新学期が始まって3週間が経った。
最初は浮き足立っていたホグワーツ生達も、少しずつ「ハリー・ポッターが居る」ことに慣れはじめていた。具体的に言えば、廊下で彼を見かけるたびヒソヒソ囁いたり、額の傷をよく見ようとジロジロ視線を向けたりすることも減ってきているように見えた。これで、ようやく平和な日常が戻って来る────かと思っていたら、またしても彼に注目を集めるような大事件が起こった。
あのハリー・ポッターが、1年生なのにクィディッチの選手になったらしい。
「グリフィンドールはポッターをシーカーにした!」
「特別措置だって!」
「100年ぶりらしいぞ!」
誰かを捕まえて詳しく聞き出さなくとも、飛び交う言葉の数々からレイチェルは大体の状況を理解することができた。
ハリー・ポッターのポジションはシーカーで、1年生なのにクィディッチに参加できるのは特別措置が適用されたからで、1年生が選手になるのは100年ぶりらしい。しかも、あの最新型のニンバス2000をマクゴナガル教授がハリーに贈ったと言う。
「マクゴナガル教授が推薦なさるくらいですもの。きっと素晴らしい飛び手に違いないわ」
「ハリーってかなり小柄よね? あんな荒っぽいゲームに放り込んで大丈夫? まあシーカーなら大丈夫か。楽しみね!」
エリザベスは素直に感心しているようだったし、パメラはこのお祭り騒ぎを面白がってるようだった。けれど、レイチェルは正直なところ、感心もできなければ面白いとも思えなかった。
レイチェルはまだハリー・ポッターの箒さばきを見ていない。だからどんなにハリーの飛びっぷりが素晴らしかったか聞かされたところで、頭の中で想像するしかない。「そうなの、すごいわね」なんて無邪気にはしゃぐことはできそうにない。……いや、わかっている。見てないから、なんて言うのは言い訳だ。実際見たところでレイチェルはきっと納得できないだろうから。
セドリックだって、チョウだって、1年生の頃から飛ぶのが上手かったけれど、規則だからと2年生まで待っていた。それなのに、どうしてハリー・ポッターだけがこんなにあっさり許されるのだろう。
素晴らしい飛び手だから? 初めて箒に乗ったのに自在に操ってみせたから? グリフィンドールチームには今シーカーが居ないから?
それもあるだろう。しかし、1番の理由は「彼がハリー・ポッターだから」ではないだろうか。魔法界の英雄だから。元々特別だから。だから少しくらい特別扱いしたとしても、皆仕方がないと納得するから。
実際、「生き残った男の子なのだからきっとグリフィンドールを優勝に導くに違いない」とか、「やせっぽちの小さな1年生なんてブラっジャーに当たって箒から落っこちるに違いない」とか────皆好き勝手なことを言って騒いでいるけれど、誰も1年生がクィディッチ選手になることに対して反感を抱いてはいないようだった。もしも2年前に、セドリックに同じように特別措置が適用されたとしたら、皆こんな風な反応を示しただろうか。いや、きっと違っただろう。どうして1年生がと陰口を叩かれたりしたはずだ。
生き残った男の子、ハリー・ポッター。魔法界の英雄。今度は100年ぶりに選ばれた、最年少のシーカー。
皆、ハリーを持てはやし過ぎているような気がする。誰も、ハリーが普通に、ただのホグワーツ生の1人として過ごせるようにしてあげようなんて考えていない。どこに行くにも、ポッターポッターと囁き声や好奇の視線が付きまとう。今回のことにしたって、まるで英雄なのだから特別扱いすることが当然なのだと言わんばかりだ。
散々持てはやして、期待して、もしもハリー・ポッターが何か失敗したらどうするのだろう? たとえば、試合中に箒から落ちたりしたら。手の平を返したように、裏切られた失望したと言い始めるんじゃないだろうか?
ハリー・ポッターは確かに他の1年生よりもずっと有名で、かつて他の誰にもできなかった偉大なことを成し遂げた。それは確かだけれど、ハリーだってホグワーツの1年生には違いないのだ。特別扱いせず、他の1年生と同じように扱ってあげてほしい。
今回のことについて不満はあるけれど、それはハリー・ポッターに対するものじゃない。レイチェルが怒っているのは、ハリー・ポッターが特別扱いされることじゃない。特別扱いする周りの方だ。
ハリー・ポッターには何の責任もない。むしろ、四六時中英雄だからとジロジロ見られるのは居心地が悪いだろうし、無責任に過度な期待を向けられるのだって気の毒だ。彼はまだほとんど呪文も習ってない、小さな1年生なのに。
少なくともレイチェルは、その時まではそう思っていた。
「あら、レイチェルじゃない!」
図書室に向かおうと中庭を歩いていると、レイチェルは誰かに呼び止められた。声のする方を振り向くと、そこには真紅のネクタイをした少女が2人、レイチェルに向かって手を振っていた。先学期ぶりに会う友人の姿にレイチェルはパッと顔を輝かせて、2人の元へと駆け寄った。
「アンジェリーナ! アリシア! 久しぶり!」
「久しぶりね、レイチェル! 中々会えなくて寂しかったわ!」
「グリフィンドールとレイブンクローはほとんど合同授業がないもの」
「残念よ!何とかならないかしら!」
「あ、でもそうするとハッフルパフがスリザリンの合同が増えるのよね……それはちょっと大変そう」
「ウィーズリーズとはマグル学で一緒だけど……」
「聞いたわ! 授業内容も面白いって! 私もマグル学を取ればよかった!」
「OWL以降は、もっと少人数制のクラスになるから全部の寮が一緒になるって先輩が言ってたよ」
「うーん…OWLは嫌だけど……アンジェリーナ達と一緒の授業は楽しみ」
夏休みやここ最近のことについておしゃべりしていると、突然アンジェリーナが誰かに気がついたように手を振った。
「ハイ、ハリー!」
レイチェルもつられて振り向く。そこにはハリー・ポッターが歩いていた。ちょうど近くを通りかかったらしい。アンジェリーナの手招きに戸惑ったような顔でこちらへと近づいて来るハリーを示して、アリシアが誇らしげに胸を張った。そう言えば、この2人もグリフィンドールのチェイサーだ。
「もう噂で知ってるでしょ?グリフィンドールの新人シーカーよ」
「ウッドは極秘って言ってたのに……一体どこから漏れるのかしら」
「聞いたわ。100年来なんでしょ?」
間近で見るハリーはやっぱり小さくて痩せている。けれど、以前ダイアゴン横丁で会ったときよりも血色が良いように見えて、レイチェルは少しホッとした。あのぶかぶかのシャツも着ていない。
「ハリーはすごいのよ! つい最近、箒に初めて触ったって言うの。それなのに、私達よりずっと飛ぶのが上手いのよ!」
それも聞いた。目をキラキラさせているアリシアに、レイチェルは曖昧に笑みを浮かべてみせた。アリシアがここまで言うのなら、確かにすごく上手いのだろう。けれど、だからって1年生なのに無理矢理抜擢しなくったって……皆と同じように、2年生から選手にしたっていいはずだ。
「そう言えば、どうしてマクゴナガル教授がシーカーに推薦したのか、私、知らないわ」
マクゴナガル教授が意外とクィディッチに情熱的なことは有名だけれど……あの規則に厳しいマクゴナガル教授が、それを捻じ曲げようと思うほど熱狂するなんて。一体何がそうさせたのだろうか。レイチェルにはそれが不思議だった。
レイチェルだって飛行訓練の授業は受けたことがある。けれど、クィディッチのミニゲームをやってみるのなんてイースター休暇よりも先のことで、この時期はまだせいぜい箒に乗って真っ直ぐゆっくり進むくらいしか習わないはずだ。箒を地面から上げるだけの動作だって、初めての子とそうじゃない子では多少の違いは出るけれど、まだそんなに才能の差なんてわかるはずがない内容なのに。
「マルフォイの奴がネビルの思い出し玉を取っちゃったのよ。で、こう、空中に放り投げたんだけど、ハリーがそれをキャッチしたときのスーパーダイビングがマクゴナガルの目に止まったってわけ」
「……それ、フーチ先生は止めなかったの?」
「居なかったのよ、怪我したネビルを医務室に連れて行ってたから。いくらマルフォイでも先生が見てる前ではそんなことできないわよ。度胸ないもの」
状況は大体わかった。つまり、ハリー・ポッターの才能が見出されたのは授業内容とはまるで関係がないアクシデントで、そこをたまたまマクゴナガル教授が見ていたのだろう。たまたま彼に箒の才能があったから大怪我をせずに済んだのだろうけれど、ものすごく危険な行為だ。生まれて初めて箒に触ったのに、そんな無茶をするなんて。レイチェルには信じられない。先生も居ないのに箒に勝手に乗るなんて、1歩間違えれば首の骨を折っていたのかもしれないのに。いくらなんでも無謀すぎる。
「だからマルフォイのおかげなのよね、ハリー」
「スリザリンの奴ら、自分で自分の首を絞めたんだもの。いい気味だわ」
「まぁね。マルフォイがあんなことしなくちゃ、僕はクィディッチの選手にはなれなかったし」
アンジェリーナ達が冗談めかして言うと、ハリー・ポッターもニヤッと笑ってみせた。
そんな彼らのやり取りを、レイチェルは黙って聞いていた。胸の中にモヤモヤしたものが広がっていくのがわかる。目の前で楽しそうにクィディッチの話をしている少年は、ダイアゴン横丁でレイチェルが会ったあの心細そうにしていた少年とは別の人間に思えた。
……ふぅん。先生の言いつけを破ってご褒美を貰ったって思ってるんだ。ふぅん、そうなんだ。まるで反省もしてないのね。
レイチェルは自分の心配が、どうやら余計なお世話だったことを知った。
生き残った男の子、ハリー・ポッター。魔法界の英雄。誰もが彼を特別扱いしたがって、そっとしておいてあげない。けれど、それを本人が喜んでいるのだとしたら、同情する必要なんてどこにあるのだろうか!
「……そうなの。おめでとう、すごいわね」
心にもない言葉だったけれど、レイチェルはニッコリ笑みを浮かべてみせることができた。そして、そんな自分を、少し褒めてあげたいと思った。
グリフィンドールチームはこれからクィディッチの練習があるらしい。アンジェリーナ達は見学に来たらどうかと言ってくれたけれど、レイチェルはその誘いを断った。それ以上その場に居ると、不機嫌が表情にまで出て来てしまいそうだったからだ。
「どうしたのレイチェル、何かあった?」
セドリックは図書室に居た。どうやら、今日はハッフルパフのクィディッチの練習はないらしい。上手く隠したつもりだったレイチェルの不機嫌の虫は、セドリックには簡単に気づかれてしまったようだった。
幼馴染の顔を見てたことで少し気分は落ち着いたけれど、すぐに図書室に来たのは今日に限っては間違いだったと気づいた。図書室の窓からはクィディッチの競技場が見えるのだ。
「セドだって、1年生の頃からあれくらい飛べたのに」
少し距離は離れているけれど、ふざけてくるくるターンをしている赤毛の二人がフレッドとジョージで、そして一際小柄な黒髪の人影がハリー・ポッターだろうと察しはつく。確かに上手いけれど……本当に、規則まで捻じ曲げるほど飛び抜けて才能があるのだろうか?
頬杖をついて窓の外を睨みつけながらレイチェルが呟くと、セドリックが困った顔で眉を下げた。
「落ち着いてレイチェル……ハリーは凄い飛び手だよ」
「だって……」
周囲がハリー・ポッターを特別扱いするのは、ハリー・ポッターのせいじゃない。ハリーがそうしてほしいと頼んだわけじゃない。わかっている。
けれど、ハリー・ポッターがそれを喜んで受け入れているのだとしたら、やっぱりレイチェルは許せない。どれだけ飛ぶのが上手くたって、1年生はクィディッチには出れない決まりなのだ。何だか、セドリックやチョウの努力が踏みにじられてしまったような気がした。
「でも、本当についこの間初めて箒に乗ったんだとしたら、すごく上手いよ」
僕は小さい頃からおもちゃの箒に乗ってたからね、とセドリックが苦笑する。そうしてまたセドリックはレポートへと視線を戻した。レイチェルも変身術の課題を進めなければいけない。羽根ペンを手に取ったものの、何を書いていいかわからずに、ぽたりとインクがペン先から落ちた。真っ白な羊皮紙にできた小さな黒い染みは、まるで今のレイチェルの心のようだ。
「ずるいって、思わないの。セドだって本当は、1年生の時からクィディッチの選手になりたいって憧れてたでしょう」
「思わないよ」
セドリックの口調は強がりでも何でもなく、本当にそう思っているようだった。セドリックの羽根ペンがすらすらと淀みなく文字を綴っていくのを見つめながら、レイチェルは長い溜息を吐いた。
「……セドは本当、お利口さんなんだから」
セドリックが何にも気にしてないみたいに穏やかに笑うから、レイチェルは怒っている自分が馬鹿みたいに思えてくる。
ハリー・ポッターはすごいと素直に思えないのは、レイチェルの心が狭いからなのだろうか。レイチェルが捻くれているからなのだろうか。レイチェルがおかしいのだろうか。レイチェルが嫌な子だからなのだろうか。
セドリックもチョウも、素直にすごいことだと笑っている。同じクィディッチチームのアンジェリーナ達だって、嬉しそうだった。彼らが怒っていないのに、無関係のレイチェルが怒るなんて変だ。けれどどうしようもなく、悔しいのだ。どうして、ハリー・ポッターだけ特別扱いされるのだろう。セドだって、上手いのに。セドの方が、頑張ったのに。
喉のところにせり上がって来る言葉を飲み込んで俯くと、セドリックの手がレイチェルの髪をそっと撫でた。
「だってレイチェルが僕のために怒ってくれてるから、僕が怒る必要はないよ」
ありがとうと綺麗に笑うセドリックに、レイチェルはどうしようもなく泣きたくなった。目頭がじわじわと熱くなる。
どうしてセドリックはこうなんだろう。レイチェルは膝の上でぎゅっとスカートを握り締める。
いい子のセドリック、悪い子のレイチェル。小さい頃からいつもそう。けれど、セドリックの手にかかれば、レイチェルもいい子に変わってしまう。レイチェルも優しくて素敵な女の子なのだと、魔法をかけてくれる。
魔法界を救った英雄じゃない。100年ぶりの特別な最年少のシーカーでもない。
けれど、セドリック・ディゴリーはレイチェルにとってたった一人の特別で、誰よりも優しいヒーローだ。