4月に入り、イースター休暇がやってきた。
それは即ち、学期末の試験までとうとう2ヶ月を切ってしまったと言うことでもある。休暇とは名ばかりで、先生達はこれでもかとばかりに抱えきれないほどの課題を出した。加えて、レイチェルが所属するのはガリ勉ばかりと他の寮から揶揄されるレイブンクローだ。談話室では試験勉強に没頭する生徒達の羽根ペンの音が響いていて、羊皮紙だけではなく耳にする人間の神経までも削っていた。
アーチ型の大きな窓から見える空は雲ひとつなく澄み渡り、美しい勿忘草色をしていた。鏡のような湖面は柔らかな陽光を浴びて宝石のようにきらめき、その周りには青紫のブルーベルの花が広がっているのが見える。
せっかくのお天気なのに、部屋に閉じこもってばかりなのはもったいない。散歩でもしないかとレイチェルはエリザベスを誘ってみたけれど、今日中に魔法史のノートをまとめたいからと断られてしまった。1人で行ったっていいのだけれど、周囲が勉強しているのに自分だけ呑気に過ごしていると言うのは何となく気持ちが焦ってしまう。結局はレイチェルも談話室の一員となった。しかし、机に齧りついて本格的に勉強する気にはなれなかったので、空いていたソファに座って教科書に線を引いていくだけだ。ちょうどキリのいいところまで終わったので、休憩がてら(と、脳に糖分を与えるために)甘ったるいチョコレートファッジを咀嚼していると、タイミングを見計らったかのように誰かがレイチェルの前に立った。

「ねえ、レイチェル
「どうしたの、チョウ。マリエッタも」
「ごめんなさい、勉強中に。相談があるんだけれど、いいかしら?」
「勿論」

申し訳なさそうに尋ねる後輩達に、レイチェルは快くソファーの隣を空けた。遠慮がちにそこへ座った2人は、胸に抱えていた羊皮紙をレイチェルへ差し出してくる。堅苦しい筆跡で書かれているそれは、レイチェルにも見覚えがあるものだった。チョウ達にとっては来年の、3年生の時間割表だ。

「あのね、私達、休暇明けまでに履修を決めなくちゃいけなくて……」
「ああ。そう言えばそんな時期ね」

もう1年も前になるのかと、レイチェルは懐かしい気持ちで時間割を眺めた。レイチェル達も去年の今頃は履修をどうするかと同級生や先輩に相談に乗ってもらった。レイチェルは結局自分の興味のまま選択したけれど、中には進路のことまで気にして深刻に悩んでしまっていた同級生も居た。チョウはどうやら後者のタイプらしく、その表情は沈んでいる。

「魔法生物飼育学は選択しようって決めてるの。でも、数占いと占い学で迷ってて……ほら、数占いを取ってないと不利になる職業があるって聞いたから……それに、古代ルーン文字の授業ってどんな感じなの?」
「古代ルーン文字は、内容はちょっとややこしいから最初は苦戦したけど……やってる内に段々覚えるから、慣れちゃえばそんなに苦痛じゃないわ。もっと上の学年になると、実際に昔の文献とかも読めるらしいし、先生もいい人。ただ、試験はすっごく大変らしいけど。数占いは……私、この時間はマグル学をとってるから、占いの科目はよく知らないのよね……」

パメラとエリザベスは占い学を選択しているし、確かペネロピーは数占い学を取っていたはずだ。そう思って3人の姿を探してみたものの、エリザベスとペネロピ―は勉強に忙しそうだったし、パメラは談話室には降りて来ていないようだった。部屋で雑誌でも読んでいるのかもしれない。

「特に占い学は……人によって結構意見が分かれるみたいだから、できるだけたくさんの人から話を聞いた方がいいと思うわ」
「わかったわ。ありがとう、レイチェル
「どういたしまして。大したアドバイスできなくてごめんね」

自分達の元居た席へと戻っていくチョウ達を見送って、レイチェルは再び魔法薬学の教科書へと視線を落とした。
柔らかな陽光は手元を明るく照らし、硝子の向こうの空はどこまでも青い。せっかくの休暇なのだから、休みたいし遊びたい。こんなにいい天気なのだから、湖の側でひなたぼっこしたら気持ちがいいだろうし、箒に乗るのも素敵だろう。けれど、それも1人ではあまり楽しくない。友人達は皆勉強しているから付き合ってくれないし、1人だけ遊んでいたら置いて行かれてしまう。成績が落ちてしまうのも嫌だ。

「本当、休暇なんて名前ばっかり」

澄み渡った空に眩しく目を細めながら、レイチェルは小さく溜息を吐いた。

 

 

とは言え、楽しいこともある。休暇の最初の土曜日には、4度目のホグズミード休暇があった。そこかしこに色とりどりのイースターエッグが飾られ、春らしく彩られたホグズミード村は、試験勉強に疲れたレイチェル達の目も心も楽しませてくれた。花が詰め込まれたバスケットや、パステルカラーのリボンにウサギやリスがじゃれているのを見ていると、なんだか気分がウキウキしてくる。

「最後の休息ね!」
「そうね。次のホグズミードは試験後だもの。しっかり息抜きしなきゃ」

楽しげに言うパメラに、レイチェルも頷く。久しぶりにたっぷりと浴びる太陽は、とても気持ちがいい。正直に言えば、同室のエリザベスが寝ても覚めても机に向かっているせいでちょっと気が滅入っているのだ。レイチェルが目を覚ますともう机に向かっているし、レイチェルがベッドに入ってもやっぱりまだ机に向かっている。しかし、エリザベスが悪いわけじゃないし、そんなに勉強するななんて言うわけにもいかないので、要するにレイチェルとパメラは少しばかりストレスが溜まっていた。久しぶりに1日勉強から解放されるので、今日は目いっぱい楽しみたい。

「パメラもレイチェルも! そう言うこと言わないでよ!」
「そうよ! 今日は試験のことなんて忘れましょ!」

しかしそんな2人の言葉に、アンジェリーナとアリシアは嫌そうに眉を顰めた。そんな2人に、パメラは舌を出し、レイチェルは軽く肩を竦めてみせる。
前回セドリックと2人で来て変な噂が流れてしまったのもあって、今回は女の子の友達と来ることに決めていた。レイチェルの他、パメラにアンジェリーナ、アリシアの3人だ。
エリザベスは一緒じゃないのかと来る途中何人かに聞かれたけれど、別に仲間はずれにしたわけじゃない。

「ロジャーの奴、すっごくショック受けてたわよね! あの顔、カメラに撮っておきたかったわ!」
「パメラったら。でも、ロジャーってチョウが好きなんじゃなかった? もうエリザベスのことは吹っ切れたのかと思ってたわ」
「美人なら誰でもいいんじゃない?」

エリザベスはまたしても例のハッフルパフ生に根気よく────エリザベスに言わせるとしつこく────誘われたので、今日はその人と一緒に来ているはずだ。エリザベスは「試験勉強をしたいから」と、まるでOWLやNEWTを控えた5年生や7年生のような断り文句できっぱり拒否したのだけれど、パメラが横から口を出してオーケーさせてしまった。そして今朝、渋々ながら身支度をしたエリザベスはレイチェル達よりも早く談話室を出て行った。黙って成り行きを見守っていたレイチェルをエリザベスは少し恨んでいるようだったが、2ヶ月に1度しかないホグズミード休暇まで城の中に居たらカビが生えてしまいそうだし、せっかく誘われたのだからデートくらいした方がいいとレイチェルも思っている。……なんて、エリザベスに言ったら怒られそうなので言う気はないけれど。

「どこ行く?」
「まずはお昼ごはんじゃない?」
「この時間だともう三本の箒はいっぱいよね。マダム・パディフットのお店は?」
「あそこはカップルばかりだから嫌だな。この間知ってる先輩に会っちゃって気まずかったんだ」

顔を顰めたアンジェリーナに、レイチェルは思わず苦笑した。確かに、知り合いのラブシーンに遭遇してしまうのはあまり楽しいものではないだろう。レイチェルもできれば遠慮したい。
結局、混んでいてもいいから三本の箒にしようと意見がまとまって、レイチェル達は店に向かって歩き出した。前回来た時はバレンタインの時期だったから、まだ地面は雪に覆われていて歩きにくかったけれど、今はすっかり溶けてしまったようだ。代わりに道の脇には柔らかな芝に覆われ、白や薄紫、桃色のデイジーの花が咲いている。
おしゃべりをしながらのんびりと歩いていた4人だったが、ゾンコの前を通り過ぎようとしたとき、アリシアが何かに気づいたかのように「あっ」と声を上げた。

「オリバー!」

アリシアの声に気づいたらしく、背の高い少年────いや、青年と言ったほうが正確かもしれない────が振り向いた。そこへ、アンジェリーナとアリシアが駆け寄っていく。驚いたように2人を見返す顔はレイチェルも知っていた。だって有名人だからだ。グリフィンドールのクィディッチチームのキャプテン。キーパーのオリバー・ウッドだ。

「こんなところに居ていいの? OWLの勉強は捗ってる?」
「いくらキャプテンだからって、あんまり成績が悪いとマクゴナガルにチームをやめさせられちゃうかもよ!」
「お前ら……俺に自由の女神の顔を拝ませないつもりか」

ニヤニヤとからかうように笑うアンジェリーナとアリシアに、ウッドはげんなりと眉を寄せた。チームメイトとは言え、一応相手は上級生のはずなのだけれど、まるで遠慮のない様子の2人にレイチェルはちょっと驚いた。アンジェリーナ達の物怖じしない性格もあるだろうけれど、グリフィンドールチームってレイブンクローの寮チームとはちょっと雰囲気が違う。試合中はきびきびしていて、どちらかと言えば大人びた印象だったけれど、ウッドって案外気さくな人なのかもしれない。

「誰と来たの? 彼女?」
「知ってて言ってるだろアンジェリーナ……。友達とだよ。悪かったな」
「なぁんだ。クィディッチ馬鹿のオリバーにも春が来たのかと思ったのに」
「お前らな……覚えてろよ。次の練習ではチェイサーをフルに活用した陣形を試してやる」
「職権濫用はんたーい!」
「やだ、こわーい。じゃあねオリバー!」

少なくとも、年下の女の子にこんな風に言われても怒らないのだから、いい人なのだろう。レイチェルはぼんやりとそう考えた。一応怒った素振りはしてみせていたけれど、アンジェリーナもアリシアもまるで怖がっていない。だからきっと、彼らにとってはいつものやり取りなのだろう。

「ごめんごめん、2人とも。行こう!」

ウッドとは面識のない────レイチェルが知らないだけでパメラはもしかしたらあるかもしれないけれど────2人は少し離れた所で待っていると、会話が終わったらしいアンジェリーナとアリシアが慌てて走ってきた。別に急がなければいけない理由もないので、気にしないでと笑ってまた元の道を歩き出す。
友人と連れ立って歩いて行くウッドがふと気になって、レイチェルが肩越しにぼんやりと眺めていると、パメラが不思議そうに首を傾げた。

「どうしたのよ、レイチェル? ウッドが気になる?」
「あ、もしかしてああ言うのがタイプとか?」
「やめておいた方がいいわよ! 確かにクィディッチをしてる時は素敵だけど、オリバーって本っっっ当にクィディッチのことしか考えてないもの」

ああ、何だかまた面倒な方向に話が進もうとしている。このメンバーで居るといつもこれだ。キラキラと目を輝かせるアンジェリーナとアリシアに、レイチェルは慌てて首を横に振った。何度も言うけれど、レイチェルは今のところ好きな人なんて居ないのだ。ウッドとだって、話したことさえない。それなのに、このまま誤解を放置してしまったら、三本の箒で「レイチェルとウッドの恋を応援しよう」とか言う相談が始められかねない。

「違うわ。そんなんじゃないけど……」

そう。別に恋じゃない。確かに、試合中のウッドは凛々しいし────たぶんこれはレイチェルだけじゃなくホグワーツの女の子なら大抵はそう思っているはずだ────素敵な人だなと思わなくもないけれど。アンジェリーナ達の期待しているような、恋人になりたいとかデートしたいとか、そんな感情じゃない。別にセドリックともウッドとも、恋人になりたいともデートしたいとか思ってない。
そう、だから。恋ではない、と思うのだけれど────。

「でも、何かに打ち込める人って素敵だと思うわ」

もう1度、ウッドの背中を振り返って、レイチェルはそっと呟いた。
勉強でも、クィディッチでも、おしゃれでも。それこそ恋でも。何か1つ、夢中になれることがあると言うのは、レイチェルにはとても素晴らしいことに思えるし、正直羨ましい。
勉強も中途半端、クィディッチもしていない。おしゃれは好きだけれど、全力を注いでいるかと言われれば微妙なところだ。そして、恋だってしていない。
とびきり好きな何かを見つけて目をキラキラさせている人達が、レイチェルにはひどく眩しく見えた。

 

 

それから3本の箒でバタービールを飲み、ゾンコやハニーデュークスで買い物をして、4人はホグズミードを満喫した。意外にもアンジェリーナやアリシアは悪戯グッズにかなり詳しかった。レイチェルは驚いたが、理由を聞いてみたところフレッドとジョージの影響だと返されて眉を顰めることになった。あの双子はやっぱりろくでもない。
とは言えちょっと興味もあったので、2人にアドバイスを貰って少しだけ花火を買った。エリザベスがいい顔をしないだろうことは予想がつくので、ベッドの下に隠そうと決意する。
あっと言う間に夕方になった。楽しい1日の終わりを惜しみながら城へと引き返した4人は、それぞれの寮へ戻るため大広間の前で別れた。

「あーっ! もう、最後のホグズミードが終わっちゃった!」
「まあまあ、パメラ。どうせだから、もう今日はこのままチェスでもしてのんびりしましょ」
「もう、何!? あの人達!? 皆ゾンビみたいな顔してたわよ!! 私達もOWLになったらああなるの!? 考えるだけで嫌!!」

談話室にはやっぱり城へ残って勉強していた上級生達が居たので、レイチェルとパメラはそそくさと部屋へ戻った。理解できないと身震いしながらベッドに倒れこむパメラに、レイチェルは苦笑する。エリザベスはまだ帰っていないようだ。暖炉の火でマシュマロを炙りたかったと嘆くパメラを宥めながら、ハニーデュークスで買ったお菓子を広げていると、静かに部屋のドアが開いた。

「エリザベス! おかえりなさい。楽しかった?」
「ええ。その……まあ……楽しかったわ」
「初めてのデートってわけね。いいわよね、甘酸っぱい」
「パメラったら! ほら、エリザベスも食べましょ。たくさん買ってきたの」
「ええ……ありがとう。頂くわ」

しみじみと呟くパメラに、エリザベスが眉を顰めたのを見て、レイチェルは慌ててエリザベスを椅子に座らせた。ティーカップを優雅な仕草で持ち上げるエリザベスは相変わらず美人だ。しかし。ブラウスとスカート姿のエリザベスを見てレイチェルは小さく溜息を吐いた。

「私、やっぱり水色のワンピースの方がよかったと思うわ。リボンのやつ。勿論そのスカートだって素敵だけど……あれ、エリザベスによく似合うもの」
「構わないの、これで! ……張り切ってると思われたりしたら、恥ずかしいですもの」
「馬鹿ね、エリザベス! 自分のためにおしゃれしてくれたって考えたら、相手だって嬉しいに決まってるじゃない!」

どっちの言い分もわかる気がするなあと思いながら、レイチェルもティーカップを傾けた。レイチェルがもしも────とは言っても、別に誰かとデートに行く予定も誘われる気配もないのだけれど────可愛いと思ってもらえるようにおしゃれをしたい一方で、何だか気恥ずかしくなってしまいそうな気もする。まあ、その時は2人に相談しよう、と自己完結してレイチェルは今は紅茶の香りを楽しむことに集中した。一口ごとに香りが変わる新商品とのことだったので買うかどうか迷ったのだけれど、どうやら店員のお姉さんが言っていた通りレイチェルの好きな香りにしかならないらしい。

「で、彼とはどこを回ったの?」
「三本の箒よ……それから、その、少し散歩して……町のはずれにある花畑を彼が知ってたから、そこを案内してもらったの」
「ああ、じゃあその花束、そこでもらったの? 綺麗ね」
「え、ええ……まあ……」

エリザベスが持って帰ってきた花束をレイチェルが指差してみせると、エリザベスは照れているのかほんのりと頬を染めた。どうやら、何だかんだ言ってもエリザベスもそれなりにデートを満喫したらしい。
エリザベスの話を聞きながら、レイチェルは小さく欠伸を噛み殺した。いつも元気いっぱいなアンジェリーナとアリシアに付き合ってはしゃいだせいか、いつもよりも早く睡魔が襲ってきたようだ。
セドリックも、友達と一緒に楽しいホグズミードを過ごせただろうか。その夜、楽しかった1日を思い出しながら、レイチェルは久しぶりに心地いい眠りについた。

また明日から、テストに向かって頑張ろう。

束の間の休息

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