「初日から魔法薬学なんて最っ低!」
「そう? まあ……スネイプ教授のしかめっ面は、新学期の幕開けとして清々しくはないかもしれないけど……」
「清々しくないどころじゃないわよ。レイチェルは魔法薬学が得意だからそんな風に呑気にしてられるの!」

時間割を睨みつけてウンザリした表情のパメラにレイチェルがそう返せば、パメラはキッと眉目を吊り上げた。エリザベスも気が滅入っているらしく、ボウルの中のオートミールはさっきからスプーンの先でつつくばかりでちっとも減っていない。
確かに、レイチェルは魔法薬学が得意だ。料理と似ていて楽しいと思う。いつもおばさんにレイチェルの分まで食事を作ってもらうのが申し訳なくてお手伝いするうちに料理を教えてもらうようになったが、中でもレイチェルはお菓子作りが好きだ。おばさんもお菓子作りが得意だけれど、時間が空いた時でないとなかなか作れない。だからレイチェルがスコーンやクッキーを焼いて振る舞うと、おじさんやおばさんはとても喜んでくれる。材料をきっかり量って手順通りに混ぜ合わせていくところなんかは、お菓子作りと魔法薬の調合はそっくりだと思う。
魔法薬を調合する基本は「素早く、正確に」だけれど、エリザベスは「素早く」、パメラは「正確に」が苦手だ。エリザベスは慎重すぎて材料を入れるタイミングを逃してしまうし、パメラは材料を大雑把に計るせいで上手くいかない。それくらい本人達だってとっくに自覚しているのだけれど、こればかりは向き不向き……と言うか、当人の性格の問題なのかもしれない。

「じゃあまたね、エリザベス、パメラ」
「ええ、またあとで」

レイチェルの最初の授業はマグル学だったので、占い学を選択しているエリザベス達とは大広間で別れることになった。実を言うと、マグル学はレイチェルが1番楽しみにしていた授業だった。小さい頃から興味を持っていたマグルの文化について、ようやく専門家から体系的に学ぶことができるのだ。
初めて足を踏み入れたマグル学の教室は、レイチェルが今まで見て来た教室の中でもひときわ風変わりな教室だった。壁一面に沿ってレイチェルの見たことの無い道具────おそらくはマグル製品────が所狭しと並べられている。壁には絵や写真が飾られていたけれど、うんともすんとも動かなかった。そう言えば、マグルの写真は動かないんだっけ。

「おはよう、レイチェル
「おはよう、セド」

教室は広いけれど、生徒はまだまばらにしか居ない。真ん中くらいの席を選んで荷物を置いていると、扉からセドリックが入って来た。どうやらセドリックも1人らしいので、レイチェルは1つ席を詰めてセドリックの分を空ける。セドリックは「ありがとう」とレイチェルに笑いかけると、興味深そうに教室の中を見渡した。

「不思議な部屋よね」
「本当だね。あれ、何だろう?」

そう言ってセドリックは、すぐ側の壁に立てかけられている水色のマグル製品を指差した。リクガメの甲羅くらいの大きさだ。丸っこいフォルムはつるりと滑らかで、小さな車輪がついている。そして、レイチェルの腕くらいの太さの長いホースのようなものが伸びていた。ホースの先にはカトラリーケースくらいの大きさの平べったくて四角いものが付いている。それが掃除機だなんて知らないレイチェルは「さあ」と肩を竦める。

「去年まではクィレル教授がこの授業を担当してたんでしょ? でも、クィレル教授って防衛術に移っちゃったし、誰か別の先生が教えるのかしら」
「チャリティ・バーベッジ教授だって。ここ数年間はマグルの村で暮らしてたらしいよ」
「そうなの? すごい! あ、そうだ。セド、これ食べる?」
「もらうよ。ありがとう」

朝一番の授業はまだ脳みそがいまひとつ覚醒していない。眠気覚ましに持ち歩いているペパーミントのラムネをレイチェルが差し出したけれど、ちょうどインク壺の蓋を開けていたセドリックは受け取ることができなかった。仕方がないのでそのままレイチェルがセドリックにラムネを食べさせていると、背後から冷やかすような口笛が聞こえた。

「やぁお二人さん、朝からお熱いことで!」
「見せつけてくれるね。俺達もイチャつくか、ジョージ」
「おいおい、冗談やめろよフレッド。自分と同じ顔にキスする趣味はないぜ」

台風のようにやって来たのは勿論、双子のウィーズリーだ。どうやら右がフレッドで左がジョージらしいことは会話からわかったけれど、だからと言って2人を見分けたいと望んでいないレイチェルには特に感慨もない。意に反して教室中の視線を集めてしまったことに、レイチェルは深く溜息を吐いた。

「……どうして貴方達がここに居るの」

言いながら、マグル学の授業は人数が少ないから全部の寮が合同だったことをレイチェルは思い出した。とは言ってもスリザリンの生徒はマグル学を取らないから、実質3寮合同なだけなのだけれど。マグル生まれの魔法使いはわざわざこの科目を取らないし、占い学や数占い学と時間が同じなので、ほとんどの生徒はそっちに流れてしまう。

「俺達がここに居るのが不思議だって?」
「俺達の親愛なる親父殿が何の仕事をしているか、忘れてもらっちゃ困るぜレイチェル

双子の父親であるアーサー・ウィーズリー氏は、魔法省の中でもマグル製品不正使用取締局に勤めていて、そして大のマグル好き────そう言えば、エイモスおじさんに聞いたことがある。レイチェルはなるほどと納得したものの、同時に早くも不安になった。1年間も双子と一緒に授業を受けるだなんて、嫌な予感しかしない。この授業の中でも、一体どんな騒ぎを起こすつもりなのだろう。想像したくない。
レイチェルがガックリと肩を落としていると、コツコツと足音がした。扉から入って来た藍色のローブを着た魔女が、教壇に向かって歩いて行く。チャリティ・バーベッジ教授だ。

「皆さん、おはよう。今年度からマグル学の教授に就任することになった、チャリティ・バーベッジです。まず授業を始める前に、一言皆さんに言っておきたいことがあります」

バーベッジ教授は、おじさんやおばさん、それからレイチェルの母親よりも少し年上に見える。レイチェル達から見れば面白そうなものがいっぱいのこの教室とはちぐはぐに、その表情は厳しい。けれどレイチェルは、ローブの下から覗いている教授のブーツがマグルの革製品であることに気づいた。さすが、マグル学の先生だ。レイチェルのこの授業に対する期待は高まった。

「魔法使いもマグルも、それほど違いはありません。同じ人間です! 私のこの言葉に反感を抱いた生徒は、この教室から出ていって結構! 今日中なら別の科目を選択し直せるよう、ダンブルドア校長に話はつけてあります」

教室の中はしんと静まり返ったけれど、立ち上がった生徒は誰も居なかった。
「よろしい」バーベッジ教授がニッコリした。
そうして授業が始まったが、バーベッジ教授は他の授業のように杖で黒板に文字を書こうとはしなかった。何でもこの授業は魔法を使わず、マグル式でやるらしい。
クラスに居る全員に、薄い冊子が配られた。バーベッジ教授がマグルの文房具店で買って来たものらしい。触り心地は羊皮紙よりもずっと薄く、つるつるしている。マグルが使う紙だと言うそれは羊皮紙よりもずっと素晴らしいものに思えて、レイチェルは感動した。続いて配られたのは、何か細い筒のようなものだった。マグルが使うペンで、ボールペンと呼ばれているものらしい。お尻の部分を押すとペン先が出て来て、インクもつけていないのにすらすらと文字が書ける。この授業の時はノートとボールペンを使うように指示された。どう言う仕組みになっているのだろうとひっくり返したり中を覗きこんでみたりしたが、レイチェルにはよくわからなかった。昼食の時間にパメラに聞こう、と決意する。

「マグルは魔法が使えない代わりに、優れた技術を生み出しています。代表的な物が、電気と呼ばれるものです。魔法で光を灯すことができないマグルは、電気によって暗闇を克服しました。ここにマグルの使う電気のスイッチがありますが、このスイッチを一つ押すだけで明かりが点く方法をマグルは発明したのです。電気は単に室内を明るくするだけでなく、マグルの生活の至る所で応用されています。たとえば、私達は果物や肉を保存するのに冷却魔法を使っていますが、マグルはこれも電気によって冷やしているのです。これがその食材を冷やす道具で、冷蔵庫と呼ばれます。決して特別なものではなく、マグルの家庭では普及している一般的な物で────」

教室の前方に置かれている白い大きな箱のようなものは、冷蔵庫と言うらしい。ホグワーツではマグルの道具が使えないから今はただの箱だけれど、本当ならこの中に食材を入れておきさえすれば冷やすことができるのだと説明された。レイチェルはてっきりクローゼットの一種か何かかと思っていたので、やはりまだマグルの常識を知らないのだと反省した。セドリックに叱られた通り、マグルの町に行くのはまだ早かったのかもしれない。もしもあのスティーブと言う少年が家に招待してくれて、レイチェルが冷蔵庫に洋服を入れようとしたりしたら、きっと奇妙な子だと思われてしまっただろう。
けれど、きっと1年間マグル学を勉強すれば、マグルの常識も身に付いて、ずっとマグルらしく振る舞うことができるだろう。そう思い直して、レイチェルはボールペンをしっかりと握り直した。

 

 

「マグルが使う電気を使った製品のリストを作って来ることが宿題です。今日授業で取り上げたものを含んでも結構です。名前と使用する目的を最低でも20個挙げて来てください。本で調べても構いませんし、マグル生まれの友人に聞いても構いません」

電話、地下鉄など、レイチェルが不思議に思っていたものは次々とバーベッジ教授の手によって解明されていった。パメラに色々と聞いてみたこともあったけれど、元々マグルの世界で生まれ育ったパメラには「どうしてレイチェルが不思議に思うのか」が不思議らしく、話はいつも平行線を辿ってしまう。
もう授業が終わってしまった、とレイチェルは残念に思った。新学期最初の授業としては、とても満足いく結果だったと言っていい。エリザベスやパメラの占い学はどうだったのだろうか。
学期の終わりには、移動キーを使ってバーベッジ教授が実際に住んでいたマグルの家に行くらしい。実際にマグル製品を使ってみることができると聞いて、レイチェルはワクワクした。

「すっごく面白かった!」
「それにわかりやすかったしね」
「この間のマグルの男の子がくれたもの、あれ、きっと冷蔵箱で冷やしたものだったのね!」
「冷蔵庫だよ、レイチェル
「そうだった。マグルの言葉ってややこしいわ」

セドリックもどうやらマグル学を楽しむことができたらしい。最後の方では、テレビの名称を言い当ててハッフルパフに5点加点されていた。レイチェルを迎えに来る以外にはマグルの村に足を踏み入れたことがないくせに、レイチェルよりもマグルについて詳しいなんてどう言う事なのだろう。実はレイチェルを出し抜いて、こっそりオッタリー・セント・キャッチポールに行っていたのかもしれない。……いや、セドリックに限ってそれはない。セドリックはひたすらに勤勉なのだ。
そう言えば、 レイチェルとセドリックが慣れないボールペンで熱心にノートを取る後ろで、双子は何やら悪戯の相談をひそひそと囁き合っていた。彼らは何のためにあの授業を取ったのだろうか。

「私は次、呪文学だけど……セドは?」
「僕は闇の魔術に対する防衛術だ」
「クィレル教授ね。後でどんなだったか教えて」

なぜだか毎年先生が去っていくせいで、闇の魔術に対する防衛術は呪われているなんて噂されている。その噂の真偽はレイチェルにはわからないけれど、授業内容に一貫性がなくなるので迷惑していることは確かだった。クィレル教授の顔は知っているけれど、これまで授業を受けたことはない。楽しみが半分、不安が半分だ。呪文学と防衛術の教室は近くにあるので、レイチェルとセドリックは他愛ないおしゃべりをしながら廊下を歩いていた。

「見ろよ。ハリー・ポッターだ」

そんな誰かの囁きにつられて視線を向けると、確かにそこにはハリー・ポッターらしき黒髪の少年の姿があった。隣を歩いている赤毛の少年はたぶん双子の弟だし、間違いないだろう。
レイチェルはまだ、あのダイアゴン横丁の少年が魔法界の英雄だったと言う事実が信じられない。学校が始まったらまた会えるだろうと楽しみにしていたのだけれど、この分だと近づくことすら難しいかもしれない。

「まだ学校にも慣れていないのに、あんなにジロジロ見られたらやりにくいだろうな」

心配そうな口調で呟いたセドリックに、レイチェルも全くその通りだと頷いた。遠巻きに見えるハリー・ポッターは自信なさげで、萎縮しているようにも見える。授業に遅れそうなのか、小さな後ろ姿は慌てた様子で廊下の先へと消えていった。

 

 

「本っ当、信じられない……最っ低……」

呪文学の教室にやって来たパメラは、明らかに機嫌が悪かった。いつも陽気なパメラがこんなに不機嫌になるのは珍しい。パメラの後ろでは、エリザベスが困った顔でオロオロしている。ドスンと勢いよく鞄を机に叩きつけたパメラにレイチェルがどうしたのか尋ねると、パメラは勢いよくこっちを振り向いた。

「聞いてよレイチェル! あの先生、私が死ぬなんて言うのよ!」
「え?パメラが? どうして?」
「知らないわよ!」

あの先生、と言うのはたぶん占い学の教授だろう。レイチェルはまだ一度も顔を見たことがないけれど。その教授がパメラに死ぬと言ったらしい。一体どうしてそうなったのか、占い学の授業に出ていないレイチェルには何が何だかわからなかった。レイチェルの目には、パメラはこの上なく健康そうに見える。
経緯はわからないものの、パメラが苛立っている理由には納得がいった。新学期最初の授業で「あなた、近いうちに死にますよ」なんて宣言されたら誰だって気分を悪くするだろう。

「占いって悪いことは言っちゃいけないのよ! あの先生、絶対インチキだわ!」
「言いすぎだわ、パメラ……」
「何よ、エリザベス!じゃああの先生の言う通り私が今年中に死ぬって言いたいわけ!」
「違うわ……そんなつもりじゃないけれど……」

パメラに言わせると、占い学の授業は「インチキ婆さんがトンチキなことばかり言うホグワーツでも最も無益な授業」だったらしい。しかし、エリザベスはどうやら才能があると褒められて満更でもないらしく、占い学と言う科目に対する2人の意見は大きく食い違ったようだった。今からでも数占い学に変えてもらえないだろうかと嘆いていたパメラは、午後の魔法薬学ではライラック色になるはずの薬をショッキングピンクに変えて10点も減点され、最悪な1日だったとベッドでふてくされていた。

「まあでも、ハリー・ポッターよりはマシかもね」

パメラがそう言って自嘲気味に笑ってみせた。今朝、ハリー・ポッターは早速立ち入り禁止の廊下に迷い込んでしまったらしく、しかもそれをフィルチに見つかってしまったらしい。地下牢に入れると脅している怒鳴り声を上級生が聞いたそうだ。どうしてレイチェルがそんなこと知っているかと言うと、夕食の席で噂を聞かされたからだ。レイチェル達にその噂を聞かせたのはロジャーだけれど、どうやらロジャーも他の誰かから聞いたようだった。たぶん、ホグワーツ生のほとんどはもう知っているだろう。

あっちへ行ってもヒソヒソ、こっちへ行ってもヒソヒソ。自分の見えない所で話をされるのって気分がいいものじゃない。
レイチェルはつくづくハリー・ポッターに同情する。

新学期最初の日

top


    お返事が早いのはこちら ⇒ Wavebox