早いもので、ドラコと喧嘩してから1ヶ月が経とうとしていた。やっぱり仲直りできるどころか、ドラコは全くもって平然としていて、レイチェルは今までふくろう小屋で親しく────レイチェルの主観では────
していたのは幻だったんじゃないかと思い始めていた。そして10月も中頃になると、ドラコのことで悩んでいる暇はなくなってしまった。

「いくら何だって、こりゃ無茶ってもんじゃありませんかね」

冗談めかした口調で肩を竦めたフレッドの意見には、たぶんレイチェルだけでなく教室内の生徒のほとんどが同意するだろう。マクゴナガル教授の厳格な表情のせいで表立って異議を唱えられなかっただけで、今目の前に積み上がっている課題の量は、何と言うか……尋常じゃない。威圧感のある羊皮紙の束を眺めながら、レイチェルはロックハート教授の本とどちらが厚みがあるかな、なんてぼんやり考えた。現実逃避だ。

「羊皮紙の海で溺れる夢でも見そうだな、ジョージ」
「いいや、むしろこれだけの量になるとインクで海ができちまうぞ、フレッド」
「お黙りなさい、ウィーズリー」

羊皮紙をペラリと持ち上げて軽口を叩くフレッドとジョージを、マクゴナガル教授がピシャリと叱りつけた。教室の空気が張り詰めて、無意識のうちにピンと背筋を伸ばしてしまう。ホグワーツに入学してもう4年目になるけれど、マクゴナガル教授の授業は未だに緊張する。

「あなた方もご存知の通り、来年はOWL試験があります」

しんと静まり返った教室に、凛とした声が響く。さっきまで一応は針山の形をしていたはずの誰かのハリネズミが、教卓の前をササッと走り抜けていった。マクゴナガル教授はハリネズミを手元へ呼び寄せると、杖を一振りして針山に変えてみせた。青い小花柄のキルトのクッションと、色とりどりの飾りのついたマチ針、そして尖った銀色の針。それに、針を刺そうとしても丸まったり逃げたりしない。レイチェル達があれほど苦戦していたお粗末な針山もどきではない、完璧な針山だ。

「OWLの準備は、いつ始めても早すぎると言うことはありません。今年1年間の皆さんの努力が、試験の結果を大きく左右します。これは私だけではなく、他の先生方も同じ意見です」
「……だとしたら、この学年は防衛術のOWLは全滅だろうな」

レイチェルの斜め後ろで、ロジャーがボソッと呟いた。マクゴナガル教授は私語を咎めるようにピクリと眉を上げたけれど、ロジャーを口頭で注意することはなく、また話を再開した。OWLがいかに大切な試験で、そして今のレイチェル達は、OWLと言う困難な敵に立ち向かうにはいかに勉強不足か。マクゴナガル教授の演説は続き、レイチェルはまだ1年以上も先のOWLのことを思って憂鬱になった。

「さっきの変身術の課題でしょ。呪文学で呼び寄せ呪文の理論のレポート80センチ以上、魔法薬学で解毒剤のレポート1メートル40センチ以上……魔法史で小鬼の反乱のレポートを1メートル。薬草学で催眠豆のレポートを90センチ、天文学のカペラの観察に、魔法生物飼育学でサラマンダーの生態を70センチ。防衛術は、また詩を書くだけだから後回しでいいとして……それに、ルーン文字の演習課題。あと、私はマグル学のレポートも。これ、全部再来週までによ」
「私とパメラは、占い学で予言の宿題が出てるわ。とっても時間がかかりそう」
「悪夢だわ」

レイチェルが手帳に書いたメモを読み上げると、エリザベスは物憂げに溜息を吐き、パメラは心底不愉快だと言う顔つきで唸った。そんな2人の反応も当然だとレイチェルも思った。どう考えたって終わる気がしない。死ぬ気で、必死にやれば終わるかもしれないけれど────逆に言えば、死ぬ気でやらなければまず無理だと言うことだ。

「大丈夫よ。きちんと進めていけば終わる計算ですもの。何とかなるわ……」
「そんなの貴方だけよ、エリザベス! この課題が全部終わる頃にはOWLなんてとっくに終わっちゃってるわよ! 先生達は私達を殺すつもりなんじゃない?」
「先生方は私達のためを思って心を鬼にしていらっしゃるんだわ……」
「だとしたって、これからずっとこの調子じゃOWLの前に半分は心神喪失になっちゃうわよ!」

自分に言い聞かせるように呟くエリザベスに、パメラが噛みつく。2人の言い合いをレイチェルは苦笑しながら聞いていた。パメラは今のところいたって健康なように見えるけれど、ここのところ睡眠時間が削られているせいでその顔色はどことなく青白い。

「ねえ、パメラ。寝不足ならマダム・ポンフリーに元気爆発薬を処方してもらったら?」
「嫌よ! あれ、耳から煙が出るじゃない! 好き好んで機関車の真似をする気はないわ」

レイチェルの提案に、パメラは冗談じゃないと首を横に振る。医務室で処方される元気爆発薬はよく効くのだけれど、確かに飲んだ後の副作用を考えると、できれば遠慮したい代物だ。レイチェルは襲い来る睡魔に瞼を擦った。エリザベスも上品にあくびを噛み殺している。
膨大な量の課題のせいで、4年生は皆寝不足だった。

 

 

レイチェル。何だか具合が悪そうに見えるわ」

心配そうに顔を覗きこんでくるハーマイオニーに、レイチェルは思わず苦笑を浮かべた。相変わらずロックハート教授に心酔しているハーマイオニーとの勉強会は、最近では勉強よりもロックハート教授絡みの気楽な会話が多くなってきていることもあり、レイチェルにとってはいい息抜きだ。しかし、そんな楽しい時間の最中でさえ、疲れが顔に出てしまっていたらしい。

「寝不足なの。最近課題が多くて」
「声もちょっと変だし……風邪じゃない?」
「ああ……昨日、魔……ローブが濡れたままうたた寝しちゃったから……そのせいかも」

そうなの、と納得したように頷くハーマイオニーにレイチェルは内心で冷や汗をかいた。危ない。うっかり口を滑らせるところだった。寝不足なせいで魔法史の授業で居眠りをしてしまったことは紛れもない事実だけれど、ハーマイオニーの前でそれを白状してしまうのは賢明ではない。ハーマイオニーは、レイチェルのことを「賢く真面目なレイブンクロー生」だと信じてくれているのだ。

「雨って嫌よね。私も、髪が湿気でどんどん広がっちゃうのよ! 朝、鏡を見るのが怖いの。ああ、また!」

鞄から取り出した手鏡をかざし、ハーマイオニーが悲劇的な声を上げた。確かにいつもより少し広がっているように見えるけれど、そこまで気にならない。そう慰めの言葉をかけようとしたものの、レイチェルは結局口をつぐんでしまった。視界の片隅に、プラチナブロンドの影が見えた気がしたからだ。
レイチェルはドラコとの間にあったことについて、ハーマイオニーには何も言っていない。喧嘩についても、その原因となったハーマイオニーとドラコのいざこざについても。何事もなかったかのように、知らないフリをして、こうしてハーマイオニーと一緒に居る。
『ドラコがひどいことを言ってごめんなさい』────。そんな風に謝るのは、たぶん、レイチェルの自己満足でしかない。レイチェルは謝ってスッキリするかもしれないけれど、謝ったところで1度ハーマイオニーの耳に入った言葉はもう取り消せないし、嫌なことをわざわざ思い出させたくもない。
しかし、結局これも、レイチェルの独りよがりなのかもしれない。何も言わずに、何も知らないフリをして仲良くし続けるのは、とても卑怯なことかもしれない。ハーマイオニーに、全てきちんと打ち明けるべきなのかもしれない。一体、どうすることが誠実なのだろう。誰かに相談したかったけれど……でも、誰にも話したくない。
何が正しいのか、レイチェルにはよくわからない。

 

 

 

ハーマイオニーと別れてレイブンクロー塔へと歩いていたレイチェルは、角を曲がったところで視界に入ってきた光景に瞬いた。1年生らしき小柄な女の子が廊下の手すりへとよじ登り、そこから高い所にある木の枝に向かって手を伸ばしている。足場は石だからどうにかなることはないだろうけれど、バランスを崩して落ちてしまったらとても危険だ。

「どうしたの?」

できるだけ驚かせないよう、レイチェルは静かに声をかけた。柔らかそうなブロンドがふわりと靡いて、振り返った大きな銀色の瞳と目が合った。レイチェルにも見覚えのある顔だった。レイブンクローの下級生だからだ。名前はそう、確か……ルーナ・ラブグッドだ。レイチェルはまだ直接話したことはなかったけれど、1年生の女の子達が彼女の名前をもじって、変人────ルーニー・ラブグッド、とひそひそ言っているのをエリザベスが注意していた。そんなあだ名をつけられてしまっている彼女、1年生の中では少し浮いているようだった。まあ、この時期はまだ知り合って間もないので、1年生同士の喧嘩や揉め事は珍しくないのだけれど。
じっとレイチェルを見下ろしていたルーナは、ぴょんとレイチェルと同じ地面へと降りたった。

「あれ。あたしのなんだ」

あれ、と指差された先を見てみると、さっきルーナが手を伸ばしていた枝の先に、開いた状態で伏せた教科書らしきものが引っ掛かっていた。距離があるのでよくわからないけれど、外は雨なのでたぶん教科書も濡れてしまっているだろう。レイチェルは眉を寄せた。ちょっとした悪戯や冗談のつもりが行き過ぎたのか、悪意からの嫌がらせなのかはやった当人に聞いてみないとわからないけれど、見ていてあまり気分のいいものじゃない。

「あれ、きっとブリバリング・ハムディンガーがやったンだよ」
「ブリバ……ハム……何て?」
「ブリバリング・ハムディンガー」

しかし、恐らく被害者であろうルーナはのんびりとした口調でそう言った。耳慣れない単語に、レイチェルは首を傾げる。そう言えば、以前ザ・クィブラーにそんな話が載っていたような気がする。噂通り、少し風変わりな子なのかもしれない。そしてその人柄ゆえに、これが同級生からの嫌がらせである可能性は考えていないらしい。少し呆気にとられたものの、不思議な生き物の仕業だと思っているのなら、あえてその可能性を指摘する必要はないだろう。
とは言え、あの教科書はどうにかしなければならない。レイチェルはローブから杖を取り出して、教科書へ向けて振った。簡単な浮遊呪文だ。本当なら呼び寄せ呪文の方が適しているのだろうけれど、昨日習ったばかりだからまだちょっと自信がない。ふわふわと浮いて手元へとやってきた教科書は、やはりすっかり雨に濡れてしまっていた。羊皮紙は水を吸ってフニャフニャと波打ち、ページ同士がくっついてしまっている。

「これ、乾かしてもいい?」
「できるの?」
「本には試したことないけど、たぶんね」

レイチェルはもう1度杖を振り、乾燥呪文を唱えた。以前スネイプ教授がやってくれたみたいに完璧に元通りとはいかないけれど、ほとんどわからない状態まで戻すことができた。失敗しなかったことにホッと息を吐いていると、パチパチと言う音が耳に届いた。振り向くと、ルーナがただでさえ大きな丸い目でこっちをじっと見つめ、熱心に拍手をしていた。

「すごいね」
「……そう? ありがとう。新品に戻せなくてごめんね」
「十分だよ」

4年生なら誰でもできるだろう呪文だけれど、1年生のルーナの目には素晴らしい魔法として映ったらしい。素直な賞賛に、何だかちょっと照れくさい気持ちになる。出来だって完璧じゃないのに。セドリックならきっと、もっと上手にできただろう。

「レイブンクローの人だね。あたし、貴方のこと見たことあるモン」

レイチェルの顔と、襟元とを見比べてルーナがニッコリ笑った。その笑顔があまりにも、無邪気と言うか何と言うか────例えるなら、生まれたての赤ちゃんのような純真な笑顔だったので、レイチェルはドキッとした。さっきからの発言と言い、この笑顔と言い、何だか自分よりもずっと小さな子と会話しているような気分になる。夢見心地な、どこかふんわりとした口調のせいもあるのだろうか。

「ザ・クィブラー、いつも読んでるわ」
「本当? パパが聞いたら、きっと喜ぶな。レイブンクローの他の人達は、教科書の方が好きみたいだから。『あんなクズみたいな雑誌』って皆言うんだ」
「そ、……そんなことは、ないと思うわ。じゃあ……私、寮に戻るところだから」

ルーナの口調に悲壮感は見当たらなかったけれど、レイチェルはその言葉に気まずくなって動揺してしまった。掴みどころのない子だ。ペースが乱される。会話が成立していないわけではないのに、何となく落ち着かない気分になる。レイチェルは、1年生達がルーナを遠巻きにする理由がほんの少しだけわかったような気がした。会話に予測がつかない。頭でっかちなレイブンクロー生にとっては苦手な……と言うか、接し方がわからなくて戸惑ってしまうタイプだ。

「あ、待って」

再び廊下を歩きだしたレイチェルだったけれど、ルーナのその言葉に足を止めて振り返った。軽やかな足取りでレイチェルの元へと駆け寄ってきたルーナは、レイチェルのこめかみのあたりに触れる。そして何もない空間を払うような仕草をすると、またニッコリした。

「ラックスパートが髪についてたよ」

何かを掴んでいるように曲げられている指先の間には、レイチェルには何も見えない。触れられた自分の髪を撫でてみる。やっぱり何もない。そもそも、ラックスパートって、伝説の────つまり架空の生き物なのだから、居るはずなんてない。それなのにルーナが言うと、まるでその指先にラックスパートが生きて動いているんじゃないかと思えてくる。

「耳に入ると頭がボーッとしちゃうンだ。だから気をつけなきゃいけないンだよ」
「あー……えっと、どうも、ありがとう」

そんな言葉を聞きながら、レイチェルはルーナが「変人」と呼ばれるのかも何となくわかった気がした。普通、皆に見えないものを見えると言い張れば、嘘を吐いていると思われる。でも、ルーナは違う。「嘘つき」ではなく、「変人」。ルーナは嘘を吐いているようには見えないし、たぶんラックスパートも何もかも、本気で信じているのだろう。信じているだけじゃなく、ルーナの目には本当に映っているのかもしれない。
悪く言えば変人。浮き世離れしている。けれど、よく言えば、自分の世界を持っている。一般的な、大多数の人間を基準にするのならルーナ・ラブグッドは確かに「変人」なのだろう。
雨に濡れるのが楽しいのだろうか。タイツに泥が跳ねるのも構わず、傘も差さず、レイブンクロー塔ではないどこかへ────禁じられた森の方へと向かうルーナの背中を見送りながら、レイチェルはそんなことを思った。

 

 

「あ、レイチェル、お帰り! 掲示見た?」
「掲示?」

自室に戻ったレイチェルは、パメラのそんな言葉で出迎えられた。エリザベスは居ないようだ。たぶん、談話室で勉強していた集団の中に居るのだろう。パメラはベッドの上でファッション誌を片手にポテトチップスをつまんでいる。ずいぶんくつろいだ様子だけれど、課題は大丈夫なのだろうか。

「今回はどうする? エリザベスはノートを買いたいって! 私は特にないのよね。レイチェルはどこに行きたい?」
「え? 待って、パメラ、何の話?」

話が読めない。パメラが言う掲示とは、寝室に続く階段の下のところにある掲示板のことだろう。けれど、パメラやエリザベスと違ってクラブ活動の連絡が貼られるわけでもないレイチェルは、そんなに頻繁に目を通してはいないのだ。困惑しつつレイチェルがそう聞き返すと、パメラはレイチェルをまじまじと見返し、信じられないと言いたげな、呆れたような口調で言った。

「やだ、レイチェルったら、寝惚けてるの? ホグズミードよ!」

パメラの言葉にレイチェルはあっと口元に手を当てた。色々あったせいですっかり忘れてしまっていたけれど、10月の最終週の土曜日は、レイチェル達にとって唯一の楽しみとも言えるホグズミード休暇だ。そして────セドリックの誕生日だ。

「セド、何か欲しいものある?」

もうすぐセドリックの誕生日。その事実が、レイチェルにはなかなか受け入れがたかった。何だか、ものすごくあっと言う間だった気がする。カレンダーは毎日見ていたはずなのに、もうそんな時期だなんて信じられない。勿論セドリックの誕生日自体は覚えていたのだけれど、まだまだ先だと思っていた。だから、当然プレゼントのことなんて考えているはずもない。去年は初めてのホグズミード休暇と言うこともあってレイチェルが選んだけれど、今年はもうホグズミードにどんなお店があって、何を売っているかは大体わかっている。なので、事前にセドリックの希望を聞いておこうと思った。

「うーん……クィディッチ用のグローブかな」
「色は? ハッフルパフのローブに合わせるってことは、黒? それとも、茶色?」
「任せるよ」

しばらく考え込んだあとにセドリックが出した結論に、レイチェルはニッコリした。何を贈るかが決まってしまえば、あとはホグズミード休暇の日に箒店で買えばいいだけだ。これで、誕生日プレゼントの問題はほとんど解決だ。レイチェルは満足して魔法薬学のレポートへ視線を戻した。魔法薬学は割と得意だけれど、スネイプ教授のレポートは毎度のことながらテーマが難解だ。その上、湿気を帯びた羊皮紙は、ペン先が引っ掛かりやすいのでイライラしてしまう。

「そう言えばこの間ね、1年生の女の子と喋ったんだけど……あ、レイブンクローの子ね」
「へえ。どんな子なんだい?」

セドリックの言葉に、レイチェルはしばし黙って考え込んだ。どんな子か、と言われると難しい気がする。事実、レイチェルも少しは噂でルーナのことを聞いていたけれど、実際会うと印象が違うなと感じた。けれど、じゃあどんな感じかと聞かれると、結局噂と同じようなことしか言えない気がしてしまう。

「一言で言うと、不思議な子」

結局は、この一言に落ち着いてしまうのだ。好意的に言葉を選んだか、悪意からかの違いはあっても、どちらにしろルーナは風変わりだと言う説明に尽きてしまう。実際に会ってみればわかる、と言うのが正直なところだけれど……ハッフルパフ生のセドリックとレイブンクロー生のルーナでは、なかなかその機会もないだろう。寮どころか、学年も違うのだし。レイチェルはうーんと首を捻った。

「何て言うのかしら……空想の世界に生きてるって言うか……ううん、彼女にとっては空想じゃなくて……自分はお姫様になれるって信じてる小さな女の子がそのまま育ったみたいって言うか……あっ、えっと、でも、幼稚って意味じゃなくて……」

要領を得ないレイチェルの説明に、セドリックが不思議そうな顔をする。けれど実際、ルーナをうまく形容できる表現が見当たらなかった。ルーナは自分をお姫様だと信じているわけではないだろうけれど、けれどきっとルーナの世界には、絵本の中のようにラックスパートや色々な伝説の生き物たちが存在している。それがルーナの世界なのだ。

「ほら、私達もそうだったけど……小さい頃のまま、いつまでも空想の世界を信じ続けるのって難しいでしょ?」
「そうだね。レイチェルは大きくなったらチョコレートでできたお城に住んで、毎日ラズベリーのタルトを食べるんだって言ってた……痛ッ」
「余計なことは思い出さなくていいから!」

微笑ましそうに言うセドリックの足をレイチェルは机の下で軽く踏んづけた。痛みに眉を顰めたセドリックから、ぷいと顔をそむける。自分の子供の頃の話を蒸し返されると恥ずかしいけれど、でもまあ、そう言うことだ。小さな子供は、自分のことをきっとどこかの国のお姫様や英雄に違いないと無邪気に信じている。自分は素晴らしい物語の主人公で、世界は自分のために回っていると、そんな幸せな夢を見ている。けれど、そんな幼い夢はいつか終わってしまう。いつまでもお菓子の家や花びらでできた妖精のドレスや、そう言うものばかり信じてはいられない。レイチェルはお姫様じゃないし、セドリックも王子様じゃない。シャボン玉がパチンと弾けるみたいに、あるいは花が色褪せて萎れるみたいに、夢から醒めてしまうときがくる。寂しいけれど、たぶん仕方のないこと。だからこそ、まだ夢を見ているルーナが眩しくて……少し疎ましくて、羨ましい。きっと今までルーナの周りには、彼女の空想を馬鹿げていると否定したり、笑ったり、優しく諭そうとする大人は居なかったのだろう。

「今まで接したことのないタイプだから、どう接したらいいのか戸惑うけど……」

同級生の女の子達がルーナを遠巻きにするのも、結局はそう言うことなのだろうと思う。11歳と言う年齢は、そろそろティーンの仲間入りで、ちょっと背伸びをしたい、大人ぶりたい時期だ。テディベアを抱いて寝るのはさよならするし、空想やおとぎ話なんかの「子供っぽい」ものは馬鹿にする。レイチェルにも覚えがあった。両親やおじさん達のプレゼントが子供っぽいと拗ねていたような記憶がある。時間が解決するのかもしれないけれど、できるだけ早く打ち解けられたらいいなと思う。下級生の空気が悪いと言うのは、やっぱり悲しいから。でも、上級生が口出しするとかえって拗れてしまったりするし、今は黙って見守るのが無難だろう。

「できるなら、もっと話してみたいなって思うわ」
「そっか……仲良くなれるといいね」
「うん」

寮が同じだと、どうしても上級生と下級生と言う風に区切られてしまいがちだし、ハーマイオニーのように友達になると言うのは難しいだろうけれど────機会があれば、彼女と話がしてみたい。
レイチェルとの会話の様子を見る限りは、人と話すのが嫌いと言うわけではなさそうだった。むしろ、積極的に会話してくれたように思う。

ルーナの目には、世界はどんな風に映っているのだろう。彼女の瞼の裏に映る美しい夢の世界がずっと終わらなければいいなと、レイチェルは思う。

終わらない夢

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