レイチェルは魔法薬学が得意だ。そして、魔法薬学が好きだ。
スネイプ教授は陰険だと言う意見は否定できないけれど、授業は面白いし教え方だってそこまでひどくない。確かに、苦手な生徒にもわかるように説明しようと言う気はないみたいだけれど、わからないことがあって授業後に聞きにいくと「こんなこともわからないのかね」と言いながらも丁寧に教えてくれる。そして何より、知識が豊富だ。
レイチェルだけではない。知性を尊ぶレイブンクロー生の多くはスネイプ教授を尊敬している。魔法薬学と言う複雑で難解な分野を教えるにあたって、十分な知識と経験を備えていることは疑いようもない。それと、本人の人間性が好ましいかどうかは別の問題だ。どんなに人柄が優れていても、先生として能力がないとそれはそれで困る。
まとめると、「性格はアレだけど、先生としてはすごいわ」か「先生としてはすごいけど、性格がアレよね」のどちらかが大体のレイブンクロー生のスネイプ教授に対する感想だ。ちなみに、レイチェルは前者である。
まあでも、そんな呑気なことを言ってられるのもレイブンクローが特別スネイプ教授に嫌われていないからなのかもしれない。その嫌味や減点の矛先が向くのは、大抵グリフィンドール生だ。アンジェリーナやアリシアの話を聞いていると、その理不尽さに唖然としてしまうこともある。ただ、よりによって顔を合わせるだけでも揉め事ばかりのグリフィンドールとスリザリンの合同授業、しかも問題児の双子のウィーズリーが居るクラスで危険な魔法薬を扱うとなると、厳しくせざるを得ないのかも、と思ってしまう部分もある。スネイプ教授に関して言えば、レイブンクローとハッフルパフは何と言うか……安全圏なのだろう。真面目で勤勉、そして反抗的な生徒が少ないのも幸いして、鍋を爆発させたりしない限りは大きな減点もされない。
ただし、ものすごく機嫌が悪い日を除けばの話だけれど。

「ミス・ジョーンズ。今日は何の薬を作るんでしたかな」
「縮み薬です」
「ほう。縮み薬。これが」

ここのところ、スネイプ教授はものすごく機嫌が悪かった。もっとも、スネイプの教授が上機嫌でにこやかだったことなんて、レイチェルの覚えている限りは1度だってなかったけれど。
やっぱり、スリザリンがグリフィンドールに負けたせいなのだろうか? でもそれって、もう1週間も前のことなのに。レイチェルがそんなことを考えながら大鍋をかき回していると、スネイプ教授がレイチェルを振り向いたので思わず緊張で背筋を伸ばした。

「ミス・グラント。正しい縮み薬の色は?」
「澄んだ黄緑色です。教科書には、新鮮なレタスのような色と書かれています。材料の配分や調合の手順によっては、ライムのような緑色になることもあります」
「その通り。ではこれは?」
「……………………濁ったオレンジ色ですね」

パメラが裏切り者とでも言いたげな目でレイチェルを見たけれど、どう見てもパメラの鍋の中にある液体は黄緑色からはかけ離れていた。ここで下手にレイチェルが「緑色です」なんて答えたりしたら、レイチェルまで減点されかねない。
毎度毎度、嫌味の矛先を向けられるパメラやグリフィンドール生がスネイプ教授を嫌うのは当然だと思うし、好きになってほしいなんて言うつもりもない。でもやっぱり、レイチェルはスネイプ教授が嫌いじゃない。
調合を間違えた生徒には、どこが間違っているのかきちんと教えてくれる。鍋底にへばりついたヘドロのような物体に対しても、どこを間違えたか正確に言い当てることができるのはすごい。
まあ、その言い方が棘だらけだし、容赦なく減点するから、誤解を生んでしまうのだろうけれど。

「ねえ、レイチェル。私、ハリーの箒に呪いをかけたのはスネイプじゃないかと思うの」
「は?」

しかし、いくら何だってこの誤解は気の毒な気がする。
確かにスネイプ教授は陰険だし、嫌味だし、性格に難があることはレイチェルも否定できないけれど、さすがに……生徒に呪いをかけたりはしないだろう。しかも、あんな下手したら死んでしまうような性質の悪い呪いを。
ポカンと口を開けたレイチェルに、ハーマイオニーは興奮気味にまくし立てた。

「私、見たのよ! スネイプがハリーの箒をじっと見て何か呟いてるところ! あれ、きっと呪いをかけてたんだわ」

見間違いじゃないだろうかと思ったけれど、それについては競技場に居なかったレイチェルにはわからない。ハーマイオニーの目にはそう見えたのだろうし、水掛け論になってしまうだけだ。
レイチェルが口を開こうとするとマダム・ピンスの目がキラリと光ったので、慌てて教科書の影に隠れて声を潜めた。

「えー……いくらスリザリンを勝たせたいからってそこまでする?」
「そうじゃないわ! きっとハリーを殺そうとしたのよ!」
「…………どうして?」

いつになくハーマイオニーのテンションが高くて、レイチェルにはついていけていない。
スネイプ教授がハリー・ポッターを嫌っていると言う噂はレイチェルも聞いているけれど、だからと言って、殺そうとするなんて。しかも、他の教授達も見ているクィディッチの試合中に? 競技中の事故に見せかけようとしたのだとしても、見る人が見たら呪いだとすぐわかってしまうのだから意味がない。第一、事故を装うつもりなら、魔法薬学の授業中に鍋に危険物でも混ぜた方がよっぽど確実だろう。わざわざあんな大観衆が見守るクィディッチの試合中を狙わなくても、いくらだってチャンスがある。

「それは…………!」

ハーマイオニーにはそれについても何かしらの理由と反論があるらしかったが、何かを思い出したかのように急に口を閉じた。どうやらレイチェルには言えないことらしい。もしかしたら、またハリー・ポッター絡みで規則破りでもしたのだろうか。
誤魔化すように咳払いをしたハーマイオニーは、きっぱりとした口調で言い切った。

「とにかく、絶対あれはスネイプがやったのよ」

レイチェルはそれ以上何も言わないことに決めた。言っても喧嘩になるだろうと思ったからだ。そしてレイチェルには、ハーマイオニーと喧嘩してでもスネイプ教授を擁護したいと言う情熱はない。
それにしても、と教科書を捲りながらレイチェルは考えた。もしもハーマイオニーが目撃したのがマクゴナガル教授やフリットウィック教授だったら、こんな風に疑っただろうか。いや、きっと疑っていない。
日頃の行動って大切だなあ、とレイチェルはしみじみと噛みしめた。

 

 

「スネイプ教授って、お腹を抱えて笑ったりすることってあるんですか?」

レイチェルの言葉に、スネイプ教授はまるで鍋の底にへばりついた何かを見るような目でレイチェルを見た。
そして馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らすと、さっきレイチェルが質問した答えを紙に書きつける。こうした個人的な質問にも、嫌な顔せずに時間を割いてくれるし、わかりにくいけどやっぱりいい先生なんだよなあとレイチェルはぼんやり思った。

「当たり前だ。ヒトは唯一笑うことが生きる高等な生物だと言われている。それとも何かね、君の目には我輩はヒト以外の何か下等な生物として映っているとでも?」
「いえ……そう言うわけではないんですけど……ただ、スネイプ教授が笑っていらっしゃるところって見たことないので」

ホグワーツ生活も3年目だし、当然スネイプ教授の授業ももう何十回と受けているけれど、レイチェルは未だに笑った顔を見たことがない。嫌味を言う時のせせら笑いだとか、冷笑だとか、嘲笑だとかなら見たことがあるけれど。基本的には眉間にくっきり皺を寄せているし、いつも不機嫌だ。負の表情のレパートリーはある意味誰よりも豊富なので、意外と表情筋は使っているのかもしれない。

「その……たまにはこう、にこやかに笑って過ごしてみるのもいいんじゃないでしょうか。 何と言うか……いつも厳しい表情だと、余計な誤解も招くと思うので……」

レイチェルもそれほど社交的な方じゃないからあまり人のことは言えないけれど、セドリックを見ていると人間関係を構築するのに笑顔がいかに大切かと言うのは実感する。スネイプ教授も、授業の中で1回でもいいから微笑んでみたらかなり印象が変わるんじゃないだろうか。魔法薬学は危険だから厳しく監督する必要があると言うのもわかるけれど、飴と鞭が大切だと思う。マクゴナガル教授だってスネイプ教授に負けないくらい厳格だけれど、褒めるときは褒めてくれる。
それに、やっぱり「スネイプ教授が嫌いだから」と言う理由で魔法薬学を嫌いになってしまう人が多いのはレイチェルには寂しい。そして「魔法薬学が好きだ」と言うと頭がおかしいんじゃないのかと言いたげな目で見られるのも。
こんなこと、きっとスネイプ教授にとってみれば余計なお世話でしかないだろうし、そもそも生徒が先生に言うべきことじゃないと言うのもわかっていたけれど……あのハーマイオニーの誤解はあまりにもスネイプ教授にとって不名誉なことに思えたので、とりあえず言ってみた。もしかしたら、減点されるかも。ちらりと顔色を窺ってみると、冷えた視線がレイチェルを見下ろしていた。

「余計なご忠告をどうも。もう質問が終わりであれば、我輩はこれから明日の授業の準備をせねばならんので今すぐ部屋を出て行って頂けるとありがたいがね、ミス・グラント
「あっ、はい。失礼します。ありがとうございました」

あ、よかった。減点されなかった。レイチェルはホッとして素直に部屋を出た。退去勧告には素直に従っておくのが賢明だ。ここで逆らったら、今度こそ減点されかねない。スネイプ教授は機嫌が悪い時は全身から「怒ってますよ」と言うオーラが出ているし、言葉でもきっちり伝えてくれるのである意味わかりやすい。

 

レイチェル! どこ行ってたの?」
「スネイプ教授のところ。質問に行ってたの」
「えっ……物好き」

レイチェルが寮に戻ると、談話室にはパメラが居た。スネイプ教授の名前を聞くなり顔を顰めたパメラに苦笑して、その隣に座らせてもらう。パメラもどうやら、魔法薬学のレポートをやっていたらしかった。しかし、修正跡だらけの羊皮紙を見たところ、かなり苦戦しているようだ。

「パメラも1度質問に行ってみればいいのに。案外丁寧に教えてくれるわよ」
「絶対嫌。授業以外じゃ顔を合わせたくないわ!」
「そんなに嫌い?」
「大嫌い。レイチェルは気に入られてるから平気なのよ……魔法薬学じゃ優等生だものね」

パメラが眉を寄せて呟いた。特別気に入られたり可愛がられていると言う実感はないけれど、確かにレイチェルが授業中に注意されたり減点されたりしたことはない。だって別に減点されるようなことなんてしていないと言うのがレイチェルの言い分だが、パメラやハーマイオニーに言わせれば何もなくても難癖をつけるのがスネイプなのだと言うことだった。

「ねえ、パメラ。スネイプ教授が生徒に呪いをかけたって話があるんだけど、信じる?」
「スネイプならそのくらいやるんじゃない?」

ふとハーマイオニーの話を思い出して尋ねてみれば、あっさりとそんな答えが返ってきたので、レイチェルは苦笑した。やっぱり、反スネイプ派の生徒から見れば生徒に呪いくらい何とも思っていなさそうなイメージらしい。
確かに、闇の魔術に対する防衛術のポストをずっと狙っていると言う噂があるくらいだから呪いに関しても知識は深いのだろうし、あれくらい朝飯前なのかもしれないけれど。
それでもやっぱり、レイチェルにはハリー・ポッターの箒に呪いをかけたのがスネイプ教授だとは信じられない。

「ミルクティー淹れたけどレイチェルも飲む?」
「飲む。ありがとう」

パメラが空中から取り出したティーポットとカップを、レイチェルもありがたく受け取った。マグルのデパートで買ったと言う茶葉は、パメラのお気に入りだ。淹れるのは少し手間だけれど、とても香りがいい。
レイチェルは1度だけ、スネイプ教授が淹れてくれた紅茶を飲んだことがある。とは言っても、別にスネイプ教授と一緒に和やかなティータイムを過ごしたわけじゃない。今日のように質問をしに行ったとき、たまたま教授が他のクラス授業の後片付けをしていたので成り行きで手伝ったら、そのお礼に紅茶とクッキーを振る舞われたのだ。別に感謝の言葉や何かがあったわけではなく、あくまで事務的に。
それでも、さすが魔法薬学の教授が淹れただけあってその紅茶はレイチェルが今まで飲んだ中で1番おいしかった。
その話をしたらパメラにはスネイプが淹れた紅茶なんて毒が入っていそうで怖くて飲めないと言われたし、きっと今ならハーマイオニーも似たような反応を返すだろうけれど。

「何て言うか、損な人よね」

レイチェルは先程スネイプ教授から渡された羊皮紙を広げた。そこにはレイチェルがさっきした質問────縮み薬を調合するとき雛菊の根を刻むのではなく擦り潰した場合にはどうなるのか────に対する解説が丁寧に書かれている。
いい先生なのだ。知識は豊富だし、質問には丁寧に答えてくれるし。ただ、ちょっと、かなり、性格に難があるだけで。せめてほんの少しだけ───小さじ1杯分だけでも優しさを見せれば、きっと周囲の目も変わるのに。まあ、そんなこと、きっとスネイプ教授だってとっくにわかっているだろうけれど。

レイチェルは魔法薬学が得意だ。そして、魔法薬学が好きだ。
それから、スネイプ教授も結構好きだ。

お砂糖ひとさじで

top


    お返事が早いのはこちら ⇒ Wavebox