学期が始まると、誰もがクィディッチの話題に夢中だった。月末には、グリフィンドール対ハッフルパフの試合が控えているからだ。今年のクィディッチ杯の行方はどうなるかわからないと、生徒達どころか教授達までが議論を白熱させていたし、セドリックはクィディッチの練習が増えてとても忙しそうだった。
「どっちが勝つかしらね!」
「やっぱりセドリック・ディゴリーじゃない? 試合にも慣れてるわけだし」
「でもシーカーとしての経験が浅いのはお互い様じゃない? それにハリー・ポッターの箒はあのニンバス2000よ」
通りすがりの上級生達のそんな会話を聞きながら、レイチェルもぼんやりと試合について考えた。
今の戦績だと、スリザリンが1敗、レイブンクローとハッフルパフが1分けずつだ。だから次の試合でグリフィンドールが勝つと、2勝0敗となって一気に他を引き離すことになる。逆にハッフルパフが勝てば、1勝1分けでハッフルパフが首位だ。
どちらにしても、ここ数年ずっと優勝杯を独占してきたスリザリンは出遅れることになって、焦るだろうことは間違いない。そして、どちらにしてもレイブンクローにもまだ優勝のチャンスはある。レイチェルはそれなら当然セドリックを応援する。
「セド!」
「レイチェル」
昼食の時間の混み合った大広間で、レイチェルはセドリックの姿を見つけて声をかけた。セドリックはこのところ連日クィディッチの練習で拘束されているせいで、いつもの図書室の勉強会にもなかなか来られない。会える時間は合同授業か、そうでなければ食事の時間くらいだ。レイチェルは自分の鞄を開けると、中から2冊の本を取り出してセドリックに手渡した。
「はい、これ。『検出できない毒薬』のレポートに使える参考書。私はもう書き上がったから。返却期限が来週までだから、読み終わったらまた食事のときにでも渡して」
「助かるよ。本当、最近レポートを書く時間がなくて……」
「お疲れさま。じゃあ私、これから魔法史だから」
何だか少し寝不足のように見えるセドリックにひらひらと手を振って、レイチェルは魔法史の教室へと向かう。
寮が違うレイチェルにできる手助けはせいぜいこれくらいだ。クィディッチの選手だからと言って宿題が特別に免除されるわけではないので、セドリックはどうにか時間を見つけてレポートを書くしかない。ただでさえ休暇明けから宿題の量が更に増やされるようになったので、比較的時間に余裕のあるレイチェルですら提出期限が重なったりすると結構厳しい。
「ごめん、パメラ。お待たせ。エリザベスは?」
「前の方に座りたいから先に行くって。物好きよねー」
「まあエリザベスらしいけどね」
「セドリック、随分疲れてるみたいね。書き上がってるなら、レポート見せてあげればいいじゃない」
「私もそう言ったんだけど、セドが遠慮したの」
忙しいんだから、誰かのレポートを写させてもらうとか、手伝ってもらうとかすればいいのに。レイチェルならたぶんそうするし、実際にそう提案してもみた。けれど、セドリックは宿題は自力でやらないと意味がないと言って断った。反論の余地もない正論だし、立派だと思うけれど、レイチェルが同じ立場になったら多分音を上げるだろう。
セドリックってつくづくお利口さん。
「アンジェリーナ、アリシア、ここ座ってもいい?」
「あら、レイチェル。それにパメラも」
「勿論よ。待って、今荷物をどけるわ」
魔法史の授業はグリフィンドールと合同だ。別に誰が決めたわけでもないのだけれど、広い教室の前方にはレイブンクロー生が、後方にはグリフィンドール生が座っている。いつもならレイチェル達もエリザベスに付き合って前の方に座るのだけれど、始業ベルが鳴るギリギリに駆けこんだこともあって後ろの方に座っていたアンジェリーナとアリシアの隣の席を選んだ。
「えー、先学期は中世の魔女狩りについて学習しましたが、今学期はー……」
ビンズ教授の話ぶりは、子守唄よりもよっぽど安眠効果があるので、大体の生徒はついウトウトしてしまう。昼食後すぐとなると尚更だ。授業が始まって20分もする頃には、一部の真面目な生徒以外はすっかり夢の世界へと旅立ってしまっていたけれど、レイチェル達はすっかり目が冴えていた。セドリック同様クィディッチの練習で忙しい2人とは休暇以来なかなかゆっくり話す時間がとれなかったので、ここぞとばかりにヒソヒソとおしゃべりをすることにしたのだ。いつもらなら咎めるエリザベスは今は居ないし、ビンズ教授は生徒が寝ていようが喋っていようが自分の授業さえ妨げられなければ気にしない。
「クリスマスにくれたケーキ、おいしかったわ。また作ってね、レイチェル」
「勿論。アンジェリーナもアリシアも、素敵なプレゼントをありがとう。大切に使わせてもらってるわ」
「私も作り方を教えてほしいわ。お菓子作りってどうすれば上手くいくの?」
「魔法薬の調合と一緒よ。きっちり計って、きっちり手順通り作るだけ。そうしたらそんなにおかしなことにはならないから大丈夫よ」
「ってことは魔法薬学が得意な人はお菓子作りも上手ってこと?」
「ええー……スネイプが焼いたクッキーなんて食べたくないわ。胃もたれしそう」
「パメラったら!」
嫌そうに顔を歪めたパメラの言葉のせいで、フリルのエプロンをつけてクッキー生地を絞るスネイプ教授の姿を想像してしまって、思わず笑い声を上げてしまいそうになるのを3人は必死にこらえた。クスクスと忍び笑いを漏らしていると、エリザベスが一瞬こちらを振り返った気がして、レイチェルは慌てて魔法史の教科書を集中して読んでいるフリをした。
ハッフルパフの監督生がハンサムだとか、占い学の授業がどうにも胡散臭くて信用できないだとか、雑誌に可愛いコートが載っていただとか。他愛のない会話で盛り上がっていると、ふとアリシアが何かを思い出したようにレイチェルを振り向いた。
「ね、ね、レイチェル。そう言えば、あの噂って本当なの?」
「噂?」
「……ああ、レイチェル。もったいぶらないで、私達には教えてよ! 友達じゃない!」
アリシアが好奇心一杯にキラキラと目を輝かせる。アンジェリーナもその噂とやらを知っているらしく、レイチェルをじっと見つめた。けれど、レイチェルには本当に心当たりがないのだ。噂って何だろう。今のホグワーツでの噂と言えばクィディッチのことだけれど、それなら2人の方が詳しいはずだ。レイチェルが首を傾げると、アリシア達はレイチェルがとぼけているのだと思ったらしい。アリシアから興奮気味に告げられたのは、とんでもない爆弾発言だった。
「セドリックとレイチェルが付き合ってるって」
「……………………は?」
思わず声を潜めるのを忘れたレイチェルは、慌てたアンジェリーナに口を押さえられた。むぐむぐと声にならない声を出しながら、レイチェルはアリシアの言葉を反芻する。付き合っている? セドリックとレイチェルが? ありえない。そんな事実はどこにもない。一体どうしてそんな勘違いが生まれたのだろう。意味がわからない。
アンジェリーナの手から解放されてやっと息ができたレイチェルは、1度大きく深呼吸すると、げんなりと呟いた。
「…………どうしてそんな話になってるの?」
「だって、この間のホグズミードに、2人で一緒に出掛けてたでしょう?」
「セドリックを誘ったけど断られたって女の子が何人か居たらしいの。うちの寮とか、ハッフルパフとかに。それなのにレイチェルと一緒だったからって、結構噂になってるみたいよ」
そう言う事かとレイチェルは溜息を吐いた。確かに、セドリックも女の子に誘われたけれど断ったと聞いた。それが、一応は女の子であるレイチェルと一緒で、しかも2人きりだったのだから、誤解されても仕方がない。……のかもしれない。
レイチェルも、もしセドリックが誰か女の子と2人でホグズミードを歩いていたら、恋人同士なのかなと思うだろう。けれどそれはあくまで、誰か他の女の子だった場合の話だ。レイチェルとセドリックは違う。
「……付き合ってないわ。知ってるでしょ、ただの幼馴染よ」
「家が隣なんだっけ?」
「そう。生まれた時から一緒に居るし……何て言うか、兄妹みたいなものだもの。兄妹なら、特別な意味なんてなくても一緒に出掛けたりするでしょ?」
だから2人で一緒に出掛けたからって、皆が想像するような甘酸っぱい胸のときめきなんかは存在しないのだ。アンジェリーナとアリシアは残念そうな顔をしたが、レイチェルは気づかないふりをした。
一体誰がこんな無責任な噂を流したりしたのだろう。レイチェルとセドリックが幼馴染だってことくらい、1年生のときから皆知っているはずじゃないか。恋人同士だなんて、ありえない。
「えー、じゃあレイチェルはセドリックのこと好きじゃないの?」
諦めきれないらしいアリシアが引き下がった。レイチェルとしてはさっさとこの話題が終わってほしいのだけれど、どうやらそうはいかないらしい。レイチェルは真面目に授業に取り組んでいるフリをしようとしたけれど、パメラに羽根ペンを取り上げられてしまったせいでそれも叶わなくなった。これが談話室ならば即刻退場するところなのに、授業中なのでそうも行かない。大人しく顔を上げて、しぶしぶ口を開く。
「好きだけど……皆が男の子に対して言うような『好き』とは違うと思うわ」
セドリックのことが好きか嫌いか。そう聞かれれば、好きに決まっている。大好きで、大切な幼馴染だ。
セドリックはハンサムだし、優しいし、頭も良いし、とても素敵な男の子だと言う意見にも賛成だ。けれどセドリックに笑いかけられると胸が高鳴るとか、隣で勉強なんて緊張しちゃうとか、そう言ったことはレイチェルには無縁だ。セドリックへの感情は、むしろ恋から1番遠いんじゃないかとレイチェルは思う。
「そう思い込んでるだけじゃなくて? 兄妹みたいって言ったって、血の繋がりはないんでしょう?」
「それに、レイチェルって1人っ子でしょ? 実際の兄妹がどんななのかなんてわからないじゃない!」
「まあ、そうだけど……」
そしてアリシアの言う通り、確かにレイチェルとセドリックは血の繋がりはない。レイチェルには兄も弟も居ないから、セドリックへの気持ちが兄弟に対するものと本当に同じかと言うのも確かめようがない。結婚しようと思えばできるし、むしろおじさんは大喜びするだろう。小さい頃は────と言うか今もたまに────セドリックとレイチェルが将来結婚すれば本当の娘になる、なんて言っているから。
レイチェルが眉を寄せていると、さっきから黙って聞いていたパメラが口を開いた。
「それに、レイチェル達ってそのへんの兄妹よりよっぽど仲良いわよ。週に2回も図書室で一緒に勉強なんて。普通は兄妹でもそんなにベタベタしないんじゃない?」
「もう付き合っちゃえばいいじゃない!」
確かに、ただの幼馴染にしては仲が良すぎると言うのもよく言われることだ。けれど、それはレイチェルにはよくわからない。ホグワーツに入学してからは寮が分かれて、食事も授業も別々になったし、むしろ昔に比べれば一緒に居る時間は随分減った。皆にとっては「週2回も」なのかしれないけれど、レイチェルにとっては「たった週2回」だ。
小さい頃はレイチェルの遊び相手はセドリックしか居なかったし、セドリックにとっても同じだった。母親の仕事の都合でディゴリー家によく預けられていたこともあって、それこそ毎日朝から晩まで四六時中一緒だったのだ。だからこそ、やっぱりレイチェルにとってセドリックは「幼馴染で、兄妹みたいなもの」なのである。
「やっぱり……セドと恋人にって言うのは、ちょっと考えられない」
そもそも、恋人になったら何をするのかもよくわからないし、今は特に欲しいと思わない。この先ずっと恋人ができなかったらちょっと寂しい気がするからいつかは欲しいけれど、まだまだ先の話だとレイチェルは思う。きっぱりと否定すると、アンジェリーナ達は今度こそ残念そうに溜息を漏らした。
「私だったらセドリックみたいなハンサムな男の子が側に居たら、恋に落ちちゃうけどなあ」
「最近背も伸びてきたし、この間の試合もかっこよかったしね! あ、でも見慣れてるとそうでもないのかな。だとしたらレイチェルの理想って高そう」
真っ白なままのノートにいたずら書きをしながら、アリシアがつまらなそうに呟く。その言葉を拾ってアンジェリーナの目がまたレイチェルを捕えたので、レイチェルはぎょっとした。どうやらまだこの2人の追及は終わらないらしい。助けを求めてパメラを見たものの、パメラは涼しい顔で黒板の文字を羊皮紙に写していた。いつも魔法史の授業なんてちっとも聞いてないくせに。絶対に魔法薬学のレポートを頼って来ても助けてあげない、とレイチェルは心に決めた。
「ね、レイチェルは気になってる男の子って居ないの?」
「えっと……」
「あ、レイチェルってフレッドとジョージとも仲がいいわよね! もしかして、あの2人のどっちか?」
教室の一番後ろに座っている双子の方をちらっと見て、アンジェリーナが言う。レイチェルはふとこの間の雪の日の一件やクリスマスプレゼントのことを思い出したが、冗談ではないと慌てて首を振った。双子のウィーズリーに恋なんてしてしまったら、レイチェルの平穏な学生生活が終わってしまう気がする。
「い、居ないわ。特には」
「えー、1人も? じゃあ、好みのタイプは? 背が高い人がいいとか、年上がいいとか」
「えっと……」
猫に追い詰められたネズミってこんな気持ちなのだろうか。
もういっそ、適当に人気のある上級生の名前を出せばよかったとレイチェルは後悔した。そうすればきっと、そこで会話は終了しただろう。とは言っても、レイチェルはそんなに詳しくないのだけれど。
どうしたものかと視線を泳がせていると、タイミング良く授業終了のベルが響いた。慌てて机の上の荷物を鞄に押し込み、立ち上がる。
「わ、私、図書室に行かなきゃいけないから!」
「あ、レイチェル!」
パメラを押しのけて通路に出ると、そのまま魔法史の教室を出て廊下を急ぐ。パメラ達が呼び止める声がしたが、一刻も早くその場から逃げたかった。これ以上レイチェルばかり追及されるのは遠慮したい。人気のない廊下へと出ると、レイチェルはようやく足を止めて大きく息を吐き出した。冬だと言うのに、走ったせいでやけに頬が熱い。
「全く、誰よあんなくだらない噂流したの……」
途中まではとても楽しいおしゃべりだったのに、台無しだ。それもこれも、全ては馬鹿げた噂のせいだ。
セドリックも誰かからあの噂について聞かれているだろうか。アンジェリーナやアリシアが知っていると言うことは、本当に2人の言う通り広まっているのかもしれない。まあきっと、セドリックもレイチェルと同じようにはっきり否定するだろうけれど。誤解なのだし、そのうち収まるだろう。そう信じたい。
せっかくなのでそのまま図書室へと向かっていると、遠くにハーマイオニーとハリー・ポッター、それから赤毛の男の子の3人組が見えた。何か話しこんでいるようだけれど、ハーマイオニーはとても楽しそうに見えるし、小さな1年生が仲良さそうにしている様子は微笑ましい。
あれくらいの頃は、セドリックと2人で一緒に居たって何も言われなかったのに。3人の姿に幼い日の自分達の姿が重なって、レイチェルは思わず溜息を吐いた。
昔はただの幼馴染だったかもしれないけれど、今は違うんじゃないか?
冗談じゃない。セドリックは今だって、レイチェルの大切な幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもない。