腹いっぱいだし、今日はよく眠れそう!」
「そうね。今日はもう、部屋に戻って早く寝ましょ」
それから30分ほどして、楽しいパーティーは終わってしまった。満足げに伸びをするパメラに、レイチェルも同意する。久しぶりにお腹が痛くなるまで笑ったし、お腹いっぱい食べた。これで、明日からもまた辛い課題を頑張れそうだ。レイチェルも立ち上がり、まだ座ったままのエリザベスを見下ろした。
「エリザベス。大丈夫?」
「ええ……」
少食のエリザベスは胃もたれを起こしたらしく、青ざめた顔で口元を押さえている。エリザベスが落ち着くのを待って、レイチェル達も大広間の外へと出た。後は寮へ帰るだけだ。急いだところでどうせ混雑しているしと、のんびり歩いていたレイチェル達だったが、階段へと差しかかったところで首を傾げることになった。
「どうして進まないのかしら?」
階段の途中なのに、人が立ち止まってしまっている。これでは上の階に進めないし、寮にも帰れない。レイチェルだけじゃなく、皆だって早く寮に帰りたいはすなのに。一体どうしたと言うのだろう?
「何かあったの?」
近くに居たハッフルパフの同級生に聞いてみたけれど、わからないと首を横に振られただけだった。この感じだと、階段の上の階の廊下まで詰まってしまっている。後ろにもどんどん列ができているし、これでは身動きが取れない。どうしたものかと困っていると、人垣の向こうから声が聞こえて来た。
「次はおまえたちの番だぞ、『穢れた血』め!」
得意げな響きを持つその声が、聞き覚えのあるものだと言うことにレイチェルは気がついた。この高慢そうな、そして見事なクイーンズ・イングリッシュは、ドラコだ。またその言葉を口にするのかと、レイチェルはキュッと噛み締めた。せっかくの楽しい気分が萎んで、胸に鉛のような重いものが落ちていく。けれど同時に、不思議にも思った。ただの下級生同士の喧嘩なら、こんなに人が立ち止まるのは奇妙だ。一体、この人垣の向こうでは何が起こっているのだろう? 階段で立ち往生したままのレイチェル達には、まるで状況が読めない。周囲の生徒も困惑した様子で顔を見合わせている。
フィルチの怒鳴り声が聞こえて来た。猫とか、石とか、単語だけが途切れ途切れに聞こえてきたものの、距離が遠すぎるせいかでよく聞こえない。
「すまんが、ミス・グラント。ミス・プライス。通してくれるかね」
背後から聞こえた声に、レイチェルはギョッとした。ダンブルドアだ。マクゴナガル教授や、スネイプ教授も居る。弾かれたように慌てて脇へと退いたレイチェル達に穏やかに微笑むと、ダンブルドアは階段を上って行った。人垣がサッと割れて、先生達を前へと通す。レイチェルはエリザベスやパメラと顔を見合わせた。ダンブルドアまで出てくるだなんて、本当に、この向こうでは何が起こっているのだろう?
水を打ったように、静けさが廊下に広がっていく。途切れ途切れに聞こえる先生達の話し声。そして、どうやらたぶん、また、ハリー・ポッターが騒ぎの中心に居るらしい。レイチェルにわかったのはそれだけだったけれど、やがて人垣はゆるやかに動き出した。その流れへと身を任せて進んでいくと、レイチェル達は前方に見知った顔を見つけた。
「ペニー。大丈夫? 顔色が悪いけど……」
「レイチェル。エリザベスに、パメラも。早く寮に戻りましょう……レイブンクロー生! ついて来て!」
ペネロピーは凛とした声でそう呼び掛けると、ローブから杖を取り出した。いつもなら柔らかい笑顔を浮かべているのに、その表情は緊張に強張っている。急ぎ足で寮の方向へと進むペネロピ―を、レイチェルは慌てて追いかけて隣に並んだ。
「何があったの? ペニー。私達、人垣が邪魔で見えなかったの」
この様子なら、きっとペネロピーは何が起こっていたのか知っているのだろう。フィルチが生徒に対して声を荒げるのはいつものことにしても、ダンブルドアまで出てきたと言うのが気になる。それにハリー・ポッターがまた関わっていると言うのも。ペネロピーは緊張した面持ちのまま、静かに口を開いた。
「ミセス・ノリスが石にされたわ。それから、壁に文字が……」
「石?」
「文字って、何て書いてあったの?」
「『秘密の部屋は開かれた。継承者の敵よ、心せよ』」
重々しい、感情を殺したようなペネロピーの言葉に、エリザベスがハッと息を飲んだ。青かった顔色が、ますます青ざめていく。その反応に、ペネロピーが何か言いたげにこくりと頷く。しかし、そんな2人の反応の理由に思い至らないレイチェルとパメラは顔を見合わせた。
「秘密の部屋?」
「継承者?」
どこかで聞き覚えがあるような気がするけれど……一体何だっただろうか。首を傾げたレイチェルとパメラに、エリザベスが何て不勉強な人達と言いたげに眉を顰めた。そこからレイブンクロー塔に着くまで、ペネロピーもエリザベスも深刻な表情で黙りこくったまま、一言も喋ろうとはしなかった。
「ねえ、エリザベス。秘密の部屋って……」
「明日にしましょう。今日はもう、寝た方がいいわ。皆、疲れているんですもの」
寝室に戻ってからも、エリザベスはさっさとベッドに入ってカーテンを閉めてしまった。しぶしぶ、レイチェルもパジャマに着替える。どうやら、エリザベスは何か知っているみたいなのに……。ペネロピーやエリザベスの様子からして、何かとてつもなく重大なことが起きたらしいけれど、あまり実感が湧かなかった。ミセス・ノリスが石にされたのだと言われても、レイチェルは実際それを見てないし。金縛り呪文とは違うのだろうか?それに、秘密の部屋って何だっただろう。普通に考えたら、ホグワーツのどこかに秘密の部屋と呼ばれる場所があるのだろうけど……それって誰が何のために作ったのだろう? 城の中にはレイチェルがまだ知らない隠し部屋もたくさんあるらしいけれど、それとは違うのだろうか? それに、継承者って何のことなのだろう? 疲れているはずなのに、レイチェルは目が冴えてしまって、枕に頭を預けたままちっとも眠りにつけなかった。
一体、ホグワーツで今、何が起こっているのだろう。