オッタリー・セント・キャッチポールは静かな村だ。緑の果樹園と畑にぐるりと囲まれ、小さなレンガ造りの家々が行儀よく並んでいる。遠くから見るとまるでおもちゃの町並みのようで、少女はこののどかな村が好きだった。中でも1番のお気に入りは、村のはずれにある小さな公園だ。特に、今日のようなよく晴れた日。明るい黄色のシーソーに、ライムグリーンのブランコ。滑り台の赤。絵の具を塗り広げたような空の下、カラフルにペイントされた遊具は眩しいほどに鮮やかだ。元気いっぱいに遊ぶ子供達も楽しげで、見ていて微笑ましい。木陰にある青いベンチに座ってその様子を眺めるのが、夏休みに入ってからの少女の密かな楽しみだった。

「君、最近よくここに座ってるよね? 引っ越して来たの?」

その日もいつものように少女がベンチに座っていると、後ろから誰かに声をかけられた。驚いて振り向くと、知らない少年が人懐っこい笑顔を少女に向けている。鮮やかなイエローのTシャツに薄い色のジーンズは、とても夏らしくて素敵だ。とびきりのハンサムと言うわけではないけれど、そばかすの散った顔は人が良さそうで、少女は警戒を解いて肩の力を抜いた。

「ええ。そんなところよ」

愛想良くそう答えながら、少女はふと自分の格好を見下ろした。お気に入りの白いワンピースもサンダルも、どこもおかしなところはないはずだ。少なくとも、「バレて」しまうことはないだろう。
「あげるよ」少年は少女の隣に座ると、ジュースのアルミ缶を渡してくれた。ポップなオレンジのイラストが描いてあるそれは、冷えていて気持ちがいい。何に使うものなのだろうと少女が物珍しく観察していると、少年が少女の肩に手を回した。

「名前、何て言うの? 僕はスティーブ」
「私は……」
レイチェル!」

少女が答えようとすると、聞き慣れた声が咎めるような響きで少女──── レイチェルの名前を呼んだ。声がした方を振り向くと、そこには予想通り、レイチェルのよく知る少年が立っていた。いつもなら穏やかな笑顔を浮かべている整った顔には、今は気難しげな硬い表情が浮かんでいる。足早にこちらへ近づいてきた幼馴染────セドリックは黙ってレイチェルの手を引いてベンチから立たせると、そのまま出口に向かって歩き出してしまう。小走りでその後を追うことになったレイチェルが慌ててスティーブを振り向くと、残念そうな顔でレイチェルに向かって手を振っていた。

「今度会った時は、電話番号教えてよ」

背中を追いかけて来た言葉に、レイチェルは首を捻った。電話って何かしら。返事をしようと思ったけれど、セドリックが早足で歩くので、あっと言う間に公園からは遠ざかってしまった。

「ねえ、セド。セドリックったら、待ってよ。そんなに怒らないで」

レイチェルが呼び掛けても、前を行く背中は振り返ってくれないし、答えてすらくれない。レイチェルはばつの悪い気持ちで俯いた。足元に伸びる2つの影を映すのは、いつの間にか白い石畳から乾いた茶色の土へと変わっている。小高い丘を登り、村が小さくなった頃になると、ようやくセドリックはレイチェルの手を放した。

「最近どこか出掛けてると思ったら……ダメだよ! マグルの村に来たりしちゃ」
「だって退屈だったんだもの。ちゃんと午前中の課題は終わらせたのよ」

困った顔でそう言うセドリックに、レイチェルは唇を尖らせた。セドリックに言ったら反対されると思ったから黙って抜け出して来たのに、もう見つかってしまうなんてついていない。エイモスおじさん達にも言うつもりだろうか? ちらりとセドリックの顔を窺う。「父さん達には黙っててあげるけど」呆れたように溜息を吐いたセドリックがそう約束してくれたので、レイチェルは胸を撫で下ろした。言いつけを破ってしまったのはわかっているけれど、できれば叱られるのは遠慮したい。
レイチェルの手の中にあるものに気づいたのか、セドリックが不思議そうに首を傾げた。

「彼から何をもらったんだい?」
「わからない。オレンジって書いてあるし、ジュースか何かだと思うんだけど。セドがもう少し来るのが遅かったら、どうやって開けるのかわかったのに」

オレンジのイラストが描かれたアルミ缶は、レイチェルには不思議な金属の筒に見える。恐る恐る振ってみると、かすかにパチャパチャと音がするので、中身はどうやら液体らしい。火照った頬に缶を押し当ててみると、ひんやりと冷たくて気持ちがよかった。外はこんなに暑いのに、魔法も使わずにどうやって冷やしたのだろうか。不思議に思って、レイチェルは同室の友人の顔を思い浮かべた。マグル生まれのパメラなら、知っているかもしれない。

「親切なマグルだったわ」

レイチェルは呑気にそんな感想を口にした。レイチェルにしてみれば彼がこの缶ジュースをくれたのはマグルの流儀か、それとも彼が親切かのどちらかなのだ。
切断魔法をかければ、中身を取り出せるかしら。レイチェルが興味深くアルミ缶を傾けていると、セドリックがまた溜息を吐いた。どうやら、まだお説教は続くらしい。

レイチェル、知らない人から物をもらっちゃダメだよ。しかもマグルからなんて。危険な物だったらどうするの?」
「ドラゴンじゃないんだから、マグルだっていきなり襲いかかってきたりしないわ。それに私達だって、杖を持ってなきゃ見た目はマグルと一緒でしょう? 魔法使いだなんてバレっこないもの」
「でも、万が一ってことがあるじゃないか」

やれやれとレイチェルは小さく溜息を吐いた。セドリックは心配し過ぎだとレイチェルは思う。それに過保護だ。マグルに存在を知られてはいけないと言うのはレイチェルだってわかっているけれど、目の前で公園の遊具を犬にでも変えてみせない限り、そんなに簡単に魔法使いだなんてバレるはずがない。セドリックとさっきのスティーブと言う少年の違いと言えば、セドリックの方が背が高くて顔がハンサムだと言うことと、Tシャツの色くらいなもので、ローブを着ていないセドリックは見た目だけなら十分マグルの少年に見える。少し村に行っておしゃべりしたくらいでわかるはずがない、と言うのがレイチェルの言い分だった。

「セドは本当、お利口さんよね」

素直な賞賛半分、皮肉半分の言葉をぶつけてもセドリックはレイチェルを怒ったりしない。ただ、困ったように眉を下げて笑うだけだ。そんなところも、「いい子」の反応だとレイチェルは思う。
言いつけを破ってマグルの町に行っているのはレイチェルだけじゃない。レイチェル達と寮は違うけれど同じ学年の、あの厄介なウィーズリーの双子もこの村の向こう側の外れに住んでいるけれど、時々村に顔を出していると聞いたことがある。だって気になるのだから仕方がない。目と鼻の先でマグルが暮らしているのだから、興味を持つなと言う方が無理な話だ。
セドリックはマグルの村に行ってみたいと思わないのだろうか? レイチェルはぼんやりと考えた。けれど、そんな疑問は口に出さずとも答えが出る。セドリックだって行ってみたいと思っているに違いないけれど、我慢しているのだ。言いつけと欲望を天秤にかけても、レイチェルのように欲望に針が傾いたりしない。それがセドリックのすごいところだとレイチェルは思う。見習うべきだとはわかっているけれど、レイチェルには真似できそうにない。
いい子のセドリック。悪い子のレイチェル。小さい頃からいつもそう。セドリックは大人の言いつけを破らないし、秘密でこっそりどこかに出掛けたりもしない。悪戯をして怒られるのはレイチェル。庇ってくれるのがセドリック。
お隣同士に生まれて、お揃いの服を着せられて。同じ景色を見て兄妹みたいに育ったけれど、二人の性格はちっとも似ていない。目の色も髪の色も、最近は背の高さも。今は夏休みだけれど、学校に行けばそれはもっとはっきりと違いが表れる。セドリックのネクタイはカナリアイエローだけれど、レイチェルのネクタイは青だ。

「夏休みは魔法を使っちゃいけないって誰が決めたのかしら」
「仕方ないよ。決まりなんだから、守らなくちゃ」

並んだ影が地面に濃く映っている。ぽつりと不平を漏らしたレイチェルに、セドリックが苦笑した。夏休みが始まってすぐに、レイチェルもセドリックもおじさんに杖を預けてしまった。新学期になれば返してもらえるけれど、やっぱり自分の杖がないと落ち着かない。とは言え、手元にあったとしても使えないのだけれど。
魔法が使えない、どこにも行けない夏休みなんてつまらない。箒で飛ぶことはできるけれど、この暑い中にクィディッチ馬鹿のセドリックに付き合っていたらレイチェルはすぐに汗だくになってしまう。退屈しのぎにちょっとマグルの村へ足を伸ばしてみようと考えたって罰は当たらないだろう。セドリックに知られれば眉を顰められそうなことを考えて、レイチェルは滑らかなアルミ缶の表面を指でなぞった。

 

 

「ただいま、母さん」
「お帰りなさい、セド。あら、レイチェルも。ちょうどよかったわ。お昼御飯よ」

遠くから見てもすぐわかる大きなリンゴの木があるのが、セドリックの家、つまりディゴリー家だ。玄関ドアを開けると、たちまちマカロニ・アンド・チーズの匂いが鼻をくすぐった。そのまま奥へと進むと、広々としたダイニングテーブルの上には4つお皿が用意されている。おばさんの分、セドリックの分、レイチェルの分。そしてもうすぐ仕事から帰って来るエイモスおじさんの分だ。

「おばさん、ママはどうしてるの?」
「〆切が近いみたいね。サンドイッチを作ったから後で持って行ってあげて」
「いつもごめんなさい」
「いいのよ。私、彼女の1番のファンだもの」

気にしていないからと、おばさんはセドリックによく似た顔でふんわりと笑う。作家をしているレイチェルの母親は、〆切が近くなったりいいアイディアが思いついたりすると、部屋に閉じこもったまま中々出てこない。当然その間は家事もできないし、食事も作れない。そのせいでレイチェルは小さい頃からディゴリー家に預けられることが多かったから、ディゴリー家のダイニングには、レイチェル用の食器やコップなんかが常備されている。この夏休みの間も例にもれずそうだった。もういっそベッドルームも作ってレイチェルをうちの子にしようとおじさんが笑うほどに、レイチェルはディゴリー家に頻繁にお世話になっていた。

「そうそう。貴方達宛てにふくろうが来てたわよ」

おばさんが指差す方を見ると、レイチェル宛の封筒が3通置かれていた。2通は友達のパメラとエリザベスから、そしてもう1通はホグワーツの紋章が入っている。中身は去年と同じ、新学期に向けての教科書リストだ。セドリックにも同じように友人達からの手紙と教科書リストが届いていた。レイチェル達がリストを確認してあれこれ言っているとエイモスおじさんが帰宅し、ようやくディゴリー家の和やかな昼食が始まった。

「お昼からダイアゴン横丁に行きましょう。セドは今年こそ制服を作り直さなくっちゃね。夏の間にまた背が伸びたんだもの! カカシにでもなる気かしら」

おばさんの言葉は全くその通りで、セドリックは最近めきめきと成長期を迎えている。入学当時はレイチェルと同じくらいだった身長は今ではセドリックの方が3インチ以上も高い。1年生のときの制服ではきっともう窮屈だろう。今履いているジーンズも裾が足りなくなってきているのをレイチェルは知っている。

「二人とも、今年から選択科目が始まるでしょう? 何にしたの?」
「古代ルーン文字と、魔法生物飼育学。それから、マグル学だよ。レイチェルもだよね」
「うん」

3年生になるレイチェルとセドリックは、前の学期のイースター休暇に履修する科目を選ばなければならなかった。特に示し合せたわけでもないのだけれど、2人は選択科目がぴったり同じだった。元々レイブンクローとハッフルパフは合同授業が多いから、今年もほとんどの授業を一緒に受けることになるだろう。

「セドもレイチェルももう3年生か……早いもんだなあ」
「そうねえ……卒業なんてあっという間ね」

しみじみと子供達────2人に言わせれば、レイチェルも娘同然らしい────の成長を噛みしめる両親に、セドリックがまたかとでも言いたげなうんざり顔をした。レイチェルもそっと肩を竦める。こうなると話が長くなることを知っているからだ。けれどそんな息子の様子には気づかず、二人は自分達の学生時代や結婚式を思い出して楽しげに会話に花を咲かせ始めた。口を挟む隙もないレイチェルとセドリックは粛々と皿の上のマカロニをフォークでつつく。

「あら、そう言えば」
「何、母さん」

昼食を食べ終えたレイチェルが紅茶にシロップを混ぜ入れていると、おばさんが何かを思い出したようにぽんと手を打った。できるだけうんざりしているのがわからないようにセドリックが笑って答えるが、表情は隠せても声に滲み出てしまっている。けれど、どうやらおじさんとおばさんは気づかなかったらしく、楽しげに微笑んだままだった。

「今年は、ハリー・ポッターが入学する年じゃなかったかしら?」
「そうだったそうだった! 惜しいなあお前たち、あと2年遅く生まれていたらあのハリー・ポッターと同級生だったと言うのに!」

そんな言葉を聞きながら、そんなに騒ぐような特別な事なのだろうかと、レイチェルは首を捻った。
生き残った男の子、ハリー・ポッター。彼が例のあの人を倒したから、今の平和な魔法界がある。小さい頃から散々聞かされたし、1年生の頃の魔法史でも真っ先に教わった。でも、どうやって倒したかは未だによくわかっていない。まだ赤ん坊だったのだから、きっと本人だって覚えていないだろう。それに、どんなに偉大なことか熱っぽく語られたところで、レイチェルだってまだ小さかった。例のあの人の居た時代の恐怖も知らなければ、例のあの人がどれほど強い闇の魔法使いだったのかもわからない。つい10年ほど前のことだとわかってはいるけれど、レイチェルにとって教科書の中の出来事だ。
つまり、大人達ほどレイチェルはハリー・ポッターに興味がなく、頭の中は既にパメラとエリザベスからの手紙の返事をどうするかとダイアゴン横丁で何を買おうか考えることで一杯だった。

ハリー・ポッターと同級生だったら幸運なのだろうか? 友達になれたら名誉なのだろうか?
レイチェルはセドリックとお隣さんの幼馴染で、パメラとエリザベスと言う仲良しの友達に囲まれて、十分幸運で誇らしい。

金色の昼下がり

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