「行ってらっしゃい、セド、レイチェル!」
「勉強は心配してないが、体には気を付けるんだぞ」
宿題をしたり、セドリックのクィディッチの練習に付き合ったりしているうちに8月はあっと言う間に過ぎた。
混雑したプラットホームでは、深紅の機関車が蒸気を上げている。おじさんとおばさんに見送られて、レイチェル達はホグワーツ特急へと乗り込んだ。学用品が詰まった重いトランクは、セドリックがレイチェルの分まで引き上げてくれた。それだけでなく、新入生の知らない男の子を手伝ってあげていた。相変わらず親切、とレイチェルは小さく息を吐く。そう言えばレイチェルが親切にしそこなったあの男の子も、この汽車に乗っているはずだ。「ありがとう」とはにかんでコンパートメントを探しに駆けていく小さな背中を見送りながら、レイチェルはそんなことを思った。
「私達も席を探さなくっちゃ。パメラやエリザベスはどこかしら? 一緒に乗る約束をしてるんだけど……」
「ジョン達も見当たらないな……混んでるから、6人のコンパートメントを取るのは難しいかな。分かれて乗ろうか?」
「そうね。その方がいいかも。じゃあセド、また学校でね」
そんなわけで、セドリックとは通路の途中で反対側に別れることにした。ガラゴロとトランクを引きながら通路を進んでみるが、近くのコンパートメントは既に埋まってしまっている。もう少し早く来ればよかった、とレイチェルは小さな溜息をついた。けれど、しばらくして無事に4人掛けのコンパートメントを見つけることができた。空いたスペースにトランクを押し込んでいると、通路の向こう側から淡い色のワンピースを着た少女が歩いて来るのが見えた。見知った友人の姿に、レイチェルはドアから身を乗り出して手を振った。
「エリザベス! こっちよ!」
「久しぶりね、レイチェル! 会いたかったわ。少し日焼けしたかしら?」
「セドのクィディッチの練習に毎日付き合ってたの……来る途中でパメラを見なかった? そろそろ時間なのに、見当たらなくて」
1人はこのエリザベス・プライス。代々レイブンクローの純血家系であるプライス家の出身で、黒い巻き毛で睫毛が長くて濃い、レイチェル達の学年でも指折りの美人だ。
「あー、もう、ギリギリ! 乗り遅れるかと思っちゃった!」
「パメラ」
そしてもう1人が、たった今慌てて汽車の中へ駆けこんできた少女だ。パメラ・ジョーンズと言って、マグル生まれの魔女。腰まである長いブロンドの髪と明るいブルーの目が自慢で、スタイルがとてもいい。
「道がすっごく混んでたの。渋滞につかまってちっとも動かなくって……途中から車を降りてトランク引きずってきたのよ! ありえない! って言っても……あなた達2人とも車なんて乗らないからわからないわよね」
「私はお父様の車で送って頂いたけれど……ジュウタイって何? マグルの道ってどうしてあんなに混んでいるの?」
不思議そうに首を傾げるエリザベスに、パメラは疲れた様子でがっくりと肩を落とした。レイチェルは2人のやり取りを黙って聞いていたが、実のところレイチェルにも車はわかるが渋滞はわからない。つかまる、と言うことは渋滞って何か車を追いかけてきて捕獲するようなものなのだろうか?
久しぶりのおしゃべりに花を咲かせていると、ジリジリとベルが鳴った。汽車が動き出したのだ。窓の外に流れていくプラットホームにおじさんとおばさんの姿が見えたので、レイチェルは大きく手を振った。次に会うのはクリスマス休暇だ。
「ねえレイチェル、宿題はどう? 私、変身術のレポートが不安なの。」
「あーもうやめましょ、まだ学期が始まってもいないのに勉強の話は!」
不安そうに眉を下げるエリザベスの言葉を遮って、パメラがウンザリした顔で椅子に倒れ込む。レイチェルもパメラの意見に賛成だった。エリザベスはいかにもレイブンクローらしく勤勉だが、レイチェルはまだ授業が始まってもいないのに勉強のことは考えたくない。
パメラはハンドバッグの中からマグルの店で買ったらしいマニキュアを取り出し、真剣な顔で爪に塗り始めた。金色のラメの入った濃いピンクのマニキュアは、とても鮮やかで綺麗な色だ。その様子を眺めていると、パメラが顔を上げてレイチェルを見た。
「レイチェルも塗ってあげましょうか?」
「私はいいわ。でも、今度休日に借りてもいい?」
「勿論よ」
そしてまた爪へと視線を戻す。パメラがこうなると3人でおしゃべりなんてできない。レイチェルも売店で買ったザ・クィブラーを読むことに決めた。レイブンクロー生にはくだらないと馬鹿にする生徒も多いけれど、レイチェルはこの雑誌が結構好きだ。突拍子もない奇想天外な話は信憑性はともかく、読み物として面白い。2人に宿題の話をする気がないことを感じ取ったのか、エリザベスは上品な溜息を吐いた。どうやら、1人でレポートとにらめっこすることに決めたらしい。
そうしてそれぞれで思い思いに時間を過ごしていると、ガラリとコンパートメントのドアが開いた。
「聞いたかい、お嬢さん方!!」
「今、このホグワーツ特急はある噂で持ちきりだ!!」
ひょっこり顔を覗かせた二人は、ウィーズリーの双子だ。レイチェル達とは違ってグリフィンドール生だけれど、同学年だから名前と顔は知っている。そうでなくてもこの双子は有名人だ。どちらがフレッドでどちらがジョージかレイチェルには見分けがつかないものの、どっちにしても厄介なことだけは確かだった。入学したばかりの頃、双子の掘った落とし穴に引っ掛けられたことをレイチェルは忘れていない。
「噂って何なの?」
この双子が楽しそうにしているなんて、とんでもないことに違いない。この2人の言う「素ン晴らしいこと」と言うのは、レイチェルに言わせれば大抵「ロクでもないこと」だ。遠巻きに見ている分には笑っていられるけれど、自分が巻き込まれるのは遠慮したい。警戒しながら レイチェルが尋ねると、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに双子はニンマリ笑ってみせた。
「「この3つ先のコンパートメントに、ハリー・ポッターが居る!!」」
「えっ凄い! 本当なの?」
芝居がかった仕草で言われた言葉に、双子が満足いくだろう反応を返したのは、このコンパートメントの中ではエリザベスだけだった。マニキュアを塗るのに真剣なパメラはそもそも双子の話を聞いていなかったし、レイチェルは2、3度瞬きをしてザ・クィブラーへと視線を戻した。どうやらこの記事によると、水中人は宇宙から来たらしい。
「……居て当然でしょ。1人だけ特別待遇でホグワーツに向かうって言われたらびっくりよ」
いくら全校生徒が知っている有名人だと言っても、ハリー・ポッターだって新入生の1人には変わりないのだ。たとえば1人だけ箒に乗ってホグワーツに向かうとか、馬車が迎えに来るなんてありえない。ホグワーツ生ならば、ホグワーツ特急に乗っているに決まっている。レイチェルの反応が不満だったのか、「それだけかい?」と双子のどちらかが拍子抜けしたように呟いたけれど、聞こえなかったフリをした。
レイチェルが雑誌のページを捲っていると、コンコンと開きっぱなしのドアの代わりにガラスを叩く音がした。
「あの、ごめんなさい……ヒキガエルを見ませんでしたか? ネビルのが居なくなって……」
「ヒキガエル?」
上級生がたくさん居て驚いたのだろう。元々ここは4人用のコンパートメントなのだ。可愛らしい栗色の髪の女の子が遠慮がちに口にした言葉に、レイチェルは首を傾げた。足元をぐるりと見回してみるけれど、ヒキガエルは隠れて居そうにない。エリザベスも見ていないと首を横に振っている。レイチェルよりも小柄な女の子は、たぶん新入生だ。知り合って間もない子のペットを探してあげるなんて、きっと親切な子なのだろう。レイチェルは怖がらせないよう、できるだけ優しい声を出した。
「ここには居ないと思うけど……列車の中を全部探すつもりだったら、先に着替えた方がいいと思うわ。ホグワーツに着く前には、皆制服に着替えることになってるの」
「そうします。ありがとう」
はきはきと喋る女の子に、レイチェルは随分しっかりした子だなと感心した。レイチェルが1年生の頃は、上級生に囲まれてこんなに堂々としているなんてできそうになかった。……訂正、今も無理かもしれない。利発そうだし、レイブンクローに入ってくれないだろうか。レイチェルは去っていく女の子の後姿を見ながらそう思った。
「おい聞いたか、相棒」
「聞いたさ、俺達のビッグニュースには眉ひとつ動かさなかったのにな」
「……何が言いたいの」
さっきから黙っていた双子が、聞えよがしにヒソヒソと囁き合う。レイチェルが眉を寄せると、双子は大げさに肩を竦めてみせた。その動作のタイミングも角度もぴったり揃っているところは、さすが双子だと感心するべきかもしれない。
「ハリー・ポッターよりもヒキガエルに驚くなんて!」
「君って本当変わってるよ、レイチェル!」
この2人にだけは言われたくない。少なくともレイチェルは双子のように廊下で花火を爆発させたり、ハグリッドの飼っているニワトリを全部ピンク色に変えたことはない。セドリックほどではないけれど、自分は至って普通の真面目な学生だとレイチェルは思っている。心外だと顔を顰めながら、レイチェルは2人の背中を押して、コンパートメントの外へと押し出した。
「ほら、もう出て行って。私達も着替えるんだから」
「そりゃ失礼」
「じゃあまたな、レイチェル!」
できれば「また」は来なくていいとレイチェルは思った。今までのレイチェルの経験では、レイチェルと双子が顔を合わせるのは決まって双子が何か「やらかして」いる時だ。エリザベスは2人がレイチェルの友人だと勘違いしているようだけれど、レイチェルと双子は決して友人ではない。悪戯の被害者と加害者だ。
ピシャリとドアを閉めて、外から見えないようカーテンを下ろす。トランクの中から制服を取り出していると、すっかりマニキュアが乾いたらしいパメラがレイチェルを振り向いた。
「ね、ハリー・ポッターだって。見に行かない?」
「やめておいたら、パメラ……それに、もうすぐ到着よ」
どうやら双子の言葉はしっかり聞こえていたらしい。好奇心一杯に目をキラキラさせるパメラに、レイチェルは呆れて溜息をついた。「野次馬なんて下品だわ」ブラウスのボタンを外しながら、エリザベスも眉を寄せる。しかし、ソワソワとどこか落ち着かない様子を見ると、エリザベスにもハリー・ポッターを見に行きたい気持ちがあるらしい。
「だってあのハリー・ポッターよ? 気にならない?」
「……別に」
どうにかしてレイチェルを味方につけたいらしいパメラが引き下がったけれど、レイチェルはその言葉に首を振った。窓の向こうの景色はもうのどかな田園風景に変わっていて、あまりのんびりしている時間はない。それに、もしも時間がたっぷりあったとしても、レイチェルはハリー・ポッターを見に行くことはなかっただろう。自分が新入生だった初めてのホグワーツ特急で、上級生がゾロゾロとコンパートメントの周りに見物に来ていたらと想像すると、ちょっと、かなり……すごく嫌だ。この分だと、きっとホグワーツに着いてからも彼は廊下を歩いているだけで噂話の種になるのだろう。そう思うと、レイチェルはまだ見たこともないハリー・ポッターに同情した。
「……あなたって変わってるわ、レイチェル」
しみじみとエリザベスが呟くのに、レイチェルは黙ってローブに袖を通した。おじさんやおばさん、それに皆の反応を見ると、確かにレイチェルの方が少数派なのは明らかだった。セドリックもハリー・ポッターに特別興味があるわけではないみたいだけれど、それでもレイチェルほど無関心ではない。
生き残った男の子。魔法界の英雄。確かに、生きる伝説である彼がホグワーツに来ると言うのは大ニュースなのだろう。けれど、レイチェルは皆と一緒に騒ぐ気にはなれなかった。レイチェルにとって、ハリー・ポッターは少し有名なだけで、ただの新入生の1人だ。もし、彼がレイブンクローに組み分けられたとしたら、先輩として関わることもあるかもしれないけれど。
そうこうしているうちに汽車はホグワーツに到着し、レイチェルは去年と同じに馬なしの馬車に乗り込んだ。乗り合わせたのは知らないハッフルパフの上級生達だったが、やっぱり話題はハリー・ポッターのことで持ち切りだった。気づかれないようにそっと溜息をついて、レイチェルは静かに目を閉じる。ダイアゴン横丁で会ったあの眼鏡の男の子は、どこの寮に組み分けられるだろうか? あと、さっきコンパートメントにやって来た栗色の髪の女の子も。本人達の行きたい寮に組分けられてほしいとは思うけれど、できればそれがレイチェルの好きなレイブンクローであれば尚のこといい。
今年から始まる選択科目のこと。ホグズミード休暇のこと。セドリックの誕生日プレゼントのこと。レイチェルにとっては、会ったこともないハリー・ポッターよりも気になることがたくさんある。それは、そんなにおかしなことなのだろうか。
ハリー・ポッターの名前を聞いただけで色めきたって噂するのが普通だと言うのなら、レイチェルは別に変人でも構わない。