「ねえ、セド。たった1度、その人のすごく嫌な面を見てしまったからって、すごく嫌な奴なんだってそれだけで判断してしまうのはよくないことよね?」

水曜日の午後。授業が終わって図書室へと向かうと、セドリックは既に先に窓際のテーブルに座って勉強していた。学期開始すぐは、まだクィディッチの練習がないからだ。そんなセドリックの顔を見るなり、レイチェルは真剣な表情で切り出した。

「え? え、うん、たぶん……そう思うよ。たまたま機嫌が悪くてイライラしてるときだったかもしれないし」
「そう……そうよね。ありがとう」

唐突な質問に、セドリックは戸惑った様子だった。が、それでも考え考え答えを返してくれた。そうだ。確かに、普段は温厚な人だったとしても、嫌なことがあったり体調が良くなかったりして、機嫌が悪いタイミングってある。ドラコにとっては、もしかしたら今日がそう言う日だったのかもしれない……。そう考えるとほんの少し気分が軽くなったので、レイチェルも勉強しようと鞄から教科書を取り出し始めた。

「何かあったの?」
「ううん。別に……大したことじゃないの」

心配そうに見返してくるセドリックに、短く返す。そう。別に、大したことじゃない。ドラコのことはショックだったけれど、たった1度ドラコが紳士的でない場面を目撃したからと言って、これまでレイチェルに親切にしてくれたことが全て嘘になるわけじゃない。そうだ。レイチェルが見てきた優しい一面だって、確かにドラコ自身なのだ。ドラコは親切な少年だと、レイチェルはそう信じよう。よし、と拳を握り締める。セドリックはそんなレイチェルの様子に不思議そうに首を傾げていたけれど、やがて自分の課題へと視線を落とした。レイチェルもそれに倣って、教科書を手元へと引き寄せた。

「そう言えば、ハッフルパフはもう防衛術の授業あったんでしょ? どうだった?」
「レイブンクローはまだなの?」
「初日にあるはずだったんだけど、急に教室が使えなくなったとかでなくなったの。だから、明日が初授業ね」

どうやら前のクラスで何やらトラブルがあったらしく、急に休講になったのだ。初日から休講なんて言われるのは初めてだったので面食らったけれど、空き時間にレポートを書けたので助かる部分もあった。セドリックはレイチェルの言葉に納得したらしいけれど、同時になんだか困った顔をした。

「えっと……その、何て言うか……すごく個性的な授業だったよ」
「まあ、あの人がやるならそうでしょうけど……テストがあるんでしょ?」
「うん……テスト……まあ、そうだね……」

歯切れの悪いセドリックの答えに、レイチェルは首を捻った。またこの反応だ。既に授業を終えた他の学年のレイブンクロー生達にも聞いてみたのだけれど、いまひとつ要領を得なかった。とりあえず、全学年に共通のテストがあるらしいと言うことはわかったのだけれど、そのテストと言うのがあの賢いペネロピーが半分しか解けなかったらしい。かと思えば、レイチェルより2学年も下のパドマが90点は取れたはずだと誇らしげに言っていたので、どうやら単純に知識だけじゃ解けないような内容らしい。一体何を予習すればいいのだろうか。考え込むレイチェルに、セドリックは苦笑してみせた。

「まあ、受けてみればわかるよ」
「セドまでそれ? 皆そう言うのよ」

パドマは「とっても素晴らしい授業だったわ!」と目を輝かせていたし、ペネロピーは「まだ初回だからよくわからない」と苦笑していた。どちらにも共通するのは、「とにかく受けてみればわかる」と言われたことだ。せめてテストの内容だけでも知りたかったけれど、全学年で内容が同じだと言うのなら聞き出そうとするのはよくないだろう。

「……ねえ、セド」
「何だい?」

セドリックのレポートには、淀みなく文字が綴られていく。本棚の影になっている端の席なせいで、周囲には人が居ない。静かな空間に、セドリックの羽根ペンが規則正しく羊皮紙を削る音が響いていた。レイチェルもセドリックを見習おうと、教科書と向き直ったのだけれど。

「…………眠い」

防衛術の教科書────『ヴァンパイアとのバッチリ船旅』────をパラパラと捲ってみるけれど、ちっとも頭に入って来ない。そもそも、この教科書で予習って難しい。
窓際の席だからだろう。温かなオレンジ色の西日は、レイチェルの眠気を誘う。久しぶりのホグワーツのハードスケジュールに加えて、慣れない新しい時間割のせいで、とても疲れていた。それに、セドリックの顔を見たら安心してしまった。

レイチェル、課題は?」
「大丈夫……」

セドリックが今書いているのは、明日が提出の腫れ草についてのレポートだ。当然レイチェルにも同じ課題が出されているけれど、ロックハート教授の突然のキャンセルで時間に余裕ができたおかげでもう終わっている。ゆるゆると瞼を擦るレイチェルに、セドリックが微笑んだ。

「夕食の時間になったら起こしてあげるから、寝ていいよ。マダム・ピンスもここには来ないだろうしね」
「……置いて行かないでね?」
「わかってるよ」

その言葉に甘えて、レイチェルは夕食の時間まで仮眠を取ることにしたのだった。

 

 

 

「やあ、こんにちは、お嬢さん方!」
「こんにちは、ロックハート教授」

翌朝、レイチェル達は防衛術の教室に立っていた。レイチェル達が教室に入るなり、輝かしい笑顔を浮かべるロックハートに、エリザベスがほんのりと頬を染める。去年のこの教科の担当はクィレル教授で、天井からぶら下げられているニンニクが異様な雰囲気と匂いを醸し出していたけれど、今年は今年で異様だった。壁一面に飾られ、こちらにウインクをしてくる肖像画は、全てロックハート教授の顔。ロックハート教授がハンサムなのと、そしてどれも愛想よく笑顔を浮かべていることもあって、何かの広告みたいだな、なんてレイチェルはぼんやりと思った。

「前々からそうじゃないかと思ってたけど、エリザベスって面食いよね?」

耳打ちするパメラに、レイチェルは肩を竦めてみせた。ロックハート教授の若草色の三角帽子は、計算されつくされた角度に収まっていたし、その下の顔も文句のつけようがないくらい整っている。こうしてすぐ側で顔を合わせてみると、世の女性達が黄色い悲鳴を上げるのも分かるような気もする。まあ、見た目が軽薄そうで、組分けの時の挨拶が少し……かなり、自意識過剰だったからと言って、そして今もまた全く同じ口上を繰り返しているからと言って、それだけで判断するのはよくない。問題は授業内容だ。そう思い、気合いを入れ直してレイチェルは配られたテスト用紙へ向き直ったのだけれど。
─────これは一体、何の冗談だろうか?

 

1 ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?
2 ギルデロイ・ロックハートのひそかな大望は何?
3 現時点でのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、あなたは何が一番偉大だと思うか?


ズラッと並んでいるのは、ロックハート教授に関する問題、と言うよりはクイズばかり。最後の方にはきっと教科に関係する問題があるはずだと一通り目を通してみたけれど、そんな淡い期待は裏切られた。ロックハートの、ロックハートは、ロックハートが、ロックハートを。54問も、自分に関する問題を作れるだなんて!
皆が言っていたのはこれか、と納得すると同時にレイチェルは軽い目眩を覚えた。ロックハート教授は、教え子達を自分のファンクラブの会員か何かと勘違いしているんじゃないだろうか? レイチェルは答案用紙から顔を上げ、教室の様子を見渡した。同級生達も、ごく一部を除いてあきらかに困惑した顔をしていた。そうでなければ、失笑だ。ごく一部のエリザベスはレイチェルの右隣で羽根ペンをめまぐるしく動かしているし、左隣のパメラはこの時間は枝毛の処理にあてることにしたらしい。前の席のロジャー・デイビースは、机の上に突っ伏して寝る体勢を取っている。
『私はあなたのファンではないのでわかりません』と正直に書きたい気持ちを抑えて、レイチェルは何とか空欄を埋めた。白紙のまま提出するのは、レイブンクロー生としてのプライドが許せない。入学以来、こんな風にほとんど当てずっぽうで埋めたテストなんて初めてだ。半分も合っている気がしない。これの結果も、成績の評価に入るのだろうか? どうしよう……。
そもそも、時間配分もあまり考えられていないのだろう。ようやく全部埋め終わったまさにその瞬間、見直しする暇もなくテストは回収されてしまった。そして、ロックハート教授による長々とした解答に対する講釈が始まった。その後も何をやるのかと思えば、本に書かれている自分の武勇伝を身振り手振りで語り始めた。こんな風に逐一語ってくれるのなら、教科書を買う必要はなかったかもしれない……。どうせなら、こんな風にただ朗読するんじゃなく、使った呪文を再現してもらえたら勉強になるのに。そう思ったけれど、ロジャーが教えてくれたところによると、どうやら2年生の授業で大失態をやらかして、実習を禁止されたらしい。しかもピクシー小妖精って、レイチェル達が1年生の時に習った範囲だ。ピクシーにさえ苦戦するのなら、一体どうやってあの本に載っているような偉業をやり遂げたのだろう。そんなことを考えていると、ようやく終業の鐘が鳴った。
レイチェルのこれまでのホグワーツ生活において、最も内容の薄い授業だったと言って間違いない。

「あのテストで成績がつくの? 闇の魔術に対する防衛術と何の関係もないじゃない」
「でも、期末試験もあの調子なんだったら却って楽かもね! 本読んで丸暗記すればいいんだし」

結局必要なかった大量の教科書を鞄に詰め込みながらレイチェルがぼやけば、パメラからはそんなポジティブな答えが返って来た。確かに、そう言う考え方もできるのかもしれない。けれど、今年の成績はそれでよかったとしても、来年以降に響くだろう。パメラもそれは考えているらしく、苦笑して肩を竦めてみせた。

「エリザベスの感想は?」

授業前はあんなにはしゃいでいたエリザベスがやけに静かなことに気づいて、レイチェルは振り返った。姿勢正しく椅子に座ったままのエリザベスは、沈んだ顔で俯いている。上品な溜息が唇から漏れた。トントンと教科書を揃えるその手つきは、授業開始前のような、慎重なものではなくなっている。

「彼……本に書かれていたのとは少し違うみたいだわ」
「少しどころか大分違うわよ! 間違いないのは文才だけね」

きっぱりとパメラが言い切った。追いうちだ。しかしレイチェルも、その言葉に反論しようと言う気にはなれなかった。年々闇の魔術に対する防衛術の先生が見つかりにくくなっているとは聞いているけれど、一体どうしてダンブルドアはロックハート教授に頼んだのだろうか。ダンブルドアほどの魔法使いなら、相手の力量なんて一目で見抜けそうなのに。レイチェルは小さく溜息を吐いた。

「こう思うと、クィレル教授って授業の内容はまともだったわよね。ニンニクの臭いがひどかったってだけで」
「でも私は嫌だったわよ! あの授業のあと匂いが染みついて大変だったじゃない!」
「それに、例のあの人の手下ですもの……知ってしまった今では、怖くって授業に集中なんてできないわ」

確かに、それはそうだ。エリザベスの言葉に、レイチェルは迂闊な発言をしてしまったと反省した。しかし、実際問題、ロックハート教授の教師としての適性がクィレル教授を下回っているのは確かだろう。とびきりのハンサムでなくてもいいから、例のあの人の手下ではなく、有能な先生と言うのは見つからないものだろうか?

「今年の防衛術の勉強どうする? 独学で学ぶしかないってこと?」
「とりあえずは、寮監に相談してみるのがいいんじゃないかしら。フリットウィック教授なら、きっといい本を紹介して下さるわ」
「そう言えば、若い頃は決闘チャンピオンだったって聞いたことがあるわ」

そんな会話をしながらレイチェル達は廊下を歩いていた。曲がり角へ差しかかったところで振り返ってみると、丁度教室から出るところだったらしいロックハートが、3人に気づいてニッコリ笑いかける。チャーミングスマイル賞を受賞しただけのことはある、輝かしい笑顔だった。

「……でも、やっぱりハンサムだわ」

ぽつりと呟いたエリザベスに、パメラと顔を見合わせた。まあ確かに、ロックハート教授がハンサムなのは事実だ。エリザベスの趣味にとやかく言う権利はない。あの授業を受けてなお「ロックハート教授はとても素晴らしい教師だわ」なんて言い続けなかっただけでレイチェルには十分だ。そして、何はともあれ。

「「「今年がOWLじゃなくてよかった」」」

溜息交じりの声は、3つ重なった。4年生のレイチェル達は、来年はふくろう試験が控えている。将来を左右する大切な試験なのに、防衛術がメチャメチャなんて事態は避けたい。ホグワーツに伝わっているジンクスが正しいのだとしたら、このとびきりハンサムな教師も今年限りなのだろう。
来年はどうか、まともな先生が来ることを願うばかりだ。

 

 

 

週末が来る頃には、上級生のほとんどは「ロックハートのあの著作に書かれている冒険は嘘なのではないか?」と言う疑惑を持ち始めていた。しかし、まだ純粋な1年生や2年生は、半分くらいの生徒が素直にロックハートを尊敬しているようだった。まあ、「ダンブルドアが選んだ人材なのだから有能なはずだ」と言う彼らの主張も一理あるし、ロックハート教授がペテン師だと言う確たる証拠もないので、上級生達は彼らの話に曖昧に微笑むだけだ。

「ねえレイチェル、ロックハート教授ってとっても素晴らしいと思わない?」

しかしまさか、その下級生の半分にハーマイオニーが含まれているなんて。レイチェルは思わず驚きにぽかんと口を開けた。年下とは思えないほど聡明で賢い彼女なら、てっきりロックハートの────無能さと言うか何と言うか────に気づいていると思ったのに。

「私、トロールとのトロい旅が好きなの。レイチェルは?」

ほんのりと頬を染めるハーマイオニーは、エリザベスと同じように潤んだ瞳をしている。可愛いけれど、とても可愛いのだけれど、その内容には同意できない。くらりと目眩がした。ハーマイオニーは騙されている。レイチェルは小さく溜息を吐くと、力強くハーマイオニーの肩を掴んだ。

「目を覚まして、ハーマイオニー。彼が素敵なのは笑顔だけよ」
レイチェル。いくらあなたでも、先生に向かって失礼だわ。確かにロックハート教授はハンサムだけれど、それだけじゃないわ」
「だって……だって、あの人、ピクシーでさえロクに扱えなかったって話よ?」
「あれは……その、私達に体験学習を行わせようってお考えだったんだわ」
「……貴方達のクラスだったの?」

よりにもよって目の前で見ていたのに、どうして気づかないのだろう。「恋は盲目」と言う言葉が、頭の中でくるくる回った。仮にもホグワーツで教鞭を取るのに相応しい人物だと言うのなら、たとえ防衛術の担当じゃなくたって、ピクシーなんて杖の一振りでどうにかできなきゃおかしいじゃないか。マクゴナガル教授やスネイプ教授が、ピクシーに振り回される姿なんて想像できない。

「それに、ロックハート教授が……無能だって言うのなら、本に書かれていることはどう説明するの? 自分で経験していなかったら、あんなに臨場感のある文章は書けないでしょう?」

それは確かに、レイチェルも不思議だった。ロックハート教授があの本に書かれていたことをやり遂げたと言うのは信じがたいけれど、想像で書いたにしてはあまりにもリアルだ。もしかしたら道化の振りをしているだけなのかもしれない、と言う上級生も居るけれど、あれは振りなんかではない気がする。能ある鷹は爪を隠すと言うけれど、だとしたら隠し方が上手すぎる。

「ハリー達もロックハート先生は無能だなんて言うのよ。信じられないわ!」

怒っているハーマイオニーには申し訳ないけれど、その件に関してはレイチェルもハリー・ポッターと同意見だ。しかし、これ以上は何も言わず黙り込むことにした。ロックハート教授のことが原因で喧嘩するなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある。それに、ハーマイオニーならロックハート教授の授業がどうだろうと自主的に勉強するだろうから問題ないだろう、きっと。レイチェルが心配するまでもない。

「あのね、ラストの詩がとっても素敵なのよ。レイチェルは読んだ?」
「読んだことあるけど……かなり前だから覚えてないの。どんな詩だったかしら?」
「えっとね……」

キラキラと目を輝かせているハーマイオニーはとても可愛い。いつも大人びている彼女が、こうして年相応な、女の子らしい一面を見せるのは、何だか新鮮だ。それがギルデロイ・ロックハートの著書の読書感想でなければ、もっと素直に喜べるのだけれど。

「ごめんなさい、レイチェル。私ばっかり喋っちゃって……退屈じゃなかった?」
「ううん。ハーマイオニーの話なら、何でも楽しいわ」
「そんなこと言ってくれるの、レイチェルだけよ……ハリー達は、勉強の話になるとすぐ聞こえない振りをするんですもの」

レイチェルと違って、ハーマイオニーはマグル生まれだ。だからレイチェルの知らないことをたくさん知っているし、違う視点から物事を見ることができる。そして、とても賢い。レイチェルよりもずっと賢いんじゃないかな、と思わされることもしょっちゅうだ。けれど、不思議とそのことに劣等感を持つことはない。12歳の女の子に対して尊敬なんて言葉を使うのは奇妙に思われるかもしれないけれど、レイチェルはハーマイオニーのことをとても尊敬している。
ハーマイオニーも2年生でホグワーツにも慣れて来ただろうし、レイチェルも10科目の時間割は今年で2年目だ。2人とも、去年よりは少し余裕があるだろう。だから今年は、もっともっと色々な話をして、仲良くなれればいいなとレイチェルは思う。

年も寮も生まれも価値観も、何もかも違っているけれど、レイチェルはハーマイオニーが大好きだ。

憧憬を抱く

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