チャーリー・ウィーズリーと言えば、今でもクィディッチの話題になると必ず名前が出るグリフィンドールの伝説のシーカーだ。
グリフィンドールをリーグ優勝に導いたのは8年前のただ1度きりだったらしいけれど、それでも彼の箒捌きはとてつもなく素晴らしかったと、当時を知る上級生達は頬を紅潮させる。ハリー・ポッターが最年少でシーカーに抜擢されるまで、マクゴナガル教授がなかなか後続のシーカーに満足せず次々と選手を変えていたのは、彼があまりにも優秀すぎたせいなんじゃないかなんて言われてもいた。当然、ゆくゆくはどこかのクィディッチチームに入団するだろうと期待されていたのに、その誘いを蹴って、そして寮代表のクィディッチチームまで辞めてしまった。そして、卒業後はルーマニアのドラゴン研究所に就職した。ああ、そうだ。ホグワーツ中の噂になっていたから覚えている。
レイチェルがホグワーツに入学したのは、チャーリーがチームに在籍していた最後の年だった。だから、彼の武勇伝の数々が誇張ではないことは、自分の目で見て知っている。初めて見たホグワーツでのクィディッチの試合のシーカーはチャーリーだったし、彼の伝説の引退試合にも立ち会うことができた。おかげでクィディッチ観戦の楽しさがわかったのだから、とても幸運だったと思っている。もしも1つ学年がずれていて、初めて見た試合がチャーリーの次のあの────もう名前も顔も忘れてしまったけれど────試合の途中でゴールポストに激突して失神したシーカーだったとしたら、学生のクィディッチってやっぱりつまらない、なんて思ってしまっていたかもしれない。
そんなチャーリーの顔を知らないはずがなかったし、他の生徒達と同じに彼に憧れる気持ちもあった。とは言えその頃、レイチェルがホグワーツにまだ不慣れなピカピカの1年生だったのに対して、チャーリーは6年生。上級生のお兄さんだ。アンジェリーナやアリシアは同じ寮だったし、双子のお兄さんなので多少喋ったこともあるらしいけれど、そもそもその頃レイチェルはアンジェリーナ達とさえ親しくなかった。寮も違うレイチェルには、チャーリーと話す機会なんてない。当時のレイチェルにとってチャーリー・ウィーズリーは、手の届かない憧れのヒーローだった。そのヒーローが今、目の前に居て、しかも父親の同僚だと言うのだから、人生って不思議だ。
「どうして私がレイチェル・グラントだってわかったの?」
────もうホグワーツの上級生ってわけじゃないし、年の離れた友達だって思ってくれればいいよ。
チャーリーにはそんな風に言われたので、レイチェルはその言葉に甘えることにした。ホグワーツの制服を着ていた頃は、他寮の上級生と言う先入観もあって少し近寄りがたかったけれど、制服を脱いでしまえば、やんちゃな少年がそのまま育ったと言う印象のチャーリーはとても親しみやすかった。近所に住んでいる気さくなお兄さんと言う雰囲気だ。まあ実際、数年前までチャーリーはレイチェル達の家のすぐ近くに住んでいたのだろうけれど。
「どうしてって? うちの研究所で君の顔を知らないなんて奴は居ないよ」
素朴なレイチェルの疑問に、チャーリーはクックッと笑ってみせた。その顔はフレッドとジョージに少し似ていて、彼らが兄弟だと言うことを実感させられる。フレッドとジョージがあと何歳か年を取ったら、こんな感じになるのかもしれない。
「君のパパの机と来たら、君と君のママの写真でいっぱいだからね。0歳の頃から毎年分、全部飾ってあるよ。一番新しいのは、君が友達と映ってる写真だったかな」
「パパったら……!」
しかし、チャーリーの発言によってレイチェルは一瞬でそんな感慨から引き戻された。
頬に熱が集まってくる。家族に会えない寂しさはわからなくもないけれど、会ったこともない人達に自分の成長記録が見守られていると言うのは落ち着かない。後で絶対に回収しよう、と心の中で決意していると、チャーリーがレイチェルをじっと見つめていることに気がついた。
「気分はよくなったみたいだな」
「ええ。チャーリーのおかげで。ありがとう」
「どういたしまして」
さっあかチャーリーが元気の出る呪文をかけてくれたおかげで、すっかり気分はよくなっていた。レイチェル達だって知っている呪文なのに、夏休みで魔法が使えないのってやっぱり不便だ。魔法に頼りきりなのもよくないとはわかっているけど、何もかも使えないと言うのはいくら何だってひどい。眉を顰めていると、チャーリーがレイチェルとセドリックを振り返った。
「レイチェル。君、箒は得意かい?」
「箒?」
「ここから研究所までは箒を使うんだ」
唐突な質問に、クィディッチ談義でもするつもりなのだろうかと驚いたけれど、理由を言われて納得した。ドラゴン研究所に行くのは初めてだけれど────正確に言うと小さい頃は行ったことがあるらしいのだけれどよく覚えていない────恐らく、マグルに見つからないようなどこか奥深い森か何かの中にあるのだろう。だとすれば、ここからの移動手段は徒歩と言うわけにはいかないはずだ。
「えっと……セドは上手いわ。ハッフルパフのシーカーをやってるの。でも、私はあんまり……」
憧れのチャーリーと会えたことで緊張しているのか、いつも以上に寡黙になってしまったセドリックをちらっと見ながら、レイチェルは口ごもった。本音を言えば、どちらかと言えばレイチェルも箒は得意な方だと思う。しかし、それは同年代の女子と比べての話であって、チャーリー・ウィーズリー相手に得意だなんて胸を張れるほどの腕前じゃない。それよりだ。
「どうして煙突飛行を使わないの?」
国内の移動なのだから、わざわざ箒になんて乗らなくても、煙突飛行を使えばいいのに。もしかして、研究所には暖炉がないのだろうか。いや、でも、そんなはずはない。魔法界の主だった施設には大抵暖炉がついているものだ。レイチェルが不思議に思って尋ねると、チャーリーは悪戯っぽく笑ってみせた。
「レイチェル、君も知っていると思うけど、ここはルーマニアだ」
「ええ」
「つまり、この国の暖炉は当然ルーマニア語で煙突飛行ネットワークに登録されてる」
「進路は北だ。俺が先に飛ぶから……セドリック。君は後ろをついて来て」
少し歩いたところにある静かな道路の脇の植え込みに、隠すようにして箒が2本横たえられていた。3人居るのに、2本きりしかない。もう1人はどうするつもりなのだろう。レイチェルとセドリックが黙って見ていると、チャーリーはそのうちの1本を自分で持ち、もう1本をセドリックに渡すと、レイチェルを振り向いた。
「2本しか持って来れなかったんだ。だからレイチェル、君は俺の後ろに乗ってくれ」
「えっ……私が、貴方の箒に?」
チャーリーが手にしているのは競技用の箒ではなく、ごく普通の家庭用の箒だ。とは言え、箒に乗るのはあのチャーリー・ウィーズリーだ。その後ろに乗せて貰えると言うのはとても光栄だけれど、同時に不安でもあった。振り落とされるんじゃないだろうか。口には出さなかったレイチェルの不安に気づいたのか、チャーリーは安心させるように笑ってみせた。
「元シーカーってだけで、もう現役じゃない。それに、ゆっくり飛ぶから大丈夫さ」
その言葉に安心して、レイチェルはチャーリーの箒の後ろに跨った。ふわりと箒が浮き上がる。爪先が地面を離れて、どんどん上へと上昇していく。
信じられない。伝説のシーカーの箒の後ろに乗っている。ホグワーツに行ったら、アンジェリーナ達に自慢しよう。
そう思った瞬間、ごうっと耳元で風が鳴った。凄まじいスピードで景色が後ろへと流れていく。速い。あまりにも。速い。速すぎる。
後ろを振り向いてみると、セドリックは難なく付いてこれているようだ。とは言え、あまりのスピードに少し面食らったようだった。
────現役じゃないなんて嘘だ。騙された。このスピードでゆっくりって、一体全速力はどれほど速いんだろう。色々と言いたいことはあったけれど、少しでも口を開いたら舌を噛んでしまいそうだったし、何よりも振り落とされないようチャーリーの腰にしっかり掴まっていることで精一杯だった。
レイチェルを乗せた箒は、どんどん北へ北へと進んでいく。眼下には恐らくマグルの町もあったのだろうし、ルーマニア独特の風景なんかもあったのだろうけれど、箒のスピードが速すぎたせいでレイチェルには何もわからなかった。
しばらく────時計を見ていなかったのでわからなかったけれど体感時間としては恐らく数十分────箒を飛ばすと、黒々とした広大な森が目の前に現れた。それが合図だったかのように、チャーリーは箒の高度を下げていく。同時にスピードも落ちてきたので、レイチェルはホッと息を吐いた。
「赤ずきんの森みたいね」
もう歯を食いしばらなくても、舌を噛まなくて済みそうだ。この間読んだばかりのマグルの童話を思い出して、レイチェルはそんな感想を漏らした。
樹齢何百年と経っているだろう背の高いブナの木々がそびえ立っている。その間を縫うように飛んでいると、ゼリーに包まれたような奇妙な感覚があった。保護呪文の張られている地域に入ったのだ。
「あれがドラゴン研究所さ」
とてつもなく大きな、美しい白い岩の城だ。ゴツゴツとした岩肌は雨に削られたのだろう。緑の蔦が幾重にも絡まり、根を張っている。自然が作り出した岩の要塞と言った雰囲気だった。それでも人の手が加えられていることを感じさせる場所もあって、所々に窓だろうと思われる穴が空いていたし、門には美しいレリーフが刻まれている。ハーマイオニー・グレンジャーが居たとしたらきっとこう言ったかもしれない。────これは、きちんと世界遺産として登録されるべきだわ。
レイチェルとセドリックは、言葉もなく呆然と目の前の城を眺めていた。その間に、チャーリーが合言葉か何かを唱えたらしい。門の前にあったドラゴンの石像が左右に退いて、重そうな石造りの扉がゆっくりと開いた。
「さ、入って。中を案内するよ」
「ちょ、ちょっと待って、チャーリー」
「僕達なら大丈夫なので、お仕事に戻ってください」
どうやら床も大理石らしく、コツコツと足音がやけに響く。慣れた様子で────職場なのだから当たり前かもしれないけれど────進んでいくチャーリーの背中を、レイチェルとセドリックは追いかけた。行き方がわからなかったから、連れてきてもらうまでは仕方なかったとしても、これ以上チャーリーの時間をとらせてしまうのはさすがに申し訳ない。セドリックも同じ事を思ったらしく、2人してもう十分だとからと説得すると、チャーリーはそんなことかとでも言いたげに快活に笑ってみせた。
「ああ、それなら構わないさ。ちょうど、昨日から休暇で暇なんだ。とは言っても、ノーベルタが心配だからここに泊り込みだけどね」
「ノーベルタ?」
「ドラゴンさ。まだ若いから、気性が荒くて目が離せないんだ。それに、俺の弟に…………と、何でもない」
言葉を途中で不自然に切って、チャーリーは口を閉じた。少し気まずそうに視線を泳がせる様子は、まるで言ってはいけないことを漏らしてしまったかのようだ。弟と、ノーベルタ。一体何を言いかけたのだろうと、レイチェルは気になって首を傾げた。
「弟って、フレッドとジョージ?」
「何でもないよ。あいつらは関係ない。そう言えば、君達とは同じ学年か。元気にやってるかい?」
「ええ、まあ……とても」
はぐらされたような気がするけれど、仕方がない。元気すぎるくらいだ、とは口に出さなかったものの、表情に出てしまったらしい。チャーリーが声を立てて笑ってみせるところを見ると、双子はやっぱり家でもあんな調子なのだろう。フレッドとジョージと言えば────レイチェルは、今朝早くに見た空飛ぶ車のことを思い出した。チャーリーなら何か知っているかもしれない。
「ああ、そりゃたぶん親父の車だな。マグルのガラクタをいじるのが趣味なんだ」
なるほど。2人がが魔法をかけたわけじゃなければ、魔法省からの警告状は受け取らなくて済むのだろう。しかし、それはそれで問題があるような気がする。
レイチェルはアーサー・ウィーズリー氏と会ったことがないけれど、確かエイモスおじさんから聞いたところによれば、マグルに関わる部署の局長をしていたはずだ。ええと、そう……確か、マグル製品不正使用取締局。マグル製品に魔法をかけた人を取り締まるはずの責任者が、嬉々として自分もマグル製品へ魔法をかけているなんて。それって大丈夫なのだろうかと心配にはなるけれど、ウィーズリー氏が収集していると言うマグル製品のコレクションに関してはちょっと羨ましい。いつか、レイチェルにも見せてもらう機会はあるだろうか。
「ここが、君達の使う部屋だ。研究員が泊まり込むための部屋だから最低限のものしかないけど、居心地はまあまあだと保証するよ」
厨房に研究室、書庫。チャーリーは研究所の中の色々な場所を案内してくれた。会う人会う人にこれが「あの」レイチェルかと写真について触れられることは恥ずかしかったけれど、皆とても親切だったし、若者が居ると賑やかでいいとレイチェルとセドリックを歓迎してくれた。そして、最後に案内されたのがレイチェル達が滞在中に寝泊りする宿直室だ。チャーリーの言葉通り、ベッドと机、それから小さな箪笥があるだけのシンプルな部屋だったけれど、こざっぱりとしていて清潔な印象だった。枕元にある窓から見える景色は、美しい緑の木々が広がっている。日差しは枝によって遮られているけれど、不思議と陰気な感じはしなかった。研究所とは言え、ドラゴンを飼育する場所なのだから、もっと騒々しいのかと思っていたが、この分なら思ったよりずっと静かに過ごせそうだ。
「どうだい? 気に入った?」
「はい」
「ええ」
──────チャーリーやパパの働いている場所って、とっても素敵なところね。
そう言おうとしたレイチェルの唇は、窓の外から聞こえてきたメキメキと言う大きな音によって凍りついた。ついさっき、レイチェルが美しいと思った木々がマッチ棒のように根元からポッキリ折れている。そしてその奥から、地響きを立てて真っ黒な翼を持つドラゴンが姿を現した。
「ノーベルタが脱走した!」
「囲い込め!」
「待て! 早まるな! 一斉に呪文をかけるんだ!」
いかにも凶暴そうな目つきをしたドラゴンの周りを、大人達が慌てた様子で動き回っている。普通の成人男性のはずなのに、ドラゴンと比べるとまるで庭小人のように見える。鋭い牙がずらりと並んだ口が炎を一吐きすると、ごおっと音を立てて周囲の木々が燃え上がった。
「あちゃー、またノーベルタがご機嫌斜めか。ちょっとごめん、俺も応援に行ってくる」
悪夢のようなその光景に顔を引きつらせたレイチェルとセドリックには気づかなかったのか、チャーリーは大して焦った様子もなくそう言うと、部屋を出て行った。パタパタと足音が遠ざかっていく。しかししばらくして、またパタパタと足音が近づいてきて部屋の扉が開くと、チャーリーが顔を覗かせて笑ってみせた。
「ああ、大丈夫! ここではよくあることなんだ、心配ない!」
そして今度こそ、バタンと扉が閉まった。足音がまた遠ざかっていく。半ば放心状態になっていた名前は、やっぱり窓の外から聞こえてきた誰かの悲鳴によって────どうやらローブに火が燃え移ったらしい────ようやくハッと我に返った。
すぐ傍にあったベッドに、身を沈める。なんだかどっと疲労感がやってきたせいだった。
「『よくあること』……?」
「……そう言ってたね」
呆然と呟いたレイチェルに、セドリックが苦笑した。できれば空耳であってほしいと願ったけれど、そう都合よくはいかないようだ。
もう1度、窓の外の様子を眺める。どうやら、まだドラゴンの怒りは収まっていないらしい。辺りに炎を吐き散らすドラゴンに、大人達が逃げ惑っている。ドラゴンがこちらを見た一瞬、鋭い眼光と目が合ったような気がした。
──────どうしよう、帰りたい。
ルーマニアに来てまだ半日も経っていない。にも関わらず、レイチェルは既にイギリスの空気が恋しくなった。