それから10日ほど経った。結論から言うと、ハリー・ポッターに起こっている郵便事故はふくろうが原因ではなさそうだった。フレッドとジョージに頼まれてサリー州へと向かわせたペットのコノハズクは、疲れきった様子でオッタリー・セント・キャッチポールへ帰ってきた。その足には封筒が1つだけ括りつけられていたので、レイチェルはてっきりハリー・ポッターからの返事を貰うことができたのかと思った。が、そうではなかった。行きに持たせた手紙を────しかも3通の手紙のうちなぜか1通だけを────そのまま持ち帰ってきたのだ。やっぱり、ハリー・ポッターとは現状ふくろう便では連絡が取れないと言う結果が出てしまったのだった。
レイチェルの家のコノハズクは、「マグルの町に手紙を届けるときは、相手が返事を書いている場合はその場で待つように」と母親によって躾けられている。それでこの結果と言うことは、ハリー・ポッターは手紙を受け取っていないか、受け取ってはいるけれど返事を書く気がなくて無理矢理追い返されたか、そのどちらかだろう。もしかしたら、道に迷ったせいで届かなかったのかもしれない。そんな可能性も考えてみたけれど、同じくサリー州に住んでいるパメラに聞いてみたところ、リトルウィンジングは閑静な住宅街だし、ふくろうが迷うような入り組んだ作りではないはずだとのことだった。。そもそも、3通手紙を持たせたのに、1通だけ持って帰ってきたと言うのも奇妙な話だ。残りの2通はどこへ行ったのだろう? もし迷子になってわからなくなったか、受け取りを拒否されたのなら、3通全てを持って帰ってくるはずだ。間違った住所に配達してしまったのだろうか? いや、でも、そんなこと今まで1度だってなかったのに。そして、よく観察してみると、コノハズクは何か────イタチやウサギくらいの大きさの動物────と戦ったような様子で、右の羽がちょっとむしられていた。
「ねえ、あなた一体どんな冒険をしてきたの?」
まさか、イタチやウサギがふくろうを襲うはずがない。どちらかと言えば、その逆だろう。郵便配達用のふくろうが、マグルに捕まってしまうと言うのも考えにくい。ふくろうよりも大きな鳥が相手だと言うならわからなくもないけれど、そんな大きな鳥なんてマグルの町の近くに居るのだろうか? 一体何と戦ったのだろう。真実は、当人────じゃなかった、当ふくろうのみぞ知る。鳥かごの中で羽を繕っているコノハズクを眺めながら、レイチェルは首を捻るばかりだった。
事の顛末は、もちろんフレッドとジョージにも伝えた。と言っても、2人と直接話したわけではなく、手紙のやり取りだったけれど。この間、こっそりレイチェルの家まで来たことは結局ミセス・ウィーズリーに知られてしまったらしく、2人はこっぴどく叱られたらしい。その知らせを運んできたのは、ウィーズリー家のふくろうであるエロールだった。双子の言っていた通りかなりの年寄りで、ほんの短い距離を飛ぶだけでもヨロヨロしているので、レイチェルは手紙を預けて大丈夫か少し心配になった。とは言え、レイチェルの家のコノハズクはしばらく静養させなければならないので、返事はエロールに託すしかないのだ。
───ふくろうが原因じゃないとすると、一緒に住んでるマグルが原因かもな。
双子のどちらが書いたのかはよくわからないけれど、手紙の最後にはそう書かれていた。
ハリー・ポッターがマグルと一緒に暮らしていることはレイチェルも知っている。彼の両親、ポッター夫妻は例のあの人の最後の犠牲者だ。だからハリー・ポッターはマグルの親戚の家に引き取られて、彼はホグワーツに来るまでの間はマグルの世界で育った。けれど、そのマグルが手紙が届かない原因って、どう言うことだろうか?
────マグルが原因ってどう言うこと?
────何でも、意地の悪い連中らしいんだ。ハリーへの手紙を渡さないようにしてるのかもしれない。それなら、君んちのふくろうが羽をむしられちまった理由も納得だ。マグルがふくろうの扱いに慣れてるとは思えないしな。
────なるほどね。それなら、ふくろう以外の連絡手段を試してみたら? マグルの家なら電話があるんじゃない?
────ああ。親父もそう言った。そのためにはまず、ハリーの家の電話番号を手紙で教えてもらわなきゃってわけだ。
────それは残念ね。でも、だとしたらもう、直接会うしか方法がないんじゃない?
────そうなるな。おふくろは許さないだろうけど……まあ、方法がないわけじゃないし、何とかするさ。色々ありがとな、レイチェル。
何とかって、一体何をする気なのだろう。気にならないと言えば嘘になるけれど、何度もオッタリー・セント・キャッチポールの上空を往復させられてヨロヨロしているエロールが可哀想になり、結局レイチェルは羽ペンを机の上へと戻した。それに、あの2人が言葉を濁すような方法なのだとしら、知らない方が幸せなような気もする。まあ、いくらあの双子だって、夏休みは魔法が使えないのだからそんなに無茶なことはできないだろう────たぶん。そう信じたい。
「ねえセド、やっぱりリンゴじゃ無理があると思うわ」
艶やかな赤いリンゴを掌の上で弄びながら、レイチェルは眉根を寄せた。頭上から照りつける太陽のせいで、首筋に汗が滲む。吹き抜ける風が、草の葉がさわさわと音を立てて揺らしていた。そのまま腕をしならせて、リンゴを投げる。空中に放物線を描いて飛んでいくそれを、セドリックは肩から先を動かすだけでキャッチしてみせた。いかにも簡単そうなその様子に、レイチェルは小さく溜息を吐いた。
「チェイサーの練習のときは、これでも雰囲気は出てたけど……こんなのスニッチだったら、シーカーがトロールでも大丈夫だもの」
「全く無駄ってわけじゃないよ……でも確かに、もう少し別の方法を考えた方がいいかもしれない」
「そう思うわ」
セドリックが苦笑して地面へと下りた。レイチェルも箒の柄を握り、3メートル下の地面へと近づいていく。
ディゴリー家とグラント家は、どちらも小高い丘の上にある。それはつまり、多少「奇妙なこと」をしていても下にあるマグルの村からは見えないと言うことだ。あまり高く飛びさえしなければ、木々が上手く目隠しになってくれるので、簡単なものならクィディッチの練習ができる。夏休みに入ってからと言うもの、お天気に恵まれている限りはセドリックの練習に付き合うのがレイチェルの日課だった。
「本物のスニッチって、いくらくらいするのかしら?」
「さあ……10ガリオンはするんじゃないかな。確かクィディッチ用品店には売ってたと思うけど、買えないよ」
「試合では毎回新品を使うんでしょ? フーチ先生に頼んだら、お古を貰えないかしら」
「でもそれだと、不公平だよ。マグルの街で暮らしてる選手は練習できないし……」
「……スリザリンチームも、セドの半分でいいからフェアプレー精神を持ってくれるといいんだけど」
去年のハッフルパフとスリザリンの試合を思い出して、レイチェルは思わず溜息を吐いた。
懐かしい地面へと降り立って、レイチェルはその場へと座りこんだ。と言うより、崩れ落ちたと表現したほうが正しかった。全身を疲労感が襲う。箒に乗るだけなら大したことはないけれど、片手で操縦しながらキャッチボールをするとなると、その3倍くらい疲れる。昼食の後からずっとだから、2時間は箒の上に居たはずだ。レイチェルは呻きながら芝の上にごろりと寝転がった。
「ごめん。疲れたよね」
「ええ。とっても」
申し訳なさそうに笑うセドリックに、レイチェルは笑い返す気力もなかった。セドリックの体力に付き合っていたら、レイチェルはすぐにヘトヘトになってしまう。重い荷物を運ぶことだとか、高い場所の物を取ることだとかについてはいつも気を遣ってくれるセドリックだけれど、大好きなクィディッチとなるとすっかり気遣いを忘れてしまうらしい。
「でも、セドの活躍は楽しみだから、私でいいなら付き合うわ」
「ありがとう」
空が青い。吹き抜けていく風が、火照った頬に心地よかった。ぼんやりと雲を眺めているレイチェルの隣で、セドリックがポケットに入れてあった懐中時計を開いた。レイチェルはその文字盤をちらりと盗み見る。やっぱり2時間はとっくに経っていた。セドリックはレイチェルに手を差し出すと、そのまま引っ張って起き上がらせてくれた。
「暑いし、今日はこのへんにして帰ろうか、レイチェル」
「そうね」
ちょうど、そろそろお茶の時間だ。
「あれ? おかえり、父さん。今帰ったの」
「おじさん! お帰りなさい。お仕事、お疲れさま」
「ああ、2人とも。今日も箒に乗ってきたのか」
「遅かったね。今日は午前までだって言ってたのに」
「役所はちょっとした騒ぎだった。まあ、私の部署とは関係がないがね」
セドリックの言葉に、おじさんは長い溜息を吐き出した。レイチェルは紅茶の中でくるくるスプーンを回し、砂糖とミルクをかき混ぜることに専念していた。疲れているときには、甘いものが1番だ。カップをおじさんの前へと置くと、おじさんは「ありがとう」と微笑むと、それを一気に飲み干した。
「騒ぎって何? 父さん」
「未成年の魔法不適切使用が1件だ」
「……つまり、ホグワーツの生徒が魔法を使ったってこと?」
今度は自分の紅茶に砂糖を溶かしながら、レイチェルは首を傾げた。まだ就学年齢に達していない子供達の魔法について取り締まる法律はないはずだから、この場合の未成年ってホグワーツの生徒のはずだ。頷いたおじさんに、レイチェルは眉を寄せた。夏休みは魔法を使ってはいけないとあれだけ教授達に言われているのに、一体誰がそんな馬鹿なことをしたのだろうか?
「誰だったと思う?」
悪戯っぽい表情でおじさんが質問してきたので、レイチェルはますます首を傾げた。そんなことを急に聞かれたって、さっきまで箒に乗っていたレイチェル達が知っているわけがない。しかし、わざわざこんな風に聞かれると言うことは、少なくともレイチェルとセドリックが知っている人物だと言うことだ。友達か、学校での有名人か────そう考えて、ふと頭の中に1人の少年の姿がよぎった。
「……まさか、またハリー・ポッターなの?」
半信半疑でそう言ってみる。おじさんが深々と頷いたので、レイチェルは思い切り顔を顰めた。ハリー・ポッターはマグルの目の前で魔法を使ったけれど、幸いマグルは魔法だと気づいていなかったので、忘却術士を派遣するまでには至らなかったらしい。そう補足されたものの、魔法だとバレなければいいと言う問題ではないような気がする。夏休み前の注意を聞いていなかったのだろうか? そうでなければ────。
「……騒ぎを起こして皆に注目されるのが好きなのかしら」
「レイチェル……」
ぼそりと呟いたのが聞こえたらしく、セドリックが嗜めるように苦笑した。けれど、レイチェルはそれが聞こえなかったフリをした。だって、そうじゃないか。連絡が取れないと心配させたと思ったら、今度は法律違反。トラブルの渦中には、いつもハリー・ポッターの名前がセットになっている。どう言う経緯で魔法を使うような事態になったのかはわからないけれど、せっかくの夏休みくらい大人しくしていられないものだろうか? それとも、規則がそこにあれば破らずにはいられないのだろうか……?
何はともあれ、これでハリー・ポッターが無事であることは確認されたわけだ。ミスター・ウィーズリーは魔法省で働いているわけだし、ウィーズリー家の子供達へ、そしてハーマイオニーへとその知らせは届くだろう。人騒がせだけれど、無事だとわかったことは喜ばしいことなのかもしれない。本当に、ものすごく人騒がせだけれど。
「ねえ、おじさん。この場合って、ハリー・ポッターはどうなるの?」
法律を破ったのだから、さすがに先学期の校則違反みたいに全くのお咎めなしとは行かない気がする。いくらハリー・ポッターが「生き残った男の子」だからって、特別扱いとはならないだろう。1度前例ができてしまったら、真似をする生徒だって出てくるかもしれないし。本音を言えば、魔法を使ってもお咎めなしならレイチェルだって使いたい。レイチェルだけじゃなく、たぶんホグワーツの生徒の大半はそう考えているはずだ。
「1度目だから、今回は警告だけだろう。次にやったら退学になるかもしれんが」
「退学?」
「魔法省からふくろうが届くんだよね?」
「そう。速達用の大きなふくろうだ。ああ、ちょうどあんな────」
おじさんの視線の先を追って、レイチェルはその時初めて、部屋の中に見慣れないふくろうが居ることに気がついた。ぎょろりとした金色の目をした立派なふくろうが、窓枠のところに澄ました様子で止まっている。足には封筒が括り付けられている。友人達の家のふくろうでもないし、おじさんの仕事の────つまり魔法省の────用事かもしれない。そんな予想に反して、ふくろうはレイチェルに向かって足を突き出してきた。封筒に書かれた宛名が見える。見間違いでなければ、綴りは『レイチェル・グラント様』だ。レイチェルはギョッとして後ずさった。
「……私?」
自分を指差して恐る恐る尋ねると、「そうだ」と言いたげにふくろうが威厳たっぷりにホーと鳴いた。改めて記憶を辿ってみたけれど、やっぱりこんな大きなふくろうなんてレイチェルには見覚えがない。そもそも、一般家庭で飼っているようなサイズのふくろうには見えない。どこか、大きな機関や施設で飼われている鳥に見える。例えば、そう────魔法省とか。
「レイチェル。その……何もしてないよね?」
「あ、当たり前でしょ!」
心配そうに顔を曇らせるセドリックに、レイチェルは叫んだ。日頃からコソコソ家を抜け出してマグルの村に行こうとしているだけあって、信用されていない。けれど、いくらレイチェルだって、さすがに法律違反を犯したりはしていない。……していない、はずだ。
レイチェルは潔白だ。夏休みに入ってからは、1度だって魔法を使っていない。うっかり癖で杖を振ったりしないように、夏休みの最初におじさんに杖を預かってもらっている。箒に乗るだけなら、確か問題なかった。はずだ。第一、箒が理由だとしたらレイチェルだけに手紙が来ると言うのはおかしい。そう、だから大丈夫だ。何か他の用事か、でなければ手違いだ。レイチェルは見慣れないふくろうの足から手紙を外し、封筒を裏返した。そこに記されていたのは、あまりにも見知った名前だった。
「パパからだわ」
どうやら魔法省からの警告の手紙ではなかったことに、ホッと息を吐く。それと同時に、どうしてこの立派なふくろうが手紙を運んで来たのかにも納得がいった。少し前まで雨の日が続いていたから、悪天候の中ルーマニアからイギリスまでの長距離を飛ぶことを見越して、この大きなふくろうが選ばれたのだろう。
ふくろうは何も悪くないのだけれど、タイミングが最悪すぎた。さっきのハリー・ポッターの話を聞いたところだったせいで、無駄に焦ってしまったじゃないか。
「おじさんは何て?」
「ちょっと待って。まあ、たぶんいつもと同じだと思うんだけど」
封筒を開けて手紙を取り出そうとすると、何かが落ちた。マグルの紙幣くらいの大きさの紙だ。父親からの手紙に何か同封されていることも、そんなに珍しいことじゃない。そして、昨年のイースターのことを考えると、今更何を送られたとしてももう驚かないだろう。ひらひらと空を舞い床に落ちたそれを拾い上げると、レイチェルは折りたたまれていた羊皮紙を広げてみた。やっぱり、内容はいつもとそれほど変わらない。ありふれた書き出しで始まって、ありふれた家族に会えない寂しさを伝える、ありふれた手紙。少なくとも、ハリー・ポッターに届いた魔法省からの警告状ほど刺激的じゃない。しかし────手紙の最後の文章まで読み終えて、レイチェルは目を見開いた。羊皮紙を折りたたみ、さっき拾い上げた何かを改めてじっくりと見てみる。床に落ちたときに見えたのは何も書かれていない裏側だったけれど、表側には文字が記されていた。
「切符だわ」
「切符?」
「そう」
不思議そうな顔で聞き返すセドリックにも見えるよう、レイチェルはそれ────移動キーの切符を掲げてみせた。
「8月、ルーマニアに遊びに来ないかって。セドも一緒よ」
8月4日、10:45 イギリス・ロンドン発 ルーマニア・ブカレスト行き。
2枚の淡い水色の切符には、金色の文字でそう記されていた。