6月になり、とうとう学期末試験が始まった。
月曜の朝食の時間、レイチェルはトーストを齧りながら変身術の教科書を読み、最後の追い込みをしていた。最初の試験は変身術だ。いつもならお行儀が悪いと注意するエリザベスも、今日ばかりは何も言わない。エリザベスはエリザベスで、呪文の復唱をするのに忙しいからだ。青白い顔でピリピリしているエリザベスとは対照的に、パメラはあまり緊張していない様子でスコーンにジャムを塗っている。
「レイチェル、何が出ると思う?」
「わからないけど……とりあえず、動物もどきは絶対出ると思うわ」
「なんだっけ、普通の動物との見分け方だっけ? レイチェルちょっとそれ見せて」
「自分の教科書を見てよ、パメラ」
落ち着かない朝食を終えて、レイチェル達は変身術の教室へと向かった。筆記試験は相変わらず難しかったけれど、レイチェルが想像した通り動物もどきに関する問題も出たので、それに関してはきっちりと解答欄を埋めることはできた。一方、実技はネズミを銀色のゴブレットに変えること、そして砂糖壺をウサギに変えることだった。レイチェルのゴブレットはネズミの鼻だったところがほんの少し黒ずんでいるような気がしたけれど、たった今磨き上げられたかのようにキラキラと蝋燭の灯りを反射して光っていたし、砂糖壺の方もふわふわした真っ白な可愛いウサギに変えることが出来た。元気すぎて机の上から脱走してしまったけれど、そこは呪文とは関係ないし減点対象にはならないだろう。たぶん。
大きな失敗もなかったし、出だしの科目としては満足できる出来だ。レイチェルは清々しい気持ちで教室を出たが、周りを見るとそうでもないようだった。
「最悪だよ……ゴブレットから尻尾が生えたままだった」
「私のウサギ……うんともすんとも動かなかったんだけれど……あれ、ちゃんと生きてたかしら……」
「毛皮にプラムの模様が残ったままだったんだけれど……やっぱりダメよね」
そんな囁きがあちらこちらから聞こえてくる。エリザベスも浮かない顔で溜息を吐いていた。空気が重い。最初の試験が得意科目でよかった、とレイチェルはこっそり胸を撫で下ろした。試験は5日間もあるわけだけれど、幸先の良いスタートを切れるかどうかでモチベーションはかなり変わってくる。
「ねえレイチェル、最後から2番目の問題って……」
「ダメよエリザベス! 終わった試験の話はなしって決めたでしょ!」
「パメラの言う通りよ。やめておきましょ。試験を2度やってるみたいな気分になっちゃうもの」
試験の復習をしようとするエリザベスを遮って、レイチェルは昼食のミートパイを胃に詰め込んだ。
午後の試験は魔法生物飼育学だった。筆記試験はそれほど難しくなく、ケンタウルスや二フラー、そしてユニコーンに関してだった。答案を書いている途中、、レイチェルはユニコーンが殺されたことを思い出して思わず羽ペンを止めてしまったが、砂時計の砂が刻々と落ちているのを見て慌てて羊皮紙に文字を刻んだ。
実技試験はヒッポグリフだ。レイチェルの相手に充てがわれたのは一際大きな目つきの悪いヒッポグリフで、鉤爪で引っかかれたらどうしようと恐々としたが、見くびられないようできるだけ堂々とお辞儀をしたら、なんとかお辞儀を返してもらうことができた。うまく行ったとは言えないけれど、大きな失敗もない。まずまずの結果だ。
「……フレッドとジョージの予想が当たるなんて」
「何の話?」
「ううん、何でもないの」
火曜の午前は呪文学だった。去年や一昨年もそうだったように易しい問題が混ぜられていたので、筆記試験はまあまあの出来だった。実技の課題は2人1組で、出席番号順ではなく自由に組んでいいと言われたのでレイチェルはエリザベスと一緒に試験を受けることにした。事前に告知されていた通り、元気の出る呪文が試験内容だ。部屋で散々特訓した成果か、レイチェルの放った呪文は寝不足で青白いエリザベスの頬をほのかに桃色にすることができた。レイチェルもエリザベスの呪文によって元気が漲って来たので、張り切って午後の薬草学の試験へと向かった。じりじりと照りつける太陽の下、分厚い手袋をつけてさまざまな魔法植物と格闘するのは重労働だった。花咲か豆の収穫は、少しでも衝撃を与えるとすぐに花びらが開いてしまうので細心の注意が必要だったけれど、レイチェルは小さな銀色のバケツいっぱいの豆を収穫することができた。
「どうせなら、呪文学は最終日がよかったわ」
夜眠る前、まだほんのりと血色の良い頬を鏡で確かめながら、レイチェルは小さく溜息を吐いた。
水曜の午前は古代ルーン文字だった。アルファベットが一切書かれていない問題用紙を配られた瞬間、レイチェルは軽い眩暈を覚えたが、なんとか解答用紙の空欄を埋めることができた。とは言え、終わった後しばらくはまだ頭の中にルーン文字が詰まっているような気がしたので、昼休みの間は勉強はせず頭を休ませることにした。湖のほとりで大広間から持ち出したサンドイッチを頬張っていると、知っている声が聞こえてきたのでレイチェルは木の陰から顔を出した。
「セド! 調子はどう?」
「まあまあかな。レイチェルは?」
「上々よ。今のところは、だけど」
ここまでの試験はとりあえずうまくいっているけれど、次の試験は魔法史だ。授業で眠くなってしまうせいもあって、あまり得意とは言えない科目なので、良い成績を取れるかは微妙なところだ。特に思い入れのある科目でもないので、平均点以上がとれればそれでいいかなと言う甘えもあった。そう、思い入れのある科目と言えば。
「セド、あの話覚えてる?」
「勿論。僕がマグル学で勝てば、レイチェルが何でもお菓子を焼いてくれる」
「……私が勝ったら、セドは私にブレスレットを買うのよ」
からかうように笑うセドリックにムッとしながら言い返して、レイチェルは午後の魔法史の試験へと向かった。熱気のこもった空気の中、1時間かけて中世の魔女狩りについての解答を埋め、レイチェルは余った時間を窓の外を眺めて過ごした。何だか、今回の試験は割と順調な感じがする。ハーマイオニーとの勉強会で色々と予習をしていたおかげかもしれない。そう言えば、ハーマイオニーの試験はうまく行っているだろうかと、レイチェルはぼんやりと考えた。まあ、勉強熱心なハーマイオニーのことだし、レイチェルに心配されるまでもないだろう。
何はともあれ、これで試験はあと半分だ。
「やっぱり筆記しか出なかったわね。心配して損しちゃった」
「武装解除呪文なんて、練習する必要なかったんだわ」
木曜日の午前は、闇の魔術に対する防衛術の試験だった。恐らく最も知識だけでは意味のない科目だと思うのだけれど、クィレル教授はやはりと言うか何と言うか、実技試験を一切課さなかった。ホッとしたが、正直肩透かしだ。そしてもう1つ、レイチェルには試験中に気になったことがあった。
「なんだかクィレル教授の様子、変じゃなかった?」
クィレル教授は試験監督として教室の前の方で座っているだけだったけれど、様子がおかしかった。奇妙なターバンも、鼻が麻痺しそうなニンニクの匂いも相変わらずだったけれど、その顔色は何か病気なんじゃないかと思うほど悪かったし、やつれて見えた。いくら元々そんなに健康そうな人じゃないと言っても、あまりにも具合が悪そうだったのだ。
「先生方も疲れていらっしゃるのよ」
エリザベスの返事に、そんなものなのだろうかと首を捻る。疲れているとか、そう言う次元ではないような気がしたのだけれど。まあ、確かに試験中は先生達もピリピリしている。
のんびり昼食を取ったあと、真夜中にある天文学の試験に向けてレイチェル達は部屋で仮眠を取ることにした。まだ外は明るかったが、試験の疲れが溜まってきているせいですぐに眠気が襲ってきた。
明日の今頃にはもう試験から解放されているのだ。そんなことを思いながら、レイチェルは心地よい睡魔に瞼を閉じた。
レイチェルの最後から2番目の試験はマグル学だった。正直、1番気合いを入れて勉強した科目と言っても過言ではない。バーベッジ教授はマグルの電化製品の名前なんかの簡単な問題から、マグルと電気の関係に至るまでまんべんなく問題を出した。恐らくは、せっかくマグル学を受講した生徒を落第させないようにと言う配慮だろう。要するに、マグル生まれの子からしたら常識レベルの問題が半分くらいを占めていたと言うことなのだけれど。
「あ、レイチェル! お疲れ。どうだったのよ、マグル学の試験は?」
試験を終えて、レイチェルは昼食を取りに大広間へと向かった。パメラとエリザベスはどうやら早めに試験が終わったらしく、もうテーブルに着いていた。エリザベスは最後の魔法薬学の復習に忙しそうだったので、邪魔をしないようパメラの隣へと座る。レイチェルは鞄の中からマグル学の教科書を取り出すと、パラパラと捲った。
「記述問題もうまく書けたし、ちゃんと解答欄は全部埋めたのよ。でも……ああ、やっぱり……冷蔵庫の綴りを全部間違えちゃった……!」
「あらら」
「……パメラこそ、占い学はどうだったの?」
「勿論、最悪だったわ」
話題を変えようとレイチェルが聞いてみれば、パメラは至極真面目くさった顔で答えた。相変わらず占い学の教授とは相性が悪いらしい。それにしても、占い学の試験って一体どんなことをやるのだろう。想像がつかない。一体どんな試験だったのかと聞くと、パメラは肩を竦めてみせた。
「水晶玉の中に何が見えるかって。あの先生の顔が映りこんでるのしかわかんなかったわよ。だから適当にでっち上げたの。エリザベスは、本当に何か見えたみたいだけど。ねえ?」
「水晶玉?」
言いながらパメラがエリザベスを振り向いたので、レイチェルもつられてエリザベスを見た。いきなり話を振られたエリザベスは、憂鬱そうな顔で教科書から顔を上げる。水晶玉だなんて、いかにも占い学らしいけれど、勉強を始めて1年かそこらですぐに見えるようになるものなのだろうか。
「何が見えたの?」
「立ち入り禁止の廊下……それに……」
「それに?」
「……色々よ。荒唐無稽だから、貴方達が聞いたらきっと笑うわ。それに、試験のことを人に喋ってはいけないって、トレローニー先生が仰ったの」
「次で最後の科目ね! スネイプってのが嫌だけど、頑張りましょ!」
「そうね。魔法薬学だけはなんとしてもセドに勝ちたいもの」
マグル学でミスをしてしまったぶん、魔法薬学は絶対にセドリックよりもいい成績を取りたい。レイチェルもノートを取り出し、エリザベスを見習って最後の復習に取り掛かることにした。
「何はともあれ、これでもう結果を待つだけね!」
薄暗く湿っぽい地下牢から出ると、外は眩しい日差しに照らされていた。魔法薬学の試験は相変わらず難解で、きちんと理解していないと解けないような捻った問題ばかりだった。それでもどうにか全ての問題に解答することができたし、混乱薬の調合もうまく行った。これでもう今日からは試験勉強をしなくていいし、あと数日もすれば夏休みだ。開放感と達成感で、歌でも歌いたい気分だった。
「明日はクィディッチの試合があるしね!」
「明後日はホグズミードよ」
試験は辛いけれど、試験後の数日間は何よりも楽しい。もう授業もないし、クリスマスやイースターの休暇と違って片付けなければいけない課題もない。頭の中をからっぽにして、友人達と好きなことだけをしていい時間と言うのはとても幸せだ。試験勉強の疲れだってどこかへ行ってしまうし、重たい鞄すらも心なしか軽く感じる。すっかり凝ってしまった体をほぐすように大きく伸びをして、レイチェルはエリザベスとパメラを振り返った。
「どうする? 部屋に戻る?」
「天気がいいし、湖の方に行ってみるのはどうかしら。きっと気持ちがいいわ」
「その前に砂時計を見にきましょ! 結局今、点数どうなってるのかしら?」
「わからないわ。スリザリンを超えられてるといいんだけど」
「結局今年もスリザリンが寮杯を攫っていくのかしら?」
見上げた空は絵の具を塗り広げたように青く、雲ひとつない。湖面は宝石のようにキラキラと輝き、緑の草が風で穏やかに揺れていた。同じように試験が終わってはしゃいでいる生徒達の楽しげな声が聞こえる。スプラウト教授が手入れをしている花壇には、さわざまな種類のバラが色とりどりのつぼみを膨らませ、今にも大輪の花を開こうとしていた。
夏の気配が頬を撫でていく。レイチェルは親友達と素晴らしい午後を過ごした。