3度目のホグズミード行きは、バレンタインの直前だった。地面には真っ白な雪が降り積もり、吹きつける風の冷たさは生徒達を震えさせたが、ホグズミード村は燃えるような赤やピンクのハートや薔薇で飾りつけられていて、寒々しい景色を鮮やかに彩っていた。キャンディや香水の溶け合った甘い香りが漂い、バレンタインらしい華やかな空気に何だかソワソワと落ち着かない気分になって来る。フェンスの上に座る金色の弓矢を持ったキューピッドが、レイチェル達に向かって悪戯っぽくウインクしてみせた。
「どれにしようかしら……たくさんありすぎて迷うわ」
「私、これにしようっと! エリザベス、これなんかどう? ほら、可愛い!」
「少し色が派手すぎるわ。もう少し、落ち着いてるものはないのかしら?」
雑貨屋さんの一角では、色とりどりのメッセージカードが売られていた。2つ折りになっていて、開くとハートの形になってキラキラと金色の光の粉が舞い散るもの。虹色の細いリボンのようになっていて、空中でくるくる舞ってメッセージを作ってくれるもの。ウサギや猫なんかの動物が吹き込んだメッセージを再生してくれるようになっているもの。どれもこれもとても素敵だ。目移りしてしまうのはレイチェルだけではないらしく、ホグワーツの女の子達で店の中は混雑していた。
「あ、アンジェリーナ! アリシア!」
「レイチェル! それにパメラ達も! あなた達もバレンタインカードを買いに来たの?」
「まあ、そんな感じ。やっぱり考えることは皆同じなのね」
女の子達の群れの中に知った顔を見つけて、レイチェルは手を振って合図した。アンジェリーナ達もカードを手にしているところを見ると、3年生の女の子ならカードの1枚や2枚用意するのは嗜みと言うパメラの主張はやっぱり正しいのかもしれない。アンジェリーナ達はレイチェルが手にしたカードを見ると、なぜか急にクスクス笑い出した。
「レイチェル、セドリックには贈らないの?」
「だからね、この間も言ったでしょアリシア。私とセドはそう言うのじゃないの」
「なぁんだ、残念。じゃあね、私達はもう選び終わったんだ」
レジへと向かう2人を見送っている間にも、レイチェルは店の中に、どんどん女の子達が増えて来ていることに気づいた。あっちこっちから手が伸びて来てカードを取っては戻し、最早元々何がどこに陳列されていたのかわからなくなりつつある。何より、早く欲しいカードを選ばないと売り切れてしまうかもしれない。レイチェルは気を取り直して、さっきよりも真剣にカードの山へと向き直った。
「急ぎましょ、エリザベス。このままじゃカード選びでせっかくのホグズミードが終わっちゃう」
「え、ええ。そうね」
あれこれ迷ったものの、レイチェルは無事に気に入った1枚を選ぶことができた。ケーキのイラストが描かれていて、贈った相手が読み終えると絵から本物のお菓子が飛び出してくるものだ。ポップなイラストは可愛かったし、自分がもらったらきっと嬉しいだろうと思ったからだ。
エリザベスは、開くと可愛らしい子猫の像が浮かび上がってくるカードを選んでいた。パメラのカードはキューピッドの矢が刺さった真っ赤なハートで、小さな天使が辺りを飛ぶようになっている。
熱気が立ち込める店から脱出した3人は、雪に足を取られながらメインストリートを進んだ。すっかりお腹が空いていたのもあって、三本の箒で早めの昼食を取ることにした。マダム・ロスメルタは相変わらず美人で、そして相変わらずレイチェル達にバタービールを奢ってくれた。
「で、レイチェル、エリザベス。あなた達、誰に贈るか決めたの?」
バタービールを片手に首を傾げたパメラから、レイチェルはそっと視線を逸らして、メニューに集中している振りをした。エリザベスも急に空模様が気になったらしく、窓の外をじっと見つめている。
カードは素敵な物が手に入った。問題はそれである。
『ハッピー・バレンタイン。あなたを密かに想う者より』
レイチェルの選んだカードに書かれているメッセージは、ごくごくシンプルでありふれたものだった。ベッドに仰向けに寝転んだレイチェルは、天井の灯りにカードを透かしながら悩んでいた。エリザベスは呪文クラブの活動に行ってしまったし、パメラも聖歌隊の練習に行ってしまったので、今部屋にはレイチェル1人きりだ。バレンタインはいよいよ明日だ。しかし、レイチェルは未だにカードの宛先を決めかねていた。セドリックはダメだとパメラに言われて以来ずっと考えていたけれど、ちっとも贈る相手が決まらない。ふとしたときについ考えてしまって、授業にもなかなか集中できないから困りものだ。一体誰に贈ればいいのだろうか。バレンタインにカードを贈るだなんて、セドリック以外では初めてだ。とは言っても、それさえずっと昔の、小さい頃の話だけれど。
おじさんや父親が自分たちの妻に花束を贈るのを見て、まだ幼かったレイチェルは自分も欲しいと駄々をこねたのだ。大人になったら貰えるからと諭されたけれど、レイチェルは納得できなかった。レイチェルが部屋に閉じこもってメソメソ泣くので、大人達がセドリックに薔薇の花を渡させることを思いついて、その代わりにレイチェルはセドリックにカードを書いたのだ。今はただ懐かしい思い出である。それが大人達の目から見ると微笑ましかったらしく、ホグワーツに入学するまではおじさん達の勧められてお互いにカードと花を贈り合っていた。そして、本来は恋人同士がやることだと知ってからは、さすがにもうやめようと言うことになったのだけれど。
ここ数日、何回も────もしかしたら何十回もやってきたように、レイチェルは知っている男の子の顔を思い浮かべた。双子のウィーズリーに、同寮生のロジャー・デイビース、ステビンズ────そしてやっぱり、またこれまでと同じように×印をつけていった。ダメだ。いくら匿名とは言え、うっかりレイチェルからだとバレてしまわないとも限らない。同級生に贈ったりしたら、絶対に面倒なことになる。となるとやっぱり、できたらレイブンクロー内もやめておくのが賢明だろう。また、×印で消えていく。
しかし、学年も寮も違う男の子なんて、レイチェルはそう多くは知らないのだ。もういっそ、適当に顔と名前だけ知っている、女の子に人気のある男子に贈りつけると言う手もあるけれど……パメラにはきっと怒られるだろう。それに、エリザベスも言っていたけれど、冗談半分で贈るのは相手にも失礼だ。
パーシー・ウィーズリー。オリバー・ウッド。知っている上級生の顔を想い浮かべてみるけれど、やっぱり何となくピンと来ない。今度は下級生。比較的交流のある下級生と言えば、ドラコが居る。でも、ノートを貸したことがあるからレイチェルの筆跡はわかっているだろうし、もしもレイチェルからだと知られてしまったら後々気まずくなりそうだ。他のスリザリン生からも色々言われそうだし。
頭の中でどんどん×印がついて、該当者が消えていく。そして結局、最後には誰も居なくなってしまうのだ。そうしてまた最初から、思考は堂々巡り。レイチェルは深く溜息を吐いた。そもそも、消去法で選んでいる時点でバレンタインの趣旨からは外れてしまっているのかもしれない……。
「……あ」
その時ふと、レイチェルの頭の中に真紅のローブを着た黒髪の少年の姿がよぎった。ハリー・ポッター。
彼はどうだろうか。魔法界の英雄で、100年来の最年少のシーカー。有名人だし人気もあるけれど、レイチェルだって一応話したこともあるし、ハーマイオニーから色々と話を聞いているから人柄についても少しは知っている。
それにこの間の試合を見て、とても素敵だなと思ったことは嘘じゃない。勿論、男の子としてどうこうなんて甘酸っぱいものではなく、ただ単にシーカーとしてだけれど。それでも、別に付き合いたいと思っているわけでもない男の子に適当に贈りつけるよりは、ずっとバレンタインらしいカードの使い道と言えるだろう。
有名人のハリー・ポッターにはきっと、たくさんカードが届くだろうし、レイチェルからのカードなんてその中に紛れてしまうだろう。レイチェルからのカードと分かってしまう可能性は限りなく低い。むしろそれでいい。
レイチェルはベッドから起き上がると、机に向かって羽根ペンを走らせた。
『あなたの箒捌きを見て、ファンになりました。素敵な試合をありがとう。これからも応援しています』
もしかしたら、ハーマイオニーが見たらレイチェルの字だと気づくかもしれない。でも、きっとカードを見せびらかすような無神経な男の子ではないはずだ。万が一読まれたとしても、この文面なら誤解されることもないだろう。
これでレイチェルも立派にマグル式バレンタインに参加できる。レイチェルは上機嫌でふくろう小屋へと向かった。
翌朝、同級生の女の子達は目に見えてソワソワしていた。私のカードはちゃんと届くかしら、そして誰か私にカードや花を贈ってくれる素敵な男の子は居るかしら。そんな期待に胸をときめかせ、女の子達はスカート丈や髪型にいつも以上の気配りを見せた。マニキュアやグロス、アクセサリーなんかで華やかに彩られた少女達は、クスクス笑い合いながらスカートを翻す。
あまり張り切っていると思われても恥ずかしいので、レイチェルは何かいつもと違う特別なことをしようと言う気にはならなかった。けれど、とりあえず周囲に倣って普段より髪を丁寧に梳かしてみたりした。ソワソワって伝染する。
パメラやエリザベスと一緒に大広間へと降りたレイチェルは、期待半分、不安半分だった。
「あ、レイチェル。おはよう」
「おはよう。チョウ、マリエッタ」
天井を見上げると、いつも以上にたくさんの梟が旋回していた。カードやプレゼントの受取人が来るのを待っているのだ。一際大きな梟は、一抱えもあるような真っ赤な薔薇の花束を運んでいるせいでバランスが取れないのか、フラフラしている。席に着くと、マリエッタが嬉々としてレイチェル達に話しかけた。
「ね、聞いて! チョウったらもう3通もカードが届いたのよ!」
「マリエッタ!」
マリエッタの声が辺りに響いたので、チョウが顔を赤くする。チョウは2年生の中でも群を抜いて可愛いから、当然の結果なのかもしれない。どんなカードを貰ったのか気になったけれど、レイチェル達はともかく、マリエッタに見せたら学校中に広まってしまうと思ったのか、チョウはカードを全て鞄の奥へとしまってしまった。
「あら、エリザベス。あなたにも梟が来たわ」
「魔法の薔薇ね! とっても素敵だわ」
茶色い森ふくろうがスイーッと下降してきて、チョコレートの箱やカードなんかの、エリザベスへの贈り物をいくつか落としていった。エリザベスは照れくさいような、軽薄だと言いたいような、複雑な表情でそれを受け取った。きゃあきゃあとはしゃぐチョウ達を見ながら、さすがだなあとレイチェルはトーストを齧る。続いてパメラにも、ふくろうが降りて来た。今度はピンクのリボンのかかった何か小さな箱だ。やっぱりちょっと羨ましくなってしまうけれど、こればかりはないものねだりしても仕方がない。あちこちでふくろうの滑空音が聞こえてちょっとみじめな気持ちになったが、レイチェルは気にしていないフリをしてスクランブルエッグをつついた。レイチェルの耳元でもバサバサ梟の羽音がしていたが、レイチェルはこの後の魔法薬学の授業について考えることで気を紛らわせていた。
「レイチェル! レイチェル! 何ぼーっとしてるの! あなたによ!」
「え?」
パメラの言葉に顔を上げると、梟が早く受け取れとばかりにレイチェルを見つめている。宛先を間違えているんじゃないかと思ったが、確かにカードにはレイチェル・グラント様と書かれていた。
おずおずとカードを受け取る。当たり前だけれど、差し出し人の名前は書かれていなかった。
「ね、早く読んでみたら!」
好奇心一杯にパメラが言い、レイチェルはそっとカードを開いた。中には、まるで写真のようにリアルな花のイラストが描かれている。ふんわりとテーブルに花の香りが広がって、レイチェル達は思わずうっとりした。が、それだけではなかった。どこかからひらひらと飛んできた蝶が、カードの花へと引き寄せられてきたのだ。そして花の上へと止まると、蝶はチョコレートに変わってしまった。チョウがニッコリ微笑んだ。
「素敵なカードね」
「え、ええ……」
セドリックが気を遣って贈ってくれたのだろうか? いや、でも、誤解されると困るから絶対やめてほしいと頼んだから、それはないだろう。レイチェルだって結局、セドリックには何も贈っていない。レイチェルが首を傾げていると、カードの端に金色の文字が浮かび上がってきた。横から覗きこんできたパメラが、そのメッセージを読み上げる。
「『虹色のあなたはとても素敵です』……? 何これ? レイチェル、意味わかるの? ……レイチェル?」
「えっと、その…………わかるわ」
お礼を言うべきなのだろうか。でも何だかそれって、すごく恥ずかしい気がする。こんなことならレイチェルも双子に贈ればよかったのかもしれない。でも、それだとまるで両想いみたいだ。誤解させてしまっても困る。
やっぱり、レイチェルにはまだ無理だ。大人達のようにバレンタインを楽しむなんてことはできそうにない。
マグルの女の子は偉大だと、レイチェルは紅茶を溜息で揺らした。