10月も中頃に入って来ると、3年生の話題はホグズミード休暇のことで持ち切りだった。
上級生から話は聞いていたけれど、ようやく自分達の足で歩くことができるのだ。どこに行こうか、何を買おうか。口を開けば何かしらホグズミードに関係する言葉が出てくる。
レイチェルも勿論楽しみだ。レイチェルの許可証にはちゃんと母親の筆跡で『ロザリンド・アンチゴーネ・バングズ』とサインがしてある。旧姓のままのペンネームで、しかも随分と気取った筆記体で書かれているのは、どうやら寝ぼけていてサインと間違えたらしかった。
そろそろ学校生活のリズムを取り戻して来た頃だろうと言わんばかりに量を増やされるようになった課題も、ホグズミード休暇のことを考えれば難なく片付けることができる。……嘘だ。本当はちょっと辛い。
とにかく、最近の3年生がホグズミードのことだけを楽しみに過ごしているのは間違いなかった。
「ねえねえ、どうする? どこから回る?」
「パメラったら……いくら退屈でも、授業はちゃんと聞いてるフリだけでもしないとまずいと思うわ」
「……あなた達、静かにして頂戴。先生のお話が聞こえないわ」
ウキウキとガイドブックを捲るパメラに、レイチェルは苦笑した。魔法史の授業は確かに眠くなるけれど、しっかりノートを取らなければ試験前に大変なことになる。セドリックのノートを借りれば何とかなるだろうけれど、クィディッチの練習でレイチェルよりもずっと忙しくて疲れているセドリックに「授業中好き勝手に振る舞った結果ノートを取っていないので見せてください」と頼むのはあまりにも情けないことに思えた。
レイチェルの意見を尊重してか、パメラは授業を受けるフリだけでもしようと思い直したらしい。ガイドブックに教科書を被せて、さも教科書を読んでいるように装ってみせる。あくびを噛み殺しながら、レイチェルは緩慢な動作で羽ペンを動かした。
「レイチェル、貴方のペン、もうインクがついてないわ」
「え」
エリザベスの言葉に手元を見てみると、レイチェルの羽ペンは羊皮紙の表面を軽く擦っているだけで、文字は途中で途切れていた。何を書こうとしていたんだっけ……? 必死に思い出そうと頭を捻ったが、半分眠りかけている脳みそは靄がかかったようにぼんやりしている。エリザベスが呆れたように溜息を吐いた。レイチェルは諦めて羽ペンを机の上へと置いた。今日の授業はもう無理だ。
「……そう言うわけなので、ミスター・ディゴリー、中世の魔女狩りについての魔法史のノートを貸してください。こちらが対価の蛙チョコレートです」
「いいよ。ちょうど今日僕も授業だったから。はい、これ」
「ありがたく頂戴いたします」
深々と頭を下げたレイチェルがおかしかったのか、クスクス笑いながらセドリックは数枚の羊皮紙を渡してくれた。セドリックは字が綺麗だし、見慣れていることもあってレイチェルには読みやすい。要点がスッキリとまとまっているノートはビンズ先生の話よりよっぽどわかりやすくて、できるなら毎週借りたいくらいだ。流石に申し訳なさ過ぎて言い出せないけれど。
「確かに魔女狩りのところは僕もちょっと寝そうだった。内容は面白いけど、ビンズ先生の話し方がああだからね。僕は午前の授業だったけど、レイチェル達は昼食のすぐ後だろう?」
「そうなの。お腹いっぱいで眠くて……エリザベスは魔法史で1度も寝たことないのよ……理解できない」
そう言えば、ハーマイオニーも魔法史はとても興味深いと言っていたことを思い出した。あの2人は案外気が合うかもしれない。エリザベスは図書室よりもレイブンクローの談話室の方が勉強に集中できると言って調べ物以外ではほとんど図書室に来ようしないけれど、今度1回2人を会わせてみるのもいいかもしれない。そんなことを考えていると、薬草学のレポートが終わったらしいセドリックが羊皮紙を丸めながら口を開いた。
「あ、そうだ、レイチェル。ホグズミードどうする?」
「え?」
──── どうするって、何をだろうか。
「私は行くけど」なんて返事をしたレイチェルに、セドリックは「僕ももちろん行くけどね」なんてニッコリ笑ってみせた。「そうじゃなくて」声がどこか弾んでいるのは、セドリックもやっぱりホグズミード休暇が待ち遠しいのだろう。
「ジョン達に、レイチェルと一緒に行かなくていいのかって聞かれたんだ。そう言えば、何も相談してなかったなと思って。レイチェルはどうするつもりだった?」
「あー……私、何も考えてなかった……」
パメラは当然レイチェルが一緒に行くと思っているようだったし、レイチェルもそれに対して異論はなかった。けれど考えてみれば、セドリックとも夏休みにホグズミードに行くのが楽しみだねと言い合っていたのだ。それに、ホグズミードではセドリックの誕生日プレゼントを買うつもりだった。セドリックの好みは大体把握しているつもりだけれど、一緒に選んでもらった方がより確実だろう。
「初めてのホグズミード」は一度きりだ。幼馴染と友人、どちらか一方を選ぶのは難しい。レイチェルの心は揺れた。
「セドはどうしたいの?」
「僕はどっちでもいいんだ。友達と皆で回るのも、レイチェルと二人でも。どっちもそれぞれに楽しそうだしね」
「そうね、私も。……でも、たぶん私とセドじゃ行きたい場所が違うわよね?」
「僕が行きたいのはとりあえずハニーデュークスとゾンコと叫びの屋敷……くらいかな? ホグズミード、正直よくわかってないんだ」
「前におじさんが連れて行ってくれたような記憶はあるけど……小さすぎて覚えてないわ」
まだレイチェル達の年齢が片手で足りるような頃、1度だけエイモスおじさんに連れられてホグズミードに行ったことがある。けれどどんなお店があったかなんて記憶はもうおぼろげだし、それ以降は「ホグワーツに行ってからのお楽しみ」と言って連れて行ってくれなかったので、気持ちの面での話なら今回が初めてと言っていい。
「マダム・パディフットだっけ……? 女の子に人気の可愛いカフェがあるらしくて……あと、雑貨屋さん? に行きたいってパメラが張り切ってたけど……」
「へぇ、そんなのがあるんだ。こっちは箒専門店とか、あと三本の箒って言ってたかな」
「じゃあ、お互い今回は友達と回って、次に行った時にお勧めの場所を教え合う……で、いいかしら?」
「それがいいね。じゃあ、次のホグズミードは2人で行こう」
「決まりね! しっかりチェックしてきてね! 私も頑張って回るから」
そんなわけで、レイチェルとセドリックは最初のホグズミードをそれぞれの友人と過ごすことになった。
待ちに待った土曜日。レイチェル達は興奮しながら城門をくぐり、ホグズミードへと向かった。昼食は上級生が絶賛していた三本の箒だ。3人でそれぞれ違うメニューを頼んでシェアしようとパメラが提案したので、レイチェルはシーフードグラタン、エリザベスは野菜たっぷりのシチューとふわふわの白いパン、パメラはミートドリアを頼んだ。マダム・ロスメルタはレイチェルの母親のファンらしく、3人に名物のバタービールをご馳走してくれた。
「最初見たときは量が多いなと思ったけど、おいしいから案外食べれるわね」
「こんなに食べたらお夕食が入らないかもしれないわ。それに、スカートがきつくなりそう」
「何言ってるのよエリザベス! この後ケーキも食べるのよ!」
「ごめんなさいパメラ、私、無理だわ……」
「前から思ってたけど、エリザベスって小食よね」
しかし、広いホグズミード村を歩き回っていると、レイチェル達は3時ごろにはまたお腹を空かせることになった。
セドリックの誕生日プレゼントを選ぶのに、パメラ達は快く付き合ってくれた。あれでもないこれでもないと言いながら雑貨屋をぐるぐる回って、レイチェルはようやく気に入った贈り物を見つけることができた。金色の星の形をしていて、真ん中に丸い蓋がついている。開けるとマグルのヒットソングが流れるオルゴールだ。蓋にはオレンジや黄色の透明な石が散りばめられていて、色合いがとってもハッフルパフらしかった。
レイチェルも色違いのものを買った。レイチェルのオルゴールは銀色の星で、蓋の石の色は青と水色だ。これもとてもレイブンクローらしい。
今日はまだ色々と買い物があるし、運んでる最中に壊れるといけないの。ふくろう便で送ってもらえるよう手続きしてレイチェルは店を出た。荷物を運ぶことに関しては、レイチェルは自分よりもふくろうを信頼している。
パメラが行きたがっていたマダム・パディフットのお店はピンクとフリルと花柄で埋め尽くされていて、レイチェル達のような女の子のグループか上級生の恋人同士しか居なかった。セドリックと2人で来なくてよかった、とレイチェルはこっそり胸を撫で下ろした。ピンク色のクリームでコーティングされ、たっぷりの苺やラズベリーが飾られた可愛いケーキを3人で分け合って食べて、オリジナルだと言う花の香りの紅茶を飲んで一休みした。
レイチェルはガイドブックをあまり真剣に読んでいなかったので、叫びの屋敷と呼び名かてっきり常に叫び声がしている屋敷だとばかり思っていた。が、実際には少し古くてくたびれているだけで普通の建物に見えたので拍子抜けした。
「いつも叫び声がしたらかえって怖くないわよ!」
マグル生まれのパメラにケラケラ笑われたのでレイチェルは思わず頬を染めた。言われてみればその通りだ。それじゃあグールお化けと変わらない。
ゾンコは上級生から聞いていた通りホグワーツ生でとても混み合っていたし────レイチェルは店の中に赤毛の二人組みをちらっと見た気がしたけれど気のせいだと思いたい────悪戯道具を買うことはエリザベスが強く反対したので、結局行くことはできなかった。その代わりハニーデュークスはたっぷりと時間をかけて回ることができた。
エリザベスがカメラを持っていたので、記念にたくさん写真も撮ったし、レイチェルは大満足だった。
「これがその叫びの屋敷で……こっちが三本の箒。これはホッグズ・ヘッド。生徒が行くのは禁止されてるから外観だけだけど」
「ホグズミードって魔法使いしか居ない村なんでしょう? 私も早く行ってみたいわ」
エリザベスが撮った写真を広げてみせると、ハーマイオニーは好奇心でキラキラと目を輝かせた。特に郵便局のふくろうの写真が気に入ったようだ。でも、ハーマイオニーへのおみやげは写真だけじゃない。レイチェルはニッコリ笑った。近くにマダム・ピンスが見回りに来ていないことを確認して、テーブルの下から大きな包みを出す。
「はい、ハーマイオニー。これおみやげ。ハニーデュークスって言うお菓子屋さんで買ったの」
「わぁ、素敵! ありがとう、レイチェル。でも、なんだかすっごく量が多いわ」
「ちょっと買いすぎちゃったの。欲張りすぎはダメね。まだ部屋にたっぷりあるからもらって」
エリザベスはお嬢様だからお金持ちだし、レイチェルとパメラも割とお小遣いには余裕がある。
すっかりテンションが上がって「全種類買いましょ!」なんて言い出したパメラにレイチェルとエリザベスもうっかり賛成してしまって──────帰り際三人は大きな袋を担ぐことになって、気の早いサンタクロースのようだと同級生達に笑われてしまった。
じゃあそれらしく振舞おうとレイブンクローの下級生達にお菓子を配ったのでだいぶ減ったけれど、それでもまだベッドの上には山積みのお菓子がまだ残っている。
確かに1人ではなかなか食べきれない量だけれど、それならグリフィンドールの友達と一緒に食べてくれればいい。そう言えば、とレイチェルはふと気になっていたことを思い出した。
「ねえ、ハーマイオニー、友達連れて来てもいいのよ?もし私に遠慮してるのなら……」
レイチェルは1度だけエリザベスを連れて来たが────もっともエリザベスは課題に忙しくてあまりハーマイオニーと会話らしい会話はしなかったけれど────ハーマイオニーは図書室に来る時いつも1人だ。もしかして、友達を連れて来るとレイチェルが気を悪くすると思っているのだろうか? 心配になってレイチェルが尋ねると、ハーマイオニーはパッと頬を染めた。
「あっ、その……違うの。私、仲が良い友達が居なくて……」
らしくなく口ごもって、恥ずかしそうに俯くハーマイオニーの言葉に、レイチェルは驚いた。
どうやら、ハーマイオニーは同寮生となじめないらしい。レイチェルは思わず「やっぱりレイブンクローに来ればよかったのに」なんて言いたくなったけれど、口には出さないことにした。言ったところでもう1度組み分けをやり直せるわけではないし、もしもルームメイトともギクシャクしているのだとしたらハーマイオニー自身もそう思っているかもしれないから。まだ入学してすぐだから、ボタンをかけ違えてしまっている部分もあるのかもしれない。思い出してみると、レイチェル達も1年生の頃はそうだった。チョウ達の学年も、1年生の頃は結構ゴタゴタしていたみたいだったし……きっと、時間が解決してくれるはずだ。
こんなに真面目で可愛らしくて、マグルの話だって面白いのに、ハーマイオニーの魅力を知らないなんてもったいない。レイチェルは本気で思う。