雨の日が続いていた。
10月に入ってからと言うものの、分厚い灰色の雲が空をすっかり覆い隠してしまっていた。人も植物も、皆太陽に恋焦がれている。石の廊下は冷たく、じめじめと陰気な雰囲気を漂わせ、ただでさえ重苦しい真っ黒なローブはじっとりと肌に纏わりつく。容赦なく叩きつける雨音は、まだまだ途切れる気配がない。
──────まるで、空が泣いているみたい。
そんな使い古された小説の一節のような感想を抱いて、レイチェルはふうと溜息を吐いた。仮にも小説家の娘の発想としては、あまりにも陳腐だ。
指先で捲った羊皮紙も湿っている。窓に叩きつける雨粒が、薄い硝子の向こうに幾筋もの軌跡を描いていく。そのを様子をぼんやりと眺めていたレイチェルは、近づいてきた足音に気がついて振り返った。そこに居たのは予想通り、同じくマグル学を受講している幼馴染だったのだけれど────そのひどい有様に、レイチェルはギョッとして目を見開いた。
「セド、どうしたのその格好! びしょぬれじゃない!」
今日は特別雨足が強いと言うことはレイチェルだって知っている。けれど、それにしたってひどい。こちらへと歩いてくるセドリックは、髪も鞄も、何もかもぐっしょりと濡れていて、ローブの裾からはポタポタと水滴が垂れている。足跡にも少し泥が混じっていた。フィルチに見つかってしまったら、すぐにでも管理人室へと連行されそうだ。思わず悲鳴を上げたレイチェルに、額へと張りついた前髪を払いながら、セドリックが苦笑した。
「前の授業が薬草学だったんだ。温室から帰って来る時に、ちょっと濡れちゃって」
「ちょっと、じゃないでしょ! 気をつけなきゃダメ! ただでさえ今、風邪が流行ってるんだから……!」
そんな会話の間に、セドリックは杖を振って自分のローブを乾かしていた。でも、ローブが乾いたからと言って、冷えた体まで温まるわけじゃない。それに、髪や顔はまだ濡れたままだ。クィディッチの練習もあるのに、風邪なんて引いたら大変だ。レイチェルはポケットの中からハンカチを取り出すと、背伸びしてセドリックの髪へと手を伸ばした。ハンカチで拭いても気休めにしかならないだろうけれど、何もしないよりはマシなはずだ。まだレイチェル達には、人体に影響を及ぼすような魔法は使えない。そんなレイチェルの行動を、セドリックはされるがままじっと見つめていたが、ふいにその瞳がレイチェルの目の奥を覗き込んだ。
「レイチェル。何かあった?」
唐突にも感じる質問に、レイチェルは目を見開いた。質問と言うよりは、確認のような口調だった。戸惑ってしまったのは、そのせいかもしれない。まだ他の生徒が来ていない静かな教室には、雨音がやけに響く。思わず飲み込んだ息の音は、それに紛れてしまったようだった。
「……どうして?」
「いや、何だか、少し……元気がないように見えたから」
深い意味はないよと苦笑するセドリックに、レイチェルは唇を噛みしめて俯いた。
何かあったかと聞かれれば確かに、あった。ドラコとの喧嘩について、レイチェルはセドリックにも、エリザベスやパメラにも、ホグワーツに居る誰にも打ち明けてはいなかった。喧嘩したことを話すのならば、その理由についても言わなければいけなくなる。土曜日にドラコとハーマイオニーの間にあったことを知らない人達に、レイチェルの口から広めることになってしまうのは嫌だったから。自分ではいつも通りに振る舞っていたつもりだったけれど、セドリックの目にはそうは映らなかったらしい。
「……何もないわ」
数秒の沈黙のあと、唇から零れたのはそんな言葉だった。深く追求されればすぐに揺らいでしまいそうな、その場しのぎの言葉だった。ほんの少し強張ってしまった声色を不思議に思ったのか、セドリックが真っ直ぐにレイチェルの目を見つめる。透き通ったガラス玉のような瞳に、全てを見透かされてしまうような気がして少し怯んだ。けれど、目を逸らしては嘘だとわかってしまう。
「本当に?」
──────ねえ、セド、聞いて。ドラコがハーマイオニーにとてもひどいことを言ったの。それについて、ドラコは反省も後悔もしていない。自分がどんなにひどいことを言ったか、わかってないのよ。……いいえ。わかってるのかもしれない。言われた相手がどんなに屈辱か、ドラコはきっと、ちゃんと知ってる。ハーマイオニーが傷つくことをわかっていて、傷つけるために言ったのよ。ドラコは、私がどうしてドラコを責めたのかなんてわかってない。ドラコにとっては当たり前のことなんだって、ドラコはずっとそう言う教育を受けてきたんだって……だから大して悪い事だと思ってないんだって、わかってるわ。でも、私、どうしても許せない。今まで通りドラコと笑い合うなんてできない。ドラコは、皆の言うようなただの嫌な奴じゃないって……家族想いなところも、優しいところも知ってるけど、でも、無理なの。私、ドラコのことは嫌いじゃない。でも、ドラコの価値観は理解できない。理解したくない。ハーマイオニーとドラコ、2人ともと仲良くしたいなんて私のわがままこと、わかってるわ。でも、やっぱり、ドラコと仲良くしたいって思ってしまうの。できるなら仲直りしたいって、前みたいにおしゃべりしたいって思ってる。そんなこと、無理なのに。
ねえ、セド。私、どうしたらいい?
「本当よ」
言いたい言葉は、確かにあった。窓を叩くこの雨のように、レイチェルの胸の中に溜まって、ぐちゃぐちゃにぬかるんで、憂鬱を振りまいている。苦しい。気持ち悪い。溢れかえりそうな言葉を全て吐き出してしまえば、きっと多少はスッキリするだろう。セドリックはきっとレイチェルを責めたりせずに、慰めてくれるに違いないから。レイチェルは悪くないよと、仕方ないことなのだと、そう言ってくれる。けれど今は、そんな言葉が欲しいわけじゃなかった。耳ざわりのいい言葉で甘やかされて、ドラコを一方的に悪者にしても、何も解決しない。レイチェルは何も悪くないだなんて、そんなことあるはずがない。知っていて、ずっと目を逸らしていた。目を逸らしていることに、気づかないフリをしていた。その方が、レイチェルにとって楽だったから。
「何も、ないの」
真っ直ぐにセドリックの目を見返して、静かにそう呟く。
そう。何もない。セドリックに伝えて解決するようなことは、何も。全部、レイチェル自身が答えを見つけなければいけない問題だ。そもそも、これが喧嘩なのかどうかさえよくわからない。喧嘩と言うより、レイチェルが一方的に絶交を叩きつけたと言った方が正しいのかもしれない。あれから大広間や廊下でドラコを見かけることが何度かあったけれど、遠目に見るドラコはいつもと何も変わらないように見えた。レイチェルと目が合っても気まずそうな様子はなかったし、仲直りしたいと考えているような素振りもない。気まずさを感じているのも、寂しいと感じているのも、たぶんレイチェルだけだ。ドラコのアイスブルーの瞳は、あの日のナルシッサと同じ色をしていて、同じ視線をレイチェルに向ける。無関心な他人に向ける、冷たい目。きっともう、ふくろう小屋で会ったとしても、ドラコと以前のように会話をすることはできない。それがとても寂しい。そして、そんな風に寂しさを感じる自分も嫌だった。ハーマイオニー達に誠実で居たいのなら、ドラコと付き合うことはできない。わかっているのに。わかっているのに、ドラコとの間にあったほんの少しの繋がりが、ぷつりと途切れてしまったことが悲しかった。
「ただ、ここのところ雨ばかりだから……少し、憂鬱なだけ。心配してくれてありがとう、セド」
こうして思い悩むこと自体、ひどく不毛で、馬鹿みたいだとも思う。ドラコはきっと、レイチェルと仲違いしたことなんて、何とも思っていないのに。寂しさも、仲直りしたいなんて気持ちも、きっとドラコにはないのに。友達と喧嘩しまった気まずさも、ぎこちなさも、何もかも。
レイチェルとドラコの間には、何もない。
「レイチェル・グラントってあんたよね?」
人気のない廊下を歩いていたらそんな言葉で呼び止められたのは、それから3日後の放課後のことだった。高圧的な口調に、一体何事かと思ったけれど、声に振り向いてみて更に驚いた。そこ居たのは、レイチェルよりもずっと小柄な────つまりは、どう見ても下級生の女の子達だったから。ネクタイの色は緑。当然、面識はない。レイチェルは訳がわからないと首を捻った。呼ばれたのは確かに自分の名前だけれど、スリザリン生の集団、しかも下級生に呼び止められる理由なんて、レイチェルには何も思い当たらない。
どうやらリーダー格らしい女の子が1歩前へと進み出る。でも、彼女の顔は、どこかで見たような────。
「あんた、ドラコとよくふくろう小屋で会ってるでしょ」
彼女の口から紡がれた名前に、レイチェルはぱちりと瞬いた。
……ああ、そうか。見覚えがあるなと思ったら、よくドラコと一緒に居る女の子だ。その言葉と、敵意をこめられた視線で、レイチェルは呼び止められた理由に何となく予想がついた。
「それに、キングズクロスでも……ドラコのお母様と話してるところ、見たんだから!」
「グラント家なんて、大した家柄でもないのに……ドラコに近づいて、どう言うつもりなの?」
後ろに居る女の子達も加わり、口々に浴びせられる声に、レイチェルはたじろいだ。いくら相手は下級生とは言っても、人数は向こうの方が多いのだ。あまり刺激するのはよくない。たぶん、この女の子達はドラコが好きなのだろう。それで、ドラコとレイチェルが話しているところを目撃して、その関係性を訝しんでいる。恐らく、そんなところだろう。
まだあどけなさが残るものの、ドラコは母親譲りのとても綺麗な顔立ちをしている。スリザリン生との交流がほとんどないせいで、普段ドラコの話題が出るとすれば大体は悪い評判ばかりなのであまり考えたことがなかったけれど、容姿も家柄も(たぶん成績も)いいドラコがスリザリンの女の子に人気があると言うのは、そう不思議な話でもないのかもしれない。
「レイブンクロー生が一体、ドラコに何の用があるって言うの? あんた、ドラコとどんな関係なわけ?」
1対多数だし、少しでも反論だと受け取られたらヒートアップしそうだし、大人しくしていた方がいいだろう。そう思って黙っていたレイチェルだったが、リーダー格らしい女の子────他の女の子にパンジーと呼ばれていた────のその言葉が、胸に刺さった。思わずぎゅっと手のひらを握り締める。ドラコとレイチェルが、どんな関係か。そんなの、レイチェルにだってわからない。レイチェルがドラコにとってどんな存在なのかなんて、レイチェル自身が知りたかった。ドラコにとって、レイチェルは一体何なのだろう。
「……ドラコは、何て言ってるの?」
さっきの彼女達の言葉からすると、レイチェルの存在は少なくとも新学期から把握していたはずだ。それなのに、1ヶ月も経った今頃声をかけられた。名前や学年をドラコから聞いて知っていたのなら、レイブンクローの誰かに尋ねればすぐにわかるのに。だからたぶん、レイチェルがどこの誰なのか最近まで知らなかったのだろう。何となくだけれど、たぶんドラコにレイチェルのことを問い詰めても、あしらわれてしまったんじゃないだろうか。そう思い至って、レイチェルパンジーの顔を見つめ返した。
「え? え、ああ……『関係ない』って……」
「……そう」
それまで黙り込んでいたレイチェルがいきなり喋ったことに驚いたのだろう。パンジーは戸惑った様子でそう答えた。「関係ない」ちくりと痛んだ胸に、ゆっくりと息を吐く。さっきまでの動揺が消えて、段々と心が落ち着いていくような気がした。落ち着いていくと言うよりは、冷えていくと言った方が正しいかもしれない。
「ドラコの言う通りよ」
ドラコがどう言うつもりでその言葉を口にしたのか、レイチェルにはわからない。レイチェルとドラコがどう言う関係だろうが、彼女達にとって「関係ない」のか。それともレイチェルとドラコが「関係ない」他人だと言うことなのか。ドラコ本人に、直接確かめようと言う気にもなれない。
『私は、あなたの友達よね?』なんて。そんな質問をする時点で、きっと自分の中で結論は出てしまっているのだ。その答えを認めたくないだけ────否定してもらいたいだけで。
「ミセス・マルフォイがママの本のファンだから……だから、少し、関わりがあったってだけ」
結局のところ、そう言うことなのだろう。ドラコがレイチェルのおしゃべりに付き合ってくれたのは、たまたまミセス・マルフォイが母親の本の愛読者だったから。だからレイチェルに話しかけた。ドラコの興味を惹いたのは、一応は「純血」のグラント家の人間で、彼の母親が贔屓にしている小説家とよく似た顔をしていたから。レイチェル自身に興味を持って、話しかけてくれたわけじゃない。もしレイチェルが混血で、母親が作家じゃなかったら、きっとふくろう小屋で何度会ったところで、挨拶すら返してくれなかっただろう。
「ただ、偶然ふくろう小屋で顔を合わせることが多かったから、話すようになっただけ。本当に、それだけなの」
知らず知らずのうち、口元は笑みを浮かべていた。目の前の女の子達が、戸惑ったように顔を見合わせる。けれど、これは事実だ。この場を誤魔化すための言い訳なんかじゃないし、何も間違ったことは言っていない。ドラコと待ち合わせてふくろう小屋に行っていたわけじゃないし、また会おうねと約束したわけでもない。ただ偶然、同じ場所に居たから、同じ時間を過ごしていただけ。それでもレイチェルは少なくとも、ドラコのことを友達だと思っていた。けれど、ドラコはそう思っていなかったのなら、そんな一方的な関係は友達とは呼べない。
『その顔……に、レイブンクロー……ロザリンド・アンチゴーネ・バングズの娘か?』
思えば、初めて会った時からそうだった。ドラコが話しかけたのは、「ロザリンド・アンチゴーネ・バングズの娘」であって、「レイチェル・グラント」じゃない。ドラコはレイチェルには、ほんの少しも興味なんてなかったのだ。考えてみれば、ドラコがレイチェルのことを何と呼んでいたか、思い出せない。たった1度きりでも、ドラコに名前を呼ばれたことはあっただろうか。
「あなたが心配してるようなことは何もないわ。私とドラコは……友達じゃないから」
友達なら、名前を呼ぶだろう。友達なら、また会いたいと思うだろう。友達なら、嫌われてしまったら悲しいと思うだろう。喧嘩をしたら、仲直りしたいと思うだろう。レイチェルが今、ドラコに対してそう思っているように。ドラコはきっと、そんな風には思っていない。寂しいけれど、それが現実だ。
一方通行だけじゃ、友情は成立しない。だからきっとレイチェルとドラコは、最初から友達なんかじゃなかったのだ。
スリザリンの下級生達から解放されたレイチェルは、そのまま課題をやるために図書室へ向かって歩いていた。ドラコとレイチェルは友達じゃない────自分で口に出した言葉が、頭の中で何度も反響して胸を締め付ける。自分の言葉に自分で傷つくだなんて。知らずに溜息を吐いてしまうのも、何だか未練がましい気がしてますます落ち込んでしまう。そんな風に考え事をしていて、前方不注意だったせいだろう。廊下の角を曲がろうとしたとき、レイチェルは向こうから来た誰かにぶつかってしまった。
「大丈夫?」
「えっと、ごめんなさい。そっちは大丈夫ですか?」
「ああ」
相手の体格がよかったらしく、体勢を崩してしまったレイチェルはそのまま床へと膝をつくことになった。落としてしまった鞄から、羽根ペンケースや教科書なんかが散らばっている。幸いにもフィルチが掃除をしたばかりらしく、廊下は雨で濡れていなかったのでレイチェルの学用品は汚れずに済んだようだ。そのことにホッと息を吐いていると、視線の先にぶつかった相手の手が差し出された。せっかくの厚意なので、その手を取って立ち上がる。すると、頭上から驚いたような声が降ってきた。
「……レイチェル?」
「……オリバー」
呼ばれた名前に顔を上げてみると、レイチェルの知っている顔がそこにあった。グリフィンドールのクィディッチチームのキャプテン、オリバー・ウッドだ。会話らしい会話をしたのはたった1度きりだけれど、向こうもレイチェルの顔を覚えていてくれたらしい。驚いたように目を見開くウッドは、片手に箒を持っていた。レイチェルはちらりと窓の向こうの空を見上げてみた。相変わらずどんよりとした灰色で、太陽が拝めそうな気配はない。
「これから練習なの? こんな……こんな、ひどい雨なのに?」
「ああ」
当然のことだと言いたげに頷くウッドに、レイチェルはぽかんと口を開けた。オリバー・ウッドのクィディッチへの情熱は、この豪雨にさえも掻き消されることはないらしい。さっきの変身術の授業のとき、ロジャーは「選手が風邪を引くと困るから、レイブンクローの練習は今日は中止になった」と言っていたのに。
「大変ね」
「まあな。でもニンバス2001が相手じゃ、いくら時間があっても足りないくらいだ」
大変だなと思ったのはウッドじゃなくチームメイトに対してだったのだけれど────返って来た言葉に、レイチェルはちょっとムッとした。まるでグリフィンドールチームのライバルはスリザリンだけで、レイブンクローやハッフルパフは眼中にないような口ぶりだったからだ。
「確かにニンバス2001は優秀な箒なんでしょうけど、レイブンクローだって、今年は優勝を狙って戦略を練ってるわ。それに、セドだって夏休みの間に特訓して、去年よりずっと上手くなったもの」
確かに去年はグリフィンドールとスリザリンが首位争いをしていて、レイブンクローは出遅れてしまった。けれど、そこまでひどい戦績だったわけじゃない。ハリー・ポッターが居なかったとは言え、レイブンクローはグリフィンドールに勝っている。それにハッフルパフだって……セドリックは夏休み中、毎日猛練習していたたのだ。思わずそう言い返したレイチェルに、ウッドは驚いたように眉を上げた。
「セド? セドって……セドリック・ディゴリーか? ハッフルパフのシーカーの?」
訝しげな言葉に、レイチェルはハッと我に返った。いくら何だって────元々さっきの一件もあってイライラしていたとは言え────ウッドに失礼な態度を取ってしまった。サッと首のあたりから羞恥が上がって来る。
「あ……えっと、幼馴染なの。家が隣で……」
「そうなのか。特訓って?」
感心したように呟くウッドは、さっきのレイチェルの態度を気にしていないようだった。そのことにホッとしたが、何だか妙な気分だった。レイチェルには上級生の知り合いは少ないし、他の寮ともなれば尚更だ。同級生や下級生なら、レイチェルがセドリックの幼馴染だと言うことは大抵知っているから、こんな風にセドリックとの関係を改めて説明することは最近ではほとんどないのだ。
「私のパパが……ルーマニアのドラゴン研究所で働いてるから、それで、今年の夏セド……リックも一緒にルーマニアに行って……そこで、チャーリーに練習を見てもらったの。チャーリーは知ってるでしょ?」
「チャーリーに!」
「こうしちゃいられない! じゃあな、レイチェル!」
「あ……」
ポンポンとレイチェルの頭を叩くと────身長差があるせいでちょうど叩きやすい位置なのかもしれない────ウッドは箒を肩に担ぎ、元向かっていた方向へと走って行った。クィディッチの競技場の方向だ。やっぱり、雨粒は地面に勢いよく叩きつけている。こんな天気の中で練習だなんて、風邪を引いてしまわないだろうか。レイチェルは慌てて、小さくなっていく背中に向かって呼び掛けた。
「オリバー! ……練習、頑張って!」
轟々とうるさい雨音にかき消されてしまうんじゃないかと思ったが、ウッドは気づいたらしい。振り向いて手を振ってくれた。その姿が見えなくなるまで見送って、そっと、撫でられた頭に触れてみる。何だかまだ少し、触れられた温もりが残っているような気がした。瞼の裏に、溌剌とした笑顔が焼きつく。
ロザリンド・アンチゴーネ・バングズの娘。グラント博士の娘。セドリックの幼馴染。パメラやエリザベスの友達。いつもそうだ。だって、レイチェルより彼らの方が有名だから。母親の名前は勿論として、父親も魔法使いの間ではそれなりに名が通っているし、セドリックはハッフルパフのシーカーで学年トップだし、パメラの方がずっと友達が多いし、エリザベスは美人で、名家の出身だ。レイチェルの周りはレイチェルよりも目立つ人達だらけなせいで、どうしてもレイチェルは添え物のような扱いになる。それこそ、レイチェルを先入観なしにただのレイチェル・グラントとして見てくれるのは、ハーマイオニーのようなマグル生まれの新入生くらいだ。レイチェルは別に、その扱いを嫌だとも不服だとも感じていなかった。両親がそこそこ有名なのも、セドリックが優秀なのも、親友達が慕われているのだって嬉しいことだ。だから、気にならなかった。けれど────。
ドラコとの一件があったせいかもしれない。自分を、「ロザリンド・アンチゴーネ・バングズの娘」でも「セドリックの幼馴染」でもない、「ただのレイチェル」として見てくれる人が居ることが、何だか嬉しかった。
雨はまだ降り続けている。けれど、レイチェルの憂鬱は少し晴れたような気がした。